2013年1月31日木曜日

良いニュースと、悪いニュース




良いニュースと、悪いニュースがあるんです。
どちらからお話ししましょうか。

やわらかな笑顔が返ってくる。

閉店間際に慌てて駆け込んだ自動車整備会社にて。
うっかり電話が長引いて、
愛車を取りにいく時間を忘れてしまっていた。

ドキリ、とする。
スイッチを切ってもラジオの電源が完全に切れずに、どうやら電流が流れたままになり、
どうにかすると、エンジンがかからない事態になっていたことが判明しており、
ラジオの交換をお願いしていた。

まさか、エンジンか。
急速に疲れが襲う。
1500ユーロ近い出費となるのか。
眩暈さえ覚える。

そんなこちらの気持ちを知ってか、知らずか、
受付の丸顔の紳士は穏やかな口調で続ける。

では、悪いニュースからとしましょうか。
ラジオの交換ができなかったのです。
予定されていた品物の入荷が遅れてしまい、明日以降になってしまいます。

ああ、なんだ、そんなことか。
ほっとする。

では、良いニュースとは一体なんなのだろうか。
今度は、こちらが気になる。

ほっとした私の顔を見ながら、
丸顔の紳士は続ける。

良いニュースとは、今回のラジオの交換費用一切を、
メーカーが肩代わりするといってきていることです。
駄目元でメーカー側にリクエストを出したのですが、
先方から承諾の連絡が入りました。

おお、なんと。
そりゃあそうだろう。
よくよく考えれば、新車時代からもラジオの電源には問題があり、
近所の整備工場で見てもらったことさえあったが、
当時は、特に問題なしで、片付けられていた。

丸顔の紳士は、うれしそうに、さも自分の手柄の様に話を続ける。
いや、全く彼のお陰なのであろう。

この寒空に、汗が出るほど全速力で走ったことなど、気にならず、
一言電話連絡が欲しかったなどと、思いもせず、
感謝しつつ、今朝渡した鍵を返してもらう。

すっかり丸顔の紳士のペースとなってしまったが、
悪い気はしない。

こうして、ラジオもCDも使えない、
無音の世界の中で、
エンジン音にのみ神経を集中させアクセルを踏む。



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2013年1月30日水曜日

幸せ探しの旅




動かなくなった鉄の塊を相手に、
街が起き始めるまで冷たい車の中で待つことを、
ここ数日の間に2度も繰り返す。

以前だったら、
どうしたら会社に遅れずにたどり着けるか、
如何に時間を有効利用するか、
など賢明に考えたものだが、
今回は、そんな気にもならずに、
そんな自分を悲しく見つめる。

二回目は、流石に溜息が漏れ、
整備会社を罵る思いが膨らむ。
が、
親切、フレンドリーであること、と、サービスの質は比例しないし、
安いのは、安いなりの理由があるものだと、
変に納得する。

7時を過ぎても、
一向に街は起きないし、
夜の暗闇をまとった空の下、
通る車もない。

流石に子供のいる家庭は起きているだろうと、
2人目の近所の知り合いに電話をするが、
やはり、どうやら起こしてしまったらしい。
パジャマ姿だからと言う相手に大いに恐縮し、
ちょっと遠くはなるが、起こしても気にならない友人に電話をする。
案の定、寝起きの声がする。
30分は待ってちょうだい、との返事に、大きく頷く。

そうなのか。
7時は、未だベッドでぬくもりを楽しんでいる時間帯なのか。
もうすぐ、そんな時間が私にも訪れることになるのか。

と、先ほどのパジャマ姿と言っていた近所の知り合いから電話。
未だ助っ人が来ていないなら一っ走り寄るわよ、と心配して声を掛けてくれる。
3軒隣でもあり、ありがたくお願いする。

トヨタの新車がぬっと暗闇から現れる。
高校生のお姉ちゃんが昨晩、急性胃腸炎で吐き、
本人も小指の爪が剥がれたとかで、包帯をぐるぐる巻きにしている。
そして、会社から一日お休みをとったという。
そういう彼女に、申し訳なさで一杯になる。

