2015年11月28日土曜日

夜汽車の人


テロ事件の影響に違いなく、ちょっとした不審物があると電車が止まってしまう。特定区間で一時運行を停止することが頻繁に見られ、また何故か最近信号トラブルによる区間の運行停止がこのところ多い。前回の連続テロ事件の主犯が次のターゲットにしていた場所を通るからだろうか。私の通勤路線が影響を大いに被っている。


仕方がないので、パリ郊外環状線を使ってみることにする。回り道となるが、取り敢えずは電車が動いていることを頼りに、こんな田舎路線で途中下車となれば無人駅でタクシーもいないことが頭を掠めるが、乗り込む。終着駅で乗り換えることになっていた。


驚くほど清潔な車両は仕事が出来る程の明るさで快適。4人乗りの各コンパートメントに一人使用が目立つ。駅に停まる度に、誰かが降りる。駅名を確認しながら、車で通りこそすれ、駅の存在すら知らなかったことに驚いてしまう。

ほどなく着いた終着駅は煌々と森の暗闇を満月が照らしており、ひっそりとしていた。ばらばらと降りた人は家路を急ぐのか、もう姿が見当たらない。心もとなくなる。プラットホームはここしかない。では、反対側に電車が来るのか。一人佇んでいると電車から運転手らしき男性が降りてくる。声を掛けると意外な答えが返ってくる。

電車は、駅に行かねば乗れない、と。

では、ここは駅ではないのか。


示された方向に歩いて行くと小高い丘に確かに路線橋らしきものが白い蛍光灯の光の下で光っている。では、あれは車両の屋外パーキングだったのか。何のアナウンスもなく、しかも暗闇が多くを占める中で、何も知らない人は迷うであろうと他人事のように思う。


窓だけが昼間の光をたたえて電車が静かにプラットホームに入ってくる。


夜汽車の人となる。


別世界に誘われ、迂回した疲れは忘れ去られ、旅への高揚感が胸を満たす。







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2015年11月24日火曜日

慌てずに待つ







急いでメトロに駆け込むと、既に二件のSMSを受信している。どうやら相手は既に待ち合わせ場所に着いたらしい。約束の時間より15分も早い。

こちらは早く駆けつけたい気持ちはあっても、恐らく早くて15分遅れ。相手を30分待たせることになる。

「今、飛んで向かっています。」そう返事をする。

乗り継ぎのタイムロスを少なくすべく、駆け足になる。が、プラットホームに入った瞬間、これはまずい、と悟る。どうやら危険物回避の為、利用路線の一部が不通。約束の場所に辿り着くには、迂回し別の路線を乗り継ぎ、どこかでタクシーを拾うしかない。泣きそうな思いで電話をする。と、あっさり、仕方ないよ、との返事。

「私が良くない!」と叫んでみても、どうあがいても約束の時間はおろか、今日中にはたどりつけそうにない。

タクシーで駆けつけると言うと、そんなに無理しても一時間以上はかかるのだから、と言われてしまう。

どうして、そう簡単に諦められるのだろうか。どうして待っていてくれる、とか、迎えに来るとか言ってくれないのだろうか、など、思ってしまう。そして、相手だって約束を反故にされるのだから、いわば被害者ともいえる立場なれど、何ら提案も、救いの手も差し伸べてくれないことに、怒りさえ感じてしまう。


取り敢えずは、この場を脱出せねば。漸く頭がそちらに動き、次のアクションの為に身体が動き始める。プラットホームを動かない人々は、いつ動き始めるか分からない電車を待つことにしたのだろうか。

近くの別路線の駅に行こうと判断し、その方面に足を進めるが一向に駅のサインが見えてこない。駅員をつかまえて聞くが、あそこのエスカレーターを上って、右に、としか教えてもらえず、エスカレーターを上がって右に行くと、そこには氷雨が降る夜が待っていた。

なんとも惨めな話ではないか。

思い切り雨の中彷徨うが、まさに言葉通りさまよってみても、目的の駅は見つからない。
プラットホームでじっと動かずに待っていた大衆を思い出す。そうか。慌てずに待つことも選択肢の一つではないか。

改めて慌てて辿った道を戻り、のんびりとプラットホームに戻ってみる。と、丁度電車が滑り込み、構内アナウンスは次の駅で停車と注意喚起のメッセージを流しているが、乗ってしまう。電車内では別のアナウンスが静かに流れ、なんと、約束の場所まで問題なく動いていることが分かる。それでも、約束の時間を大幅に遅れてしまっての到着となる。そして、相手は既にその場を離れてしまっている。


夜の雨の中をさまよったことが奏功したのか、それまでの焦りの気持ちがすっかりとなくなっていた。


また別の日に会うことにすればいい。
慌てずに待つことも選択肢の一つではないか。







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2015年11月17日火曜日

L’art c’est encore le goût.








