2023年12月13日水曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

 





高山病に関して、多くの医療機関や厚生労働省が特徴についてとりまとめている。


高山病は標高2,000 m以上の高所で低酸素によって生じる身体症状の総称で、「山酔い」とも呼ばれ1~2日で軽快する軽症の病態から、「高地肺水腫・脳浮腫」や「急性低酸素症」のように早急に治療を必要とする重症の病態まで含まれる。


軽症の場合の症状としては、頭痛、疲労、吐き気や食欲不振、怒りっぽさなどがあり、より重症になると、息切れ、錯乱、そして昏睡などが現れるとされている。






私の場合は、全くの軽症で済んだが、呼吸困難に陥り、担架で運ばれていった若い女性や、両側からサポートしてもらい辛うじて自分で歩いてはいるが、ヘリコプターで病院に行く途中の女性、顔面蒼白で馬に乗せられて山を下りていった、前日ロッジで会話を交わしていた青年など、実際に重症に到ったトレッカーを数名見て来た。


だから、本当にゆめゆめ高山病を軽んじてはいけない、と自戒の意味も込め声を大にして言いたい。私の場合は、Ammaは勿論、相棒もいたし、Rajさんがすぐに私の様子がおかしいことに気が付いていた。仲間がいることは重要で、一人だと無理をしていしまい、判断ができずに対応が遅れ、重症化する傾向にあると言えよう。


実際、前述した重症のトレッカー達は、一人で行動していた。自分の実力に自信がある場合や、できるだけ安く旅をしたいなどの理由があって、ガイドやポーターをつけずに旅をしているのだろうが、それだけ高山病で重症化するリスクが大きいことを今一度確認した方がいいだろう。






さて、では、一体私はなぜに高山病になってしまったのか。軽々しいことは言えないが、実は、心当たりがないことはない。デリー経由でカトマンズに出発する日、CDG空港まで見送ってくれた長女バッタが、日焼け止めリップクリームを薬局で買ってくれて、「ママ、ドリプランはあるの?」と聞いてきた。


ドリプランは、フランスの一般家庭における常備薬の一つであり、頭痛、発熱、歯痛、に効果がある万能薬である。主要成分はパラセタモールで、錠剤、カプセル、粉状と幾つか種類がある。しかし、バッタ達が幼い時から我が家の辞書には「病気」とか「薬」という単語がなかった。


しかも、転ばぬ先の杖ではないが、たとえばピクニックに行くのに、雨が降るといけないからと傘や雨合羽を持っていくことに、大いに抵抗を感じてしまうところがあった。馬鹿な話ではあるが、「薬」を持参することは、病気になることを想定しており、むしろ病気を呼び込むのではないかなどと思ってしまうところがあった。


「病は気」ではないが、こんなに元気なのだから、必要ない、と「ドリプラン」を持たずに出発してしまったのであった。






ところが、カトマンズに着いた時に、喉に違和感を覚え、やばいと思った。そして、高山病向けの薬をカトマンズの薬局で買った時に、同時にアスピリンも買い、カトマンズに滞在中、毎日一粒こっそりと飲んでいたことをここに告白せねばなるまい。


夜、寝ながら時々咳が出ていたので、風邪の引き始めだったと言えよう。だから体調が万全であったわけではなかった。


とにかく、私の場合は頭が割れるように痛く、悪寒が酷く、吐き気があった。薬を滅多に飲まないからと言い訳がましいことだが、この時に高山病の予防薬を慌てて飲み始めたのだが、アスピリンと一緒に服用してしまっていた。薬は同時に服用すると効果が相殺されてしまうことを教えてくれたのは、図らずも翌日のナムチェの薬局の女性だった。






夕食まで寝ていようと、頭まですっぽりと寝袋に身を横たえ、芋虫よろしく身体をくの字に曲げて症状が落ち着くのをひたすら待った。起きることができないわけではない。しかも、ここでくたばるわけにはいかない、との思いもある。夕食だというので、食堂に身体を引きずって行ってみた。


食堂は大勢のトレッカー達で賑わっていたが、赤外線ヒーターが頭上に設置されている席をRajさんが確保していてくれ、そこに座るだけ座った。ところが、吐き気が酷くなり、じっとしていられずに部屋に戻ると席を立つと、「ほら、高山病にやられてしまっているのよ。」と私のことを見て囁き合っている若者たちの顔が視線に飛び込んできた。


情けない。しかし、仕方がない。部屋に戻り、再び芋虫になって、じっとしていた。Ammaが日本から持ってきていたエネルギーバーの袋が、気圧でぱんぱんに膨らんでいた。それを見ると、いかにも頭の血管がぱんぱんに膨れ上がり、今にも破裂をするのではないかと思われ、ぞっとした。





眠れたのか、じっとしていただけだったのか、今では良く覚えていないが、食事を終えたAmmaと相棒が部屋に様子を見に来てくれた。Rajさんのお手製の林檎、蜜柑、柘榴のフルーツ盛り合わせを持ってきてくれていて、とにかく食べないとエネルギーが出ないわよ、とけしかけられた。


