2023年12月28日木曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

 



最初の計画ではタンボチェに行き一泊、その後キャンジュマまで下山し一泊、そしてモンジョに戻り一泊、としていた。それがタンボチェには行かずにナムチェに戻ってきたことから、予定していたロッジの手配を再度しなければなかった。


もちろん全てRajさんが手配してくれるので、我々は状況を教えてもらうだけではあった。3人なので2部屋用意してもらうことになり、トイレ付きの部屋をお願いしていた。ただトイレ付の部屋は数に限りがあり、二人部屋であってもトイレは共同となることが多いようだった。


せめて、一部屋だけでもトイレ付きを最低条件とし、探してもらった。ナムチェでは、以前泊ったロッジはそれでも難しそうだったが、ぎりぎりで状況が変わったとかで、その頃は未だ元気だった相棒が、ほらね、うまくいったでしょ、とばかりに得意げな笑顔を見せたことが懐かしい。




Rajさんとしては、距離的にも次はモンジョで一泊と考えていたようだが、小さな村とのこともあり、我々の最低条件に合うロッジはなかった。そして、モンジョを過ぎて少し歩いた場所にあるジョルサルのロッジを押さえたと教えてもらった。


エベレスト街道は、出発地点のルクラからの距離によって、トレッカー達の宿泊場所になったり、ランチ休憩の場所になったりしがちである。従い、比較的ロッジのある村、そして、全くない村、あっても一、二軒程度の村、となってしまうのも無碍なるかな。


そして、ここは後者の部類にあてはまる村だった。丁度吊り橋を渡る手前にあり、そこを渡ればモンジョの村となるので、そこまで行ってしまおう、となるのであろう。食堂は別棟になっていて庭を横切って行くのだが、当然外灯などないので、夕食時には真っ暗な中を歩いて行くことになる。




部屋の窓からは、丸い形状の小さな山が見えて、その独特な形が笑いを誘った。ロッジの周囲は家庭菜園のようになっていて、若い男性が枝豆を収穫している様子が見えた。そういえば、ロッジでは父親の手伝いをする高校生ぐらいの少女たちは何人か目にしたが、働いているスタッフはほとんどが男性であった。


どうしても季節労働になってしまうし、子供の教育のためにも母親と子供たちは、山から下りた村や町で住んでいるのかもしれない。






お湯をポットにもらいに、「ナマステ」とドアを開けて食堂に入って行った時のことだった。達磨ストーブを囲んでいた一同が一斉にこちらを見つめ、その視線が痛い程だった。トレッカーなのか、ガイドなのか、はたまたポーターなのか、皆で見極めている、といったところか。いや、さすがにそれはあるまいか。


ロッジでは大抵Rajさんの姿をどこかしらで見つけることができるのだが、そこはRajさんも初めてだと言っていたからか、彼の姿はなかった。ポットにお湯が欲しいと厨房に声を掛けると、130ルピーだが、ちゃんと払ってもらえるよね、と凄まれた。





どこにでもしきたりがあり、不文律があるのだろう。ガイドさんを通して注文をする方が、スムーズに事が運ぶこともある。その後でRajさんに会った時に、自分の部屋を教えてくれて、何かあったらいつでも来てください、と言われた。


その後何回か部屋の前を通ったが、いつでも大きな錠前が鍵と一緒にぶらりとぶら下がっていて、ドアも少しだけ開けられていた。物騒なのか、不用心なのか、はたまた、ここは安全な場所なのか。




その謎は翌朝、出発の時に氷解した。掃除をするためか、チェックアウト後の部屋のドアは開け放たれていて、そこが大人数向けの大部屋であることが判明した。だから敢えて鍵が掛けられていなかったのか。開け放たれていたとはいえ、部屋を覗き見るようではしたなさを感じ、さっと視線を走らせただけだった。


しかし、どうやら同じようなことをしたのは、私だけではなかったようだ。Rajさんから、掃除する前だった部屋のドアが開いていたから、ちょっと覗いたけれど、あまりに綺麗に片付いていて、まるで使っていなかったようで驚いたと言われた。


