2023年12月28日木曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

 



最初の計画ではタンボチェに行き一泊、その後キャンジュマまで下山し一泊、そしてモンジョに戻り一泊、としていた。それがタンボチェには行かずにナムチェに戻ってきたことから、予定していたロッジの手配を再度しなければなかった。


もちろん全てRajさんが手配してくれるので、我々は状況を教えてもらうだけではあった。3人なので2部屋用意してもらうことになり、トイレ付きの部屋をお願いしていた。ただトイレ付の部屋は数に限りがあり、二人部屋であってもトイレは共同となることが多いようだった。


せめて、一部屋だけでもトイレ付きを最低条件とし、探してもらった。ナムチェでは、以前泊ったロッジはそれでも難しそうだったが、ぎりぎりで状況が変わったとかで、その頃は未だ元気だった相棒が、ほらね、うまくいったでしょ、とばかりに得意げな笑顔を見せたことが懐かしい。




Rajさんとしては、距離的にも次はモンジョで一泊と考えていたようだが、小さな村とのこともあり、我々の最低条件に合うロッジはなかった。そして、モンジョを過ぎて少し歩いた場所にあるジョルサルのロッジを押さえたと教えてもらった。


エベレスト街道は、出発地点のルクラからの距離によって、トレッカー達の宿泊場所になったり、ランチ休憩の場所になったりしがちである。従い、比較的ロッジのある村、そして、全くない村、あっても一、二軒程度の村、となってしまうのも無碍なるかな。


そして、ここは後者の部類にあてはまる村だった。丁度吊り橋を渡る手前にあり、そこを渡ればモンジョの村となるので、そこまで行ってしまおう、となるのであろう。食堂は別棟になっていて庭を横切って行くのだが、当然外灯などないので、夕食時には真っ暗な中を歩いて行くことになる。




部屋の窓からは、丸い形状の小さな山が見えて、その独特な形が笑いを誘った。ロッジの周囲は家庭菜園のようになっていて、若い男性が枝豆を収穫している様子が見えた。そういえば、ロッジでは父親の手伝いをする高校生ぐらいの少女たちは何人か目にしたが、働いているスタッフはほとんどが男性であった。


どうしても季節労働になってしまうし、子供の教育のためにも母親と子供たちは、山から下りた村や町で住んでいるのかもしれない。






お湯をポットにもらいに、「ナマステ」とドアを開けて食堂に入って行った時のことだった。達磨ストーブを囲んでいた一同が一斉にこちらを見つめ、その視線が痛い程だった。トレッカーなのか、ガイドなのか、はたまたポーターなのか、皆で見極めている、といったところか。いや、さすがにそれはあるまいか。


ロッジでは大抵Rajさんの姿をどこかしらで見つけることができるのだが、そこはRajさんも初めてだと言っていたからか、彼の姿はなかった。ポットにお湯が欲しいと厨房に声を掛けると、130ルピーだが、ちゃんと払ってもらえるよね、と凄まれた。





どこにでもしきたりがあり、不文律があるのだろう。ガイドさんを通して注文をする方が、スムーズに事が運ぶこともある。その後でRajさんに会った時に、自分の部屋を教えてくれて、何かあったらいつでも来てください、と言われた。


その後何回か部屋の前を通ったが、いつでも大きな錠前が鍵と一緒にぶらりとぶら下がっていて、ドアも少しだけ開けられていた。物騒なのか、不用心なのか、はたまた、ここは安全な場所なのか。




その謎は翌朝、出発の時に氷解した。掃除をするためか、チェックアウト後の部屋のドアは開け放たれていて、そこが大人数向けの大部屋であることが判明した。だから敢えて鍵が掛けられていなかったのか。開け放たれていたとはいえ、部屋を覗き見るようではしたなさを感じ、さっと視線を走らせただけだった。


しかし、どうやら同じようなことをしたのは、私だけではなかったようだ。Rajさんから、掃除する前だった部屋のドアが開いていたから、ちょっと覗いたけれど、あまりに綺麗に片付いていて、まるで使っていなかったようで驚いたと言われた。


