2014年10月30日木曜日

はりねずみ



青白い蛍光灯の最終バスから吐き出され暗闇を歩き始めると、すぐ先を何かが動く。ねずみにしては大きいと、ぼんやり思っていると、すぐ足元まで動いてくる。手のひらに乗りそうな小さなはりねずみ。

はりねずみさん。
どうかすれば、泣き崩れそうな不安定な心に、柔らかな思いがじんわりと広がる。
そうか。元気づけに来てくれたのね。

ありがとう。
『仕事で批判された時には、決して自分の性格を批判されたなんて思っちゃいけないよ。君はとっても素晴らしい性格を持っているんだ。君は素敵な人なんだよ。それを忘れちゃいけない。』

ありがとう。
何とか頑張るよ。

10月の末にしては暖かな夜。

暗闇のどん底から少しだけ這い出せたように思われ、足取りも軽く家路につく。





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2014年10月26日日曜日

夜汽車



なんだろうなと考えてみる

朝の暗闇を星明かり頼りに出社し、
最終バスも出てしまい、タクシーさえもない夜道を歩いて帰ることも少なくなく、
週末も片付けられなかった仕事を手にする。

実は報酬はこれまでが特殊な世界だったのか、今が厳しいのか、これまでの半分。

それでも、何故にそう仕事をするのか。


多分、満足感を得るためなのだと思う。
中途半端なままでは自分が納得しない。

更に言えば、幸せを感じ取るため、か。

見合った報酬は欲しいが、だからと手を抜くことはしたくない。


矜持。

そう、自分が手掛けている仕事として誇りを持って臨みたい。

そうじゃなかったら、生きてきた意味がない。

生きている価値がない。



こんな風に思えることって、ひょっとしたら幸せなことなのだろうと思う。だから、今に感謝している。


お目出度い人間、
それが、私。



夜汽車に揺られながら、ふっと頬を緩ませる。








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2014年10月25日土曜日

香ばしさに包まれた秋の夜



ママのこと待っていたよぉ。
香ばしさが家中を包んでいる。こんなに遅くまで待っていないで、さっさと食べて、との思いも一篇に掻き消えてしまう。オーヴンには鶏の腿が黄金に色付いている。

レンズマメ、ズッキーニと人参と長ネギのソテー。なかなかどうして立派なもの。鶏の味付けを聞くと「ヴァニラ味」、「キャラメル味」、「チョコレート味」とバッタ達が口々に勝手なことを言う。なんだか最近妙に大人になって、変なママの真似をするから手に負えない。当たり前のことを聞いてくれるな、といった時には、大抵とんでもない答えをしていたツケか。

と、テーブルの中央に、これまたこんがりと色付いた、若干沈没しているケーキが鎮座している。ほぉ、中にカスタードクリームでも入れるの?と、言えば、末娘バッタが必死の面持ちでベーキングパウダーが多過ぎたの、と主張。いや、そのぉ。ベーキングパウダーなるものの働きをちゃんと教えてあげなきゃなるまい。「違うのよ。最後まで待たなかったからだよ。オーヴンの中ではふっくらとしていたもん。」とは、長女バッタ。いや、時間通りだったと末娘バッタ。

にやにやとしながら会話を聞いている。料理上手になるには、経験が大きな決め手となろう。レシピ通りではなく、その日の天気、気温、オーヴンの調子、材料の質、などたくさんの要素によって結果が変わることの妙を肌で感じ取り、応用していかないと。

それにしても、何味なのか。

「えっとねぇ、『R』から始まる、かな?」と、長女バッタ。

Rねぇ。。。
一口食べてみる。歯が痛くなるほどの甘さが押し寄せるが、とても良い風味。「はちみつケーキ?」

「Rhachimitsuねぇ。まあ、言えなくはないけど、違うよ。」ニタニタしている。

二口目で、ああ、これはレモンの香りだ、と思う。
末娘バッタが、今度は泣きそうな顔で、レモンの半分が皮が変になっていて使えなかったこと、だから分量通りに入っていないこと、を告げる。
大丈夫、十分美味しいよ。それより、お砂糖、どれぐらい入っているの?

