2023年11月28日火曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ラメチャップへ(人生観)

 





カトマンズからラメチャップへの道は、前半は比較的平坦な道だったが、後半になるとアップダウンが激しく、時に山を駆け上がり、時に駆け降りる、スピンのきついカーブあり、と、ジェットコースター並みだった。これが夜中の運転だったら、どんなに恐ろしいことだろうと思い、日中に出掛けることにして正解だったと、胸を撫で下ろしたものだった。


景観が良い場所にくると、Rajさんは車を停めてくれた。その最初が、まるで村を見守るように巨大なシバ神像が聳え立ち、その背景にヒマラヤ山脈が白く輝いて見えるところだった。


遂にヒマラヤ山脈の麓に来ていると実感でき、大いに感慨深かった。緑美しい段々畑も、この地が亜熱帯であることを思い起こさせ、見入ってしまった。観音様や大仏様ではなく、ここはシバ神なのか、と改めて思った。


そういえば、Rajさんは自己紹介の時に、確か自分はブラフマンであると言っていた。つまり、ヒンドゥー教であることを暗に示しているわけだが、ここでブラフマンという所属カーストを公表したことに興味を持った。ブラフマンとはカーストの最上級の司祭にあたるのではあるまいか。


しかし、車の中で色々話をして、彼が田舎の農家の出身であることが分かっていた。特に豪農というわけでもなく、恐らくは村自体が農業のみで成り立っているような場所で、誰もがそうであるように、農業を営んでいるといったところではなかろうか。インドのカースト制度の概念が、ネパールにそっくり入り込んだわけでもなさそうだった。


そして、村人同士の繋がりは非常に強いようで、この旅行会社のオーナーであるラクスマンさんとは、同郷であると言っていた。奥さんも同じ村の出身とのことだった。そういえば、確かホテルのレセプションの男性は、ラクスマンさんのところで働き始めて、もう長いと言っていた。年功序列、終身雇用、会社への忠誠心、そういったものがネパール社会にもあるように思われた。


長い道中、色々な話題になったが、ある時、Rajさんと相棒が、お互いの家族のことで盛り上がっていた。彼らが自分たちの子供のそれぞの年齢やら、今していることを紹介し合っているのをぼんやりと聞いていたが、気が付くと二人の視線が私に向けられていた。


え?私?


非日常を味わい、ヒマラヤ山脈の麓に漸くたどりついたことに心動かされ、これからのトレッキングに胸騒がせていたところだったので、咄嗟にバッタ達の顔さえ浮かばず、正直彼らのことを口にする気にもなれなかった。


だから、ああ、まあ、ねえ。とスルーしてしまった。すると、何か悪いことを聞いてしまったのか、との気まずい空気が流れそうだったので、慌てて、「いえ、3人の子供がいて、幸せにしているわよ。皆大きくなって、家を出ているけれどね。」程度で、にんまりとしておいた。


その時だったのだろうか。どのタイミングでRajさんに離婚していることを伝えたのかは覚えていない。ラメチャップの小さな空港で、ルクラ行きの飛行機を待っている時に、小さなスチールの椅子に並んで座りながら、彼が「人生は一度きりです。だからこそ、大いにエンジョイすべきだと思っています。そう思いませんか」と話しかけてきた。


そして、新しいパートナーと一緒になることは、素晴らしいことだと思う、というようなことを力説し始めた。ええっ?それはそうだと思うし、別に、これまでだって誰かとの出会いを拒んできた訳ではないけれど、特にご縁がなかったということかしらね。


正直なところ、最近は特にトンちゃんを迎えて心豊かな生活をしていると自負していたし、以前は新たな出会いをと思っていた時期もあったが、今更パートナー願望などなくなってしまっていた。


が、そんな野暮なことは言わないで、にんまりと、今回出会いがあるかもしれないわね、と言っておいた。


すると、嬉しそうに、そうですよ、きっと良い人との出会いがあります、と真面目に言うではないか。なんだか可笑しくなってしまい、そして、ヒマラヤ山脈で心ときめく出会いがあるのも悪くないわね、なんて思ってもしまい、大いに笑ってしまった。


確かに、この地の男性は彫りが深く、精悍な顔立ちをしていて、私の好みにぴったりなのよね、と思うと同時に、冗談交じりとはいえ、彼の人生観を窺い知れたことは大いに興味深かった。と言えば大袈裟だが、つまるところ、ネパールでも日本でもフランスでも、人間の思うところはそう変わらない、といったことろか。


そう、人生謳歌しようじゃないか。ひょっとしたら、輪廻転生があるかもしれないが、とにかく、今生きているこの世は、今しか生きることが出来ない。であれば、大いに楽しまねば。


それが彼のもともとの宗教観からくるものなのか、20年のガイド歴の中で出会った、様々な国の様々な旅行者相手に得た体験から導き出したものなのかは分からない。それでも、そのように思っている彼に大いに興味を持ったし、何より、夢のエベレスト街道トレッキングで、心ときめく出会いもあるかもしれないと思ったら、にんまりしてしまった。



ということで、この旅行記、全く通常の旅行記の呈をなしていないのだが、ビスターレ、ビスターレ。その時々の思いを綴るのも、悪くはないではないか。



夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

プロローグ

カトマンズ編 出会い 

カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ



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2023年11月27日月曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~出発編 ビスターレ、ビスターレ





エベレスト街道の出発点ルクラは、ネパール北東部のサガルマータ県にある小さな町で、走行距離がこの上なく短い滑走路が一つだけある空港を有していた。この「サガルマータ」という名称こそ、ネパール語で「エベレスト」を指すのであった。