バッテリーをつなげ、エンジンをかけると、
いつもの軽やかな音がして、エンジンがかかる。

鉄の塊が、自動車に変身する瞬間。

車の故障、なんて、些細なことなのであろう。
が、動かなくなった鉄の塊を前に、
本気で人生を止めたくなる。

それでも、
なんとか、かんとか修理し、動き出すと、
ああ、人生も同じかな、と。
辛いことがあっても、いつかは解決策が出てくるものなのかな、と。

人間は、いつの世も幸せ探しの旅を続けているのであろう。

山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う、
ああ、我、人と とめゆきて 涙さしぐみ帰り来ぬ
山の彼方に なお遠く、幸い住むと人の言う。

カールブッセ




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2013年1月24日木曜日

べたぼっちゃ



どんよりとした空を見上げる。
惨めで、悲しかった。

小学生の時の思い出が甦る。
詩の授業で、幾つかの作品を書いて、
授業参観で一人一人が発表。

年子で双子、三つ子のような団子きょうだいを抱える母は、
いつだって駆け足。
そのことを良く知っていらした先生は、
授業の終わりごろに母が来たときを見計らって、私を改めて指名してくださったたに違いない。

その前に既に二つ読んでいたが、
改めて一つ読むように、イラストが描かれた手書きのスライドがスクリーンに映る。

題名は「うわさ」
お習字の教室で、別の学年の子達がおしゃべりに余念がなく、賑やかにしている。
と、どうやら私の名前が聞こえてくる。彼女達の担任の先生が、放送委員の私のアナウンスが早過ぎて分からない、と批判していた、とか、そんなことだったのではないか。

勿論、詩だから、説明は書かない。
うわさを耳にして、
気持ちがしゅん、となって、
そこに一人だけ置いてきぼりになった、
そんな不思議な感覚を書こうとした。

実は、もう一つの詩の題名は「帰り道」
いつもの帰り道なのに、いつもと違って足が駆け出す。
だって、今日は、お父さんとお母さんが帰ってくる日だから、
とか、そんな甘ったるいもの。
駆け出すテンポを考えて、軽く書いたつもり。

でも先生は、母の前では「うわさ」をお選びになった。
子供らしく単純で快活な「帰り道」よりも、
深い心情を詠んだ(いや、そこまでの作品ではないか)ものをお選びになったのであろうか。

私の直情型の性格は、きっと、母譲りなのだろう。
あの時、授業が終わると、母が後ろからさっと寄ってきた。
恐い顔をして、あの作品はなんなのだ、と。
あんなものを書いているのか、と。

異様な親子の雰囲気を察してか、
別のお母さんが、とりなすように、とても明るく楽しい、もう一つの詩のことを口にする。

当然ながら、母にはそんな声は聞こえていない。

保護者会を終えて、夕方になって帰ってきた母から、
改めて、詩のことで話があった。

「詩」とは、楽しいこと、嬉しいこと、美しいこと、を詠むものであって、
読み手がそれを読んで、楽しい気持ちにならねばならない、と。

あの時、もう一つの詩を選んでくれなかった先生を、どんなに恨めしく思ったことだろう。
そうして、母の教えに、疑問を覚えながらも、私は頷くしか方がなかった。
母に反抗して、得をした例はない。
母に怒られることは長い地獄の時間を約束していた。

今なら分かる。
母は、あの時、心が凍りついたに違いない。
自分では守りきれない子供達。
悲しさに打ちひしがれても、
いつも側にいるわけでもないし、抱いてあげることはできない。

悲しい思いを詩にしてしまえば、
その思いは却って一人歩きして、堂々と当たり前のように闊歩してしまう。
感情に言葉をつけてしまえば、
その言葉が勝手に重みを持って圧し掛かってきてしまう。
その悪のスパイラルから、我が子を守りたかったのであろう。

