2021年7月31日土曜日

深紅の薔薇

 





緑濃い庭の片隅で深紅の薔薇が一輪だけひっそりと咲いている。


前の家主ご夫婦が丹精込めて作り上げたお庭。春にはクロッカス、水仙、ヒヤシンス、チューリップと咲き、サクランボ、ミラベル、クエッチの花がにぎやかに、軽やかに咲き誇り、次いでリラが香る。5月にはスズランが可憐な白い花を鈴なりに並べ、薔薇が咲きだし、卯の花が甘く切なく薫ることで初夏の訪れを知る。見事な大きさの牡丹が咲き、芍薬が甘い香りを届け、いくつもの背の高い菖蒲が丸く円を描いて咲く。紫陽花が大輪を咲かせる頃には、庭の奥で枇杷のオレンジの実が膨らんでいる。


どうしても手入れが行き届かずに、ダメにしてしまった木もある。椿、皐月、そして藤。


できるだけ、ご夫婦の思いを引き継ごうとしているが、そう簡単なことではない。そんな中、どうしてここに、と思われる場所に一株だけ薔薇の木が植えてあり、毎年、一輪だけ、ひっそりと深紅の花を咲かせる。


その孤高の高貴さに、思わず見入ってしまう。


マダムはお元気だろうか。15年以上も前のことながら、初めてこの家を訪ねたことを鮮明に覚えている。「家が家族を選ぶのよ。」そう言って、嬉しそうに3人の幼いバッタ達のいる我々に、家を渡すことをすぐに決めてくれた。


一度だけ、近くに来たからとご夫婦で立ち寄ってくれた。ご主人が大病をし、もしものことがあったら、マダム一人で一軒家に住むことになってしまうので、今のうちにパリにいる娘夫婦の近くに住むことにした、というのが引っ越しの理由だった。パリのアパートには庭がない、とご夫婦がひどく残念がっていたことが印象に残っている。


帰りに、庭の卯の花の枝を数本切ってお土産に手渡すと、真っ白な花に顔を埋めてマダムは喜んでくれた。


その後、風の便りに、ご主人が亡くなったことを知った。マダムは脚が悪くなり、なかなか一人で外出もままならないらしいと聞かされた。


あの頃、私自身に心と時間の余裕があれば、庭の薔薇の花束をお届けしたのに。


この深紅の薔薇を見ると、何故かマダムのことを思う。娘さんご夫婦の近くに住んでいるのだから、寂しいことや、困ったことなどないだろう。でも、きっと、残していった庭の花たち、木々のことを思い出しているに違いない。


マダム、よろしかったら、遊びにいつでもいらしてください。


さあ、明日からまた雑草取りに精を出すかな。



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2021年7月29日木曜日

エトルタ讃歌

 




季節の違いはもちろんのこと、満ち潮、引き潮、時間帯、その日の天気によって、こうも景観も印象も違ってしまうのも面白い。


初めての出会いはクロード モネによる「エトルタ」。実際のところ、モネは朝、昼、夕方、嵐、凪など、多くの違った環境下の「エトルタ」を色んなアングルで沢山描いている。そして、その連作のうち、どの「エトルタ」が私にとっての初めての「エトルタ」であったかは、覚えていない。




象の鼻の形をした白亜の断崖のアーチが眩しかったことが強く印象に残っている。






潮風に髪を乱されながら実物の「エトルタ」と出会った時は小雨が降っていた。未だ行ったことがないので是非行きたいと言うと、あまり良い思い出はないと言いながらも、友人が車を出してくれた。


20代の頃大失恋をし、失意のどん底にいた時に、母親と一緒に訪れたと言う。あの断崖からいっそ身を投げたらどんなに楽だろうと思い、死をも考えたが、その前に美味しいものをお腹一杯食べようと、レストランに行き、蟹、伊勢海老、ラングスティーヌ、牡蠣、巻貝の豪華海鮮盛りを注文し、シャンペンで乾杯し、高価な白ワインを開けたと言う。母親と一緒に黙々と食べているうちに、お腹が満ちてきて満足感が顔をもたげ、死のうとしていたことが非常に馬鹿らしくなって、最後は自分でも自分がしていることに笑ってしまい、母親と楽しいひと時を過ごしたとか。