天候さえ許すのであれば、カトマンズとルクラ間では毎日飛行機が運航しているが、カトマンズ空港は国内唯一の国際空港であり、キャパの問題からも、ハイシーズンの時にはカトマンズから車で4時間半程度のラメチャップまで行き、そこからルクラ行きの飛行機に乗ることになっていた。


一般的なスケジュールとして、午前中にルクラに入りトレッキングを開始するためにも、朝の便に乗る上で、ラメチャップに夜明けに到着するよう、カトマンズを深夜に出発する。


今回は母のペースでスケジュールを組もうと思っていたので、時間はたっぷりと取ってある。だから、旅行会社には夜中に出発して車で乗り込むなど強行なスケジュールはやめて、日中にラメチャップに入り、そこで一泊するように手配をお願いしていた。


そんな我々の意向が伝わったのだろうか。或いは天の采配か。今回の我々のトレッキングのガイドとして旅行会社が派遣してくれたガイドのRajさんは、ガイド歴20年以上のベテランで、非常に細やかな気配りができ、かつ的確な判断が出来る、快活で、陽気で、それでいて控えめなところもある、人間的魅力に富んだ人物だった。


今回の我々のトレッキングが、誰も怪我をすることもなく、ヘリコプターで病院に緊急搬入されることもなく、皆が大満足で、そして特に母が無事に行程を完了できたのも、Rajさんの存在なしでは語れまい。


それが彼の宗教観に根差すものなのか、或いは人間性からくるものなのか、とにかく彼は母を最初から「AMMAアマ」とネパール語で呼んで、敬ってくれた。車に乗り込む時も、アマに景観の良い、座席もゆったりとした助手席を先ずは勧めてくれた。


当たり前のことなのかもしれないが、食事の注文を聞く時も、先ずはアマから聞いてくれた。一日の行程が無事に終わった時にも、神のご加護のお陰と、何よりもアマのお陰です、と言っていた。わざとらしさは一切なく、本心から自然に出てくる言葉として、こちらも大いに頷いて母に感謝したものだった。


そんな彼の口癖が「ビスターレ、ビスターレ」であった。ネパール語は「ナマステ」しか知らなった我々にとって、「アマ」の次に耳にしたネパール語。意味は「急がずに、のんびりと、マイペースで」といったところだろうか。


予定では某所にお昼ぐらいに到着し、そこでランチだけれども、「ビスターレ、ビスターレ」、我々にはたっぷり時間がありますからね、というように使うのだった。登りが急で、休みがちになる時も、「ビスターレ、ビスターレ」、と一緒にのんびりと休憩を取りながら進んでくれた。


朝の出発も、8時には朝食を終えてリュックを背負って待ち合わせ場所に集合、と言っても、そこに「ビスターレ、ビスターレ」、焦る必要はありませんよ、と付け加える。


私のことは、すぐに「ディディ」と呼ぶようになり、すっかりと打ち解けてしまった。そもそもが、前日にカトマンズのダルバール広場で、警察に呼び止められて入場料として一人1000ルピーを払ったが、あれは旅行者のみが声を掛けられていたようだった、と話したことが発端だったかもしれない。


私のことをじっと見ると、「私と一緒だったら、きっと入場料を支払う必要はなかったと思いますよ。」と言うではないか。最初は何を言っているのか分からなかったが、彼と一緒だと、現地の人とみなされる、と言うことらしかった。


ほら、この肌の色、そばかす、表情、シェルパ族の特徴を備えていますよ。と続いたものだから、驚いてしまった。ならば、双子の相棒も同様ではあるまいか。それに対して、彼は、いや、彼女は違いますよ、ということだった。


私をからかっているのか。この際、本当のところは、どうでもよい。そんなことよりも、彼のこの発言は私の心を揺さぶるに、十分過ぎるものがあった。咄嗟に目の前の相手の性格を見抜いてしまう能力に長けているのではあるまいか。


相棒と二人、我々、いつだってそっくりさんとして扱われ、双子ちゃんと一括りにされてきた。それなのに、一発で私の個性と、相棒の個性とを見分けた、そのセンスの良さに、惚れ込まない方がおかしいだろう。


そして、「ディディ」と親しく呼びかけてくれ、母のことは「アマ」といって大切にし、相棒のことは、相棒が非常に大切に思って実施していることを尊重し、彼女の願いが叶うようにサポートしてくれるなど、心にくい気配り様だった。こうして、彼はすっかり我々のファミリーの一員となったのであった。


なお、この「ディディ」だが、私はてっきり「妹」のことだと思っていたのだが、ある時気になって持参していた「地球の歩き方」で調べると「年上の姉」のことだと判明し、ぎゃふんとしてしまった。とはいえ、ネパールには「ディディ・バイ」と言って、姉と弟に纏わる重要なお祭りがあるので、それはそれで良しとしようか。


出発編といっても、まだラメチャップ行きの車に乗っただけではないか、と思われている方々。ビスターレ、ビスターレ。これ、なかなか癖になってしまう、実は人生を送る上でも、奥の深い言葉だと思う。










夢のエベレスト街道トレッキング(これまでの章)

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カトマンズ編 出会い 

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カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議



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2023年11月26日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~カトマンズ編 政治談議

 




この旅行記が、エベレスト街道の出発点にさえ未だ辿り着いていないことに、我ながら呆れている。しかし、それほどカトマンズは謎めいていて、魅力に満ち溢れていた。それに、カトマンズを語らずして、ヒマラヤを語るなかれ、ではあるまいか。もう一章だけ、お付き合いいただけたら幸いである。


