2023年2月26日日曜日

苔庵アトリエ

 






最初はママ友として知り合い、散歩仲間となった近所の友人。バリスタ並みの腕前で、自分で豆を挽いて、秘蔵のサイフォンで奥深い味わいながらもすきっとキレがある、そんな珈琲を淹れてくれる。


観葉植物も大切に育てていて、愛らしい苔玉を手作りしたり、ミニアチュア版の水苔で小宇宙を作ったりしている。彼女と森を散歩すると、やわらかな日差しを浴びてビロードのように静かにしっとりと、ひっそりと佇む苔を見つけては、歓喜して跪いて愛しむので、新たな世界発見のような気分になる。


そんな彼女が苔玉アトリエを開催してくれるというので、喜んで参加してきた。別の友人による大福アトリエとの共催となっていて、気の置けない仲間たちと、楽しく学んで、豊かな時間を一緒に過ごそうというのが狙い。


苔は、大きな声では言えないが、先日トンカと一緒に森で採集したもので、深緑のものや、ふわふわの薄緑のものや、青みがかったものなど、種類は豊富だった。苔玉に植える植物は、友人が近所の園芸センターで、それこそ毎週通って厳選し、調達したものだった。


皆それぞれに贅沢にも好きな植物と、好きな苔を選び、友人が用意してくれた土で、丸い球を作ることから始めた。これがなかなかどうして、上手くいかない。選んだ植物が、なんとなくパイナップルの葉に思えてしまったのがいけなかったのか、球状ではなく、西洋梨のような形になってしまう。


友人が何度も手伝ってくれて、球状に一度はなったのだが、苔を張り付けた段階でいつの間にか西洋梨になってしまった。改めて友人の手伝いで球状に成形しなおし、糸で巻き始めたところ、やはりいつの間にか西洋梨。まあ、それも愛嬌か、と思うことにする。そう、個性、個性。


両手に持って、力いっぱい時間を掛けて丁寧に成形していくからだろうか。不思議なことに、ものすごく愛着がわいてきて、完成した時には、皆それぞれに名前を付けてしまったぐらい。私の苔玉の名前は、賢明な読者の皆さんなら、もうお分かりのことと思います。


週に一度、ぶくぶくとカルキを抜いた水風呂に入れてあげる。3ヶ月に後には、新しい苔でお着替えをさせてあげるらしいが、それはその時に。今は、我が家に迎え入れた新しいべべを愛しもうではないか。ね、パインちゃん。


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2023年2月25日土曜日

Yuvuzela亭のガトーバスク

 




バスク地方に未だ踏みもみず、なのだが、何故にここまで魅かれるのか。何がきっかけになったのか今では分からずじまいだが、ひっそりと隠れていたガトーバスクへの憧憬の思いがふつふつと膨らみ、多くのレシピをチェックし、比較し、作り方の手順を頭の中で何度もシミュレーションし出すと、もう抑えきれずになり、三度目の正直ではないが、新たなレシピを手に再度挑戦してみることになった。


レシピでは丸い18㎝の型となっているが、我が家にある最小サイズで20㎝。ままよ。最初からレシピ通りにならないことに苦笑を禁じ得ない。気を取り直して、タルト生地を作成する。


【タルト生地】

無塩バター 150グラム 室温に戻しておく

キビ砂糖 100グラム

全卵1つ、卵黄1つ

薄力粉 145グラム、強力粉 50グラム

アーモンドプードル 70グラム


泡立て器を使ってバターをクリーム状に滑らかにし、砂糖を入れて更にかき混ぜ、事前に溶きほぐしておいた卵を入れ一層良く混ぜ合わせ、塩一つまみを入れておく。

①に事前に篩っておいた粉類をヘラでさっくりと、切るように混ぜ、生地にまとめる。

出来た生地をラップに包んで、冷蔵庫で最低2、3時間は寝かせる。

この生地で丸型の上下、そして側面を作る。アーモンドプードルが入っているので、生地自体柔らかく、デリケートなので非常に取り扱いが難しい。クッキングシートに生地を挟んで成形し、型に張り付けるようにするなど、工夫が必要となる。なお、生地には予めフォークで穴を開けておく。


【アーモンドクリーム】

無塩バター 150グラム 室温に戻しておく

粉砂糖 150グラム キビ砂糖をミキサーで粉砕

卵3個

アーモンドプードル 150グラム

ラム酒 小さじ1

バニラエッセンス


バターをポマード状にし、キビ砂糖をミキサーで粉砕し細かくしたものを数度に分けて入れ込み、混ぜ、事前に溶きほぐしておいた卵も、数度に分けて入れて混ぜ、ラム酒、バニラエッセンスで香り付けをする。