どこまで本当なのか、笑っていいのか、同情すべきなのか、判断に大いに迷ったが、黙って聞いていた。


今思うと、バッタの父親に出ていかれてしょんぼりとしていた私を慰めてくれたのだろうか。何があっても、先ずは美味しいものを食べて元気になるべし、との逸話。「エトルタ」に行くたびに、この話を思い出す。この話の方が強烈で、その時のエトルタの印象は余りない。小雨だったので、ちょっと降り立って象の鼻のアーチを拝んで、そそくさと車に戻ってしまったように思う。いや、流石に断崖の上までは歩いただろうか。






次の思い出は長女バッタが北京の留学先から戻って来た夏。母と一緒に三人で来ている。とても晴れていてトルコブルーとエメラルドグリーンの海の色が印象的だった。断崖の上の教会まで歩いて行き、その後母の大好きなムール貝を昼食にとり、午後はゆっくりと象の鼻のアーチの断崖が良く見えるところまで断崖の上を海岸線に沿って歩いた。


ピンクや黄色の高原植物の花が可憐に咲いていて、海の青と空の青との狭間に柔らかな色彩をもたらしていた。


あの時はアルセーヌ ルパンの作家、モーリス ルブランの旧邸宅も訪問している。ルパン大ファンの母が大いに喜んでいたことは言うまでもない。






その後、末娘バッタと今年に入って行っている。あの時は友人夫婦も一緒で、小石の海岸で寝そべってサンドイッチを頬張った。オリビエのフランクフルトをカモメがさらってしまい、驚くやら、大笑いするやらのハプニングもあった。






エトルタの海岸は砂浜ではない。丸い小石が敷き詰められている。だからか、海水は非常に透明度が高い。エトルタからディエップに向かっての海岸は皆小石の様に見受けられた。一方で、オンフラーからドーヴィルの海岸は砂浜。






今回、エトルタが初めてという息子バッタも伴って、家族4人揃っての散策。夕方5時にきっかりと仕事を終えた長女バッタの運転で小一時間走る。エトルタは快晴とは言えないも、ちょっと風がある程度で散策にはぴったりの天気で我々を待っていてくれた。こんな時、フランスの夏の日の長さに感謝してしまう。


夕陽が差す断崖は亜麻色に染まり、優しく、静かだった。






海岸線に沿って草原に寝転がったりしながら、断崖の上を長いこと皆でふざけ合いながらおしゃべりして歩いた。どうやら天気予報は予告の時間だけ間違えていて、雷雨になることは間違いないようだった。そろそろ戻ろうかと、今度は海岸線からちょっと中に入った道を歩いた。






急に太陽がぎらっと出てきて、空が青く光る。雨雲を蹴散らす強烈なパワーを放っていた。


惜しみながら海辺を後にし、末娘バッタのナビで街中のビストロに向かった。



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2021年7月28日水曜日

雑草天国

 




久しぶりに足を踏み入れると、そこは既に違う世界が広がっていた。

知った道である筈なのに、こうも景観が変わってしまうと迷ってしまう。しばらく行くと広場に出て、案の定行き止まりとなってしまった。以前、こんな広場があっただろうか。


どこで間違ったのだろうか。茶色の土肌が剝き出しで見えていた、ちょっとした崖を思い出した。マウンテンバイクの通り道かと思ったが、そこを思い切って上りきるべきだったのか。


携帯の振動でメッセージを受信したことが分かり、誰かと思って見てみると自宅で仕事中の息子バッタ。「ママ、どこ?」


ピンクの薊の花の写真に「ここ」と書き、返信する。


しばらくしてから、友人から同じようにメッセージ。どうやら、夕方おしゃべりに立ち寄ってくれたらしい。呼び鈴を鳴らしても誰も出ないので、勝手に家に入って涼んでいたという。二階で仕事をしている息子バッタは、私が不在であることを知らなかったので、私が対応してくれているものとばかり思っていたらしい。