飛ぶ鳥跡を濁さず、ではないが、その辺は幼い時からの厳しい躾の賜物と言えようか。旅館さんに宿泊した時も、布団は片隅に見苦しくないように畳んでおくことはもとより、ゴミも廃棄しやすいようにまとめておくなど、当たり前と言えば当たり前なことを常に心がけて来た。


ロッジの部屋は本当に簡易なもので、ベッドの布団を綺麗に畳み直せば、ほぼ片付けは完了のようなものだった。Rajさんには、それが日本人の身だしなみよ、とウインクをしてみせた。




そこのロッジでは、夕食の際に日本人の男性と知り合いになった。前日の夜中に車でカトマンズを出て、早朝にラメチャップからルクラに飛び、そのまま歩いてきたとかで、眠い、疲れた、を連発していた。一人旅らしく、いかにも学生時代に山岳部だった風貌で、初めてのネパール入りだが、カラパタール登頂とエベレストベースキャンプを目指しているとのことだった。


彼の話を聞きながら、ラメチャップに一泊したことは賢明であったと、改めて思った。ガイドではなく、ポーター一人を雇っていて、その人と話す機会があったが、人の好さそうなポーターさんながら、日本語は無論、英語も覚束ないようだった。


Rajさんに、言葉の問題や、ポーターさんだけで大丈夫なものなのか、といったことを聞いてみた。最終目的地がお互いに確認できていれば、特に問題ないとのことだった。そんなものなのかもしれない、その時はそう思った。




その男性は、未だこの標高で、ここまで寒いと思っていなかったと震えていた。ナムチェに行けば、もっと寒くなること、高山病をゆめゆめ軽くみてはいけないこと、などをちょっと大げさに話した。もっと厚手のフリースを持っているとのことだったが、では、なぜ今着ないのかと、心配になった。


そして、疲れていて食欲がないのか、スープ程度しか食べていないことも気になった。経験豊富なポーターさんと何やら相談して、選んだメニューがスープなのか、と思わずにはいられなかったが、そこまで介入するのも、あまりにもお節介過ぎるだろうと、黙っていた。


その彼が、二日後に蒼白な顔に大粒の汗を流して馬の背に乗せられて、ルクラに向かっているところに出くわした時には、思いもしなかったので、度肝を抜かれてしまった。すべてが順調な時には、言葉は大して重要でもなく、込み入った相談をする必要もないであろう。




しかし、一旦具合が悪くなった時に、どうやって最悪の事態を回避するか、こそが肝要である。悪いことに、高山病は初期段階で自覚症状がなく、というより、まさか自分か掛かるとは思っていないので、気が付いた時には手遅れの場合が少なくないと思われる。


誰かに相談するよりも、自分の殻に籠ってしまうのが、高山病の恐ろしさであると、今回の経験で分かったように思う。Rajさんによれば、高山病で亡くなる人は後を絶たず、救えたであろう命も救えない辛さを3年に一度は見聞きするとのことだった。


実際に、3年前も中国人の女性が一人でエベレストベースキャンプを目指したが、途中で具合が悪くなり動けなくなってしまった。そこは電波が届かない場所で、救急隊を呼ぶことも出来ず、風雪でトレッカーは勿論、ガイドもポーターも自分たちのことで精一杯で、蹲っている女性をそのままにするしかなく、皆心に鉛を抱えながら下山したとのことだった。


諦める勇気は、挑戦する勇気よりも、ひょっとしたら出しにくい性格のものかもしれない。諦めることで、別の道が開けてくることに、思いが到りにくいからかもしれない。





ここのロッジで相棒は39度5分の高熱を記録してしまった。それでも母とは、二日具合が悪くて寝込んだ私のことを引き合いに出して、良くなるのに二日はかかるもので、きっと翌日には楽になっているだろうと、何の根拠もないことを言っていた。


この会話にさりげなく付け加える格好で、母が、皆が二日ごとに順々に具合が悪くなっているので、次は私の番、なんてことにならないようにしないとね、と縁起でもないことを言った。そして、ちょっと喉の具合が良くないのよね、と呟いた。













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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)



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