飛ぶ鳥跡を濁さず、ではないが、その辺は幼い時からの厳しい躾の賜物と言えようか。旅館さんに宿泊した時も、布団は片隅に見苦しくないように畳んでおくことはもとより、ゴミも廃棄しやすいようにまとめておくなど、当たり前と言えば当たり前なことを常に心がけて来た。


ロッジの部屋は本当に簡易なもので、ベッドの布団を綺麗に畳み直せば、ほぼ片付けは完了のようなものだった。Rajさんには、それが日本人の身だしなみよ、とウインクをしてみせた。




そこのロッジでは、夕食の際に日本人の男性と知り合いになった。前日の夜中に車でカトマンズを出て、早朝にラメチャップからルクラに飛び、そのまま歩いてきたとかで、眠い、疲れた、を連発していた。一人旅らしく、いかにも学生時代に山岳部だった風貌で、初めてのネパール入りだが、カラパタール登頂とエベレストベースキャンプを目指しているとのことだった。


彼の話を聞きながら、ラメチャップに一泊したことは賢明であったと、改めて思った。ガイドではなく、ポーター一人を雇っていて、その人と話す機会があったが、人の好さそうなポーターさんながら、日本語は無論、英語も覚束ないようだった。


Rajさんに、言葉の問題や、ポーターさんだけで大丈夫なものなのか、といったことを聞いてみた。最終目的地がお互いに確認できていれば、特に問題ないとのことだった。そんなものなのかもしれない、その時はそう思った。




その男性は、未だこの標高で、ここまで寒いと思っていなかったと震えていた。ナムチェに行けば、もっと寒くなること、高山病をゆめゆめ軽くみてはいけないこと、などをちょっと大げさに話した。もっと厚手のフリースを持っているとのことだったが、では、なぜ今着ないのかと、心配になった。


そして、疲れていて食欲がないのか、スープ程度しか食べていないことも気になった。経験豊富なポーターさんと何やら相談して、選んだメニューがスープなのか、と思わずにはいられなかったが、そこまで介入するのも、あまりにもお節介過ぎるだろうと、黙っていた。


その彼が、二日後に蒼白な顔に大粒の汗を流して馬の背に乗せられて、ルクラに向かっているところに出くわした時には、思いもしなかったので、度肝を抜かれてしまった。すべてが順調な時には、言葉は大して重要でもなく、込み入った相談をする必要もないであろう。




しかし、一旦具合が悪くなった時に、どうやって最悪の事態を回避するか、こそが肝要である。悪いことに、高山病は初期段階で自覚症状がなく、というより、まさか自分か掛かるとは思っていないので、気が付いた時には手遅れの場合が少なくないと思われる。


誰かに相談するよりも、自分の殻に籠ってしまうのが、高山病の恐ろしさであると、今回の経験で分かったように思う。Rajさんによれば、高山病で亡くなる人は後を絶たず、救えたであろう命も救えない辛さを3年に一度は見聞きするとのことだった。


実際に、3年前も中国人の女性が一人でエベレストベースキャンプを目指したが、途中で具合が悪くなり動けなくなってしまった。そこは電波が届かない場所で、救急隊を呼ぶことも出来ず、風雪でトレッカーは勿論、ガイドもポーターも自分たちのことで精一杯で、蹲っている女性をそのままにするしかなく、皆心に鉛を抱えながら下山したとのことだった。


諦める勇気は、挑戦する勇気よりも、ひょっとしたら出しにくい性格のものかもしれない。諦めることで、別の道が開けてくることに、思いが到りにくいからかもしれない。





ここのロッジで相棒は39度5分の高熱を記録してしまった。それでも母とは、二日具合が悪くて寝込んだ私のことを引き合いに出して、良くなるのに二日はかかるもので、きっと翌日には楽になっているだろうと、何の根拠もないことを言っていた。


この会話にさりげなく付け加える格好で、母が、皆が二日ごとに順々に具合が悪くなっているので、次は私の番、なんてことにならないようにしないとね、と縁起でもないことを言った。そして、ちょっと喉の具合が良くないのよね、と呟いた。













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プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)



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2023年12月26日火曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレ(祈り)

 