お茶でもご馳走しなくちゃ、と駆け足でUターン。日本に駐在することになったので、自宅を貸すことにしており、今引っ越し作業で大忙しの彼女。ビザがなかなか下りずに、7月出発の予定が8月末になっていたが、家は既に8月1日から貸す契約を交わしていたので、日程調整におおわらわ。家具や荷物は既にノルマンディの別荘と日本行きの倉庫に送り込まれていた。


よかったら、我が家に泊ってと申し出ていたが、パリ市内にAirBを借りたらしい。8月からはノルマンディの別荘に住むと言う。バリで建築デザインの仕事をしている彼女の長女がバカンスで戻っているし、週末にはバーミンガムでジャズギターを学ぶ息子も帰ってくる。


最終点検と掃除を兼ねて今朝は家に戻っていた彼女。冷凍庫の整理を忘れていたからと冷凍食品をたんまりもらったばかりだった。どうやら電気系統でも問題があるらしく、空っぽの筈の家は電気技師やお手伝いの人々でにぎわっていた。


ビザ申請に必要な重要書類を日本行き荷物に間違って詰めてしまったことが判明し、倉庫に行って荷物の点検をしなければならないと嘆いていた。段ボールの数が数だけに、3人の人出を要するので、新たに費用が5万円ぐらいはかかるらしい。しかも、倉庫はパリの郊外、オルリー空港の近くというから泣けてくる。


そんな彼女を労い、話を聞いてあげなきゃ。勝手に家に入ってくつろいでいたという彼女の姿が目に浮かぶ。遠い昔、車で家に戻った時に、彼女の車が我が家の庭の駐車場に停められていて、驚くやら困るやら、彼女らしいやらで大笑いしたことを思い出す。自然に笑みがこぼれてきた。






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2021年7月27日火曜日

心頭滅却

 





久しぶりに、中身のない、からっぽな自分と向き合ってしまう。

つまらないことにこだわっている自分に戸惑い、その原因を知っているだけに、呆れてしまう。


料簡が狭く、惨めことこの上ない。


ここから這い上がるには、自分磨きしかあるまい。雨が降ったり、晴れ間が出たりと世話しない天気だが、思い切って外に出よう。外に出て、頭が空っぽになるまで歩こう。


そうしたら、何かが変わるかもしれない。

そうではなく、私が変われるかもしれない。



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2021年7月25日日曜日

驚心動魄

 






午前中ひと泳ぎしたので満足してしまったからか、夕方、仕事を終えた長女バッタと息子バッタとでエトルタの断崖の上を海岸線に沿って歩く予定になっているからと言って、末娘バッタは午後からの散策の誘いを断った。


夜一人で寝る時になると、どうしてもコンクールを思い出し、物理の問題の解決法を考えてみたり、発表の仕方のまずかった点を考えてみてしまうと言う。眠れぬ日が続くと言う末娘バッタ。できたら、お昼寝をして休養したい様子だった。


まったく違う理由で、浅い眠りが続いていたが、好奇心の方が勝っていた。その日に行かないことには、次の機会はいつになgるか分からない。今回の滞在の期間では難しいことだけは確かだった。何故か、午前中に行けなかったもう一つの海岸に心が奪われていた。


Google Mapで検索すると、車で15分とある。末娘バッタが午前中に村で検索した際には、車での乗り入れはできないとなっていたので、なんだか不思議な思いがした。とにかく行ってみよう。


村まではすぐにたどり着き、干し草畑の脇を通る砂利道を進んだ。目的地まであと2分。GPSでは右折の表示が出ていたが、自転車以外車両進入禁止の標識が目に入った。さて、どうしたものだろう。


田舎道なので、路肩に自動車を停めておく場所はなく、もとより駐車場などあるはずがなかった。一方、未舗装の砂利道ながら、道幅は狭くはなく、車一台問題なく走れると見て取れた。


