リゾートの準備してくれた、自慢のセットメニューとやらをご馳走になろうかと皆で食堂に繰り出していった。Rajさん情報では、ミソスープやら白米が出てくるらしい。そんなの無理にいらないのに、と思うものの、それこそRajさん曰く、「リゾートなので、融通が利きません」とのことだった。
大きな食堂は我々しかおらず、スタッフが3名ほど、まるでパリのお洒落なレストランのように、所在なく立っていた。いや、パリのレストランなら、もうちょっとテキパキと動いているだろうか。我々3人分のテーブルセットが準備されていて、当然のようにRajさんの分はない。
食事のサービスをいつもしていてくれたRajさんは、ここでも役に立とうとスタンバイしてくれている。どうぞ、よかったら一緒に座ってください、と椅子をすすめる。食事の時に、これまでも色々な話をしてきていた。明日の予定についても相談すべきことはたくさんあった。
先ずはミソスープがたっぷりと入ったお皿が運ばれてきた。凍り豆腐が、ぽつらぽつら浮いていた。厳かにスプーンでいただくが、悲しいかな、味がない。せっかくなので、もちょっと味噌を入れて欲しかったなあと思っていたのだが、スタッフがお替りはいかがでしょうと大きな鍋ごと持ってきた。
お替りはサービスという、ネパールのダルバートと類似コンセプトであった。そして驚いたことに、相棒が所望し、スープ皿にたっぷりと薄いミソスープをよそってもらった。私は、と言えば、一口飲んだだけで、それ以上はどうにも進まなかった。
今度は恭しく別のスタッフがハンバーグと思わしきものに、温野菜の付け合わせを盛った大皿を持ってきてくれた。カリフラワーを一口食べ、さあ、ハンバーグをとナイフを入れようとした途端、身体の全細胞が拒絶反応を示した。
「ごめんなさい。無理だわ。」席を立つ。「Rajさん、よかったら、どうぞ召し上がって。野菜だけ、ちょっと食べちゃったけれど、他は何も手をつけていないの。」そう言うのがやっとだった。頭が爆発しそうだった。テーブルにあった部屋の鍵を奪うように取ると、その場を後にした。
呆然としているスタッフに、申し訳ないと咄嗟に思い、「素晴らしいお料理をありがとうございます。お味に問題があるのではなく、私、どうしても具合が悪いので失礼します。ごめんなさいね。お料理は素晴らしいです。ブラボ!」と出来るだけ丁寧に言って、食堂を去った。
こんな場所で、日本からの客人のためだからと慣れない日本料理でもてなそうとしてくれた、その気持ちに応えたかった。お豆腐だって、ゾッキョやロバたち、或いはポーターさんが遠くルクラの村から運んできてくれたものなのかもしれない。そう思うと、全てのものを無駄にしてはいけないと思ったし、全てのものに感謝をしたかった。
ウイルス系の病気ではないとはいえ、一度箸をつけてしまった料理をRajさんに勧めてしまったことは、失礼ではなかったろうか、と一瞬頭に過ったが、もうそれ以上は考えられなかった。とにかく、前夜のナムチェ同様、スリーピングバッグに入り込み、芋虫になって転がった。
その夜、Ammaと相棒は外に出て、満天の星空を満喫してきたらしいが、まったく気が付かなかった。急激な下痢に襲われ、夜中何度もトイレに行き、ついには夜明けにトイレの水が凍ってしまい、バケツの水を使って何度か流し、そうこうしているうちに、漸く落ち着いてきたといったところだった。
「リゾート」が湯たんぽを用意してくれたが、これは本当にありがたかった。ポカリスエットと思しきスポーツドリンクの粉も分けてもらえ、熱湯で作ったドリンクを水分補給のために出来るだけ飲んだ。夜明けには、このドリンクがすっかりと冷たいドリンクになってしまい、如何に部屋自体が寒いのか、うかがい知ることができた。
ありがたいことに、連泊することになっていたので、翌朝は無理をせずに寝ていようと思った。それでもAmmaと相棒が朝食に出て行くとき、小さな声で「もしもエベレストが見えるようなら、這ってでも出て行くので、絶対に教えてね。」と伝えていた。

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