2021年3月21日日曜日

静謐な時間

 






前夜の賑わいとは打って変わり、

早朝の台所は静かさに満ちている。


どんなに遅くなっても、その日のうちに食器や鍋は洗ってしまうの。


初めての企業研修先のボスの秘書だったケリー。

ブルーの瞳と金髪が自慢で、染めた金髪と地毛の金髪の違いを教えてくれたっけ。今頃どうしているのだろう。ブッシュ(親)のファンで、バッチを持っていて皆にからかわれていた30代前半のスレンダーな彼女。


ケリーのアパートがパリのどの辺にあったかなんて、今ではすっかり忘れてしまった。オフィスの気の合う若い連中で、押しかけていった記憶はあるが、ケリー以外に誰がいたかなんて憶えていない。いや、一人だけ、ケニア出身で、ライオンをおじさんが飼っているといって私をびっくりさせた二十歳前後の可愛い女性スタッフが一緒だった。


名前こそ憶えていないが、バレリーナのような肢体と小さな顔につぶらな瞳が印象的だった。すぐにも帰宅するという少女のような彼女が、実はもう5歳ぐらいの男の子の母親であることを初めて知った。陣痛を黙って一人、ホームステイ先の牧師一家のベッドの中で耐えたというから驚き。パリの地下鉄でレイプされた結果の妊娠であり、敬虔なキリスト教の彼女には堕胎など選択肢にはなかったこと、それでも、親切な牧師一家にはどうしても伝えられなかったこと、異郷の地で一人なんとか耐え忍んだこと、など、初めて聞く話に茫然とした。それをなんでもなかったかのように、楽しい話のように聞かせてくれた彼女。今頃どうしているんだろう。


ワインとチーズで盛り上がったのだろうか。パスタをご馳走してくれたのだろうか。


さあそろそろ帰らないと。グラスや食器をキッチンに運ぶ手伝いをしていると、ケリーが自分に課していることとして、教えてくれたのが先ほどのセリフ。


パリのアパートで一人暮らしをしているケリー。国際金融機関の欧州代表の秘書として、一見華やかにみえるが、実は堅実で慎ましやかな生活を営んでいる彼女の一面を知った瞬間だった。


以来、私自身も自分に課している。どんなに遅くなっても、その日のにぎわいの余韻を翌日まで持ち込まない。


その結果、手に入れられるものは、早朝の静謐さ。


未だ生活の音が始まらない中で、珈琲の香りだけが立ち上がるキッチン。

目を閉じて、その豊かさを満喫する。





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