ナムチェを早朝の出発の時点では、37度に熱が下がっていた相棒であったが、次の宿泊場所のジョルサレで、夜になると39度5分という信じがたい数字が出てしまっていた。シャンボチェの丘で、私に抱きついて、感極まって泣いた時のことが急激に思い出され、どきりとした。まさか。





ひょっとしたら、知らず知らずのうちに相棒の世界に私自身が取り込まれてしまっていたのかもしれない。






ゾッキョの一隊と一緒にナムチェの村に入った相棒。サガルマータ国立公園では、コンデ山群が見晴らせる広場で大地に大の字になって寝ころんでいたが、まるで彼女を媒体とし、土地のエネルギーを宇宙に放ち、同時に宇宙のエネルギーを大地に取り込んでいるかのようだったではないか。










太陽の光の前でも、よく目を閉じて深呼吸をしていることがあった。その姿が透明に思え、やはり、彼女を媒体として、太陽のエネルギーが大地に放たれているように感じられた。彼女が、このヒマラヤの地で、自分のルーツを深く感じていることに思いが到ると、身震いがした。




その晩、ヒマラヤを鹿になって駆け回るシバ神に本気でお願いをした。この世界で相棒はまだまだ必要な存在であること、別の世界で相棒が活躍するには未だ早いこと、お願いなので相棒をこの世界から連れていかないでください、と。










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夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5  再びナムチェ(相棒)

 





冠雪のコンデ山群が見え始めて暫くすると、眼下にナムチェの家並みが見え、ほんの二日前にことなのに、ひどく懐かしく思われた。その日の朝から頭痛はすっかりとなくなっていて、足取りも軽やかに、それこそ飛び跳ねるようにしてカメラのシャッターを切っていた。


行き交うトレッカー達との挨拶も、以前の様に楽しめるようになってきており、すっかりと回復したとの自覚があった。一方で、私の体調の具合と反比例するかのように、相棒は無口になり、無愛想になってきていた。


何か声を掛けても一向に反応がなく、聞こえていないのかと思えばそうでもなく、返事をするのが億劫そうで、機嫌が良くないということは明白だった。私が病気に陥る前の兆候に酷似してはいまいかと、嫌な予感がした。





実は、前の日に「ホットシャワー」ならぬ「ぬる湯シャワー」の件で、相棒とはちょっとばかり揉めていた。揉めたと言っても、相棒が勝手にぷんぷん怒り出してしまったのである。Ammaも私も「ホットシャワー」かと思いきや「ぬる湯シャワー」の洗礼を受けていた。


確かに、毎回相棒がお湯を出して準備してくれていたのだが、「ぬる湯」であったことを相棒のせいになどしていないのに、いかにも相棒だけが難を逃れている様に思われるのが癪である、といった調子だった。


挙句に台湾ではシャワーが主流であり、まさに「ぬる湯」でシャワーを浴びるのであって、この「ぬる湯」こそが「ホットシャワー」である、などと言う始末。そして何も無理に「ぬる湯シャワー」を浴びる必要はあるまいに、と言っているのに、見ていて頂戴と言わんばかりにシャワーを浴びたのである。


なぜにそんなに頑固なのだろう。風邪を引いちゃうじゃないの。そう思っていた。ひょっとしたら、この時に既に兆候があったのかもしれない。それが寒さの中で「ぬる湯シャワー」を浴びて、拍車を掛けてしまったのだろうか。





ナムチェのロッジで草鞋ならぬトレッキングシューズを脱ぎ、Ammaと相棒と三人でぶらぶらと村に繰り出し、民芸店でお土産を物色していた時に、相棒が具合が悪いので先にロッジに帰っていると宣言し、一人で出て行ってしまったのである。


思い起こせば、幼い時には、何かというと相棒が先に病気になっていた。半ば強制的に学校でインフルエンザの予防接種を受けた翌日には、相棒は決まってインフルエンザに罹ってしまっていた。それが毎年ことだったので、そのうちに予防接種をしないようになったことを覚えている。


あれは中学二年の時だったろうか。給食の時間に突然ガラリと戸が開けられ、私の名前が呼ばれた。相棒だった。「具合が悪いから、先に帰っているね。」と大声で宣言すると、またガラリと戸が閉められた。