フランスからはスリーピングバックを二つ持ってきていた。あと一つは、旅行会社が貸してくれることになった。ポーターさんに預ける荷物を入れる鞄も、一つ足りなかったが、それも旅行会社が貸してくれることになった。


となると、後は高山病の薬、現地で購入しようと思っていたツバのある帽子、そしてサンダルを買うだけだった。薬局は意外にどこにでもあって、ペルーでもそうであったように、錠剤一つ単位で販売していた。


帽子は、旅行者の多いタメル地区のスポーツ用品専門店で、「ネパール、エベレスト街道」と記された、いかにも旅行者が被りそうなものを買った。本当は飛行機の中で見かけた登山家と思わしき男性が被っていたものが、通っぽくて、似たようなものを買いたいと思っていたが、そんなものが簡単に見つかるわけはなかった。所詮旅行者であり、思い出の帽子ともしたいのだから、と、妥協することにした。




問題はサンダルだった。サンダルを買うことを思い出したのは、ホテルまで戻って来てしまった時だった。改めてタメル地区まで行く気にはならなかったし、サンダルこそ日常品ではないか、とホテルの近くに軒を連ねる地元民のためのお店を覗いてみることにした。





八百屋、果物屋、雑貨屋、散髪屋、仕立て屋、乾物屋。実家の日本の田舎では、最近はすっかり姿を消してしまった専門店が並んでいた。驚いたことに、トイレの便器を取り扱う店もあった。そして、その中に埋もれるように店先のガラスケースにびっちりと靴やサンダルを並べている靴屋も、ちゃんとあった。


迷うことは無い。「ナマステ!」と声を掛けて、ガラスケースに入っているサンダルの中から、一番シンプルで、履き勝手が良さそうなものを選んで、見せてもらった。ちょっと大きめだったので、一つ下のサイズがないか聞いてみる。


店主と思しき男性が、にこやかに対応してくれた。ゆったり目ではあったが、登山用の靴下を履くことになるので、それに決めることにした。ただ、サンダルの底が砂埃で汚れており、未使用の新品ではないと思われた。それを指摘すると、店主は新品に間違いない、と言って、手ぬぐいで埃を拭き始めた。


そして、「今の政府がけしからんからだ」と大声で嘆き始めた。王政を廃止してしまったことが、全ての問題の根源であるかのように言いつのり、通りがごみごみしているのも、埃が多くて清潔感が欠如しているのも、電線が秩序なく好き勝手に張り巡らされ、頻繁に停電になるのも、全て今の政府が悪い、と言い募るものだから驚いてしまった。


まさか、靴屋の店主からネパールの政治談議を聴くことになろうとは思いもしなかった。


こうして、天下国家を語る靴屋の店主から買った黒のサンダルは、ひどく貴重なものに思われ、うきうきとホテルに戻ったところ、どうだろう。ホテルの清掃担当と思われる女性が、全く同じサンダルを履いていた。


こうなると、なんだかネパールにひどく歓迎されているように思ってしまうのだから、本当におめでたい性格としか言いようがない。サンダルを鞄に押し詰めると、さあ、もう準備万端。めでたくも、我々の夢のエベレスト街道トレッキングの幕開けとなるのであった。








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カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回




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2023年11月25日土曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~カトマンズ編 コペルニクス的転回






今度は驚く程スムーズにカフェの青年が伝えてくれた場所を確認しながら、歩いて行くことができた。カフェの青年は、ちゃんと我々が間違えそうな箇所を心得ていて、アドバイスが的確だったのである。日本に留学した程なのだから、きっと大きな夢を持っているのだろう。青年よ、大志を抱け!である。


そろそろ目指す銀行の建物が見えてきてもいいかと思っている時に、比較的大きな近代的建物の工事現場が現われ、なんと屋上の看板には我々が目指す「ヒマラヤン銀行」と書かれていた。改築中なのか、建築中なのか、判断に困るところだったが、どこかの階で営業をしているに違いあるまい。


それにしても、建物の入り口はどこなのか。若者達が作業の手を止めて、物珍しそうにこちらを見ている。どこが入り口なのか、窓口はどこから行けば良いのか、そんなことを英語で尋ねた。しかし、彼らの反応で、そんなものはない、と言うことが分かった。


なんと。私が持っていた情報は古過ぎたのか。漸くたどり着けたのに、どうやらネパールルピーに手持ち現金を両替する真の目的は達成できそうになかった。しかし、銀行にしても、改築工事なのか、新築工事なのか分からないが、営業が出来なかったら困るだろうに。さて、それこそ困ったな、と思ったが、まあ、レートが悪くても他の両替所もあるだろうし、いざとなればATMで現金引き落としも出来るかと、気軽に考えることにした。


比較的大通りに出てきていたので、ショッピングセンターと思しき建物もあり、入ってみるとATMがどうぞお使いください、と言わんばかりに隅に備え付けてあった。空港で少しは両替していたので僅かながらルピーを持ってはいたが、ATMが使えるかどうか確認する上でも、現金引き落としを試みてみた。


何のことは無い。フランスにもあるようなATMの機械で、カードを挿入し、暗証番号をタイプし、引き落とし希望額をインプットすると、手数料が500ルピー程度になります、との表示が出てきて、確認ボタンを押すと、現金がさっと出て来た。非常に明朗会計のように思われ、その手軽さに驚いてしまった。


現金があると思っただけで、これまでの緊張感が解れ、大胆な気持ちになるから、人間とはそれこそ現金な者である。


ぶらぶらと真っすぐ通りを歩いて行くと、「ヒマラヤン銀行」との名称が明記されている非常に手狭な、小さな扉が目に入った。「両替」との表示もある。ちょっと!ここだったのか!では、先ほどの工事現場は別のものだったのか。