以前、末娘バッタが学校の隅で一人で泣いていたよ、
とわざわざ会社のメールに知らせてきてくれたお母さんがいた。

心が凍りついた。

そうして、私がしたことは、
帰って先ず、末娘バッタを呼びつけて、
学校では泣くな、
つまらないことでは泣くな、
泣くときは、
親が死んだときだけにしなさい、
と、
泣きべそだった私に母が言った言葉をそっくり口にしていた。

母の教えは間違っていない。
楽しいことを、嬉しいことを、心浮き立つことを言葉にしよう。
楽しさが、嬉しさが、心浮き立つばかりに湧き上がってくるだろう。

見えないものも、見えてくる。
べたぼっちゃ。
べたぼっちゃ。

台湾の4歳になる姪っ子が歌っていたフレーズ。
一体、何語なの?と聞いたら、子供達がわっと笑って、
バッタ達が、ママ、英語だよ、と。

え?あ?
あっ! Better watch out!

You better watch out!
Santa Claus is coming to town.



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2013年1月22日火曜日

子が親を凌駕する瞬間



確か、あれは中学1年の冬休み。
母方の祖父が東京から遊びに来てくれていた。
確か、腰を痛めたかで、温泉転地療養。
下り線専用プラットフォームに着いた特急から降りた祖父と、
並んで階段を上り、
出口に繋がる上り線専用プラットフォームに下りた記憶がある。
あの時も、今も、駅のプラットフォームは2つだけ。
高校の3年間を朝夕通ったのだから、あの階段を千回以上上り下りしたことになる。

私は、この祖父が大好きだった。
とても勉強が出来て、本当は医者になりたかったが、
子供がいない親戚の家に跡継ぎとして養子に行ったので、
法学部に進まざるを得ず、それから、養父のチョコレート会社に就職。
戦争で中国に行き、大変な思いをするが、
それでも、漢詩の素養があったから、中国では敵からも可愛がられ、
(と、いうことは、捕虜になったのだろうか?)
集団で歩いているところを陰から敵に狙われるが、
たまたま足に怪我をしていたので、皆より一歩ずれた途端に発砲され、
弾丸は祖父の前をかすり、隣人は即死。

こんな話を幼い頃に聞かされると、
漢詩を諳んじて書ける祖父を偉大と思い、
ますます尊敬し、命からがら助かった話を聞いては
恐ろしさと、そんな幸運に恵まれている祖父への敬愛の念は強くなるのであった。

その後、学校で漢詩を習うと、
諳んじて書けるようにと、努力したものだが、
ちっとも覚えられず、戦争になったらどうしようか、と
本気で思ったものだった。

祖父の実家は日本海に面した漁村で、
少年時代に海に潜ってサザエや蟹を捕る話を良くしてくれた。
それから、『養子』という響きも、なんだか不思議に思えた。
子がいなかった夫婦は明治の時代に合衆国に渡り、
チョコレート製造の研究をしたというから、興奮以上のなにものでもない。

そうか、
あの頃から、海外への憧れが膨らみ始めたのか、と、今、気が付く。

祖父自身も、仕事の関係で、海外に行っていたように覚えている。
祖父は絵葉書を私たち3人きょうだいに送ってくれた。
ジュネーブからの便り。ブラジルからの色とりどりの絵葉書。
「目がしょぼしょぼです。」そんな書き出しで、3人の絵葉書を合わせると一つの便りとなる仕組みであった。

あれは小学4年のころだったか。
工場見学と題して、夏休みの自由研究が課されていた。
私は早速、母に祖父のチョコレート工場を見学したい、と伝える。
母は喜んで、祖父にお願いしてくれた。
そうこうして、詳しいことは忘れたが、夏休みも終わりの頃。
母が、あのレポートはどうしたのか、と聞いてきた。
祖父を頼りにしていた資料は、手元には送られてきていなかった。
未だ祖父が送ってきていない、とでも言ったのだろうか。
平手打ちが頬に舞い降りた。
いや、頬に激突。