篩っておいたアーモンドプードルを①に入れて、しっかりと混ぜ合わせる。

たっぷりの量ができるが、ここで出し惜しみではないが、作り惜しみはしないでおく。作るにあたって適度な量というものがあるのだろう。ご飯を炊くときも、一番美味しく炊ける量があるのと同じに。そう、なんといっても再挑戦の再挑戦なのだから、ここは太っ腹で。残ったアーモンドクリームは、ガレットにもガトーショコラにも、あらゆるお菓子に入れて使うことができるのだから、と自分に言い聞かせる。


【カスタードクリーム】

卵黄3個分、

キビ砂糖 50グラム

薄力粉 30グラム

牛乳 220ml

バニラ1本

無塩バター 20グラム


仕上がったカスタードクリームは、ラップをぴっちりとして冷やしておく。


さあ、タルト生地を底と側面に張り付けた型に、クリームを入れていこう。冷えたカスタードクリームをボールに取り出し、ホイップしてゆるやかにし、アーモンドクリームを80グラム混ぜ合わせる。このクリームを型にぺっとりと入れる。


最後にタルト生地で蓋をし、側面の生地とぴっちりとくっつけ合わせる。牛乳を塗り込んで、フォークで生地に模様をつける。170度のオーブンで1時間、こんがりと焼き上げる。


バターの香ばしいにおいがオーブンから漂い始め、キッチンに溢れる。アーモンドの高貴な香りが添えられているのだから、たまらない。さあ、お立合い、お立合い。今回の出来栄えはいかがでしょう。










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2023年2月23日木曜日

Yuvuzela亭の白餡

 






予定がすぽーんと消えて、思いがけず何もしない一人の休日が転がり込んできた。こんな時は、チャレンジしたかったお菓子作りがしたくなる。和菓子専門店のレシピを参考に、白餡を作ることにする。


夜、白いんげん豆をじゃりじゃりと洗い、たっぷりの水に漬けておく。翌日、水を含んでぷっくらと膨らんだ白いんげん豆を、大鍋に入れて沸騰させ、蓋を締めて暫く放置しておく。その後、冷水に豆を晒して、指で豆をつまみ、きゅっと押してつるんと皮を剥く。面白いように皮が剥けていくが、豆自体が小粒だったので、剥けども剥けども、まだ皮つきの豆が残っている。


全ての豆の皮が剥けたら、いんげん豆を改めて鍋に戻し、ひたひた程度の水を入れ、煮込んでいく。静かに沸騰状態で煮込むので、当然水は次第になくなっていくが、ひたひた感を常に維持するように、必要に応じて差し水をしながら、こってりと煮込む。


芯もなく、とろりと豆が煮えたら、鍋の中でへらで潰し、ボールに裏ごしをし、そこに水をたっぷりと入れて数分放置し、餡が沈殿したところで上澄みを捨てる。改めて水を入れて、放置し、上澄みを捨てるという作業を3回繰り返す。


最後に手ぬぐいに入れて水気を絞りとり、生餡を作る。それを鍋に戻して、豆と同じ量か、若干少なめの量のお砂糖を入れて、炊き上げる。


よっしゃ。いちご大福にしよう!勇んでマルシェに繰り出すが、なんと、苺ちゃんがいずこにも見当たらない。ま、そんなこともあるか。上品に仕上がった白餡を愛でながら、さて何を作ろうかしらと楽しく思いめぐらす。



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2023年2月22日水曜日

トンカの鼻といちごジャム

 





小学校の頃は学校給食が苦手だった。コッペパンの、大量生産を思わせる無機質な食感と香りがいただけなかった。お決まりでついてくる、マーガリンはもっとダメだった。クラスメート達はマーガリンをたっぷりとつけ、ジャムを塗りながら歓喜して食べていたが、同じようにしてみても私には魔法は効かなかった。


なぜそんなことを思い出したかといえば、トンカの鼻先に何か赤いものが付いていたことが背景にある。とっさに、いちごジャムだと思った。小学校の時の学校給食で出て来た、あの小さいビニールのパックに入った、いちごジャムにそっくりだった。パックをぴりっと切って、そこからトンカの鼻先にぴゅるるっとくっつけた、そんな感じだった。


我が家の庭で遊んでいたのだから、いちごジャムが鼻先に付く筈はないのだが、きっとまた、何か見つけて拾い食いをしたのだろうと思って、私の思考は小学校時代の思い出に飛んでしまった。


暫くして、トンカの鼻先に泥がくっつき放しになっていることに気が付いた。もともと、土を掘り起こしたり、土の中に鼻先を突っ込むことが大好きだったが、春先になってきて、土中の生物たちがうごめき始めたからか、散歩の時には頻繁に飛び跳ねながら土の中に鼻を突っ込んでいる。だから、土が鼻先についてしまったのだろう、そんな風に思って、そっと泥を取ってあげようとした。