なんと、なんと。百聞は一見に如かず、とはこのこと。工事現場にいた若者たちとちゃんと会話が成立していたら、両替所はこの先にあると教えてもらえていたのかもしれない。いや、彼らはそんなことは、全く知らないで作業をしているのかもしれない。


とにかく、その小さな扉を押して、中に入ってみた。制服をきっちりと着た警備員がいて、一人しか対応できないような小さなカウンターがあり、その向こうには男性と女性の二人組が座っていた。警備員が両替ならこの用紙に必要事項を書け、と言わんばかりに紙を渡してくれた。


漸く朝からの目的が達成されようとしていることに、大きな喜びを感じ、パスポートを出して、必要事項を書きこむ。使う機会がなかなかなかったオーストラリアドルを、思い切ってネパールルピーに両替してしまおうと思っていた。


サインをして、用紙をカウンターに提出すると、女性がテキパキと対応してくれた。その様子に、漸くそこの小さな空間をじっくりと見る余裕が出て来た。壁に掛っているカレンダーと思しきものが目に入る。それを何気なく見ていて、驚嘆の声を上げてしまった。


カレンダーの数字が、なんとアラビア数字ではなかったのである。これにはたまげてしまった。そして、そこで、これまで何人もの人に道を尋ねながらも、どうにも要領の悪い反応であった背景に思い当たり、はっとした。


そうか。彼らは純粋にアルファベットやアラビア数字を使わないのか。だから、地図に書いてあるアルファベットも数字も読めないので、対応に困っていたのか。コペルニクス的転回であった。


カレンダーの写真を撮りたかったが、どうも重々しい雰囲気だったので、警備員に撮影許可を願い出た。と、最初は驚きの面持ちだったが、すぐに、もちろんだ、お前にはこのカレンダーの貴重さが分かるのか、とばかりに、カレンダーを取り出し、好きなだけ写真を撮れ、と言ってくれた。


すると、カウンターの向こうにいる男性が、外に出て撮って欲しい、と言って扉を示した。その時初めて、我々がいるスペースは何かの入り口で、中庭に出ることができるようになっていることが分かった。


警備員はそれまで厳めしい顔をしていたのに、にこやかに誇らしげにカレンダーを持って、扉を開けてくれた。驚くなかれ。そこは恐らくは仏教とヒンドゥー教が混合したと思われる木造の建物が、幾つも並んでいた。


明るい太陽の光の下で、カレンダーをめくりながら、警備員は誇らしげに写真の説明をしてくれる。こちらの関心は、記載されている数字だとは言い出せずに、感謝しながら、月々のカレンダーの画像をカメラに収めた。


しかし、両替所を入り口とする神社仏閣があるとは思いもよらなかった。これもコペルニクス的転回。嗚呼、カトマンズが如何にカオスに満ちていて、それでいて陽気で、魅力に溢れているか、少しはお分かりいただけただろうか。







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カトマンズ編 迷子




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2023年11月23日木曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~カトマンズ編 迷子







カトマンズの中心部、それも旧市街の一部と観光客が集うタメル地区を歩いただけで、カトマンズを語ってくれるな、と言われるかもしれない。それでも、あのどうしようもないカオスで、むんむんとした熱気に満ち溢れた街の魅力を語らずにはいられない。


エベレスト街道トレッキングに出るまでに、時差ボケや体調を整えるためにも、ゆったりと余裕をもたせ、カトマンズには3泊することにしていた。初日から、2時間余り車で行くナガルコットへの日の出ツアーや、古都バクタプルの観光をしたがる相棒に対し、久しぶりに3人で顔を合わせるわけであり、トレッキングの日程について改めて打ち合わせをしたり、両替をしたり、足りないものを買い揃える、いわば準備の時間にすべし、と偉そうに言ったものだった。


それでも、未知の街を歩くことへの高揚感で、心は浮かれていた。ホテルでもらった付近の地図を頼りに、母と相棒の3人で、意気揚々と外に出た。目指すは、タメル地区周辺にあるというヒマラヤン銀行。そこで取り敢えず手持ちの現金をルピーに両替しようと考えていた。


地図を見ると、そう道は複雑ではなく、大体の方向を頭に入れて歩きだした。人通りは多く、車もバイクも好き勝手に賑やかに走っている。それもそのはず、信号機というものが存在しないのである。数年前の地震の影響なのか、或いは電力事情が良くないからか、はたまた、単にインフラ整備がまだまだだからなのか、詳細は分からない。


先ず、歩道というものが存在しないので、車やバイクが歩行者に「通りますよ」との合図でクラクションを鳴らす。信号がないものの、交差点はあり、さあ、とばかりに車やバイクが上手に流れを作って移動している。そして、歩行者も時々道を渡る必要が出てくると、えいや、とばかりに渡り始めるのである。


これが、カオスでなくて、何と言おう。もちろん、我々も勇気を振り絞って通りを渡らねばならないことが何度かあった。その度に、幼い子供のように皆で手をつなぎ、向かってくる車やバイクに手で合図をし、えいや、と渡るのである。


今思えば、そうして、えいやで渡ることを繰り返したからだろうか。或いは、往々にして観光地の地図にありがちなことなのだが、実際の通りの幅など大して反映されずに、ホテルやレストラン、薬局、観光名所などの所在地が分かりやすく記載されており、我々が手にしている地図もご多聞に漏れずに、やや簡便なものだったからだろうか。