ちょっとした身勝手な贈り物だったのに、翌日、そのお返しを頂いてしまう。


緑が基調の包装がトレードマーク。一度、日本にお土産を選んでいる母に奨めたが、バッタ達の父親と同じ名前とかで、変に未練があるように思われるのも癪だからと、正直分かるようで分からない理由で購入していなかった。フランスでは良くある名前だし、だからこそ、大抵姓名一緒のパッケージで一人の名前として扱われることから、大して気にする必要もない。しかし、そう言われたら、却って、こちらも買うのもおかしく、それ以来、お店に立ち寄ってもいなかった。


緑の細長い箱に黒い帯。何とも言えない高級感。しかも、帯の接着部分が分からない繊細さ。中には、大きさや形、色が異なる4種類が、ぴしっと行儀よく並んでいる。


宝石のような緑の楕円の粒を口にすると、先ずは舌の上でとろけ出す柔らかさに驚いてしまう。そして爽やかなヴェルヴェンヌとライムの香りが口中に広がる。この柑橘系とキャラメルのような味わいという、思いがけない出会いに驚きとともに感動。フランス随一のチョコレートと言われるだけのことはあるか。


ふと手にしたカタログに挟まれていたカードは、ロダンの白い大理石の『接吻』。

『L’art c’est encore le goût.』

芸術(彫刻)の趣をチョコレートの味に掛けるなんて、すごいセンス。
でも、この作品。キスの味が伝わってきそうな濃厚さ。シェフの天才的な感性に感服。


初めてフランスを訪れた年。もう二十年以上も前のこと。カミーユクローデルの映画を観に行き、魂が揺さぶられる思いをしたことを思い出す。フランス語でどこまで分かったのか、分からなかったのか。情けない男、ロダン。天才的な、しかしあくまで女でしかなかったカミーユ。そして精神的に病んでしまう辛い最期。


その後、ロダン美術館を訪れ、カミーユの作品が展示されていることに驚きを禁じ得なかった。いや、その記憶もあてにならないか。父親の職場が近いこともあって、バッタ達を連れて行ったことがあるが、未だ幼くて、それこそ彼らの記憶には残っていまい。


この天才シェフに誘われて、チョコの彫像を見にロダン美術館にバッタ達を連れて行ってみようか。


また別の味わいを持って楽しめるかもしれない。

L’art c’est encore le goût.




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2015年11月15日日曜日

明日







それでも明日は来る









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2015年11月11日水曜日

晩秋の朝







朝焼けに染まった松の木肌。

その柔らかさに、思わずベッドから抜け出てきた儘の格好で外に飛び出す。

迎えてくれたのは爽やかな木立の香り。










庭の片隅では、深紅の薔薇が一輪、気高くもひっそりと朝焼けに染まっている。





あの松のように、何があってもでんとして動かず、
あの薔薇のように、誰にも気づかれずとも凛として咲き誇る。



できることならば、ぜひとも、そうなりたいものである。

晩秋の朝に思う。









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2015年11月8日日曜日

夜空には静かな風



「ふうん。それで、パパの機嫌は良くなかったの?」
「ちょっとね。でも、大丈夫。だって今週バカンスに行くんだもん。」
「ああ、そうね。でも、仕事でしょ。」
「ううん。アンヌも一緒だよ。」

ママの表情を読み取ったのか、息子バッタが強張る。

一体、どうなっているのか。部下の仕事を横取りして、今週、長女バッタの留学先に父親が行くことは知っていた。全く彼らしい立ち回りの良さ。父親だし、上手く仕事で行けるなら、その合間に娘に会うぐらい当然であろう。ところが、だ。パートナーの女性も一緒とは。

「ちょっと待ってよ。」声が大きくなってしまう。
「ママは聞いていない。」

でもね、
「世の中、全てのことを知らなくてもいいの。
そして、全部ママに教えなくてもいいのよ。」
そういう親に、どう対応して良いのか分からないバッタ達。


そもそも、週末の話からおかしかった。末娘バッタの企業研修の話を、パパのところの招待客にケチつけられたとかで、末娘バッタがくさっていた。そんなことにケチつけたのは、誰よ、との話になれば、アンヌの父親の新しい奥さんだ、という。それで、話を聞いてみると、日曜のランチにアンヌの両親たちが揃ってバッタ達の誕生祝いをしてくれたと言うではないか。

バッタ達二人の誕生日。それをパパのところで祝う。それは、それで有難いことだし、感謝すべきこと。でも、パートナーの女性の両親を招待しての誕生パーティー。何かおかしくないか。


「ママ、この話をしても、誰も幸せにならないの。だから、この話はやめよう。」末娘バッタが言う。

「だって、変じゃない。なんで、あなた達の誕生パーティーに、アンヌの両親が呼ばれるの?」


そんな話をしていた矢先のこと。

勿論、アンヌにしたら、彼が海外出張に行くので、せっかくだから一緒にバカンス、なんだろう。しかし、何故に、留学している娘のところに、二人で雁首揃えて行くのか。


丁度一週間前、留学してから初めてスカイプをした時、「ママ、ノエルはどうするの?良かったら、来ない?」そう言った長女バッタの声が今になって鮮明に耳にこだまする。


泣かないって約束したのに、ママは泣いている。
夜空には静かな風。







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未明の空を仰ぐ




目覚まし音の前に目覚める。
窓の外がぼんやりと白んでいるが、夜の帳は下がったまま。体内時計が未だ夏時間の名残をとどめているのか、或いは、緊張感からか。

このところ、ぼんやりする時間どころか、寝る時間もままならない日々。
おっと、バスが行ってしまう。急がねば。

先ずは、末娘バッタの部屋に入り、足の指をそっと握る。
かすかな反応。「いってらっしゃい。」寝ぼけ声が聞こえる。

次に、息子バッタの部屋に入る。
足元を軽く叩く。「お誕生おめでとう」
暗闇の中から両腕が伸びる。
一瞬躊躇する。が、すぐに声が出る。「ごめん。ママ、もう行かないと、バスに乗り遅れちゃう。」


バス停までの坂道を駆け上がりながら、16歳になった息子バッタを思う。
母親として誕生日にしてあげられることは、こうして精一杯生きている姿を見せることだけ。

感傷的になりそうな自分を抑え、未だ明けることのない空を仰ぐ。
ひんやりとした空気が甘い。




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