ところが、意外に泥は取れない。こんな時には自然に任せるのが一番。無理に綺麗にしないことにしている。一見ずぼらなようだが、こういった対応が実は大いにトンカの健康と幸せに寄与している気がしてならない。耳の掃除とか、伸びた爪を切るとか、身体を洗うとか、歯を磨くとか、あまり人間的なことはしないようにしている。トンカは人間ではないのだし、野生の鹿が耳の掃除や爪切りをするなんて聞いたことがない。


などと言えば、何かしっかりとしたポリシーを持っているようだが、正直な話、単にトンカが水に濡れることを極端に嫌うので、当初の目論見に反して、お風呂に入れてあげることを断念したからにすぎない。それでも、トンカは汚れれば自分で綺麗にするし、爪も意外に気にならない程度の長さで収まっている。


だから、トンカの鼻先についた泥も、時間がたてばいつかは剥がれるだろうと思っていた。泥は我が家のソファーやカーペットを汚すかもしれないが、まあ、仕方なし、と思うことにしている。


ところが、次にトンカの鼻先に目が行った時には、しっとりと濡れて真っ黒の筈が、どうも禿げている気がした。しっかりと見てみると、確かに削れている。漸くここで、いちごジャムと泥の因果関係が理解できた。いやいや、そうではなく、本来の原因に気が付いた。


どうやらトンカは怪我をしていたようである。恐らく尖った何かで鼻先を切ってしまったのであろう。それでいちごジャムのようなどろりとした血が、鼻先にくっついていて、それがカサブタになったものを泥と思ってしまった、といったところか。


なんだか情けなく禿げてしまった鼻先を見ながら、またすぐにしっとりと濡れて真っ黒になってね、とつぶやく。トンカは、禿げた鼻先などお構いなく、いつものように鼻先をぐいぐいと押し付けて甘えてくる。トンカの生きる力には、圧倒されてしまう。自然とはかくも強きものなのか!


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2023年2月20日月曜日

Yuvuzela亭風お好み焼き

 





最近、気に入って頻繁に作っている一品が「お好み焼き」。きっかけはアジアンマーケットでとろろ芋を買った時。もちろん、作るのはバッタ達がそれぞれ週末に遊びに来ている時に限るのだが、いつの間にかYuvuzela亭風というのが出来上がってきている。不思議なことに、幼い頃に母が作ってくれた「どんどん焼き」とも違ってきた。


先ず、干し椎茸と昆布で美味しいいお出汁を作る。量としては1カップに満たないが、ここをおろそかにしてはいけない。それから、キャベツを極粗いみじん切りにする。フランスのキャベツは日本のように葉がぎっしりと重なっていなくて、ふかふかしているから、半玉は使ってしまう。


さて、長ネギといっても、フランスのポワロ―さんは甘みがあって太い。ここは適当に青い部分と白い部分を、その時の気分で10センチほど使って、キャベツと同じ粗いみじん切りにする。


そして、ここでお豆腐が出てくる。絹ごし豆腐なんて高級なものは望めないし、個人的に木綿豆腐を愛するのだが、それにしてもちょっと固すぎじゃあないかと思われる、それでもスーパーで売っていることに感謝をしながら毎回買う、500グラムはするお豆腐の半分を使う。


ごくごく適当にばらばらにしたお豆腐に卵2個を割り入れ、先ほどの出汁を1カップ弱混ぜる。そこに、篩った小麦粉2カップを入れて、ざくっと混ぜる。そして、キャベツとポワロ―のみじん切りを混ぜ合わせる。


鍋でオリーブオイルを熱して、一遍に生地を入れて、あとは、フィーリングで焼き上げる。味付けは、バッタ達のリクエストで勿論ブルドッグソースとマヨネーズ。じゅっと焼き上がる音が心地よく、食欲をそそる。


時によっては、シーチキンを入れたり、ベーコンを入れたり、チーズを入れたりする。ボナペティ!


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2023年2月19日日曜日

漆黒のテーブル










息子バッタが学生仲間5人で始めた共同生活も、この2月で一旦終了を迎える。フランス国内は勿論、スイスや英国など、皆それぞれの研修先に散っていく。パリ近郊に残るのは、息子バッタともう一人の友人のみとなり、今度は二人での共同生活を始めることにすると教えられた。


息子バッタは既に昨年の9月から博士課程に進学していたので、雇用契約保持者ではあるが、最低賃金に毛が生えた程度の収入。一方、友人君は企業研修の身分で、しかも未だ内定という。従い、この二人がアパートを借りるとなるとかなりハードルが高い。アパートを借りる上で、学生の身分の方が有利というから不思議である。