干し草畑とはいえ、私有地。そこに不法侵入し、無断で駐車することの罪と、道路交通法違反となる進入禁止を遵守せずに車を乗り入れる罪と、どちらを選ぶべきか。


今思えば、後退は選択肢にはなかった。


かくして、私有地への不法侵入および無断駐車の罪を選び、静かに車を停めると、1㎞の距離を歩き始めた。


左手には牧草地が広がり、牛たちが呑気に昼寝をしていた。爽やかな風を楽しみながら、足早に砂利道を急ぐ。ふと、一人で人気のない田舎道を歩くことは、大いなる危険を冒しているのではとの思いが過るが、鳥たちの囀りは明るかったし、見事な野生の紫陽花に夢中になり、むしろこれから出会う風景に胸をときめかしていた。






思った以上に海岸までの道は長く、開けた場所に簡易なプレハブのような家があり、そこで何人かが遅い昼食を楽しんでいた。


と、目の前に青い海が見えてきた。しかし、海岸に降りると思われる階段の前には、赤と白のビニルテープが何重にも巻いてあり、進入禁止であることが一目で分かり、落胆してしまった。せっかくここまで来たのに、進入禁止とは。1990年の政令による、と物々しく書いてある。


仕方があるまい。断崖からの景観を楽しもう。できるだけ足元がしっかりとしていながらも、海が良く見えるところまで行き、トルコブルーと紺碧の海の色を楽しんだ。




階段の脇の断崖には大きな穴があり、そこから海が見え隠れしていた。自分が断崖から落ちないように気をつけながらの写真撮影。




さて、そろそろ帰ろうかと思っていたところで、英語で声を掛けられた。若いドイツ人のサイクリストだった。私が進入禁止の奥にある階段を恨めしそうに眺めながら写真を撮っていたところを見ていたのだろうか。「進入禁止のテープを乗り越えちゃえば、問題ないし、乗り越えるのが嫌なら、わき道を使って階段を下りればいいですよ。」そんなことを言うではないか。


えっ?だって進入禁止のテープがあるじゃない。


サングラスで表情は良く分からないが、もう一度、テープを乗り越えれば問題ないと言う。自分たちも今行ってきたところだと。戸惑っていると、ちっとも危険ではなかったが、もちろん、判断はお任せしますよ、と、言う。


貴重な情報にお礼を言って、改めて進入禁止のテープを見に行く。テープを乗り越えることなど、考えもしなかったが、ひょいと足を上げて、えいやーと飛び越えてしまった。遵法精神が高いことは、恥でもなく、非常に尊いことながら、ここでは好奇心の方が勝ってしまった。見たい。行きたい。


そもそも、進入禁止の法令を犯すことは、環境破壊につながるのではなく、我が身を危険にさらすことであり、自己責任の範囲内で処理できうるもの、と勝手に解釈し、即断。


しかし、コンクリートの階段は非常に狭く、急で、危うげで、足元を見たら足が竦んでしまいそうなので、出来るだけ海を見ることにした。ちょっとした踊り場に出るが、今度はそこから海辺までの階段が恐ろしく急で、手すりが欠けているところがあり、安全とはかけ離れたものだった。コンクリートながら海水で劣化が始まっているように思われ、いつ崩壊してもおかしくないような様相を呈していた。






慌てることはない。踊り場からの景観を楽しみ、左手に広がる断崖をじっくりと観察し、ゆっくりと階段を下りて行った。


海は残念なことに満ちていなかったので、波の中に突き出た階段というシュールな絵は撮影できなかったが、逆に満ちていたら、怖くて怖くて、それ以上階段を下りることはできなかっただろう。


階段の最後の一段は非常に高く、一人で這いあがって上る自信がなかったので、海辺には降り立たなかった。今となっては後悔しているが、その時は、それだけでも十分だった。





慌てて急勾配の階段を震えながら上り、もう一度階段の踊り場で海を見下ろし、後は一気に最後まで階段を上りきる。今度は進入禁止のテープをまたぐことなく、迂回して階段の入り口に戻った。