何も言わずに先に帰ってしまったのでは、私が心配するとでも思ったのだろう。しかし、こっそりと私を呼ぶにも給食中だし、具合は悪いしで判断力も鈍り、あのような態度に出たものと思われた。突然のことに、何のことか皆分からずにあっけにとられていたが、そのうちに、クラスは笑いの渦となった。






今回、相棒を差し置いて、私の方が先に高山病に罹ってしまったが、双子の宿命なのか、こうして順繰りと相棒も具合が悪くなってしまったのである。もしも、「ぬる湯シャワー」を浴びていなかったら、と思うが、「ぬる湯シャワー」を浴びる程判断力が鈍っていた、とも考えられるわけで、こうして彼女が病に臥せってしまうことは、必然的なことだったのかもしれない。


相棒の場合の症状は、不機嫌になり無口になること以外には、発熱し、体温が39度近くに達してしまっていた。標高は下がっている筈であり、それが高山病がもたらす発熱なのか、風邪の症状なのか、厳密なところは分からなかった。


ひょっとしたら私自体が風邪による症状で、その私の風邪を相棒に移してしまった、とも考えられなくはなかった。実際、相棒は鼻水に酷く悩まされていた。これにより、毎朝のタロット占いも、クリスタルボールの演奏もできなくなってしまった。





鶴の恩返しではないが、今度は私が相棒の看病をする番だった。と言っても、寒いという彼女の上に、亀の子のように乗って、がっしりと抱きしめて寝ているだけだった。勿論、相棒のリクエストによるものだったが、実のところ私にとっても湯たんぽのような相棒のお陰で、寒いとは感じられずに、むしろ心地よかった。


翌朝、体温は37度台に下がってくれた。相棒の場合は、「Rajさんがゾッキョを手配するって言っていたよ」との言葉が効いたかもしれない。私同様に、ゾッキョ様の背に運ばれるようなことなど、とてもではないができないとの思いが強かったに違いない。


勿論、本当に手配するのであれば馬なのだが、相棒の場合はゾッキョの方がインパクトが強いであろうとの思いから、ちょっぴり脚色したのである。相棒は、「大丈夫だから、Rajさんにはゾッキョの手配は必要ないって言ってちょうだい。」と真顔でお願いされた。






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2023年12月25日月曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

 




シャンボチェの丘を降りてナムチェに戻るのだが、若干距離的には長くなるが、直滑降になってしまう来た時の道を避け、比較的緩やかな道を下って行くとのことだった。実のところ、来た道を戻るのも悪くないとは思っていた。


人というものは、一般に進行方向にある景色を見て歩く。その意味では、通り過ぎた景色を逆方向から眺めることをせずに、それこそ通り過ぎてしまう。太陽の日差しにしろ、後ろから射している時と、直射日光を浴びている時では、全く違った印象を与えるものである。






今回のトレッキングの間、しゃがんだり、背伸びをしたり、時には後ろ向きになったりと、出来るだけ色々な角度で景観を捉え、シャッターを押してきた。シャッターチャンスというものは、確実にある。そして、道具(カメラとレンズ)の良し悪しに大いに左右されるものの、最後は感性がものをいう、そう思っている。


どうしたら、魂をぐいと摑まれる写真を撮ることができるか。ある景観を前に魂が揺さぶられたとして、それをどのように画像として残すことが出来るのか。





スマホのカメラ性能は確かに大きく進化しており、誰もが手軽に写真を撮影できる時代になっている。それでも、と思う。むしろ、それだから、であろうか。私にとって一枚一枚の写真へのこだわりは、少なくない。そして、できるだけ感性のアンテナを張り巡らせ、シャッターチャンスを狙えるように心掛けてきたつもりである。


ナムチェからシャンボチェの丘に上がってくる時は、シャンボチェの丘にしか目がいっていなかった。時々頭の血管が破裂しそうな思いに陥ったし、急斜面であったことからも、後ろを振り向く余裕などなかったと言えよう。


その同じ道を逆に戻るとしたら、急な斜面を降りることで足元ばかりに注意を払い、周りの景観を楽しむ余裕はなかった可能性は濃厚である。そしてRajさんが選んだ別の道は、息を呑む景観に満ち溢れていて、来た時と同じ道を戻らなかったことで見落としたであろう景観への拘りや未練は、一瞬にして消え去ってしまった。







