これまで、どこのロッジでも夕食の前にRajさんは何を食べるか聞いてくれて、時間も予め設定していた。従い、時間通りに食堂に行けば、すぐに熱々の食事が出てくるようになっていた。朝食も然り。飲み物も含め前日に予め注文を取り、席につけば、すぐに熱々の飲み物を持ってきてくれていた。
ここでもそうだろうと思っていたが、どうも様子が違った。Rajさんに言わせると、「リゾート」なので良くは分からないが、食事はセットメニューで既に決められているとのことだった。Rajさんは、どうもここでは居心地が悪そうだった。
他に宿泊客は我々以外にはいそうになく、ガイド仲間もポーター仲間もいず、厨房にも行けず、ホテルのスタッフとは一線を画された日には、勘弁してくれ、といったところだろうか。それでも、食堂のストーブの傍に陣取り、何かあればすぐに対応すべくスタンバイをしてくれていた。
夕食の相談ができないのであれば、と、今後の予定について少し話をした。Rajさんは我々の望みが叶うべく、その実現のために最大限のサポートを惜しまない姿勢であることは、重々承知していた。そして、最終判断は我々に任せるであろうことも分かっていた。
しかし、その判断が現実に見合ったものとなるように、最終的に我々が満足するようにと、客観的な情報を提供し、彼が勧める意見が、いかにも我々が導いた意見であると感じられるように、上手に話を持っていった。
今回の山場は、母はパクディンからナムチェと思っているようだったが、計画を立てた私は、シャンボチェの丘からタンボチェであると思っていた。標高的にはシャンボチェとそう変わりはないが、距離にして10キロ以上。半日ではなく、一日がかりで歩いて行くことになっていた。
実のところ、当初母はナムチェに到着することを目標としている節があった。エベレストベースキャンプを目指したいと思っていた私にとり、正直なところ、物足りないと感ぜずにはいられなかった。そこで、妥協策とし、オプションとして、ナムチェからクンデピークへの登頂を目指したり、ちょっと先のクムジュン村に遊びに行ったりと、アイディアを提案していた。
そして、ナムチェから、ちょっと先にあるタンボチェに行くことを、何気なく、さっくりと予定していた。
しかしながら、ビスターレ、ビスターレと言って、のんびり歩いた場合の予定をRajさんは毎回伝えてくれていたが、それに対して我々は2時間程度は常に遅くなっていた。タンボチェに行くのは、恐らく難しいであろうと思われた。
ヒマラヤに行く前に、息子バッタに釘を刺されていたことがある。今回の旅は、マミーの夢を実現させることだってことを、忘れちゃダメだよ、と。
Rajさんは、自分からはそれを言い出せないでいる、そう思っていた。だから、彼には、今回の旅はAmmaが最高に楽しむことが最終目的であり、私がちょっとスケベ心でオプションを書いたり、タンボチェにまで行くことにしたが、予定を変更することには全く抵抗がないことを伝えた。
そう、今回の旅は限界に挑むのではなく、エベレストを最大限に楽しむことが目標であることを強調した。そして、Ammaがハッピーであれば、私も相棒も御の字であると。
Rajさんは、黙って私の話を聞いてたが、静かに微笑んで、先ずは明日のことを考え、次のことは、また話をしましょう、と言った。私は、タンボチェではなく、クムジュンに行くのも悪くないと思っていると伝えた。
すると、クムジュンには雪男の頭が博物館にあるといった話をしてくれた。それもいいよね、と言ってくれている様に思えた。それでも、こういった重要なことは、Ammaの意見も聞いて、Ammaと一緒に皆で決めないとね、となった。
そう、それは勿論その通り。となったのだが、次の予定を私がRajさんと相談する機会は、残念ながらこの時以降は持つことが出来なかった。山の天気ではないが、次どうなるかなど全く分からないものである。情けないことに、私が再び高山病に苦しむことになってしまったのである。

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