今なら、良く分かる母の気持ち。

時々、英語で『ハーワーユー?』
なんて言うので、こちらは真っ赤になって黙ってしまう。
漸く小さな声でお決まりの『アイムファインサンキュー。アンヂュ?』
と言う頃には、祖父の姿はない。

おしゃれで、上品で、知的で、海外にも行っていて、英語が話せて、
何よりも、本気で魔法が使えると思っていた母の父親である祖父。

そんな祖父が、冬休みをゆっくりと一緒に過ごすという。
こんなに嬉しいことはなかった。

我が家での冬休みの娯楽は『百人一首』。
母からも祖父は滅法強いと聞いていたので、教えてもらおうと、毎日の様に祖父に手合わせをお願いした。
カードに書いたり、テープに録音したりと、必死に確実に取れる札を増やしていった時期。
そうして、遂に、源平で祖父を負かせてしまった晩、
なんだか、してはいけないことをしてしまった感覚に襲われる。

そうして、
冬休みが終わる前に、祖父はまた、駅のプラットフォームに立つ。
あの時、とても悲しくて、ずうっと、死ぬまでここにいればいいのに、と言ってしまって、
『死』という言葉が、異様に空気に浮いてしまい、
どう取り戻そうか、その場をどうとりなそうかと、必死になったことを覚えている。

今思えば、あの時が祖父があの駅のプラットフォームに立った最後となってしまった。

今年も、バッタ達と百人一首を並べる。
昨日は、息子バッタが読むとうるさいので、久々に取り手となる。
相手は、末娘バッタ。
何年ぶりになるだろうか。緊張が腕に走る。

最初はどんどん末娘バッタの札が読まれる。
札を追うときに、視力が落ちたことを嫌と知らされる。
『きみがため』
息子バッタの、たどたどしい声が聞こえる。
長くも、か、我が衣手、か。
『は』
同時に、はいっ、と末娘バッタの意気揚々とした声。
しまった!
我が陣営の札が、捕られてしまった。
まさか。。。

敵はそれに心を許したのか、
それで満足したのか、
或いは、
私の闘争心に漸く火がついたのか、
それからは、こちらのほぼ一人勝ち。

まだまだ、負けられやしない。

祖父を懐かしく思いつつ、
気持ちを引き締める。

バッタ達よ、
やすやすと母を負かせられるなぞ、ゆめゆめ思うなかれ。


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2013年1月18日金曜日

宙に浮いたままの心


気持ちは常に空回り。

伝わらない心。
なんとこの世に多いことか。

喧々諤々と、
卓袱台ひっくり返すかの勢いでの討論、激論。

原則論が三戸黄門様の印籠の如く掲げられ、
心が見えない結論に達してしまう。

民主主義?