心臓がばくばくしていたが、急勾配の階段を上ったからだけではなかった。恐怖と同時に大自然の美しさと厳しさに畏敬の念を覚えた。

帰り道はあっという間だった。砂利道の先に車が数台停まっている様子が見て取れた。まさか、取り締まりの車が運転手の帰りを待っているのか、と一瞬思うが、そんなことはあるまい。恐らく、一台車が停まっていることを良いことに、そこがいかにも駐車場のように、他の車も気安く停め始めたのだろう。


このちっぽけな冒険談をバッタ達に早く伝えたかった。怖さによる震えは、いつの間にか、貴重な体験への感動の震えに変わっていた。





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2021年7月24日土曜日

断崖の陰

 





午前中に末娘バッタと二人で水着とビーチタオルを持って近くの浜辺に行くことにする。リモートワーク中で、日中はそれぞれに仕事をしている長女バッタや息子バッタは驚く程真面目で、決して小休憩と称しての散歩をしなかった。


近くの海岸は3か所既に制覇しているので、せっかくなら未だ行っていないところにしようとなった。二ヶ所検索に引っかかるが、超速攻で末娘バッタが一つに絞った。まったく根拠を示さずに、こちらの方が良いとのこと。ふうん、まあ、良しとするか。彼女の意思を尊重しよう。


彼女の運転で緑の風の中を飛ばす。砂利道は突然行き止まりとなり海辺に近いことを知らせていた。車を停めて細い道を歩くと、真っ青な海が緑の葉陰から姿を現した。岸壁の隙間にしっかりと階段が作られてあり、そこを降りていくと果たして海原が眼下に広がった。



前日の凪いだ海の様子とは様変わりで、海は白波を立てて荒ぶれていた。高い断崖が影を作っていて、海岸は陰になり寒々としている。あちこちに真っ白な小ぶりの岩が落ちていて、階段の入り口にあった危険の標識が決して大袈裟ではないことを物語っていた。


実はその標識のメッセージがふるっていて、一人こっそりと笑ってしまっていた。これまでは「落石注意。断崖の下歩くべからず」といったものが多かったことに対し、ここでは「命を大切に」といったものだった。


今思えば、それは冗談でもなんでもなく、冬など誰もいない海岸によからぬ思いで来る人向けのメッセージなのだろう。


どんなに海水が冷たかろうが、風が吹いていようが、ブルターニュの海で育ち、自らブルターニュ出身を誇っている末娘バッタは、いつもだったら何の躊躇もせずに海に入っていくのだが、今回ばかりはビーチタオルを体に巻き付け、荒ぶれた海を見ているだけだった。




一通り色々な角度で写真を撮り、満足げな私に、いつ断崖から岩が落ちてくるかもしれないから、もう帰ろうと末娘バッタが声を掛けた。実際、海水は足元に来ていて、海辺は猫の額ほどに狭かった。


階段を上がっていくと小さな子供連れの家族が車から出てくるところだった。子供だけでも5人はいる。大勢でにぎやかになるので、小さめの海辺を選んだのだろうか。あの階段を下りるだけでも、ひと騒動になるだろう。それはそれで楽しいのかもしれない。寂しげな海辺が急に華やいで感じられた。


せっかくだから、もう一つの海辺に行こうと末娘バッタを誘う。海辺は電波が届かずに、少し村に戻ってから検索すると、そこへは車でのアクセスはできずに、歩いて小半時間という。それなら前日に夕日を見に行った海辺に行くことにし、その寂しげな村を後にした。



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2021年7月23日金曜日

Yuvuzela亭、ノルマンディーで臨時オープン

 





魚市場。

バッタ達はそれぞれに忙しく、一人で近くの港町まで車を出す。

前日に岬から俯瞰した海岸線をなぞって車を走らせるのも楽しかった。魚市場はヨットハーバーの脇に位置していて、「市場(マルシェ)」というものの、それはあまりにこじんまりとしていたが、そこに並べられている魚たちはきらきらと新鮮で、蜘蛛の異名を持つ蟹はお得意の長い腕を伸ばしていたし、眠り蟹の異名を持つ蟹は、その名の通り硬い甲羅で身を包み微塵も動かなかった。