聞いてみると、小麦粉120gに対して砂糖230g。
おおっ!これはちょっと甘すぎたねぇ。それでも美味しいよ、ありがとう。

バッタ達が賑やかにフランス特有の『quatre-quarts』について好き勝手に話している。卵、バター、砂糖、小麦粉、この4つの材料が同じ量だから、4分の1が4つ、といったネーミング。末娘バッタのケーキは、砂糖が小麦粉の二倍だから、これは甘すぎと言えよう。カップ一杯づつの間違いだったのかな、とちょっと思う。が、まあいいか。

えっ?で、なんで『R』から始まるの?レモンでしょ?

「今頃気が付いている!」長女バッタと末娘バッタが顔を真っ赤にして大笑い。

ん?ん?ん?
あっ!そうか!「Remon」なわけね。日本人が『R』と『L』の発音を区別しないこと(聞き取れないこと、発音できないこと!)を笑いものにしたわけね。

やれやれ。君たち、ママをそう馬鹿にしちゃあいかんよ。
そう思いながらも、こちらもつられて笑ってしまう。だって、本当に『R』と『L』って区別できない。しょうがないよ。笑うしかない!

こうして秋の夜が更けていく。







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2014年10月20日月曜日

流れ星




小さな掲示版が白く光を放っている他は、星明かりが頼りの夜のバスターミナル。


一人で待つことは、ちょっとした勇気が必要。いつもは最終バスに乗り遅れまいと、人々が走ってきたり、疲れて泣きべそをかく子供の声が耳障りだったりするのに、その日は誰も現れない。


なんだか、世の動きに取り残されてしまったかのよう。


歩った方がいいのだろうか。そう思っていると、漸くヘッドホンをつけた若者がやってくる。大声で、最終バスはもう出たのかと言う。運行表によれば、取り敢えず5分後にはバスが来ることになっていると告げると、ギョッとした様子で見つめてくる。その間も話は途切れない。


変な若者は、すっとどこかに消えてしまう。


おかしな夜。


ほとほと歩こうかと思っていると、先程の若者が、女友達を連れてやってくる。


ああ、そういったことだったのか。ヘッドホンで音楽でも聞いているのかと思ったが、電話をしていて、通話相手への質問に、私が答えてしまったのか。


突然現れたかのように、バスが目の前に停まる。


一日の疲れを抱きしめて、明るい蛍光灯の中に吸い込まれ、
流れ星よろしく暗闇に消える。





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2014年10月19日日曜日

期限厳守




ここ数日、寝ている間も作業の夢を見、
残る一日となる今日、髪振り乱し、朝からインスタントコーヒー三杯で繋ぎ、
今、漸く、完成。

完璧ではない。
完璧なものなど、この世にはないことは、既に悟っている。
決して開き直りではない。

守るべきもの。
それが期限である場合もある。

とにかく、やり終えた。

信じられない。

ああ、漸く掃除ができる。

飯より、掃除とは!

そして、ゆっくりとお風呂に入って、「ごしょらく(後生楽)、ごしょらく(後生楽)」と唱えよう。

ああ、久々の達成感。





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2014年10月17日金曜日

似て非なるもの





雨が降るたびに秋は深まる。

森では、ばらばらと栗が落ちてきて、イガの中から艶やかな茶色の実を幾つものぞかせている。胡桃の実も、ぽとんぽとんと落ちてくる。子供たちのポケットがリスの頬の様に、ぷっくらと膨らむ時期。真っ赤に染まった掌の大きさの葉、濃い黄色の葉。どんぐり。



故郷の秋に思いを馳せる。山はすっかりと趣を変え、道は赤や黄色の絨毯に彩られる。

当たり前のように享受していた日本の秋をバッタたちに見せてあげたいと思う。



マルシェにも秋の香りが満ちている。

大きなオレンジ色のカボチャ、飾っておきたい程の様々な形と色をしたカボチャ。バッタたちに、日本のホックリとして甘い栗南瓜を食べさせてあげたいと思う。

茸コーナーでは、種類がいつになく豊富。

セップに目がいく。トリュフ程ではないが、フランスでは高級な茸として分類されようか。それでも、セップのオムレツなど代表料理は庶民的。いつの頃からか、このセップを日本の松茸の様に思い始めていた。多分、人々がセップについて話す時の思い入れが、日本人が松茸について語る時の様子に似ていたからだろう。値段だって、普通に手に入るシャンピニオンとは比べられまい。



柚子の香りと松茸。土瓶蒸し。
子供ながらに、贅沢だと思っていた。一人ひとりに小さな土瓶。蓋の上にちょこんと載っている、これまた小さな受皿に、土瓶から香り豊かな松茸のお吸物を注ぐ。そのお味ときたら、豊潤な秋を凝縮している。