恐らく、学生の場合は保証人の経済力に先ずは着目するのだろう。そして、なけなしながらも本人に収入があるとなると、本人の経済力が審査の対象となるのだろう。


当初の目論見とはやや違ったようだが、それでも漸く二人はパリ近郊の、息子バッタの研究所からそう遠くない場所にアパートを見つけることができた。家具付きと言っていたが、最小限の家具らしく、テーブルや椅子を調達せねばならないらしかった。


それなら、今の家に引っ越しするまで使っていた伸縮式の丸テーブルがあるけど、と伝えると、久しぶりに我が家に寄って、地下室で眠っていたテーブルを吟味し、やや難点はあるものの保存状態も悪くないとして、友人君と相談をし、それを使うことに決まった。


漆黒の丸型テーブルで、伸縮式なので楕円形にすることができ、余裕で6人分の場所がある。モンパルナスのステュディオで、友人達と皆で鍋を囲んだことを思い出した。漆黒のテーブルに、壁一面に同じトーンの漆黒の本棚を並べて、シンプルながらも大いに気に入っていたアパート。


バッタ達のパパとは、別の人生を歩むことになってしまったが、あの頃の彼のことを今でも愛しく思うし、当時の二人での生活を懐かしく思い出す。いや、思い出すことが出来る程、時間が経過したということなのか。幸せな時間を紡いだ、その瞬間、瞬間を静かに見守ってくれた家具を、こうして息子バッタが使うことになるとは思いもよらなかった。


ちょっとセンチになっていたのだろう。バッタ達の父親が別件で連絡をしてきた際に、息子バッタが引っ越すこと、我々が以前使っていて、地下室に眠っていた漆黒のテーブルを彼が使うことを告げた。


漆黒のテーブルなど、もう忘れちゃったかもしれないけれど。そう付け加えたところ、全く覚えていないとの返事が返って来た。彼にしてみたら、音信不通で一切連絡が途絶えている息子バッタの今の状況をとにかく知りたい気持ちが強く、彼の健康状態、研究の進み具合、居住空間、一緒に共同生活する仲間のことなど、別のことの方が気になるようだった。


そうか。覚えていないのか。一瞬、哀しみが走った。


彼は一切合切の過去を捨てて、出て行ったのだから当たり前だろう。いや、一切合切の過去を残して、出て行ったのか。そして、私はその過去に、まだ囚われているのか。いや、待てよ。過去に捕らわれない人間など、いるのだろうか。過去があって、今があるのだから。


こんな時にはケーキを焼くに限る。ちょうど、血がしたたるようなオレンジサンギンヌがある。このオレンジで、ふんわりと軽いケーキを焼こう。甘い香りがキッチンに溢れてくる頃には、気持ちは既に南仏の燦々たる太陽と、爽やかな青空の下で遊んでいる。

 


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2023年2月18日土曜日

恵比須様の弟子

 






2月は日数が少ないだけでなく、時間も普段よりも早く過ぎる気がする。気が付くと残り一週間程で3月になってしまう。そんな折、昨年ご利用いただきましたが、今年はいかがいたしましょうか、とのメールが舞い込んできた。母の誕生日に昨年バラの花束を贈ったが、そこの花屋さんからだった。


確か随分と長持ちして、最後の一輪は自宅の玄関で2ヶ月以上咲き誇っていたことを思い出した。メールの文面も押しつけがましくなく、非常に抑えたトーンであったことも気に入った。今年もここの薔薇を送ろうとなり、早速手配をした。


ところが、寒波で氷点下の気温となる場合生花は茶色になってしまうので、気温に問題がなくなってから後日発送となるが問題ないか、また、ブリザーブドフラワーに商品を交換することもできるがどうするか、との返信があった。


ふむ。なんと気配りができた花屋さんなのだろう、と感心してしまった。後日発送で問題ない旨連絡をし、早速代案として先日友人のバリスタに教えてもらったセラミックの珈琲フィルターなるものをネットで購入し、母のもとに送るように手配をした。


とても心が豊かになった気になり、不遜にも恵比須様の弟子にでもなった気分になってしまった。その勢いで長女バッタが友人と誕生日を祝うのでランチをする予定になっているレストランに連絡をして、誕生日であること、お祝いに飲み物を贈りたいこと、などを告げた。予算を聞かれて、つい、大盤振る舞いをしてしまった。


そこはイギリスに向けたフェリーが出航するカレー港の近くにある宿泊施設も備えたビストロで、以前シェフと話をする機会があり、一度は行ってみたいと思っていた場所だった。長女バッタには、値段は張るけれど、感動的な食事が楽しめることを請け合うと強く勧めたという経緯があった。


長女バッタ達にはサプライズにしておいた。当日、夕方に夢のようなお食事で感動したこと、写真をたくさん撮ったので今度見せること、などのメッセージが届いた。気になったので、レストランに連絡をして軍資金のカンパをしたが、ちゃんとその分加味されていたか、と聞いてみた。


