2023年12月6日水曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

 








パクディン自体が川に沿って出来た集落なのだろう。ロッジは村の奥の高台にあり、崖下にはヒマラヤの氷河を源流とした、鉱物を多く含み乳白色をしたドゥードコシ川が音を立てて流れていた。スイスのマッターホルンの麓に流れる川と同じ色をしていて、なんだか懐かしく思われた。


Rajさんがパクディンではいつも使っているロッジのようで、人懐っこい顔をしたマスターが出迎えてくれた。ここでは「ホットシャワー」が使えるが、別料金になるという。玄関から入ってすぐの角に、簡易シャワーブースがあることを確認し、瞬間湯沸かし器によって、お湯が間違いなく出ることも確かめた。


しかし、ロッジでは当たり前のように食堂以外に暖房設備などなく、廊下も部屋も外気温と同じ程度に冷え冷えとしていた。シャワーブースという、この小さな空間で裸になり、「ホットシャワー」を使い、慌ててバスタオルで身体を拭き、洋服を着込み、そして再び冷え冷えとした廊下に出ることを考えただけでも、身震いがした。


加えて、我々の部屋は最上階。部屋の前の廊下には、屋根裏に通じるのか、ぽっかりと空いた天井に向かって梯子が立て掛けられていた。屋根裏から冷気が入り込んでくることは必須で、どうにも寒々とした光景であり、かつ、非常にシュールな光景でもあった。





夕食の時間にロッジの食堂に降りて行くと、「まあっ!嬉しい。またお会いしましたね。」と甲高い声で迎えられた。銀髪のアメリカ人の女性で、ラメチャップの空港で手荷物検査の時に一緒になり、母の年齢を聞いて感動し、その後記念写真を撮らせて欲しいと言われて、彼女の携帯で母とツーショットの写真を撮ってあげていた。


食堂は欧米系のトレッカー達の集団で、ほぼ埋まっていた。先ほどの女性は、4人ほどでトランプに興じていたが、他のグループは、何故か皆沈鬱な表情をしていた。ひょっとしたら俄かグループで、トレッキング開始第一日目なので、未だ打ち解けていないのだろうか。


初日の夕食に何を食べたのか、すっかり忘れてしまったが、ガイドのRajさんが全て注文を取り、食事が出来ると厨房から運んできてくれたことが印象的だった。どうやらロッジでの食事の手配とサービスは、ガイドの重要な仕事の一つのようであった。


以後、どのロッジでもRajさんは、嬉々として厨房に入って、水を得た魚の様に、まるでロッジのスタッフの一人として活躍していた。ロッジ側としても、夕食や朝食時の忙しい最中に、気が利いてテキパキと動いてくれるRajさんの様な人物は貴重な存在であろう。


ある時は、ロッジのマスターが風邪気味だというので、Rajさんが大きなエプロンをして、厨房で大量の鶏の骨を砕いていた。またある時は、夕食が若干遅い時間になってしまった時、食器を洗う水が氷のように冷たくなってしまうので、食事が終わったらすぐにお皿を下げても良いかと遠慮がちに聞いてきた。


ああ、彼は、いつだってトレッカー、ロッジのスタッフ、誰の立場にも身を置いて、心を砕くことのできる人なのだと、胸を突かれた。


さて、パクディンでの夕食の席で、Rajさんが果物の盛り合わせを一皿持ってきてくれた。真っ赤でジューシーな柘榴の粒がこんもりと中央に盛られ、その周りに、丁寧に皮を剥いて、くし形切りになった林檎と、これまた丁寧に白い筋を取り除かれた蜜柑の房が交互に、花びらのように飾られていた。


一瞬、フルーツは注文していなかったのにな、ロッジからのサービスかしら、と思いそうになった。が、我々の歓声を嬉しそうに聞いているRajさんの顔を見て、「え?Rajさんから?」と聞いたところ、確かに彼がカトマンズから持参した果物で、しかも、彼が自分で切ったり、剥いたりと準備してくれたことが判明した。


我々の歓声が、更に大きなものとなったことは、言うまでもない。山では果物が貴重品なので、山に入る時は持参し、食事の時に皆に振る舞うことにしているとのことだった。と、丁度その時、先ほどの銀髪の女性が部屋に戻る時で、お休みの挨拶に立ち寄ってくれた。


そして、「まあ、フルーツの盛り合わせ!いいわねえ。ねえ、あなた達のガイドさんは、どなた?」と歓声を上げた。どうやら、彼女たちのガイドさんはコミュニケーション能力に、あまり長けていないようで、初日から不満が募っている様子だった。明日はどこに行って、どんなロッジに泊るのかも分からない、とボヤいていた。


そんなことを言ったら我々だって、翌日はナムチェに行くことは分かっているが、宿泊するロッジの名前など聞いてもいない。正直、ロッジの名前を聞いたところで、それ以上のことは分からない。しかし、そんなことよりも、既に我々は、我々の家族の一員のように迎え入れた、或いは、我々を彼の家族のように迎え入れてくれたRajさんに、全幅の信頼を寄せていたと言えよう。

その晩は犬の遠吠えではなく、ドゥードコシ川の流れがララバイのように聞こえてきていた。




ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。





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