形にできずに、宙に浮いたままの心。

夜の間に氷結させて、
早朝に、
がりがりと削ってしまおう。



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2013年1月16日水曜日

天上界からの贈り物




オレンジの外灯が
道路のあちこちでダイヤモンドの輝きを跳ね返している中、
滑らないように真っ白な塊に近づく。

霙から雪に変わったらしく、
雪の固まりの下は氷。

ガリガリと削る様はさながら夏のカキ氷。

幽玄とは何ぞや。
昨夜、長女バッタに質問され、
さて、解説しようとしたが、言葉足らず。

それを受けてか、
夜のうちにセッティングしてくれた如くの
今朝の世界。




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2013年1月10日木曜日

愛だよ、愛。。。



『いや、結構。こちらで手配した。』

そんな他人行儀で、
無機質な返事に血の気がなくなる。

あらゆる思いが旋風のように頭を駆け巡る。

気弱になっている今だからこそ、
すがるような思いで出した提案だったのに。

『それは結構。迷惑だったのであれば、失礼。』
そう書き始め、消してしまう。

『了解。
それにしても、とっても冷たい返事ね。』

送信してから、
この件を先に話題にしたのはそっちじゃないか、と思いつく。

慌てて改めて携帯を手に取る。
『迷惑そうな感じだけど、そちらが、先に提案したのよ。
計画変更ってわけね。』

それから、
ぐったりとし、思考停止。

と、返事。
『ごめん。今、ストレス絶頂。冷たくしたかったわけじゃない。』

パシンと何かに打たれた思い。
そうか、ストレスを感じて大変なのは、私だけじゃない。
時間との戦いに奮闘している人もいる。

挑戦する意欲は、根拠なき自信から出てくるらしい。
そんな根拠なき自信を裏付けるべく努力を怠らない、そんな年にしたいと思っていた矢先。

根拠なき自信なんて、簡単に吹っ飛ばされる。
それを支えてくれるのが、家族、仲間、
愛だよ、愛。。。(『千と千尋の神隠し』に出てくる釜爺のセリフ)

愛し、愛される、
そんな年にしたい。

そう思いつつ、
携帯を手にSMSを打つ。

『突っかかってごめん。仕事で超ストレスを感じていたのは私。ビズ。』



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小糠雨



十分に暖められた部屋で
昨夜の夢のぬくもりを手離さないように
サーモンのタートルネックに
グレーのストッキング、
黒のストレートパンツ。

ダウンコートに身を包み、
マフラーを巻き
ぴったりと手に張り付く革の手袋を。

隣の家の場違いのような玄関の照明が、
ヘーゼルナッツの木の影を
壁に大きく落としている。

それでも、外は闇の中。
いや、それだから、外は一層闇。

ふと、歩みを止める。
目を瞑り、額を空に向ける。

小糠雨。。。
ひんやりとした控え目な暗闇からの恵みに
跪かんばかり



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2013年1月5日土曜日

加油(チャーヨ)!



年の始めにしては暖かな日々が続いており、
その気になっては寒さで萎んだバラの蕾の傍で、
新たな蕾が膨らみかけている。

ぐっしょりと湿り気を帯びた枯葉の絨毯には
パッチワークのように春先の雑草が緑の固まりを作っている。

久しぶりの一人の朝を
前日の余韻と、これからの予感に浸りながら、
ぼんやりとノエルのスパイスの香りふくよかなブラックティーを飲んでいると、
携帯が鳴る。

バッタ達の父親。

このところ、仕事のことで親身に相談に乗ってくれており、
実のところ、最初こそお節介さを煙たく思い、
最も助けなど求めたくない相手から援助を受けるのか、
との拘りもあったが、
素直に助けが欲しかったし、
本当に困ってもいたし、
契約や制度に関しては非常に明るく、
交渉に至っては、
彼が求めて得られないものはなかったのではと思われるほどの手腕を発揮していたので、
ここは、有難く支援をお願いすることにしていた。

バッタ達にも良く言っている。
パパは大した人物だし、パパの文章力は凄いから、パパから多くのことを学びなさい、と。

そうして、どうやら、彼の支援を有難く頂戴することを
彼は非常に喜んでいる風でもあった。

さて、昨日相談した内容に問題があったのか、
と、訝しげに電話に出る。

「邪魔した?」

珍しい。
大抵は、どのフランス人にも見られるように、先ずは「ボンジュール」から入るのに。
まあ、そんなことはどうでもよいか。
こちらは、恋人とゆっくりと朝のまどろみを楽しんでいる状況でもない。
そうであったら、電話など、出るわけがない。

そんなこちらの勝手な思いを蹴飛ばさんばかりに、興奮した調子で彼は話し始める。
どうやら、息子バッタの言動が思わしくないらしく、嫌な週末を過ごすぐらいなら、これから息子バッタを私のところまで連れてくるという。

さもありなん。
詳しく聞いてみると、何を言っても我を通す息子バッタにお手上げとのこと。
ヤツは泣いて抗議しているに違いない。
換わって貰うと、
やはり、泣きじゃくってパパに非があるとばかりに喚いている。