すると、驚いたことに、「おおっ!」と返事がきて、「そうだったんだ!」と続いた。


まさか、レストランで手違いがあったのだろうか。固唾を飲んでメッセージの続きを待っていると、「なんで安くなったんだろうと思っていたの。カードを使ったからかな、って言っていたんだ。」


ずっこけるじゃあないか!ぬあんですって?ちょっちょっと待ってよ。


恐らく料金の半分ぐらい安くなった筈なのだが、その旨確認しない長女バッタ達も長女バッタ達だが、何も言わずに差し引いた料金をしれっと支払ってもらうレストラン側もレストラン側ではないか!


まあ、長女バッタ達はレストランでしっかりと値段を確認するなぞせずに、夢のような雰囲気の中で、お洒落にカードを出して、さっと支払いを済ませた、といったところだろう。後で車の中でレシートを見て、あれれ、となったのではあるまいか。想像がついてしまう。


問題はレストラン。お母さまからのサプライズで料金の一部を既にいただいています。などと、一言あっても良いではないか。


日本とフランスのサービスの質の違いを、まざまざと見せつけられた思いがする。恐らく、サービスに対する考え方が根本的に違うのだろう。レストランに連絡をするなんて野暮なことはしないので、彼らは残念なことに学ぶ機会を失ってしまった。


ちなみに、日本側のサービスは非常にキメ細かく、転ばぬ先の杖的なところがあったので、実は母の誕生日の当日、天候は穏やかで問題なく薔薇の花束が届けられることになった。もちろん、セラミックの珈琲フィルターも当日着。


不遜にも恵比須様の弟子を自称する身としては、めでたし、めでたし、としようか。



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2023年2月17日金曜日

トンカの尻尾

 





このところ一日の寒暖の差が激しく、明け方は氷点下の凍える気温なのにも関わらず、日中はぽかぽかの太陽が気温を12、3℃に上げてくれる。夕方の散歩の折にも、スタート時点では未だぽかぽか感が十分にあって、厚手のコートや手袋をしているとすぐに汗ばんでしまう。


ところが、太陽が陰ろうものなら一瞬にして冷気が忍び込む。急に頬にひんやりとした大気の流れを感じることがある。そして、次には今度は生暖かい大気が押し寄せてくるので、不気味な程である。


こんな大気の流れを体感しながら森の中を散策すると、兼好法師ではないが、あやしうこそものぐるほしけれ、の心境になってしまう。それこそ、よしなしことがとめどなく次々と脳裏をよぎり、参ってしまう。


それを察知したのか、しないのか、突然トンカが1メール程度垂直ジャンプをしたかと思うと、藪の中に突進していった。助走無しでの、この瞬発力。トンカの運動能力の高さに唖然としてしまう。スポーツ大会に出場させてやりたいところだが、トンカは気まぐれだし、自由に好きに飛び跳ねる時こそ、トンカの真骨頂が発揮されるのだから、今のままで良しとしようか。


意気揚々と、誇らしげにピンと上向きに立っているトンカの尻尾を見ながらの散歩は、こちらの気持ちも自然と上向きとなっていく。



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2023年2月15日水曜日

マクドの魅力は魔力

 





フランスで初めて「ネック」と聞いて何のことか分からなかったが、やがてそれが「NEC」のことだと分かると、ずっこけてしまった。「バドワ」はビールの「バドワイザー」ではなく、炭酸水の「BADOIT」と知らずにの、同僚とのランチで赤っ恥をかいたこともある。


同様に、えっと驚いたのが「マクド」。学生時代に皆と「マクド」の話題になって、きょとんとしている私に、「マクド」も知らないのかと大騒ぎになり、それが「マクドナルド」の略だと知った時の驚きといったらなかった。日本では「マック」だと伝えると、皆げらげらと笑った。正に、所変われば品変わる、である。


一方で、マクドの魅力は世界共通のようで、フランスに来た頃にはアメリカ文化、特にジャンクフードなどフランスの風土には向かないとかいって強固な抵抗勢力が健在で、店舗一つなかったが、今ではどうだろう。哀しいかな、いつのまにかフランス全土はマクドナルドに席巻されてしまった。


森の中でトンカと夕方のいつもの散歩をしていた時、前方に幾つもの別れ道がある場所に差し掛かった。トンカは私の先を速足で行くのが習性で、この時も随分と前を歩いていた。勝手に道を選ばずに待っていてくれるようにと願いつつ、ちょっとした上り坂を歩いて出てみると、曲がり角のすぐの場所にうずくまっているトンカを発見した。


