2024年1月8日月曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ エピローグ(ティハール、光の祭典)

 



空港からはタクシーでホテルに向かうことになり、無秩序になんとなく客待ちをしているタクシーの群れの中にいたミニバンの一人とRajさんが交渉し、すぐに皆でそのタクシーに乗り込んだ。丁度ヒンドゥーの大きなお祭りの最中で、多くの人々は田舎に帰っていると説明を受けたように、通りにはシャッターを下ろした店が散見された。


タクシーの中で、ひと先ずトレッキング行程が終わろうとしていることに漸く思いが到り、慌ててしまった。「We are gonna miss you.」左隣に座っているRajさんに声を掛ける。こんな時、日本語では何と言うのだろか。どんなに言葉を尽くしても、感謝の気持ちを十分に伝えきれないながらも、これまでのお礼を口にする。


全ては神様のお陰です。そして、何よりAmmaのお陰です。皆でAmmaに感謝をしましょう。明日は10時か11時頃にホテルに迎えに来ます。ビスターレ、ビスターレでね。そして、ダルバートを一緒に食べましょう。お祭りなので、セルロティも作るので楽しみにして下さい。


Rajさんのカトマンズのご自宅に、翌日お昼に呼ばれていた。当初、Rajさんの男だけの4人兄弟の一人が、田舎で食堂を営んでいると知り、帰りに時間があったら、ぜひ皆で行きましょう、と盛り上がった。ただ、カトマンズから車で3時間以上の場所とのことで、Ammaの体調を気遣って、最終的にはカトマンズの自宅に呼んでくれることになっていた。


カトマンズのご自宅であっても、果たしてAmmaは行くことが出来るのか。体調がしっかり回復しないままでの長距離フライトは、辛いものになるだろう。薬の効果なのだろうが、Ammaはぐったりと助手席に座っていて、とにかく無言だった。


Rajさんは続ける。今日はとにかく一日中、ビスターレ、ビスターレでのんびりしてください。観光に出歩いたりしてはダメですよ。ホテルで荷物の整理や、洗濯物をしたり、昼寝をして、疲れを取るようにしてくださいね。


我々が最終的にネパールを発つまでに、二泊三日が残っていた。学生時代に、ホテルのある地区に住んだことがあるとかで、何でも知っていますよ、というRajさんに、彼の一推しのレストランを教えてもらうことにした。すぐにチベット料理のレストランの名前が挙がった。ホテルから歩いて5分もしないとのことだった。


懐かしい顔ぶれのホテルのスタッフに歓迎され、ロビーのソファーに落ち着いたものの、何せ早朝の飛行機で、かつ渋滞もなかったことから、時刻はまだ8時にもなっていなかった。従い、我々の部屋は準備が出来ていないと言う。朦朧としているAmmaには、早くベッドでゆっくりして欲しかったので、とにかく一部屋でも使わせて欲しい旨お願いをした。


ホテルのスタッフは快く応じてくれ、すぐに掃除を済ませるからと言ってはくれたが、掃除のスタッフは未だホテルには来ていないようだった。朝食でもゆっくり食べていて下さい、となった。それなら、せっかくならRajさんお薦めのチベット料理の朝食はどうかしら、と相棒。


Rajさんがフロントのスタッフに、お店がやっているか確認してもらったところ、開店時間は10時以降だという。では、ここで朝食にしましょうかしら。その前に、とかしこまり、ロビーのソファーにRajさんにも座ってもらう。AmmaがRajさんに、お礼のチップの袋を手渡す。袋の額が十分なのか、正直なところ分かり難かった。


ポーターさんへのチップの額を上方修正した時に、Rajさんへのチップの額も上方修正していた。その額は、Amma、相棒、私の三人で均等に負担する予定だったが、その額に上乗せする格好で、特別に諸々配慮いただいた分のお礼を私から出す予定でいた。それを相談や報告をする前に、Ammaから、今回のRajさんからの並々ならぬサービスに対し、Ammaから個人的にお礼を出すとの話が出た時は、さすがAmmaとも思ったし、とても嬉しかった。加えて神隠し騒動で随分とお世話になった相棒も、勿論出すという。