道に迷ってしまったのである。どうも思っている様な通りではなさそうだ、と思った時に、中型のバスが停まっていたので運転手と思しき人に道を尋ねると、全く英語を解さないのに、とにかく乗れと手ぶりで伝えてくる。いや、いや、いや、危ない、危ない。


その時、丁度長女バッタのような若い女性が通りかかったので、彼女に声を掛けて道を聞いてみた。我々が手にしている地図上での、現在地を知りたかった。彼女はちょっとびっくりとしたようで、小声で何か呟いた。


え?なんですって?大きな声で聞き返したところ、携帯を見せて、通話中なので今切るから待って欲しいとのサインを送って来た。おおっ!大都市の若者は、どこでも変わらないのね、と変に感心していると、綺麗な英語でどこに行きたいのですか、と聞いてきた。


美人だし、英語も綺麗だし、何て爽やかな女性だろうと惚れ惚れしていたが、その彼女が我々の地図を見て、現在地はこの地図上にはないと言ってきたので仰天してしまった。ま、まさか。


ヒマラヤン銀行に行きたいとは言いはばかられるように思われ、その近くの観光名所を伝えると、それなら、この道を行くと良いと教えてくれた。そうか、そうか、と彼女にお礼を言って、3人は再び意気揚々と足取りも軽く教えてもらった道を歩いて行った。



ところが、しばらく行くと、やはり、どうも何かがおかしい気がしてきた。小綺麗なバイク販売店にいる若い女性と目があったので、思わず飛び込んで、持っている地図を見せ、現在地を教えてくれないかとお願いをした。


女性は困った顔をしていたが、隣にいた若い男性が、俺が教えてあげるよ、と言わんばかりに携帯を手にして店の外に出てくれた。が、なんだか様子がおかしい。英語がそんなに得意そうではないが、現在地を地図で教えて欲しいとの我々の要望は分かってくれたようだった。


それでも、自分の携帯とにらめっこしながら、要領を得ない。なら、例のヒマラヤン銀行の前にあるカフェとやらを知らないかと聞くと、そのカフェならすぐそこだよ、と教えてくれた。いや、いや、いや。まずいことに、カフェなんて名称の所謂飲み物サービスの店舗は少なくないようだった。


ただ、どうやら近くにある、竹が生い茂っていて、高い塀で囲まれた比較的大きな場所は、王宮博物館であることが分かった。店にいた別の男性が通りに出て、「ミュージアム!」と指さしてくれたからだった。そうか、ここが博物館であるならば、博物館の入り口まで行けば、何とかなるのではあるまいか、そう思い、感謝の言葉を告げ、3人はまた炎天下のカトマンズの通りに繰り出した。


10月も末なのに、ここカトマンズは日中は汗ばむ程に暑くなるのであった。午前中には両替所で両替し、近くで軽くランチをし、午後にはタメル地区や旧市街を観光しよう、なんて思っていたのだが、どうやらそうは問屋は卸してくれそうになかった。


3人のうち、誰がどう言ってそうしたのか、今では全く覚えていない。とにかく、気が付いたら、また迷子になってしまっていて、自分たちがどこを歩いているのかさえ分からなくなってしまっていた。


人々は英語が簡単に通じるわけではなさそうであり、我々が持っている地図は当てになりそうにもなく、ほとほと困っていながらも、とにかく大通りに出たら何とかなるのではと、道を歩いて行った。




旅行会社の看板が目に付き、旅行会社ならば教えてもらえるのではないかと思ったが、それはただの看板で、旅行会社らしいものは全くなかった。時々、タクシーらしき車が停まり、乗らんかい?の様子でこちらを見てきたが、タクシーなんか乗ってどうするのよ、との母の一言で、我々は宛もなく彷徨い続けるのであった。


英語検定試験の広告がある、そこなら英語を話すのではないかと相棒が言ってきた。そこは、通りを横に小径に入った、やや奥まったところにあるようだった。おお、そうかもしれないよね。是非チャレンジして、道を尋ねてきてよ、私は母とここで待っているから、と彼女を見送った。


相棒は、ぎょっという顔をしたものの、じゃあ、言って来るわ、と姿を消した。暫くは母と持っていたミネラルウォーターを飲んで、涼んでいたが、どうも相棒の帰りが遅いことが気になって来た。


ちょっと様子を見に行ってくるわ。そう母に伝え、小径に入って行くと、小綺麗な建物に、確かに英語で看板が出ている。まっすぐに入り口から入ると、少人数のグループレッスンでもしている様子のスペースが、いくつかあった。が、相棒の姿はない。もっと奥に進もうとしたところ、声が掛かった。


道を尋ねて、妹が来ている筈なのですが。どこにお邪魔していますか。そう聞くと、声を掛けて来た女性は、そんな人は来ていませんが、と言うではないか。まさか。冷汗が脇の下を伝った。まさか。嫌な感じがした。


慌てて建物の外に出た。迂闊だった。彼女が建物に入ったところを、しっかりと見届けるべきだったと悔やまれた。まさか、建物に入る前に、小径で車で連れ去られたのだろうか。映画「Taken」の観過ぎではないが、ネパールという国が急に余所余所しく、かつ禍々しく、犯罪の坩堝のように思われた。


と、小径の右側に、プレハブの建物が目に入った。大急ぎで建物に駆け込むと、工事現場にある打ち合わせ場所のような狭いスペースに、テーブルが漸く一つ収まっており、そのテーブルを囲むように男性6人ほどがぎっしりと座っていて、その中に、相棒の頭が見えた。


ちょっと!


私の姿を認めると、相棒が相好を崩し、大丈夫だよ!分かった。すごく丁寧に道を教えてもらったの。今、地図を印刷してもらっているところなの、と言うではないか。


ちょっと!ここは語学学校ではないわよ。あっちに行って、いなかったから、すっごく心配したのよ!