そうか、そうか、
と暫く話を聞いてやる。
そして、その場にいるという長女バッタに電話を交換してもらう。

「いつものことだよ。」
冷たい彼女の声が響く。
審判の彼女の一声で、全てを把握した気になる。

もう一度、息子バッタに電話を換わってもらう。

ヤツは未だパパの悪口を言っている。
「ボクが10分かけて仕上げた文章を、酷い出来だと評し、書き直させて、
挙句、訂正した文章を、何も分かっていないと、こっぴどく批判するんだ。
どこが間違っているか、なんて、何も教えてくれないで、パパの言うことをちっとも聞かないと怒るんだ。」

ママのところに、これから来る?

「うん。」

ママは、嬉しいわよ。
でもね、ママは、日本語も、英語も、数学だって教えてあげられるわよ。
ただ、フランス語はパパの方が出来るし、ママにはパパ程には教えてあげられない。それでも、いいの?
フランス語で文章を書くことは、フランス語の授業だけではなく、歴史だって、地理だって、物理、生物、数学にだって必要な能力なのよ。
とっても大切だと思う。

ねえ、ママだって、出切れば一人で頑張りたいけど、
今、仕事のことで、パパにとっても助けてもらっていること、知っているでしょう。

謙虚にならなきゃ。
教えを乞わなきゃ。

パパはあなたのことを大切に思っているからこそ、頑張って欲しいからこそ、色々言うのよ。素直になって、分からなかったら、分からないからもう一度教えてください、ってお願いしなきゃ。

どう?
ちゃんと、教えてください、ってお願いしてみる?

受話器の向こうから、穏やかな呼吸が聞こえてくる。

パパに換わって貰う。

彼は未だ興奮気味。
いつだって勉強するのは女の子達。息子バッタは3分で片付けてしまい、後は何もしない。
その結果が、この有様。しっかりとフランス語で発表もできない。
昔は書く力も発表能力も素晴らしかったよ。
彼の力は下り坂だよ。

そう喚く。

分かる、分かる。そうなんだよね。
でも、それをあの子に直接言ったの?
彼、それで、よし、って奮闘すると思う?むしろ、辛く、悲しく、俺は駄目なヤツだって思うんじゃないかな。
あの子、声変わりもしたし、背も高くなったよ。
でも、未だ13歳。
そして、きっと、他の子よりもデリケートで幼いの。もっともっと、愛情に飢えているの。
パパからも認められたいと思っているのよ。
褒めて、褒めて、煽てて、勉強意欲を誘ってあげて。

「え?何て言った?」

ちょっと驚いたらしい。
もう一度、ゆっくりと繰り返す。
パパから、認められたいと、パパから愛されていると感じたいのよ。

「わかった。もう一度、話し合ってみる」

何かあれば、迎えに行くわ。
そう言って電話を切る。

曇り空の下、
久々の買い物に出る。

迎えに行ってあげたかったな、と思う。
そうしたら、二人で楽しく買い物ができたのに。

スパゲッティを選んでいるときに受信SMSに気がつく。

「上手くいっている。さっきは、彼と話をしてくれてありがとう。」

加油(チャーヨ)、加油(チャーヨ)!
突然、掛け声が甦る。

台湾の姪っ子の野球の学校対校試合で、
応援合戦になった時の掛け声。
どうやら、頑張れ、という意味らしかった。
なるほど、油を加えるのか、と漢字の国の発想に頷いたもの。

加油(チャーヨ)、
自分自身に言い聞かせながら、ハンドルを握る。

加油(チャーヨ)、
加油(チャーヨ)、
加油(チャーヨ)!!!


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謹賀新年




脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」、「不老不死」などの象徴とされる蛇。巳年にあたり、この蛇の生態にあやかって、旧態然とした考えを脱ぎ捨て、心機一転、新たな世界に踏み出す勇気を! 

新年が皆々様にとりまして、福々しいものとなりますようにお祈り申し上げます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。




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