2023年12月2日土曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップ(深淵)

 




そんなに急いで行っても、ラメチャップには何も見るものがないですよ、とは旅行会社のオーナーのラクスマンさんの言葉だった。確かに、ラメチャップと言う村は車が通る道が一本あるだけの、小さな村だった。恐らくルクラに向かうトレッカー達にとって、日程と予算のしがらみで、ラメチャップは空港を利用するだけの通過地点に過ぎないのだろう。


当地では唯一と思われる、食事処に宿泊施設を申し訳程度に設置した場所に案内された。10月も末なのに暑い日だった。通された部屋は、天井に大きな扇風機があって、ぶんぶんと音を立てて回っており、真っ赤なカーテンからは西日が差していて、部屋全体が異様な色に染まっていた。


場末の安宿、といったところだろうか。取り敢えずトイレ付きの部屋であることを確認し、馬鹿でかい錠前と、これまた大きな鍵を受け取った。母と相棒と私の3人で、二部屋を用意してもらっていた。どちらも似たような部屋だったが、先ずは母に好きな方を選んでもらった。


未だ日が出ている間はお湯が出るので、シャワーを浴びるなら今のうちに、とのことだった。正直なところ特に汗もかいていないし、それよりも何よりも、いわゆるトイレとシャワー、そして洗面所が同じ空間にある薄暗い場所で、びしゃびしゃとシャワーを使う気にはなれなかった。


ふとラオスのビエンチャンのホテルを思い出していた。天井が高くて、真っ白な壁。質素ながら清潔で、水道水は飲めなかったが、熱いお湯が出てくるシャワーは悪くなかった。ひょっとしたら、無防備にシャワーを浴びて、口をゆすいだりしたのかもしれない。ラオスでは下痢に悩まされた。


ラメチャップのお宿は、ラオスのホテルにあった、清潔感が欠けていた。暑いせいで、蚊もぶんぶんと猛威を振るっていた。ここでシャワーを浴びずに、今後どんどんと山に入って行くのに、大丈夫だろうか、との思いが頭を掠めたが、どうにもその気になれなかった。


母と相棒も、恐らくは同じように感じているのだろう。日没前に、村を散歩しようとなった。一緒に散歩をしようと言っていたRajさんに声を掛けると、シャワーを浴びたばかり、といった出で立ちで慌てて出てきてくれた。


相棒はここ数年、すっかりクリスタルボールの世界に身を置いており、今回のヒマラヤトレッキングに、なんと大切な水晶のボールを持参していた。まさか山に背負って行くわけはないと高を括っていたが、まさかのまさか。彼女に言わせると、一番小さくて、そんなに重くはないとのことだった。




望遠レンズを装置したカメラを持ってきた私が、何をか言わん。母に言わせると、二人とも似たり寄ったりとのことだった。私にしてみれば、カメラとクリスタルボールのどこが似ているのか、と思うが、確かに安いものではなかったし、重さも同じようなものだろうか。


とにかく、相棒が日が沈みかけるラメチャップで、クリスタルボールを演奏したいと言う。私にはちっとも分からない世界だったが、流石に母親は彼女の気持ちにちゃんと寄り添ってあげ、彼女が演奏している時の雲の動きや空の様子を動画に撮ることを承諾していた。


そして驚いたことに、Rajさんはしっかりと相棒の気持ちを汲んで、眼下に村や空港が一面に広がって見える、絶景スポットがあるところに行こう、となった。目指すラメチャップの丘は、お宿の前の通りをすぐ右に入った、急斜面の細い未舗装の道にあった。


気軽に、買ったばかりのサンダルで外に出て来たことをすぐに後悔した。道は砂ぼこりが凄く、歩くだけでサンダルが真っ白になるのが分かった。それでも、近所の山羊たちがどこからか現われ、我々の珍行列の後を付いてきていた。いや、彼らは家路に向かう途中だったのだろうか。


遠くの山並みに、丁度太陽が沈みかけている時だった。突然演出家と化した母が、撮影現場の場所選びに真剣になっていることが笑えた。相棒が神妙な顔でクリスタルボールの演奏を始める。音楽大学への進学を目指していた高校時代、ピアノを弾く時にも彼女はこれ程までに感情を込めていただろうか、と思う程に魂を宇宙に放っての演奏だった。



