2023年12月31日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)



 

人にはそれぞれ矜持がある。母は45歳にして大学生3人を抱えた未亡人になるなんて、思いもよらなかっただろうし、しかも、亡くなった旦那の家業を継ぐことになろうとは、考えてもいなかったであろう。


3年間は父の話題を母にすることはご法度だった。母から話題にする分には問題がないが、子供達が話題にすることは禁じられていた。それ程、母にとっては乗り越えることが困難なことであったともいえよう。



私でさえ、そうだったのだから。夏の暑い日に父は別の世界に旅立ってしまい、9月に大学のキャンパスに戻った時、クラスメート達が他愛なく笑い合っている姿に、異様な違和感を覚えたことを今でも思い出すことが出来る。


しかし、母は悲哀感も悲壮感も、一度でも漂わせたことはなかった。子供というフィルターを通しての母しか表現できないが、いつだって生命感に溢れ、正義感に燃え、松明をかざして群衆を導く、圧倒的なオーラを持っていた。



幼稚園生の頃か、小学生になっていたのか定かではないが、一度母に尋ねたことがある。「ママは魔法使いなの?」私は大まじめだった。一瞬、沈黙の時間が流れた。


「ううん。違うわよ。」


母は私の質問を笑い飛ばすでもなく、どうして、と聞き返すこともなく、真っすぐに受け止めて、真剣に答えてくれた。そのことが子供ながらに嬉しかったし、母は嘘を決してつかない、との思いが胸に刻まれたように思う。



そして、計画を急に変更することを酷く嫌うところがあった。だからこそ、計画は用意周到に立て、滅多なことでは変更しない。それなのに、対極的なことではあるが、瞬時に物事を決めてしまう潔さも併せ持っていた。






果たして。ドゥードコシ川の瀬音を子守歌にして寝入った翌朝、Ammaは黙々と朝の準備をし、出発の予定時間には、笑顔さえ見せて登場した。前日に飲んだ茶色い錠剤の効き目は、どうやら大したことはなかったようだった。喉の痛みは、咳と鼻水に取って代わっていて、それゆえの倦怠感もあるだろうのに、トレッキングポールを両手にしっかりと掴み、さあ、参りましょうか、となった。








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夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)

Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)

Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)

Day 7 パクディン(祈りと願い)



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