トンカの周りには茶色い紙袋が無造作に積まれている。トンカにより物色され、紙袋が破られ中身が散乱している一部から、それがマクドナルドのものであることが分かった。一体なんだって森の中に、マクドナルドで食事をした後の紙袋を捨てていくのだろう。ピクニックにマクドナルドを食べたのなら、食べ終わった紙袋も持って帰ればいいだけのことなのに。


森にはゴミ箱はない。なぜなら、ゴミを収集する人がいないからである。その辺に食べ残しや紙袋を破棄していく神経が分からない。ため息をつきながら、トンカがフライドポテトの袋に鼻を突っ込んでいる様子を見つめる。トンちゃん、拾い食いは止めようね。ああ、でも、トンカにマクドの魅力を拒否するだけの強い意思があるだろうか。それでも、ダメなものはダメ。


現行犯逮捕。トンカは意外にしおらしく、簡単にお縄頂戴となる。


そこからまっすぐに道は続いており、リードをつけながら、後ろ髪引かれる思いのトンカを半ば引きずるようにして歩いて行った。しばらくすると丁度良いことに、前方にトンカと仲良しの近所のポインターが散歩している姿が見えた。これでトンカもマクドのことは忘れて、ポインター君と一緒に走り出すに違いない。さすがに友達の前でリード付では格好が悪いだろう。さあ、トン、おゆき。


トンカは神妙に首をうなだれはしたものの、さっと身を翻すと瞬く間にマクドの残骸に向かって突進していったのだから、驚いてしまった。やられた!まっすぐな一直線とはいえ、既に500メートルは離れていただろうか。トンカの頭からはマクドの魅力が離れなかったのか。


参ったな、と思いながらも、トンカを怒れない自分がいた。あんなところに明らかに食べ残しの紙袋を捨てていく人間が情けなかった。彼らには、想像力というものがないのだろうか。森に置きっ放しにしたら、いつのまにか誰かが捨ててくれると思っているのだろうか。或いは、森がゴミ溜めと化しても平気なのだろうか。次の機会に、同じようにマクドの紙袋を持ってピクニックに来て、以前自分たちが置いて行った紙袋の残骸があったら、どう思うのだろうか。当然、雨風でべちゃべちゃになって、森の動物たちにあちこち食べられて、見るも無残な姿になっているだろう。まさか、自分たちが破棄した残骸とは思わずに、汚いと顔をしかめるのだろうか。


漸くトンカに近付くと、敵も分かっているのか、静かにお縄頂戴となった。悲しい気持ちになりながら、とぼとぼとトンカと一緒に歩き出し、先ほどリードを離した場所まで来て、それからまた森の中に入った。随分と歩いただろうか。広場に出る手前で、せっかくの散歩なのにリードをつけられたままではトンカも半分しか楽しめないだろう、そう思って、トンちゃん、頼むよ、とリードを外した。


と、驚くなかれ。さき程と同じように、素早く身を翻し、今来た道を逆戻りするために駆けだした。


「トーン!」「トーン!」「トーン!」


哀しみに満ちた声で叫んだ。


一回目の呼びかけは、まさか裏切るのかい、の意。二回目の呼びかけは、またマクドの残骸を食いに行くのかい、の意。最後の呼びかけは、お願いだから行かないでおくれよ、の意。


そうしたら、驚いたようにトンカは立ち止まった。そして、とぼとぼと戻ってきたではないか!


おお、トン!分かってくれたのかい。それからは、お互いを試すような真似はしたくなかったので、リードを付けながら家路を急いだ。まったく、マクドの魅力は魔力である。それに打ち勝つことは並大抵なことではない。




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ハッピーバレンタイン!

 





郵便受けに、銀行や不動産やのDMと一緒に、最近では珍しくなった手紙が入っていた。深紅の封筒だったので、台湾に住む双子の妹が新年のカードを送ってくれたのだと思った。台湾では新年を赤で祝う。服装も赤色を身に着ける習慣がある。日本の神社も朱色は使われているが、台湾の神社は落ち着いたトーンというよりは、南国らしい賑やかで晴れ晴れしい使い方をする。


台湾に最後に遊びに行ったのはいつだったろうか。子供達もすっかり大人になって、それぞれに活躍している。仙草ゼリーや屋台での朝食を懐かしく思い起こしながら、封筒をびりりと開けた。彼女がアルファベットを書くときはこんな感じだっただろうかと、ちょっと宛名の書き方が気になったが、あまり深く考えなかった。


さっとカードを取り出して、予想だにしていなかったバレンタインのカードであったことに、先ずはぎょっとした。え?