結果、米ドル、日本円、そしてユーロのお札をぴっちりと揃えて、袋に入れた。せっかくなのだから、喜んで欲しい。それが、一体どの程度の額なのか、本当に皆目見当もつかなかった。Rajさんは、恭しく畏まって頭を下げて受け取ってくれた。


Ammaは、そんな折にはぴしっと背筋を伸ばして対応するのだが、実際は朝食もままならず、ソファーにぐったりとして朦朧とした状態が続いていた。ぶらぶらと歩きながら、Rajさんにチベット料理のレストランの場所を教えてもらおうとの相棒の提案も、どうも実現は難しそうに思えた。


Rajさんが「ボスのバイクで行きましょう。ディディ、一緒に来てください。」そう言って、フロントでバイクの鍵を受け取り、ラクスマンさんのオフィスに行って素早くメットを持ってくると、私に声を掛けた。えっ?一体何が起こっているのか十分に把握できていないながらも、引っ張られるようにして外に出た。


バイクといっても、いわばスクーターで、運転手のみがメットを被れば道路交通法上は問題がないようだった。言われるがままに後部座席に座り、朝の光がまばゆいカトマンズの喧噪の中に飛び出した。








ヒンドゥーの大切なお祭りの時期とは聞いていたが、燃えるような黄色とオレンジ色のマリーゴールドの花で、町は埋め尽くされていた。それはまるで我々がカトマンズに戻って来たことを祝福しているようだった。スクーターの後部座席から見える景色を、そのあらゆる瞬間を脳裏に焼き付けたかった。













レストランまでの道を確実に覚えておくことが本来のミッションながら、そんなことなど頭からはすっかり抜けてしまっていた。もしも叶うなら、この瞬間が永遠に続いて欲しい、そう願わずにはいられなかった。









すべてのものには、始まりがあれば終わりがあり、我々の旅も終盤に近付いていた。しかし、これは単なる旅の終わりであって、それは次の新たな章の始まりでもある。そして、その新たな章に向かって突き進む勇気と気力が、身体の奥底から静かに、次第に熱を持って体中を駆け巡るのを感じていた。











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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)

Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)

Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)

Day 7 パクディン(祈りと願い)

Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)

Day 8 ルクラへ(ダルバート)

Day 8 ルクラへ(神隠し)

Day 8 ルクラ(相棒)

Day 8 ルクラ(達磨ストーブ)

Day 8 ルクラ(慰労会)


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2024年1月6日土曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 9 ルクラ(カトマンズへ)

 





ルクラ入りした時には、ラメチャップから飛行機に乗っており、そのラメチャップにはカトマンズから車で半日かけて行った。帰りも、あのアップダウンの激しい山道を車で行くのかと思うと気が重かったが、なんとカトマンズまでの便が手配されていた。


体調の思わしくないAmmaのことを思えば、ひたすら感謝しかなかった。社長と連絡を取って、変更したと言っていたが、それもあってRajさんは前日に空港まで出向いたのかもしれなかった。これでカトマンズには午前中に戻り、ホテルでゆっくりすることが出来ると、ほっとした。


ポーターさん達とは前夜に別れの挨拶をしたし、空港は目と鼻の先とはいえ、ちょっとした距離を全部の荷物を背負って行かねばなるまい、と覚悟をしていた。Rajさんに手伝ってもらうとしても、さすがに全部は無理であろう。


そう思っていたら、いつものようにすっと二人のポーターさんが現われ、我々の荷物を持ってくれた。本来なら、もう彼らの仕事は終わっているのに、未だ暗い朝の6時に、相変わらずの裸足にビーサンで駆けつけてくれてた。しかも、チェックインの手続きを先にしてくれるという。ダンニャバード。