息子バッタが舌平目のムニエルが好きなことは知っていた。ノルマンディーの海で捕れた舌平目を料理しようか。


舌平目は高級魚。滅多に買うことはないが、レストランのメニューには必ずと言って良い程載っている。


と、目の綺麗な鯖と出会ってしまった。ちょっと大きめ。しかも値段的には舌平目の3分の1。お刺身にするには丁度良い大きさか。お刺身なら鱸だろうか。しかし、舌平目と鱸のどちらかにしないとお財布が悲鳴を上げてしまう。奥にひそむモンゴウイカにも目が行く。蟹の隣ですまして鎮座していたレイザーフィッシュことマテガイも目の端に収めていた。


ランチは舌平目のムニエル。夕方時間をかけてお刺身を作ろう。ネタは鯖とイカ。そしてアントレにはレイザーフィッシュ。


舌平目は鱗を取ってもらおうと思っていたが、何せ名前だけは魚市場。そんなサービスはしていない。時間ならたっぷりある。好きに調理しよう。実は、舌平目の鱗は見た目以上に硬く、新鮮なだけに粘りもしっかりとあり、大いに手こずることになるとは、その時は思ってもいなかった。


もちろん、バッタ達は大喜び。しっかりと鱗を取ったので、皮を敢えて取らないでおいたが、それがなんとも香ばしく、大成功。


一方、今回の鯖は大きめだったこともあり、自画自賛したくなる程上手に三枚おろしに成功。たっぷりと塩をして1時間。お酢に漬けて15分。綺麗なしっかりとした身に惚れ惚れしてしまう。


モンゴウイカは、以前母が作っていた様子を思い出し、てきぱきと処理。皮を引ん剝くと、真っ白でしっかりとした身が嬉しい。冷蔵庫に保存。


レイザーフィッシュは塩水に漬けて砂抜きをし、鍋にちょっとのお湯で加熱。殻が広がったところで一枚だけ殻を剥がし、残った一枚にふっくらとした身を載せせたままにする。そこにハーブバターを置き、小さくちぎったバゲットを散りばめる。熱くしたオーブンで2分。こんがりとしたバターの香りがキッチンを満たし、バッタ達の歓声が庭に響き渡る。


イカと鯖のお刺身が続く。


Yuvuzela亭、ノルマンディーにて臨時オープン。なんとも豊かな時間が流れていく。







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2021年7月22日木曜日

真っ赤な太陽

 





雲一つない快晴。末娘バッタが吟味、厳選した景観が素晴らしいとの触れ込みのコースを歩く。一面のトウモロコシ畑であったり、麦畑であったり、鬱蒼とした林の中であったりと、指示を読み、地図を睨み照らし合わせながら進む。


早とちりをしたり、思い込み激しく突き進んだり、次の読みが浅かったり、何度か迷ったりしながらの行程。全て末娘バッタに任せてあるので、彼女の思考回路が如実に分かるような気がしてしまう。


指示は何度も読み返し、間違いなく理解し、地図と照らし合わせて完璧を期すべし。と、思うが、嫌味になるので言わないでおく。本人が一番身に染みて分かっているだろうと思うからだが、実はどうなのだろうか。あまり堪えていないように思われるが、どうだろう。


嫌味を言わず、怒らず、笑顔で。そう自分に言い聞かせ、彼女のガイドで歩く。


海岸線の山間にコンクリートの地下牢のようなものがあるので、なんだろうと呟くと、末娘バッタが第二次世界大戦時のナチスが建設したバンカーだと言う。思わず足がすくんでしまった。


「ノルマンディー上陸」の歴史の跡がしっかりと残っていることに、今更ながら驚いてしまう。日本のお城でも、お堀があったり、大砲があったり、鉄砲をのぞかせる場所があったりと、戦場としての面影はあるが、生々しさはない。


何故だろう。突然にして第二次世界大戦時の戦闘の跡があちこちに見え始めてしまう。


素晴らしい景観の高台に出る。そこからの眺めは最高で、白亜の岸壁とコバルトブルーの海のコントラストが美しい。当然ながら、ナチスはそこに監視所を設置。その上に立って、真っ青な空と対峙する。