こんなちょっと風変わりな我々は、Rajさんの目にはどう映っていたのだろうか。訝しく思う節は全くなく、懐が深いというか、適応能力に優れているというのか、色々な文化や宗教を背景とした様々なトレッカー相手に長年ガイドをしてきたからなのか、とてもすんなりと受け入れてくれた。そして彼もすっかりと我々の仲間として、家族のように和気あいあいとやっていくのであった。




村の唯一の大通りに戻ると、民謡のような音楽に合わせて子供の歌声が聞こえて来た。のど自慢大会でもやっているのだろうかと思われた。歌声に導かれる格好で通りを歩いて行くと、小学生ぐらいの少年が、のびのびとしたボーイソプラノでマイク片手に歌っていて、その周りを村人たちが囲んでいた。




母は少年の歌声にすっかりと魅せられているようで、お礼をしたいのでチップをあげたいが、丁度ルピーの持ち合わせがない、とのことだった。ルピーを持っていた私が、それならとポケットからルピーのお札を取り出した。どのくらいが相場なのだろうか。通りで売られているトマトの値段さえも見当がつかなかった。


カトマンズの果物屋で蜜柑を6つ、バナナを一房買ったことがあった。お店の女性は、量りもせずに「350ルピー」と言い放った。それが高いのか、安いのか。隣にいた外国人と思われる男性が、ネパール語で林檎を手にして何か言っていた。彼に、高いかしらねえ、と英語で囁いたところ、にんまりと笑って、「でも、日本人だろ?十分払えるじゃないか。」と言ってきた。


カトマンズでは、堂々と外国人用の値段と、現地の一般庶民向けの値段があった。さて、目の前の少年に、幾ら渡せばいいのだろう。取り敢えず、手元にあった5ルピー札を取り出したところ、それを見たRajさんが「ボールペンさえ買えないよ。」と呟いた。


ずきん、と胸が痛んだ。さっと50ルピー札を出して母に手渡すと、母は少年のところに持って行った。母が近づくと、それが呼び水となってか他の人々もぽつらぽつらやってきて、お金を渡しているようだった。


やはり50ルピー札を持って渡してきた相棒は、戻ってくるなり、みんな100ルピー札を出していた、と教えてくれた。一曲を歌い終えた少年は、ぱっとどこかに行ってしまって、今度は盲人の父親が歌い出した。



なんだかネパールの社会の深淵を覗くような気がして、足早にその場を離れた。村人にとっては、唯一の、或いは久しぶりの興行かなにかのように思われているのだろうか。未だ多くの人々が、歌う男性の周りを囲み続けていた。




夕食は、お宿のテラスで食べようかとなったが、どうも蚊に悩まされそうだったので、食堂でとなった。Rajさんは、我々の懸念を察してか、山に行けば虫もいないし、とても清潔ですよ、と教えてくれた。そして、野菜の味がとても美味しくなると付け加えた。特にじゃが芋は、揚げても、フライにしても、茹でても、美味しいので楽しみにしてください、とのことだった。


山で虫に刺されないとは、俄かに信じ難かったが、ルクラ入りをしエベレスト街道をトレッキングすることを我々以上に楽しみにしているように話してくれるRajさんの言葉は、重みがあった。そして、彼の言葉は間違っていなかったことを、我々はその後実際に体験し、確認することになる。



ラメチャップの夜は早い。日が暮れてしまうと、本当に何もかもが活動を停止するかのようだった。お宿では有難いことにwifiの無料サービスが利用できたので、天気予報を見て、これからの数日の天気を心配していると、Rajさんが「明日は恐らく晴れます。それ以降のことは、分かりません。その時々に考えればいいのです。今は明日の朝のことだけです。」そう厳かに告げた。




御意。ぶんぶんと唸る扇風機を止めて、明日からのトレッキングへの逸る気持ちを抑えつけ、眠りにつこうと目を瞑った。遠くで犬たちの吠える声が聞こえていた。どんどんとそれはエスカレートし、村中の犬たちが遠吠えの掛け合いをしているようだった。



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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)



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