すると、リーダー格と思しき男性が、心配になって様子を見に来たのかな、と爽やかな笑顔で話しかけて来た。そうなんです。通りで母が待っているので、母のところに戻ります。そういうと、君まで来ないとなると、今度はお母上が心配で訪ねてくるのか!と楽しそうに豪快に笑った。


グーグルマップを印刷したものを手にし、男性は相棒にくどい程説明をし始めた。地図はあるわけだし、説明は既に受けたと相棒は言っているしで、何故にあそこまで相棒に、「本当に大丈夫かい?」と聞くのかが分からなかった。


それでも、通りに出て、母にも挨拶をし、改めて方角を相棒に教えてくれている男性を見て、その親切な人柄に感じ入ってしまった。母と相棒と一緒に記念写真を撮らせてもらい、深々とお礼をし、嬉しそうな相棒を先頭に歩き出した。


どうやら、トレッキング関連のツアーを取り扱う旅行会社らしかった。親切な人に出会えてよかったねえ、としきりに言い合って、歩くこと暫し。地図の様子と実際の道が違うことは、これまでにも大いに経験してきたことである。まあ、道があるのだから、行くしかあるまいよ、そんな調子で歩いて行った。


が、暫くして、やっぱりどうもおかしいとなった。何故なら、最初に道を尋ねた、例のバイク販売店に戻ってしまったからだった。相棒がぼそりと呟いた。「印刷してもらったグーグルマップの出発点と目的地を反対に見ていた。」


おい、おい、おい。あれ程、おやっつあんにくどくどと説明を何度も受けていたのに、分からなかったんかい。


しかし、誰も彼女を責めることはしなかった。むしろ、崩れるようにずっこけてしまった。ここまで迷ってしまうところって、あるだろうか。謎めいていて、まるで魔法にかけられてしまったようだった。


それよりも、どこかでお茶にしようよ、となったのは自然なことだった。バイク販売店の前を先ほどとは打って変わって足取り重く歩いたが、その先に、感じが良さそうなカフェを見つけていた。果たして、ゆったりとした優雅なスペースに、フレンチっぽいインテリアで装った、小洒落たカフェが現れた。


恐らくはネパールらしからぬ、異文化体験とは程遠い、欧米かぶれの、観光客か特権階級向けの特殊なスペースなのだろうが、とにかく、迷い続けた我々を癒すにはもってこいの場所だった。迷わずにカフェオレを注文し、そろそろお昼の時間じゃない、と言って、シーザーサラダやアボカドサラダを注文した。


爽やかな笑顔の青年が給仕をしてくれて、日本の方ですか、と流ちょうな日本語で話しかけて来た。数年前まで日本に留学していたという。道に迷って困っている話をすると、地図を見て、丁寧に詳しく道を教えてくれた。どうやら、目の前の通りを真っすぐに行けば目的地に着くとのことだった。


それでも、道は必ずしも真っすぐではない。そのことを知っているからか、我々がのんびりと食事を終えた頃、手書きの地図を持ってきて、改めて丁寧に道を教えてくれた。これには、本当に助かった。


ありがとう、ありがとう、何度もお礼を言って別れ、美味しいカフェとサラダで心身ともに満たされ、リフレッシュされたので、足取りも軽く、3人はまた炎天下のカトマンズの街に繰り出したのであった。




夢のエベレスト街道トレッキング

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カトマンズ編 出会い





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2023年11月21日火曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~カトマンズ編 出会い

 




トランジットをしたデリーの空港で非常に乱暴で高圧的なセキュリティ検査を受けた後だったからだろうか、カトマンズ空港のセキュリティ検査は非常にのんびりとしていて、ビザの取得もスムーズで、拍子抜けしてしまった。心配していた荷物も、そんなに待たずにターンテーブルに載せられて出てきた。後は2時間後に成田から到着する、母と相棒を乗せたネパール航空を待つのみだった。


到着ロビーは閑散としていて、荷物を受け取るターンテーブルと両替のための銀行の窓口があるだけで、本当に何もなかった。ゆっくりと通路を通って先に進むと、SIMカードを販売する携帯オペレータのカウンターが散見され、タクシーの手配カウンターが見えて来た。取り敢えず最寄りの椅子に座り、空港の無料WIFIサービスがあることを期待して、接続を試みた。


ここで地球の歩き方やガイドブックを出してもいいのだが、なんだか変に目立つと鴨になりかねないと警戒し、大人しく携帯を操作、確実とは言えずも、時々無料WIFIサービスに接続され、暫くはその恩恵を享受していた。タクシーサービスのカウンターの男性が、長いこと椅子に座っている私を不審に思ってか、声を掛けて来た。


日本からの便で来る家族を待っていると告げると、この下の階に行けばカフェがあると教えてくれた。確かに、何もないところにずっと座って待っているよりは、カフェで待っている方が良いかと意外に急なスロープを降りて階下に行ってみると、小綺麗なカフェが一つぽつんとあった。


カフェはオープンスペースになってはいるものの、申し訳程度の椅子とテーブルが雑多に置かれてあるだけで、利用者は一人もいない。隣のパイプ椅子が並んでいる、所謂待合スペースには、出迎えの人々が数名座っていた。


取り敢えずカフェで炭酸水のボトルを買って、パイプ椅子に腰を掛けること数分。なんだかお尻やリュックが濡れている感じがするので、手持ちの何かが漏れたのかと慌てて立ち上がって点検してみると、何のことは無い、掃除したての椅子に座ってしまっていたことが原因と判明。