この地には多くの教会があり、英国の戦士の墓地がある。


真っ赤な太陽が水平線の向こうに消えてなくなるまで、静謐な時間に感謝しながら、じっと佇んだ。



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2021年7月21日水曜日

恋に落ちて

 





今年は長女バッタも息子バッタも企業研修が入っていて、夏は休みが取れないという。それでも、彼らの仕事のような研究職の場合、リモートワークの概念がかなり浸透してきており、wifi環境さえ良好なところで、いざという時に、そう職場と遠くない場所であれば、日中は仕事をし、夕方からは、バカンスを楽しむ予定の末娘バッタと私と一緒にオフを楽しめそうだ、となった。


それならば、ノルマンディーにしよう。以前夏に行ったエトルタの真っ白な岸壁が思い出された。


海が見える場所がいい。波の音を聞きながら過ごしたい。夕日が海に沈むまで、心行くまで海を見ていたい。朝日で空の色が変わり、海がきらめき始めるところを見たい。


そんな思いがあった。


エトルタの海岸がサロンから見渡せる、そんな贅沢な物件を見つけたが、海辺のにぎわいや、人々の歩く足音まで聞こえてしまいそうで、仕事組から反対された。


海岸からは少し中に入るが、ノルマンディー調の建物に、緑眩しいお庭がついた物件に落ち着いた。そこからバカンス組である末娘バッタと一緒に、海岸線まで歩いたり、森の中でちょっとしたトレッキングをしてもいい。


バカンスの初日、これまで肌寒い日が続いていたことが嘘のように快晴となり、車を飛ばしてノルマンディーに向かうと、寒くて、風があり、雨っぽい当地の印象とは正反対の真夏の海岸が目の前には開けていた。


早速庭にBBQセットがあることを発見すると、BBQに憧れるバッタ達と近くの村でソーセージを入手。煙と格闘しながらも、炭を燃やし、ソーセージを焼いている彼らの姿は底抜けに明るく、楽しそうだった。

夜は浜辺で夕日を楽しもうと車を出す。


先ほどの浜辺とは違う隣の浜辺に向かうと、ちょっとした森を抜け、小さな村に入り、坂を下りるところで、目の前に海が迫って来た。切り立った崖は夕日に染まって輝いている。あまりの美しさに涙が出そうになる。真っ赤に染まったバッタ達の顔も満足そう。


こうして、ノルマンディーと恋に落ちた。





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2021年7月20日火曜日

過去、現在、そして未来

 












建築家、安藤忠雄氏がフランスの歴史的建造物に息吹を吹き込み、過去、現在、そして未来の時間の糸を結んだ空間を訪れる。バッタ達からの母の日のプレゼント。家族皆で訪れようとの粋な計らいだったが、あいにく企画者の長女バッタは大学の仲間とのイベントで参加できず、試験が終わっていると思っていた末娘バッタも、入場券の時間ぴったりに今回の試験シリーズの最後、数学の口頭試問の出番と重なってしまった。

かくして、息子バッタと二人となるところだったが、親友夫婦を誘い、総勢4人での訪問となった。

ワクチンパスポート反対デモ行進がにぎやかなルーブル美術館のあるリボリ通りを抜け、18世紀に穀物取引所として設計、建築され、1889年のパリ万博の際にガラスのドームが加えられ再構築された旧商品取引所にたどり着く。白亜のファサードが美しい。コリント風の円柱と豪華な入口は、再建築の際のもの。

建物の中は大きな円形ドームの天井からの光が輪になって壁画に陰影をもたらしている。幾何学的でありながら、優雅さを醸し出していて、19世紀の天井画の魅力と自然に絡み合っている。

過去、現在、そして未来。

建物に入った際には曇りがちだったが、外では夏の陽射しが戻ったのか、天窓からの太陽光が濃い陰影を壁に投げかけ、突然に印象が変わってしまう。時間の流れを感じることができる空間に圧倒されてしまう。

時を忘れて、時を感じる。



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2021年7月19日月曜日

あっけない顛末

 