紛いなりにも、このお吸物をバッタ達に味あわせてあげよう。

おもむろにセップを手にする。これまで、マルシェで買ったことがなかったが、贅沢への抵抗感がなかったとは言えまい。しかし、バッタ達に贅沢を経験させるのも、親の務めではあるまいか。

そうして、丁寧に出汁をとり、薄っすらとセップを切り、お吸物を作る。セップの笠がどうもしゃんわりしていることが気になるが、さてさて。

バッタ達はママがまた何か新しいことをしていると期待に満ちた面持ちで揃っている。

湯気には幸せ感をもたらす何かがあるのだろう。一口含んで、これはいけると思う。

美味しいっ!
声が挙がる。が、すぐにトーンが曖昧になる。具を口にしたバッタ達が、これは何だと訝しがっている。

ママ、何入れたの
えっ?セップぅ?
ニヤニヤしている。

ママ、今度はオムレツにしてね。これはオムレツ向きだよ。

長女バッタがつなぐ。

まさか。
慌てて口する。
とろりととろけんばかり。

おおっ。

セップと松茸は似ても似つかぬ別物。何だってこれまで一緒だと思い込んできたのだろう。西洋カボチャと栗カボチャの違いどころではない。

人間、謙虚でいなければ。これまでの知識なんて、思い込みの積み重ねに過ぎまい。ふやけた味のセップを口にして、しみじみ思う。

さて、次回はオムレツとするか。






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2014年10月12日日曜日

鍾乳洞の住人




ライムストーン。
やけに優しい響きではないか。
建築用石材で一番柔らかく、吸水性高く、柔らかな色調と暖かい質感が特徴。建造物に使われている。いわゆる、石灰岩。石灰岩の主成分である炭酸カルシウムは雨水に溶解するため、溶食によってドリーネや鍾乳洞を造り上げる。

ヨーロッパの水が硬質であることの要因にもなっている。濾過水を使用しても、いつの間にか鍋には白い線がついてしまう。カップに紅茶が残ってでもいようものなら、すぐに洗浄しないと、カップに色がついてしまう。洗濯機の調子が悪くなったり、洗濯しても綺麗にならなかったり、石灰が日常生活に及ぼす影響は計り知れない。

それが、ライムストーン。

この夏、我が家にキノコが生えてしまう事件が起きるが、実はこれもライムストーンが原因。配水管のジョイント部分に石灰が溜まり、水漏れが生じてしまっていた。特に気にしていなかったら、いつの間にかタイルの隙間から床下に漏れ、木のフローリングの一部を駄目にしてしまっていた。手ごわそうな水漏れと判断し、水道配管工に来てもらおうと思うも、足元を見られ、法外なる金額を請求された前回の失敗が忘れられず、困り果てていた。

こんな時は前の家のマダムに話してみるのが良い。案の定、彼女の家に知り合いの配管工が来ると言う。その際に我が家にも寄ってもらうことにした。生憎、週日の午後。学校が早く終わるという息子バッタに小切手を渡し、値段の交渉の時だけ電話をしてくるように指示しておいた。

さて、当日。夕方になっても連絡がないので、我が家に電話をすると、あまり要領の得ない返事が返ってくる。どうやら、何もしないでムッシューは帰って行ったらしい。原因は石灰であり、お酢を使って除去すれば、水漏れはなくなる、と。

そんものかと思ったり、呆れたり。一体、それで本当に何とかなるのか。
兎に角スーパーに飛んで行き、棚にある酢のボトルを買い占める。

それから二週間。いや、三週間か。それまでに何リットルのお酢を使ったか。我が家に酢の匂いが充満してしまった頃、問題の配水管を調べると、驚くことに動き始め、緩みを締めると、水漏れをしなくなったように思われる。

お酢のボトルを15本使ったとしても、せいぜい7ユーロ。これで水漏れが改善されたのなら、安い買い物ではないか。

すると今度は、温水器に問題があるらしい。最初はバッタ達の無駄遣いかと思っていたが、お湯がお風呂に十分な量がない。そして、温度も低く、これから寒い時期に差し掛かるにあたり、どうも心もとない。

恐らく、ライムストーンの仕業と思われる。タンクにびっちり石灰が溜まり、タンクの容量が少なくなったのではないかと睨んでいる。しかし、こればかりはお酢で処置するわけにもいくまい。いや、タンクにお酢を入れてみるか。。。

