シャンボチェの丘を降りてナムチェに戻るのだが、若干距離的には長くなるが、直滑降になってしまう来た時の道を避け、比較的緩やかな道を下って行くとのことだった。実のところ、来た道を戻るのも悪くないとは思っていた。
人というものは、一般に進行方向にある景色を見て歩く。その意味では、通り過ぎた景色を逆方向から眺めることをせずに、それこそ通り過ぎてしまう。太陽の日差しにしろ、後ろから射している時と、直射日光を浴びている時では、全く違った印象を与えるものである。
今回のトレッキングの間、しゃがんだり、背伸びをしたり、時には後ろ向きになったりと、出来るだけ色々な角度で景観を捉え、シャッターを押してきた。シャッターチャンスというものは、確実にある。そして、道具(カメラとレンズ)の良し悪しに大いに左右されるものの、最後は感性がものをいう、そう思っている。
どうしたら、魂をぐいと摑まれる写真を撮ることができるか。ある景観を前に魂が揺さぶられたとして、それをどのように画像として残すことが出来るのか。
スマホのカメラ性能は確かに大きく進化しており、誰もが手軽に写真を撮影できる時代になっている。それでも、と思う。むしろ、それだから、であろうか。私にとって一枚一枚の写真へのこだわりは、少なくない。そして、できるだけ感性のアンテナを張り巡らせ、シャッターチャンスを狙えるように心掛けてきたつもりである。
ナムチェからシャンボチェの丘に上がってくる時は、シャンボチェの丘にしか目がいっていなかった。時々頭の血管が破裂しそうな思いに陥ったし、急斜面であったことからも、後ろを振り向く余裕などなかったと言えよう。
その同じ道を逆に戻るとしたら、急な斜面を降りることで足元ばかりに注意を払い、周りの景観を楽しむ余裕はなかった可能性は濃厚である。そしてRajさんが選んだ別の道は、息を呑む景観に満ち溢れていて、来た時と同じ道を戻らなかったことで見落としたであろう景観への拘りや未練は、一瞬にして消え去ってしまった。
その場を立ち去り難い思いに駆られ、どうしても足取りは重くなり、皆から遅れをとってしまいがちとなった。それにしても、Rajさんがどんな小径でも知っていることには驚かされてしまった。この先にロッジがあるとか、向こうには鉄塔があるとか、あそこからはヘリが飛ぶとか。
山を知り尽くしていながら、毎回新しい出会いに心ときめかすかのように、我々と一緒に感動し、我々と一緒に嬉々として写真を撮る姿に、ヒマラヤへの深い畏敬の愛を感じ、そんな彼がガイドさんであったことに改めて深い感慨を覚えずにはいられなかった。
必然的偶然。運命。いや、そんな俗っぽい言葉では言い表せない。畏れ多いことではあるが、シバ神と天照大御神のお導きではあるまいか。

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