そして相変わらず我々は、ビスターレ、ビスターレで、空港に向かった。ナムチェの土産物の店主が言っていた通り、ラメチャップからルクラに来る時には、持ち物の重量にうるさかったのに、ルクラからの便では、特に荷物の重量検査はなかった。


相棒が、目を輝かせて私に合図をする。空港の開け放たれた窓から、山頂がオレンジ色に輝き始めている様子が見て取れた。ちょっと外に出れば、良い写真が撮れるだろう。が、未だ通関手続きさえしていない我々が、ランナウェイに出て行くわけにはいかなかった。


いや、ここはお願いをしてしまおう。すると、一枚だけですよ、と税関の職員が私が外に出るのを見逃してくれた。さっと身を翻し、一枚と言わずにシャッターを切り、また何食わぬ顔で戻って来た。その時でさえ、私の脳はエベレスト街道の旅の最終段階にあることをしっかりと捉えてはいなかった。





毎日があまりに濃密であったからかもしれない。すぐに高山病に襲われ、回復すると相棒の体調が気遣われ、そして今はAmmaの様子が気になっており、感傷的なっている暇など、ないに等しかったこともあろう。


加えて、今回は高山病でやむなく予定を変更せざるを得なかったが、次回こそエベレストベースキャンプまでたどり着きたい、との思いがあることも確かだった。山また山に会わず、人また人に会う、とはアフリカの諺であるが、正にその通りで、単純明快なことで山に会いに人が来ればいいのである。


微熱のせいもあるのだろうし、服用した解熱剤の効果もあったのだろう。Ammaは常に朦朧としていて、気怠そうだった。空港の待合室で買った珈琲も、一口飲んだだけで、カップを手に寝入ってしまいそうだった。





正直なところ、大いに戸惑ってしまってはいた。Ammaの年齢を考えれば、無理を押して予定を決行することは、果たして良いのだろうか、と。しかし、年齢がどうだと言うのだろう。人それぞれ個性があるように、平均的な数値で人を判断することは馬鹿げてはいまいか。


何歳になったから、こうすべきではないとか、逆にこうすべきであるとか、そんな杓子定規な価値観は、全くもって意味がないと、Amma自身が今回体現してくれたのではあるまいか。





Rajさんが、出来たら右側の座席に乗って下さいとアドバイスをしてくれたが、我々が飛行機に乗り込んだ時には、右側は一人分を除いて全て埋まっていた。Ammaに座ってもらうと、左側の最後の列に、相棒、私、そしてRajさんが続いた。


確かに、右手に地球上の最高峰のヒマラヤ山脈が神々しく現われ、皆窓に食い入るように眺めていた。我も我もとシャッターを切る音が聞こえてきそうだった。そんな喧騒とは無関係に、正に我関せずといった超越した様子で、Ammaがぐっすりと寝入っていて、その様子がかえって心地よかった。






そう。AmmaにはAmmaのペースがあり、ビスターレ、ビスターレで、大いに結構なことではあるまいか。我々はこうして、再び早朝のカトマンズ空港に降り立ったのであった。













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2024年1月4日木曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(慰労会)

 




Ammaにも相棒にも、予め慰労会のことを告げていたし、二人ともそれが重要な儀式であることを十分に理解してくれていた。微熱が続くAmmaは怠そうではあったが、そこは肝が据わっているし、出番となるとどんな状態であっても周囲の期待を裏切らずに、求められる役割を立派に果たすことに掛けては、天下一品だったので、心配はいらなかった。


相棒も、そんなAmmaの隣で黙々と支度をし、三人で約束の時間通りに食堂に降りて行った。先ほどとは打って変わって食堂はほぼ満席のようで、我々と同様にトレッキング最終日を祝う人々でごった返していた。RajさんがさっとAmmaを案内し、我々は奥の一つのテーブルに落ち着いた。