なんだか、我が家のフローリングもライムストーンに思えてくる。そうなると鍾乳洞に住んでいたということか。いやはや。






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2014年10月8日水曜日

外は雨




時に子供は親を奈落の底に突き落とす


あどけない、つぶらな瞳で末娘バッタが尋ねる。
「ママ、戦争の罪ってなあに?」

これは試練なのか。
母親への挑戦なのか。

言葉の問題なのか。
心の問題なのか。
精神的成長の問題なのか。

12歳の子供なら戦争とは何ぞや、社会的影響、個人への影響に一度ならずも思いを馳せてしかるべき。

その過程を踏んでこなかったのか。

それとも、末っ子にありがちな、何も知らない、分からない姿勢が抜け切れていないのか。
或いは、自分なりの答えがあって、後で褒められたがっているのか。
ひょっとすると、母親と思想の討論をしたいと願っているのか。
いや、やはり本当に分からないのか。

呆然とする間にも、言葉の嵐を降らせてしまう。
今度は、彼女が奈落の底に突き落とされる。

外は雨
皆既月食も拝めまい

マサーラチャイを作って
スパイシーな甘い香りに包まれて
彼女と戦争について語ろう
いや、平和について語ろう




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2014年10月5日日曜日

冷えたロゼ



気が付くと予定の時間をすっかり過ぎている。何かに熱中すると途中で終えることができない。それでも、今日は本当に終えないと。慌てて形を作ってメール送信。歩きながら送信文を確認し、漏れていた情報に気が付き、書き直して再送。相手にもその旨SMS。

それからどうやって電車を乗り継いだのかは定かではない。記憶は全体像よりも一部の思考のみを捉えて蓄積されるらしい。車の中で月がいつまでも見え続けたことは記憶にある。そう。車を運転するって、自分の空間を味わえ、十分に空や月を楽しめる解放感と充実感がたまらないとひとりごちたことは鮮明に覚えている。

約束の時間をちょっと過ぎて待ち合わせの場所の近くに来るも、駐車場は満杯。夜の9時半なんて、8時過ぎから食事をしている人たちが未だ重い腰を上げずに、すっかりと居座って楽しんでいる半端な時間帯なのだろう。こうなると、どこでもいい。とにかく駐車場が充実しているドライブインでいいのではないかと思ってしまう。

「どこにも駐車スペースがないの。」半ば泣きべそをかいて伝える。どこでもいいから、駐車場のあるところにしようと言ってみる。

「そうだね。それでもいいよ。」

それでもいいよ、という返事は、そうか、それは残念だね、に通じるものがある。どうやら相手も近くまで来ていて、駐車スペースを求めて街中まで入っているらしい。

「分かった。もうちょっと探してみる。」

先程通り過ぎた時に、目的地よりもちょっと前にスペースが一つあったように記憶していた。そこを試してみようか。大きくユータンし、暗く光るセーヌの川面に沿ってすべるように走る。と、携帯が鳴る。

「何しているんだい。こっちは見つかったよ。」

その勝ち誇った声に、カチンとくる。後ろの喧騒から、既にレストランにいるのだろうか。

「分かった。今すぐ行くから。」

そろそろ先程のスペースがある場所まで戻ったろうか。大きくユータンし、徐行。どうやら、一台分のスペースが残っている。駐車には瞬時の判断が鍵。機会を逸してしまうことが多いのは、どうしようと迷っている間にも、車は進むからだろう。これなら始めからここに停めれば良かったのに。後悔と共に、ちゃんと駐車できたことに安心する。さあ、走らないと。

レストランの前では女性が二人紫煙をくゆらせている。しっかりとした木製の扉についている金のノブを押して中に入ると、異空間が待っている。さっと目を走らせる。いない。店の奥まで足を入れるが、どこにも姿はない。

店員が先程の電話予約なら、誰も来ていないと告げる。

慌てて電話をする。
どうやら相手は私の分まで駐車スペースを見つけ、そこで待っていたらしい。それならそうと、最初から言えばいいのに。いや。すぐに電話を切った私がいけなかったのか。兎に角こちらはレストランにいる旨伝えると、すりガラスの向こうに歩いてくる姿が目に入る。

お互いに笑い合って隅の席に陣取る。
それからは会話に夢中になって、次の記憶は口当たりの良いクスクスと旨味たっぷりの野菜スープの味。そして、冷えたロゼ。外には大きな半月。





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