カードの見開き部分は真っ白で、メッセージはない。右下に「X X」と記してあるだけ。うーむ。


慌てて封筒を見直すと、切手が台湾のものではないことに漸く気が付いた。うーむ。


そして、バレンタインの当日、郵便受けには茶色の封筒が入っていた。これこそ台湾からのもの。開けてみると獅子舞よろしく、龍舞のデザイン。見開き部分にはびっしりとメッセージが楽しそうに躍っていて、南国の香りが爽やかに放たれた。


ありがとう!


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2023年2月13日月曜日

トンカ、怒る

 





森の木々が段々と夕闇に溶け込んできて、遠くの木々のはざまから見え隠れする空の色が、血の様に赤く染まっていく様を見て、その日の散歩は早めに切り上げようと改めて思った。そもそも、午後の早い時間に近所の友達と一緒に森で長い散歩をしていたから、夕方に散歩に行く必要はないと思っていた。


しかしトンカはそうは思っていなかったようで、散歩の後の心地よい昼寝を終えて、夕食をぺろりと平らげると、未だ明るい外をみながら、いつものように散歩に行こうとねだるのだった。いや、いつものように散歩に行かないことに、腹を立てているようでもあった。


そうなると、バッタ達がいるわけでもなく、夕食の準備があるわけでもない、つまり大した用事もない身としては、そこまで言うなら散歩に行こうか、となった。トンカの遅い時間の昼寝を終えての夕食だったので、いつもよりも30分は遅い出発となってしまった。


最初から、日中の散歩もしたし、夕方の散歩は30分ぐらいで早めに切り上げてしまおうと思ったわけだったが、この思いがトンカに共有されていたはずもなく、今思えば、トンカにしてみれば、いつもの夕方の散歩のつもりだったに違いない。


森の入り口付近で、辺りは夕闇に包まれていき、トンカの青く光るLEDの首輪が目立ち始めていた。突然人影が近寄り、「ボンソワール」の声とともに消えていった。犬を連れていたが、トンカと違って光る首輪をしているわけでも、懐中電灯を持っているわけでもなかったので、どきりとさせられた。それよりも、犬が近づいたにも関わらず、トンカは我関せずに叢で何やら匂いを嗅ぎ取る行為に夢中だった。


そう、サインは幾つもあったと思う。気が付かなかったわけではなく、見逃したわけでもなかったが、深刻に捉えていなかったといえよう。


森の入り口の草藪で青い光がちらちら動いているのをみて、トンカが何かに引っかかっていることが分かった。音と動きから、恐らく誰かが捨てた食べ物にでもありついてる様子だった。こんな時、引き離そう試みても必ずや同じ場所に戻ってしまう。暗くなってもいたし、仕方がないので好きにさせてやることにした。それよりも、森の中の径は通らずに、いつものような大回りもせずに、別のルートで草原を一周して帰ろうと算段していた。口笛を吹き、呼び出してみたが、一向にこちらに来る気配がないので、森の入り口が良く見える草原に出て待つことにした。


が、待てど暮らせどトンカは出てこない。遠くで犬が二回吠えた。その吠え声がトンカに似ていたことから、一瞬どきりとしたが、流石に目の前を走っていったのなら見逃すはずがない。そう思って、森の入り口付近まで戻ってみたところ、青い光の存在が全くなくなってしまっていた。慌てて口笛を吹き、名前を呼んだが、ひっそり閑としていて、トンカの息遣いも、枯れ葉を踏む音も聞こえてこない。


まさか、先ほど聞こえた犬の吠える声がトンカだったのではないか。そう思ってトンカの名前を呼びながら、森に沿って道を走ってみた。しかし、どう考えてもトンカが忽然と消えるはずがない。トンカには逃亡意欲はこれっぽちもなく、目の前の餌に夢中になっているか、取り上げられないかと恐れて、隠れてこっそりと食べているかのどちらかに違いあるまい、そう思った。


もう一度森の入り口付近に戻ってみると、青い光がちらちらと見え隠れしたように思われた。慌てて走って行ってみたが、すぐに見えなくなってしまった。


周囲はすっかりと暗闇に包まれ、森の中は暗黒の世界になっていた。リールで目の前の木をがんがんと叩いて音を出し、「トンカ!来い!」と叫び、口笛を吹いた。「もう帰るよ!」必死だった。森の中に入るにも懐中電灯を持ってきていなかったし、木の根っこに足を取られることもあるだろうし、それに何より暗闇が怖かった。


「トンカ!トンカぁ!」


何十回目の呼びかけで、漸く遠くに青い光が見えた時には、本当に嬉しかった。ところが、トンカは再会を喜んで、私の腕に転がり込むようなことはせずに、近くまで戻って来たものの、また別の叢に入り込んでしまった。ちょっと、それはないじゃない、トンちゃん。


それでも青い光は目の前にちらついている。こちらも這うようにトンカに近付き、それこそ猫なで声で呼び出し、誘い出した。本来なら、どこに行っていたのよ、と怒るつもりだったが、どうやらトンカの方でも疑心暗鬼になっているようだった。