すっかり顔なじみになったポーターさん二人が、はにかむような笑顔で現れた。毎朝会ってはいたが、ナマステ、お願いします、ダンニャバード、ありがとうございます、そんな会話しかしてこなかった。彼らは、とにかく忍者の如く軽い身のこなしで、我々のペースの数倍の速度で進むので、ゆっくりと話す機会などなかったのである。


宿もそうだが、休憩所もポーターさん向けとトレッカー向けでは違っていた。間口が狭く、天井の低い平屋である場合が多かった。と書いてから、ひょっとしたら休憩所が宿泊施設も兼ねていたのかもしれないと、思った。


ナムチェからジョルサレに戻る途中だったであろうか。ガラス窓の向こうで茹で卵、ドーナツなどが陳列されているところがあり、具合の悪かった相棒が、一つ食べたいと言うことで、ドーナツを買ったことがあった。中は薄暗く、厨房の竈の火が頼りだった。






ドーナツはセルロティという米粉を揚げたものだったが、残念ながら揚げたてではなく、当然のことながら値段もトレッカー向けのものだろうが、予想以上に高かった。ちらりと次の間を覗いたところ、午後の半端な時間であったからか誰もいずに、がらんとした縦長の空間に細長いテーブルがあるのみで、恐らく食堂と思われた。






さあ、そんなことよりも慰労会である。乾杯のビールということで、私が家族の代表で頂くことにし、4人分ということでRajさんが缶ビールを3本ほど持ってきた。と思うと、今度はグラスを取りにカウンターに向かった。手伝おうと一緒についていくと、カウンターの隅で宿のご主人が生ビールをグラスに並々と注いでいるところだった。







えっ?生ビールがあるの?「そうですよ。」Rajさんの瞳が光った。それなら、乾杯は生ビールにしましょうよ。「いいのですか?そうしますか?」Rajさんは嬉しそうに笑った。「ブロンドとブラウンがありますが、どちらが好きですか?」ブロンドよねえ。Rajさんは?「私もブロンドが好きです。一番美味しいです。ちょっと高くなりますけれど。」


飲み物代は我々が持つことになるので、どうやらRajさんは遠慮していたらしい。加えて、Ammaも相棒もアルコールは飲まないので、余計に遠慮したのだろう。私が生ビール、しかもブロンドと言うので、Rajさんは大喜びで嬉々として缶ビールを戻し、私は私で、宿のご主人がグラスに生ビールを注ぐ様子を見守った。


グラスは1パイント程入りそうな縦長の大きなものだったので、私の分は小さ目なグラスをお願いしたいと言うと、ディディが飲めなくなったら、私が手伝うので大丈夫ですよ、とRajさんがウインクをした。


こうして4人分のキンキンに冷えた生ビールがテーブルに並び、Ammaと相棒はお湯をグラスに注いで、さあ乾杯となった。無事に滞りなく行程を終えられたのも、ポーターさんたちのお陰です。ありがとうございました。ダンニャバード!






Ammaは微熱があって、これまで寝ていたとは思えぬ様子で、背筋をしゃきっと伸ばし、二人のポーターさんそれぞれにお礼のチップの袋を手渡した。Rajさんが気を利かせて、フライドポテトを注文してくれた。揚げたての熱々のフライドポテトがテーブルにすぐに届き、一層雰囲気を盛り上げてくれた。


未だ18歳という青年ポーターさんが席を立って、フライドポテトの為の楊枝を取りに行ってくれた。それを見て、もう一人のポーターさんとRajさんが笑っている。聞くと、青年はその夜初めてビールを飲んだらしく、ちょっとふらついているとのことだった。真面目な青年のイメージが、さらに濃くなった。


青年は、ポーターの仕事はとても楽しかったと、はにかみながらも笑顔で感想を述べてくれた。翌日は二日がかりで歩いて家に帰ると言う。なかなかのお洒落で、履いている細身のジーンズは膝下が縦長に切り刻まれていて、目を引くものだった。