あまりにもあっけない顛末となってしまい、笑うしかなかった。

まさかのまさか。翌朝、いそいそと菜園もどきに駆け寄って、おはようと声を掛けようとした途端、我が目を疑ってしまった。無残にも幾つもの丸く膨らんだ芽はついばまれ、葉はちぎられ、枝は折られてしまっていた。カボチャ君。折られた先があまりに新鮮で、たった今の所業であることが窺われた。双葉にはネバネバとした液がかかっていた。

嗚呼。

脱力感でその場にへなへなと倒れこみそうになってしまった。

そうか。まさかとは思っていたが、あの姦しい可愛いピィ達か。いや、カラスか。鳩の嘴ではないだろう。

そうとなったら。これまで高い枝に実り始めていた黄緑色のレインクロードを、彼らに楽しんでもらっても良いかと思っていたが、取りやめるしかない。梯子を小屋から引っ張り出してきて、長い鍬を右手に一番上まで登り、ふらふらとしながらも、甘い香りを放ち始めた実をもぎとる。

大人げないが、大人げないのはどっちだろう。この甘い実を食べずに、何が面白くてカボチャの芽をついばんだんだろう。しかも、枝をへし折るなんて。怒り心頭。

しかし、まあ、現場を見たわけでもないし、鳥相手に怒っても始まらない。そもそも、起こったところで、カボチャ君は戻ってこない。

それにしても、今年の夏の気候が元を糾せば原因に違いない。今年はサクランボにしろ、スモモにしろ、ネクタリンにしろ、桃にしろ、不作。鳥たちにとっては死活問題。しかも、長雨でナメクジ天国。

最近の無農薬野菜ブームに乗って、家庭菜園でうまくいけば良いビジネスになるのではないか、などと捕らぬ狸の皮算用をしていた自分が恥ずかしい。生半可な覚悟では、野菜を育てるなんて無理。ましてや、商品になる野菜を量産することは至難の業。

こうなったら、室内で大きくなっているアボカドやマンゴに夢を託すしかあるまい。

見上げると松の木の枝に、久しぶりにリスが遊びに来ている。

必死で収穫したレインクロードだったが、丁度食べ頃は一つのみ。これを大切に味わい、あとは、庭に転がしておくことにしようか。鳥たちやナメクジ君たちが大喜びするに違いまい。



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2021年7月16日金曜日

満を持して

 




曇りがちな空間から夏を思わせる太陽が覗いている。

心なしか気温も上昇しているように思われる。一つだけ未だ植えていなかったカボチャの苗を大事に育て、今や本葉も元気に大きく育っている。もう小さなヨーグルトのポットでは根っこが窮屈になってしまっている。


ナメクジ君が苦手と言われる卵の殻、珈琲の粉を随分とため込み、この日のために取っておいてある。


天気予報によれば、これから暑い日が続くと言う。予報は予想であって確実ではないが、それに掛けてみる価値はある。ぐずぐずしていると、本当に夏が過ぎ、植える時期を失ってしまう。


さあ、カボチャの赤ちゃんよ。大きく育つんだよ。赤子の頭より大きな葉を沢山広げ、でんっと大地に這いつくばっておくれ。


そして、ナメクジ君よ。頼むから、今回ばかりは見守って欲しい。卵の殻で君の大切な体を傷つけたくないよ。だから、この境界線からは入らないでおくれよ。君の苦手な珈琲の粉も撒いてあるんだ。さあ、ここには近寄らないでおくれよ。


どうか、カボチャの赤ちゃんが、すくすくと育ちますように。



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2021年7月15日木曜日

こんな日があってもいい

 




元気がない日があってもいい

朝寝坊する日があってもいい

何をするのも億劫な日があってもいい

寝転がってばかりの日があってもいい

気が付くとうとうとしてしまう日があってもいい

お手伝いがしたくない日があってもいい

電話に出たくない日があってもいい

二回お風呂に入る日があってもいい


明日は新しい自分に生まれ変わるのだから


今日一日中エネルギーのスイッチが一向に入らない末娘バッタに送るメッセージ

届きますように


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