その場を立ち去り難い思いに駆られ、どうしても足取りは重くなり、皆から遅れをとってしまいがちとなった。それにしても、Rajさんがどんな小径でも知っていることには驚かされてしまった。この先にロッジがあるとか、向こうには鉄塔があるとか、あそこからはヘリが飛ぶとか。


山を知り尽くしていながら、毎回新しい出会いに心ときめかすかのように、我々と一緒に感動し、我々と一緒に嬉々として写真を撮る姿に、ヒマラヤへの深い畏敬の愛を感じ、そんな彼がガイドさんであったことに改めて深い感慨を覚えずにはいられなかった。


必然的偶然。運命。いや、そんな俗っぽい言葉では言い表せない。畏れ多いことではあるが、シバ神と天照大御神のお導きではあるまいか。










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2023年12月24日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

 



一日中寝ていたからだろうか。朝はかっきりと目覚めることができ、Ammaと相棒と一緒に、ご来光とまではいかないが、夜明けの気配が広がりつつある外の世界の扉を開けた。相棒は大切なブルーのクリスタルボールを抱えていて、いかにも彼女が放つ音の粒で朝をもたらすかのように意気込んでいる様子が、おかしくも愛おしかった。


そこは墨絵の世界で、薄墨色の靄が全体に広がっており、ところどころの隙間から白墨色の厳つい山並みが見え隠れしていて、魂を揺さぶるのだった。相棒の奏でる音の粒が天空に舞い上がり、生命をもっているかのように靄が躍り出し、跳躍し、走り去ったかと思うと、また戻って来た。





山頂がオレンジ色に染まり、次第に桃色になっていく様に、魂を吸い取られる思いがした。夢中でシャッターを切る。


山はあけぼの。

やうやう白くなりゆく山際 すこしあかりて

薄桃だちたる空の 大きく広がりたる





Rajさんに復活したよと、親指を立てて片手を大きく空に上げて知らせる。がっちりとしたハグが返って来た。Rajさんのお粥と、林檎と蜜柑と柘榴のお陰で元気になりました。本当にありがとう!


「シバ神にお願いしていましたから、神様のお陰です。でも、その前にAmmaのお陰です。Ammaに感謝しましょう。」嬉しそうな、優しい笑顔。本当にまたAmmaに、相棒に、そしてRajさんに助けてもらった。ありがとう。ありがとう。ありがとうございます!


太陽が輝きだし、空の青色が深みを増してくると、靄はすっと消えてしまい、世界最高峰が姿を現した。その姿を拝みながら、朝食にしようとなった。ほんの先ほどまで氷点下の世界であったのに、太陽の日差しはまるで春のように暖かかった。




朝食の飲み物は、マサラティーにしてみようかと思った。端的に言えば、スパイスの効いたミルクティーのことで、相棒はネパールに来てから何度も飲んでいた。私と言えば、カトマンズでは珈琲、山に来てからはジンジャーレモン蜂蜜一辺倒だった。


ところが、マサラティーを注文しようしたところ、Rajさんからストップが掛かってしまった。牛乳は消化器官が弱っている時には避けた方がいい、とのこと。御意。パワーアップの為にも、今朝も熱いジンジャーレモン蜂蜜をいただこうか!





Ammaが、昨日はRajさんがディディの為に馬を用意しないと、と言っていたのよ、と教えてくれた。ふらふらで歩けないようだったら、馬に乗せないと、と思っていたらしい。どの村でも、緊急の為に馬は一頭必ずいるとのことだった。


冗談ではなく本気だったようで、馬君のお世話にならずに良かったと、胸を撫で下ろした。高山病になっただけでも情けないのに、村人にとっての大切な移動手段であり、かつ生活必需品を運んでくれる重要な役割を担っている馬のお世話になるなどしたら、自己嫌悪に陥って暫くは浮上不可能になってしまっただろう。


Rajさんは、別の手段として大きな籠に荷物を入れて、その上に座ってもらい、それを私が背負って山を下りることもできますよ、と笑って言った。歩けない病人の移動手段として、村では当たり前のようにしているようだった。とんでもない、とんでもない!もったいない、もったいない!ああ、本当に回復して良かった。