いつもは夕食時にRajさんがフルーツの盛り合わせを作って持ってきてくれたが、その晩は、青年が作ってくれた。こうやって、Rajさんなりに後輩を育てているのであろう。だからこそ、この儀式はポーターさんの為でもあるが、彼にとっても重要なのである。定番の林檎、オレンジ、柘榴に、ルクラのバナナが付いていた。このバナナが、コクがあって非常に美味だった。


ポーターさん二人に改めてお礼を言い、握手をし合い、それで簡単ながら慰労会はお開きとなった。Ammaも相棒も、夕飯にチャーハンとシェフのスープを注文したように思うが、そんなに捗ってはいなかった。






翌朝のフライトは、6時半に早まったと言う。6時にロッジを出発すれば良いので、朝食はその前にとることになりますが、何にしますか、とRajさんが皆に注文を聞いてくれた。6時の出発としたら、5時の起床となろうか。それならば朝食はなしでオッケーです。空港で時間があれば、何か飲めばいいだろうし。


Ammaも相棒も、早々に引き揚げることになった。私は、夕食のダルバートが未だ残っていたし、フルーツの盛り合わせは、まだほぼ手付かずだった。RajさんはAmmaを気遣って途中まで見送り、戻ってくると、私の目の前に座った。






それまで大勢で賑やかだった場が、一瞬して二人だけの切り取られた空間になった。Ammaは咳込んでいて、微熱があることが気になっていた。そう言うと、Rajさんは「Ammaは大丈夫です。」と、私の瞳を覗き込むようにして明言した。


私はRajさんの深い焦げ茶色の瞳に思わず吸い込まれてしまいそうになった。Rajさんの瞳は言っていることとは別のことを伝えているようで、そして、私の瞳も、言っていることとは別のことを伝えているような、そんな気がした。瞬間、時が止まったようだった。


慌ててフルーツの盛り合わせのお皿を手にすると、おやすみなさい、そう言って席を立った。私も、もう行かなくては。






再び、周りの喧噪が耳に入ってくる。まだ夜は始まったばかりだった。








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2024年1月3日水曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(達磨ストーブ)

 




ルクラのロッジで、未だ微熱があって寝ている相棒ではあったが、どうしても連絡をしなければならない方たちにメッセージを書いていた。部屋ではwifiが怪しげだったので、食堂に行って確実に送信して欲しいとお願いをされた。


お湯を貰いに行ったり、wifiコードを確認に行ったり、メッセージ送信に行ったりと、3階にある部屋と一階の食堂を随分と往復した。wifiコードを入力するも、どうもうまくいかない。試行錯誤していると、ガイドさんと思しき男性が、壁に貼ってあるwifiコードを示してくれた。そうなのよね。これで試しているのだけど、上手くいかないのよね。


大勢が使っているからだろうか。時々アクセスできたかと思うと、すぐにアンテナが消えてしまう。Rajさんは未だ空港に手続きで行っているのだろうか。間違いなく明日の便に乗れるのかしら。そんな思いでいた。と、「ディディ」と呼びかけられた。ひどくドキリとした。Rajさんだった。




彼は日本語がとても上手だったので、よく日本語で会話をしたのだが、同じぐらい英語も流暢で、気が付くと英語で話をしていることもあった。あの時は何語で話をしたのだろうか。そして、何について話しをしたのだろうか。ちっとも覚えてはいないのだが、気が付くと二人で達磨ストーブを囲んで立ち話をしていた。


すると、ロッジのご主人が現れて、何やら笑いながらネパール語でRajさんに話しかけた。Rajさんも笑って応じて、未だ火がついていないストーブなのに、まるで燃え盛るストーブみたいにしているじゃないか、と揶揄われたと教えてくれた。


そして薪をくべて火をつけてくれる時に、私に向かって、ほれ、こいつも一緒に燃やしてしまおうよ、と言ってRajさんのことを引っ張った。咄嗟にRajさんの腕を取り、「ダメです。私、まだエベレストベースキャンプに行っていないんです。Rajさんに連れて行ってもらうことになっているんです。」