驚くなかれ。掃除部隊はパイプ椅子に水分たっぷりの洗剤を振りかけ、水浸し状態にさせたところを、吸水機を使って水分を取り除いていた。掃除中の看板があるわけでもなく、うっかりと腰を下ろしたが最後、パイプ椅子に残っていた水気をしっかりと吸収する役目を否が応でも担うことになってしまう。


やれやれ、と立ち上がって、どの辺からパパラッチをしようかと、望遠カメラをセットして母と相棒が現れるところ待つことにした。丁度日本からのお客さんを待っている旅行会社のスタッフもいて、成田からの便が無事にカトマンズに到着したこを知って、大いに安堵した。


スロープを使って出てくるだろうと待ち構えていたのに、母と相棒はエレベータで出てきて、私の姿をきょろきょろと探している。慌てて飛び出して出迎えると、「どこにいたのよ!」と母の元気な一声が返って来た。


三人で揃って、旅行会社が手配してくれた運転手さんの姿を探すが、一向に見当たらない。空港の建物を一旦出て、出迎えの人々が並んでいるところに行ってみるが、我々の名前を書いたカードを持っている筈の出迎えの人が見つからない。


母の手前、焦り出し、旅行会社にメールを送り、改めて空港に戻って、そう多くはない出迎えの人々を一人ひとり確認したが、やはり見つからない。先ほど話をした旅行会社の人に、我々が利用する旅行会社を知らないかと聞いてみると、別の人が、ああ彼なら知り合いだよ、と携帯で電話を入れてくれた。そして、外の出迎えの人が並んでいるところに待っていると、教えてくれた。


先ほど行ったが、そんな人はいなかった、と言うと、あそこにいる筈だから、もう一度行くように、と言う。半信半疑ながらも仕方がない。母と相棒には空港で待ってもらい、願うように行ってみると、果たして、私の名前が印刷された小さな紙を持っている男性が目に留まった。


あ!こんにちは!私です!探したのですよ、どちらにいらしたのですか?今、母と妹を連れてくるので、お待ちください。そう英語で伝え、大急ぎで母と相棒を連れに戻った。出迎えの男性は小柄で、とにかく人懐っこい笑顔で待っていてくれた。


わあ!さっきはいなかったよね。とにかく良かったわ!ありがとうございます。


車は比較的新しく、綺麗だった。無事に荷物を後ろに載せ、三人で並んで座っても十分な余裕がある程、スペースある車体だった。出迎えの男性には、我々がそれぞれ日本、台湾、フランスと別々の国から来ていることや、ネパール訪問は今回が初めてのこと、ヒマラヤトレッキングがとても楽しみなことを、話した。


男性は、なんとインターナショナルな家族なのだ!と大いに驚いていた。そして、男性自身、日本語が非常に堪能であることが判明し、車の中での会話は大いに盛り上がった。人柄の良さがにじみ出てくるような方だったので、先ほどは出迎えの人が来ていないので心配して、空港にいた別の旅行会社の人に、男性のボスに連絡してもらってしまったので、後でボスからお小言があるかもしれませんが、すみません、と伝えておいた。


ほどなくして着いたホテルで、予め用意しておいたチップを運転手さんに手渡し、出迎えに来てくれた男性にも手渡そうとすると、いえいえ、結構ですと、身振りで断って来た。我々が到着した時に、いなかったことを申し訳なく思っているのだろうか。そんなこと心配せずに、どうぞ受け取って下さい、とやや強引に手渡すと、にんまりと笑って、では、とロビーのカウンターにあった心づけ箱に入れようとした。


いえ、これは出迎えに来てくださったことへの感謝の気持ちなので、ホテル向けではなく、個人的にどうぞお納めください。そういうと、笑顔を一層深めて、そこまで仰るならと、受け取ってくれた。


そのやり取りを一部始終見ていたホテルのスタッフが、ちょっと面白がって「ここのオーナーです」と紹介してくれた。えっ?


え、ええっ?オーナー?


ホテルのオーナーでもあり、今回の旅のアレンジを依頼している旅行会社のオーナーでもあるという。ということは、空港で別の旅行会社の方が電話を入れた相手だったのか!それよりも、オーナーさんを出迎えの番頭さんのように扱い、ましてや、チップまで強引に手渡してしまったではないか!


いやあ、これはとんでもないことをしました。大変失礼いたしました!


慌てて謝ること頻り。ラクスマンと名乗ったオーナーさんは、全く問題ありませんよ、と、それでも大いに愉快そうに笑った。我々も、早とちりを大笑い。一緒に心の底から愉快に笑い合った。


「ビールでもいかがですか?ご馳走させてください。」


旅の端から早とちりの勘違いで大笑いとなったが、それこそ幸先抜群に良さそうではあるまいか。ありがたく冷たいビールをご馳走になりながら、時差ボケで寝不足の身体に、じんわりと幸せ感が満ち溢れていくのであった。


母と双子の娘、3人の旅はまだ緒についたばかり。


夢のエベレスト街道トレッキング

プロローグ


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2023年11月19日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~プロローグ

 



マチュピチュの時もそうだった。母は「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」そう言い放つのだった。ちょっと待ってよ、私も行くわとばかりに慌てて企画し、バッタ達も引き連れて皆でインカ帝国の魅力の虜になったのが、早6年前。


母のバケットリストには「アンコールワット」もあって、一緒に行こうと誘われていたのだが、私自身がカンボジアにはポルポト政権による残虐なる爪痕が生々しい時代に出張で訪れており、当時の思いが蘇ってしまって二の足を踏んでいたら、お仲間とさっさと一人で行ってしまった。