この地点を今回の最終地とし、これから折り返すのかと思うと、なんとも言えなかったが、Ammaも相棒も始終にこやかで、むしろ素通りをしてしまった感の強いナムチェに戻って、一泊できることを楽しみにしている様子に、少しだけ慰められた思いがした。


いや、確かにAmmaは始終にこやかだったのだが、なんとなく相棒の反応には違和感を感じていた。どうもつっけんどんなのである。ひょっとするとひょっとして、これはあまり良くない兆候ではあるまいかと感じたが、それが現実になるとは、その時には思いもしていなかった。





崇高なるヒマラヤ山脈の天空を、シバ神と天照大御神が手をとって優雅に御舞いになっている御姿が、見えるようだった。そして、そこに父の笑顔を見た気がした。






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2023年12月23日土曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

 





Ammaと相棒がいつ部屋を出て行って、そして再び戻って来たのか、記憶にない。それでも、「お粥を作ってもらったわよ。」とのAmmaの言葉に驚いたことを覚えている。

Ammaは私が前夜頻繁に下痢でトイレに駆け込んでいたことを知っていた。何か食べないとエネルギーが湧いてこないし、こんな時はお粥が一番、とのことで、Rajさんに一握りのご飯にお水でお粥を作ることを伝授したとのことだった。

どうやってRajさんはリゾート側と交渉したのか分からないが、とにかく厨房に入り、私の為にお粥を作ってくれたという。そうして部屋まで届けたくれた熱々のお粥を、ありがたく、ゆっくりと口に運んだ。








相棒は相棒で、頭、肩、とお願いをすれば、快く丁寧にマッサージをしてくれた。秘密兵器を持っているとかで、大切に袋に仕舞っていた細長い水晶の塊を取り出し、両手に一つずつ握らせてくれた。それは驚く程冷たく、ずしりとしていて、むしろ体温を急激に奪われていくようで、恐ろしくなってしまった。相棒には大いに感謝しつつも、暫くすると、水晶の塊を袋に仕舞って恭しくお返しした。








多分、夕食まで寝ていたのだと思う。その間の記憶も定かではない。夕食も、食堂には行かず、今度はリゾートのスタッフが作ったというお粥を部屋に持ってきてもらって食べた。やはり、厨房に部外者を入れることを良しとしないのだろうか。熱々だったRajさんのお粥とは、似ているようで違っている、そんな気がしてしまった。







一方Rajさんのお手製フルーツサラダは健在で、丁寧に皮が剥かれていて、綺麗に形が揃っているくし形の林檎、白い筋が除かれている蜜柑そして、柘榴の粒が鮮やかに盛られていた。ビスターレ、ビスターレ。ゆっくりと、ありがたくいただいた。

確か、この時に、Ammaから、無理せずに明日から下山していくことを告げられた。Rajさんは、ディディの意見も聞かないと、と言っていたけれど、高山病にはとにかく標高を下げることが効果てきめんなのだから、下山に限るとのことだった。

えっ?クムジュンには行かないの?あそこは標高も今と変わらないし、と言ったのだが、即却下。ナムチェに戻るという。ただ、問題はナムチェのロッジで、前回行ったところは既に満室とのことだった。

大きなことは言えない。ここは素直に従うしかない。現に、未だ食堂に行って食事ができる状態ではなかった。この頭痛さえなんとかなれば、そう思いながら、高山病の予防薬と痛み止めを二時間ずつずらしてそれぞれ飲み、ひたすら寝た。


夜中、ふと目が覚めた。ちょっと待てよ。今頃、外は満天の星空なのではあるまいか。あの高台で夜空を仰いだら、と想像しただけでも、その壮大さに眩暈がする程だった。居ても立っても居られなくなり、カーテンの端から真っ暗な外を眺めると、ぼつりぼつりとした星がわっと目に入った。

外は凍てつき、氷点下の世界にあることは窺い知れた。流石に外には行くことはできまいが、窓からなら写真ぐらい撮れるだろうか、そう思ってカメラを構えた。その時、漸く頭から痛みが消え去っていることに気が付いた。



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プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)


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