「He is the best guide in the world.」彼は世界で最高のガイドなんです。そう言うと、ご主人はにやりと笑った。彼が?まさか!何を言っているんだい。「Rajさんとは9日間しか一緒に過ごしていませんが、彼が最高のガイドであることは9日間で十分に分かりました。」


ご主人は「へええ、そうかい。俺なんざ20年近く知っているけど、そんな風には思っちゃいなかったよ。」とRajさんの腕を叩きながら可笑しそうに言うではないか。「それなら、ご主人が言うところのbest guideは誰なんです。よかったら是非ご紹介ください。」そう応じたら、楽しくてしょうがないと言った風に笑っている。


Rajさんが、「ご主人にとってのbest guideとは、本人のことなんですよ」と言うから、今度は私の方が大うけで、お腹を抱えて笑ってしまった。ちょっとぽっちゃりとした小柄なご主人は、ロッジのカウンターでトレッカーやガイド相手にのんびり対応する姿がぴったりで、エベレスト街道を歩く姿は想像しにくかったし、ましてやガイドとしてトレッカーを引き連れて行く姿は考えにくかった。


しばらく三人で、まだ火がついたばかりの冷たい達磨ストーブを囲み、笑いに笑い合った。






二人のポーターさんがロッジに来て執り行う慰労会には、是非ともAmmaにも相棒にも来て欲しいと、Rajさんから何回も念を押された。あれだけ皆の体調を気遣い、特にAmmaのことはとても大事に思ってくれているRajさんが言うのだから、この儀式はポーターさんにとっても、Rajさんにとっても重要なものであると思われた。


旅程を無事に終えたことを皆で祝福し、乾杯し合うという。部屋で昏々と寝入っているAmmaのことを思ったが、確かに、ネパールという地に於いて、Ammaが顔を出して感謝の言葉を述べて、お礼のチップを手渡すことの重みと意味合いは、日本と同様、或いはそれ以上のものがあるようであった。同時に、旅の参加者全員が出席することの重みもひしひしと感ぜずにはいられなかった。その辺は、Ammaも相棒も良く分かってくれるであろう。






夕刻までには、もう少し時間があった。Rajさんのところに、青年がにこやかに挨拶に来ると、Rajさんは私にバイです、と紹介してくれた。いわゆる舎弟ということである。ではRajさんのディディである私にとっても、バイよね。と言うと、青年は嬉しそうに私のことをディディと呼んで話を始めた。


なんだか高校の留学時代に戻ったようで、嬉しくもあり懐かしかった。当時、気が合う仲間とは兄弟や姉妹の関係になり、my sisiterとかmy brotherと呼び合っていた。その意味では、私にはインドネシアとタイに3人ずつの姉がいて、スリランカには一人の兄がいる。彼らとは今でも、年末年始の挨拶を欠かさず交わしている。


こうしてエベレスト街道における出発地でもあり最終地でもあるルクラでの時間は、ゆっくりと流れていった。





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2024年1月2日火曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラ(相棒)

 





ルクラのロッジは、初めてルクラ入りした時に寄った場所だった。食堂には午後の便を待つトレッカー達で賑わっていて、のんびりとした空気が漂っていた。空港の目と鼻の先なので、飛行機の発着による騒音に悩まされるかと思ったが、二度ほど賑やかになっただけで、その後はひっそり閑としてしまった。


Ammaは発熱していたし、相棒は脱水症状にならないかが心配だった。二人とも身体を休めるために、早速ベッドにもぐりこんだ。すぐにボトルに熱湯をもらい、ポカリスエットを作った。この時はRajさんにお願いしたので、ボトルのお湯は熱々だった。湯気の立つポカリスエットをAmmaと相棒のコップに並々と注いだ。