その後、スイスで山歩きを楽しんだ頃から、「エベレスト街道トレッキング」なるものに誘われていた。世界最高峰のエベレスト登頂を目指すのではなく、エベレストを含むヒマラヤ山脈の名峰を愛でながら、トレッキングを楽しむということだった。


次はヒマラヤですな、を合言葉としていたのだが、物事にはどうしてもタイミングというものがつきものである。その時の仕事の事情、バッタ達の進学の事情、母の事業の事情、あらゆるものが重なりあって、極めつけは世界中を同時に震撼させた前代未聞のコロナ禍に見舞われてしまい、実現できずに、実現することさえも考えられずに時間が経過してしまっていた。


いつもなら威勢よく「あなたが計画しないなら、ママ一人で行ってくるわ。」と言い放つところだが、ある時ぽつりと「80過ぎちゃったから、もう無理かもね。」と弱気なことを言うので、思わずどきりとした。ありがたいことに母は健康に恵まれていて、母親の年齢を通常意識したことがなかった。80を過ぎていたことが、なんだか信じられなかった。


極めつけは実家に帰った時のことだった。母は食器棚の扉に注目イベントとしていつも写真やらカードやらを挟めて飾っているのだが、その一つが以前私が送った母の日のメッセージであった。


母は私たちが幼い時、一度だって約束を反故にしたことはなかった。その律義さは、子供の私が驚く程だった。今でもよく覚えているのだが、幼稚園から帰って来ると、母が既に仕事を終えて家にいて、ミシンを踏んでいた。母はよく枕ちゃんと称して、私たちに顔や手がついた枕の縫いぐるみを作ってくれていた。ところが幼い私は車酔いが酷く、長時間のドライブともなると枕も一緒に車に乗ったので、時々悲しいかな、お陀仏になってしまうのだった。


母は確かに、私たちが幼稚園に行く朝に、今日は枕ちゃんを作ってあげるからね、と言ったのだと思う。母のコーデュロイの黄色いスカートが、可愛い枕ちゃんになっていく様子を、うっとりと見ていた自分を思い出す。


山登りもそうだった。仕事柄母は土日はもとより、夏休みや冬休みといった学校の長期休暇時はいつも忙しくしていた。それでも、朝、裏山に登ろうね、と言って仕事に出て行ってしまったと思ったら、ちゃんとお昼前には戻ってきて、おむすびを作って、さあ、行くわよ、となるのが常だった。


そんな母に対して、私はどうだろうか。調子よく、空手形を切ってきたのではあるまいか。


母の日のメッセージを以下一部抜粋。


子なるもの 親の背を見て 育つもの

多くの山を 共に登りつ


登りせし インカの歴史 ワイナピチュ

コンドルになり マチュピチュ俯瞰


最強の 行動力で 突破する

次なる目標 ヒマラヤ山脈


ヒマラヤに一緒に行こう、その時、強く思ったものだった。


そうして未だ太陽の光に冷たい芯のある今年の春先、母から早朝のウォーキングを開始したとのメッセージが届いた。「エベレスト街道トレッキングに向けての準備開始ね!」と書き送ったところ、「え?本当に行くの?」との返信。「もちろん、行くわよ!」と返事をした。


あの時、ぱっと世界が明るく開けて、体中にエネルギーが駆け巡って、ものすごい高揚感に包まれたのよ、と、その後母は語ってくれた。人生に目標があることが、生きる上でいかに重要なことなのか、母は身をもって教えてくれた。


母はありがたいことに健康で、足腰に問題なく、エベレスト街道に挑みたいとの強い願望がある。世界最高峰のエベレストを仰ぎ見て、シェルパ族の生活に触れ、ナムチェバザールを闊歩したい、そんな母の夢を一緒に実現できたら、これ程嬉しいことはない。


不思議なことに、私の仕事の状況も、バッタ達の進学の状況も、あらゆることがエベレスト街道トレッキングを実現する上で追い風となってくれた。最後のネックは、母と一緒にカトマンズ入りするために、私が一度パリから東京に行かねばならないことだった。時差はもとより、時間も旅費も大幅な負担増になるので、出来ればカトマンズの空港で落ち合いたかった。


しかし、それは流石に兄が反対し、私に東京に来てもらって、二人で一緒にカトマンズに行って欲しいと母にやんわりと言ったらしい。


ちょっと待てよ。こんな人生のビッグイベントに、双子の相棒を誘わぬ手はないではないか!彼女も海外で生活をしているが、台北から東京といったら時差も1時間だし、所用時間もパリ東京の比ではないだろう。もちろん、その為だけに彼女に声を掛けるわけではない。


母と彼女との3人での旅行といったら、社会人一年生の時の夏に行ったヨーロッパ旅行以来ではあるまいか。いやいや、お互いに子供達が生まれていない時に行ったケープタウンがあったか!彼女の末っ子ちゃんの高校受験が丁度終わるタイミングでもある。


やはり人生にはタイミングというものがあるものだ。不思議なことに、あらゆることがうまく回転し、かくして、母と双子姉妹の3人による夢のエベレスト街道トレッキングが実現する運びとなった。


ついついスポーツ専門店に行っては、高機能防寒インナー、手袋、ダウン、果ては新たにトレッキングシューズを調達してしまったが、後は何か足りないものがあったらカトマンズで手に入れようと腹を括り、エアインディアにてデリー経由、カトマンズに乗り込んだのが10月も末の頃。デリー行きの飛行機に乗る時に、デッキから一瞬切り取られたような夜空に煌々と輝いていた満月を仰ぎ、幸先のよい旅となりそうな嬉しい予感に胸がときめいた。



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