そうだ。ここでくたばるわけにはいかない。皮が綺麗に剥かれ、これまた丁寧にくし形にカットされている林檎を一つ、ぱくりと齧ってみた。むむ。いけるかも。水分を欲していたのか、ゆっくりながらもジューシーなフルーツをもぐもぐと、気が付くと完食していた。


Rajさんのお薦めはガーリックがたっぷりと入った、シンプルなガーリックスープだという。ディディが欲しいなら、厨房にお願いしてすぐに作ってもらうからと言ってくれていた。よし。再起復活を狙い、ガーリックスープを一つ、お願い致します、と恭しく願い出た。







我々の部屋はロッジの最上階にあり、簡単な屋根がついた外廊下であった。当然の様に部屋には暖房設備などないのだが、それでもぐんぐんと下がる外気温を遮断し、部屋の中は温みがあった。相棒は注文を伝えに外に飛び出し、そして厨房のある階下に走って行ってくれた。


Rajさんはすぐに熱々のガーリックスープを持ってきてくれた。相棒とRajさんに感謝し、これまたゆっくりと飲み干した。再起復活せねばなるまい、その思いだけだった。心配しているだろうRajさんの顔を見上げることはできなかった。





その晩、後頭部にぽこりとどこかでぶつけたのかと思われるたん瘤があることに気が付いた。触ると腫れていて、痛い。水分補給をせねばなるまい、と白湯をできるだけ飲んだ。そして、割れるような頭を抱えながら、時々眠りに落ちつつも、色々な思いが浮かんでは消え、消えては浮かび、そうして漸く一つの明確な思いとなるに至るのだった。


今回の行程は、私がAmma こと母と相談して決めていた。母にとって無理しないように、と要所要所で配慮していたが、欲張りもしていた。本来なら、標高に慣れるように少なくとも二泊するナムチェだが、一泊とし、翌日に、ちょいとすぐ先のシャンボチェの丘にある、エベレストシェルパリゾートに行って、二泊する予定にしていた。


そこからのエベレストを始めとする8000メートル級の山々の景観が圧巻とされてており、今回の旅程の中でも一番に期待値が高い場所である。ナムチェとの標高差も大きくないし、僅か二時間もかからずに行ける筈だった。もちろん、旅行会社にも、行程に問題あればアドバイスをくださいと、お願いをしていた。


その話をRajさんにすると、「私は何も聞いていませんよ。もしも聞かれていたら、この行程には無理があると言っていましたよ。」と言うではないか。おい、おい、おい!


それを聞いたAmmaが、ほら、とばかりに「ナムチェで二日は滞在しないと」と言い始めた。Rajさんも、色々と言い始めたので、ばっさりと「良く分かりました。でも、今回は残念ながらそうはしなかったのです。どうした方が良かったか、という話はここではしないでおきましょうよ。」と切ると、ぴたりと批判の嵐は止み、ひとまずはほっとしたものだった。






私の考えの甘さが露呈した結果となった。自業自得。しかしながら、それにAmmaや相棒を引きずってはなるまい。覚悟を決めた。翌朝Rajさんに、Ammaと相棒を連れてシャンボチェの丘にある、エベレストシェルパリゾートに行ってください、とお願いしようと。


ひょっとしたら日中ずっと寝ていたら、今にも割れそうな頭の痛みは治まるかもしれない。そうしたら、午後にも一人で皆に追いついて行ってもいい。或いは、それが駄目でたとえ私が一人でナムチェのロッジで寝ていることになっても、とにかく皆には先に行ってもらい、エベレストの景観を十分味わってもらおう、と。


そう決心したのは、明け方になる頃だったろうか。それから眠ったのか、ふと気が付くと、カーテン越しの空が明るくなっている気配がした。頭は嘘のようにすっきりとしていた。そうなると、夜明けの山々の様子が気になり、慌ててカメラを手に、ドアを開けて外に出てみた。






今まさに夜が明けようとしているところで、コンデリ山群の山頂がオレンジ色に光っていた。夢中で外廊下を歩き、カメラのシャッターを切った。Ammaや相棒にも声を掛けねば、と思い彼女たちの部屋を叩いてみたところ、もぬけの殻だった。


先を越されたか。慌ててカメラを持って、ロッジの外に出た。日の出を拝みに、二人が行きそうな場所は見当がついている。そう思って、広場に向かって歩きだしたところで、すぐに二人と出会った。「大丈夫なの?元気になったの?」とびっくりした二人だったが、深々と頭を下げ、お陰様で回復しました、と伝えると、よっしゃとばかりに明るい笑顔になった。








ロッジに戻ると、食堂の入り口でRajさんに出会った。「Rajさん、ありがとう!元気になったよ!Rajさんの林檎とオレンジと柘榴の効果絶大だった。本当にありがとう。」そう言うと、がしっとハグをして、「シバ神にお願いをしたのです。でも、一番はAmmaのお陰です。Ammaに感謝をしないと。」と言うではないか。


たった今太陽を拝んできたAmmaと相棒を思い、なんだかシバ神と天照大御神が仲睦まじく、ヒマラヤ山脈を駆け巡っているように感じられ、胸の奥が温かい思いで満たされていくのだった。



朝食はRajさんお薦めのチベタンブレッドにした。ふっくらと揚げられた楕円のパンは、素朴で優しい味がした。




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