その後、Rajさんは翌日のフライトの確認で空港に行ってしまったので、厨房に声を掛けてボトルに熱湯を入れてもらったのだが、ぬる湯どころか、冷え冷えとしていたので愕然としてしまった。甘く見られたものだ、と思ったが、彼らにしてみれば一度熱した水を再度熱するためのガスが勿体ないのだろう。それに、食事時でもなければ需要がないので、残っていた薬缶の水をお湯として支給することもやむを得ないか。


とは言え、食後に「熱い、熱いお湯を」とわざわざ強調してお願いした時にも、ボトルのお湯はぬるかった。Rajさんは、熱々の薬缶を選んでボトルにお湯を入れてくれていたに違いない。我々が気が付いていないRajさんの隠れたサービスが、どれだけあるのだろうかと思わずにはいられない一件だった。






さて、一階の厨房と3階の部屋とを何回か往復している間に、Ammaも相棒も寝入ったようだった。私はと言えば、これまでの行程で使ったお金の記載に漏れがないか、夕方にポーターさん達とのお疲れ会の時に手渡すチップの額に間違いはないか、何度か確認をしていた。


今回の旅のバイブルはご多聞に漏れず地球の歩き方なのだが、最新版とはいえ流石に日々変遷するインフレ率や為替の動きを反映できているわけではない。カトマンズ市内のミネラルウォーターの値段や、珈琲の値段が随分と高くなっていることに気が付いていた。従い、当然ながらチップの額も上方修正する必要があった。


全額ルピーとはせずに、米ドルを交えることにしたので、今度は為替レートを確認し、換算する必要があった。通常なら簡単に計算してしまうのだが、ベッドに転がり、ノートとボールペンだけで計算するとなると、なんだか間違いをしそうで、じっくりと時間を掛けた。


そうこうしているうちに、相棒が唸っていることに気が付いた。確かパクディンのロッジでも、夜中唸っていて起こしたことがあった。相棒の腕を寝袋の上から掴み、おい、おい、大丈夫かい、とちょっと乱暴にゆすってみる。


「えっ?あっ?」うなされていたようだから、起こしたわよ、と告げると、ああ、ありがとう、と掠れ声が返って来た。すると金縛りに合っていたのだと、世にも恐ろしいことを言い出した。昼寝をし過ぎてしまった時に、私自身も何度か経験しているが、あの妄想と入り混じった金縛りのことかと思った。


ところが、ところが、相棒の場合は、そんな生半可なことではなかったのである。高山病であったり、不慮の事故であったりと要因は様々ながら、目的地まで到着できなかったトレッカー達の無念の声が、幾重にも幾重にもなって相棒に襲ってくると言うではないか。


ちょっ、ちょっとお。


君を怖がらせるのも本意ではないので、これ以上は言わないけれど、と言われた日には、それこそ相棒を寝袋ごと抱きかかえてしまった。なんとまあ。クリスタルボールで宇宙からのエネルギーをも取り込み、大気の波動を音の粒として共振させて鳴り響かせ、人々の魂に語り掛ける、そんなことをしていると、通常は聞こえないことまで耳に入ってしまうようになるのだろうか。





おい、相棒よ。そんなに遠くまで行かんでおくれよ。そうは言っても、君はその世界に足を踏み入れ、今水を得た魚の様に生き生きとしている。君の奏でる音色、君の紡ぐ言葉に心癒される人々がいることも知っているよ。


そして、それこそ生まれた時から、いやAmmaのお腹に入った瞬間から我々は一緒なのだもの。君がどんなことをしても、君を君として受け入れるだけだし、君の幸せは私の幸せでもあるよ。


だけど、どうか自分の身体をもうちょっと、労わって欲しい。魂を削りながら、研ぎ澄まされた世界に入り込んでいるのではないかと心配だよ。


幼い時のように、ずうっと相棒の手を握っていたかった。








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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)

Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)

Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)

Day 7 パクディン(祈りと願い)

Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)

Day 8 ルクラへ(ダルバート)

Day 8 ルクラへ(神隠し)



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