2023年12月26日火曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 5  再びナムチェ(相棒)

 





冠雪のコンデ山群が見え始めて暫くすると、眼下にナムチェの家並みが見え、ほんの二日前にことなのに、ひどく懐かしく思われた。その日の朝から頭痛はすっかりとなくなっていて、足取りも軽やかに、それこそ飛び跳ねるようにしてカメラのシャッターを切っていた。


行き交うトレッカー達との挨拶も、以前の様に楽しめるようになってきており、すっかりと回復したとの自覚があった。一方で、私の体調の具合と反比例するかのように、相棒は無口になり、無愛想になってきていた。


何か声を掛けても一向に反応がなく、聞こえていないのかと思えばそうでもなく、返事をするのが億劫そうで、機嫌が良くないということは明白だった。私が病気に陥る前の兆候に酷似してはいまいかと、嫌な予感がした。





実は、前の日に「ホットシャワー」ならぬ「ぬる湯シャワー」の件で、相棒とはちょっとばかり揉めていた。揉めたと言っても、相棒が勝手にぷんぷん怒り出してしまったのである。Ammaも私も「ホットシャワー」かと思いきや「ぬる湯シャワー」の洗礼を受けていた。


確かに、毎回相棒がお湯を出して準備してくれていたのだが、「ぬる湯」であったことを相棒のせいになどしていないのに、いかにも相棒だけが難を逃れている様に思われるのが癪である、といった調子だった。


挙句に台湾ではシャワーが主流であり、まさに「ぬる湯」でシャワーを浴びるのであって、この「ぬる湯」こそが「ホットシャワー」である、などと言う始末。そして何も無理に「ぬる湯シャワー」を浴びる必要はあるまいに、と言っているのに、見ていて頂戴と言わんばかりにシャワーを浴びたのである。


なぜにそんなに頑固なのだろう。風邪を引いちゃうじゃないの。そう思っていた。ひょっとしたら、この時に既に兆候があったのかもしれない。それが寒さの中で「ぬる湯シャワー」を浴びて、拍車を掛けてしまったのだろうか。





ナムチェのロッジで草鞋ならぬトレッキングシューズを脱ぎ、Ammaと相棒と三人でぶらぶらと村に繰り出し、民芸店でお土産を物色していた時に、相棒が具合が悪いので先にロッジに帰っていると宣言し、一人で出て行ってしまったのである。


思い起こせば、幼い時には、何かというと相棒が先に病気になっていた。半ば強制的に学校でインフルエンザの予防接種を受けた翌日には、相棒は決まってインフルエンザに罹ってしまっていた。それが毎年ことだったので、そのうちに予防接種をしないようになったことを覚えている。


あれは中学二年の時だったろうか。給食の時間に突然ガラリと戸が開けられ、私の名前が呼ばれた。相棒だった。「具合が悪いから、先に帰っているね。」と大声で宣言すると、またガラリと戸が閉められた。


何も言わずに先に帰ってしまったのでは、私が心配するとでも思ったのだろう。しかし、こっそりと私を呼ぶにも給食中だし、具合は悪いしで判断力も鈍り、あのような態度に出たものと思われた。突然のことに、何のことか皆分からずにあっけにとられていたが、そのうちに、クラスは笑いの渦となった。






今回、相棒を差し置いて、私の方が先に高山病に罹ってしまったが、双子の宿命なのか、こうして順繰りと相棒も具合が悪くなってしまったのである。もしも、「ぬる湯シャワー」を浴びていなかったら、と思うが、「ぬる湯シャワー」を浴びる程判断力が鈍っていた、とも考えられるわけで、こうして彼女が病に臥せってしまうことは、必然的なことだったのかもしれない。


相棒の場合の症状は、不機嫌になり無口になること以外には、発熱し、体温が39度近くに達してしまっていた。標高は下がっている筈であり、それが高山病がもたらす発熱なのか、風邪の症状なのか、厳密なところは分からなかった。


ひょっとしたら私自体が風邪による症状で、その私の風邪を相棒に移してしまった、とも考えられなくはなかった。実際、相棒は鼻水に酷く悩まされていた。これにより、毎朝のタロット占いも、クリスタルボールの演奏もできなくなってしまった。





鶴の恩返しではないが、今度は私が相棒の看病をする番だった。と言っても、寒いという彼女の上に、亀の子のように乗って、がっしりと抱きしめて寝ているだけだった。勿論、相棒のリクエストによるものだったが、実のところ私にとっても湯たんぽのような相棒のお陰で、寒いとは感じられずに、むしろ心地よかった。


翌朝、体温は37度台に下がってくれた。相棒の場合は、「Rajさんがゾッキョを手配するって言っていたよ」との言葉が効いたかもしれない。私同様に、ゾッキョ様の背に運ばれるようなことなど、とてもではないができないとの思いが強かったに違いない。


勿論、本当に手配するのであれば馬なのだが、相棒の場合はゾッキョの方がインパクトが強いであろうとの思いから、ちょっぴり脚色したのである。相棒は、「大丈夫だから、Rajさんにはゾッキョの手配は必要ないって言ってちょうだい。」と真顔でお願いされた。






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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)


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