確かに、勝手に散歩のルートを変えたのは私だし、しかも、夕闇だったので、トンカにしてみれば、いつもの散歩道を慌てて走って追いつこうとしたものの、誰もいない。暗闇に一人取り残された気分になったのだろうか。呼び声が後ろからするから戻って来てみたものの、一体どうなっているの、といったところか。


リードを付けると、お互いに何も言わずに一目散に回れ右をして家路を急いだ。驚いたことに、いつもなら家に帰ると自分からお座りをして、首輪を外されることを待つのだったが、今回はお座りなんかするもんかのオーラがばんばんと出ていた。仕方なしに、煮干しで座れと命じてみたものの、煮干しを見ても仏頂面をしている。


森の入り口で、恐らくボーイスカウトあたりの残飯でもたらふく食べたのだろうと思っていたので、煮干しを出しても見向きもしないのだろうか。それにしても、怒っているなあ。


帰るなり、水をかぶかぶ飲んでいて、なんだか取り付く島もない。そのうち、滅多に一人では使わない、正確に言えば使うことを許されていない赤い革のソファーに身を横たえた。そうか、そうか。トンカだって、真っ暗な森の中を一人で走らされて怖かったんだよね。分かった、分かった。ごめんよ、ちょっとした行き違いだったんだよ。そりゃあそうだよね。勝手に散歩のルートを変えられたって、分かるわけないものね。


思い切りむぎゅうっと抱きしめてやった。暫くして、いつものソファーに戻って、のほほんとくつろぎ始めた。ああ、トンカ、仲直りしようね。トンカからは、やわらかな幸せオーラが漸く感じられた。



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2023年2月12日日曜日

春近し

 







朝、眼鏡を手にしてグラスが酷く汚れていることに気が付いた。雨にでも降られて、そのままにしてしまった様な状態。前日のことを考えるが、特に思い至ることがない。眼鏡をしたままシャワーを浴びることもなかったし、と思いながら、軽く水洗いをする。


今でもよく覚えているが、小学4年生の時の視力検査で右目がちっとも見えずに、視力が0.4しかなかったと判明した時の衝撃といったらなかった。その日に友達とドッジボールをして、右目にボールの直撃をくらっていた。それを必死に教師に伝え、特殊事情があったことを考慮に入れてもらおうとした。テストで悪い点を採ったように、いや、それ以上に、身体的欠陥を指摘されたようで、ひどく焦った。左目の視力は1.5であったから、なおさらのことだった。


翌年の視力検査でも右目の視力は戻らず、心は鉛の様に重く、何も考えられなかった。


身体検査の結果は当然家庭に伝えられ、眼科に連れて行かれ、眼鏡を作ってもらった。左目の視力は1.5と問題なかったので、通常の生活には全く問題がなかったのだが、右目を使わないことでの影響や、左目ばかり酷使することでの影響を考慮すれば、眼鏡で視力矯正する方が良いとのことだった。


しかし、生活上全く問題がなく、眼鏡をしたからといって何かが良く見えるわけでもないので、せっかく買ってもらった眼鏡も、ほぼ使われずにランドセルの中で眠っていることが多かった。


そして、中学に入ると、家の勉強机の引き出しに入れて置きっ放しにしてしまった。その後、高校に入っても、オーストラリアに行っても、大学に入っても、左目の視力は常に1.5だったので一切眼鏡のお世話にはならなかった。


それがどうして、どの段階でそうなったのかはすっかり忘れてしまったが、コンタクトレンズのお世話になるようになっていった。左目の視力が徐々に弱くなってしまったことが最大の要因ではある。

そのうち視力の良さを誇っていた友人達が、ちらほらと眼鏡のお世話になっているのを見て、近眼であることは、そう悪いことでもないのだな、と思うようになっていった。


それでも、昨年あたりから照明を落とした、雰囲気のあるレストランのメニューが読みにくくなり、これまでは商品の説明書や能書き、パッケージに記載されている文言、あらゆる文字を読むことが趣味だったのだが、それが億劫になり、寝る前の読書も辛くなってきた。そうなると選択肢は、読むか読まないか、となる。


従い、遠近両用眼鏡を誂えることになったのだが、そこに至るにあたって驚いたことがある。なんと眼科でコンタクトレンズを使うこともできると言われ、遠近両用のコンタクトレンズがあるのかと、技術革新なるものを肌で感じた一瞬だったが、いや、さすがにそうではなかった。発想の転換といえるだろうか。片方のレンズを遠視用に、もう片方を近視用に使うことで遠近両用とする、ということだったのだから椅子から転げ落ちそうになった。


ちょっと、ちょっと、ちょっと。小学生の頃に、右目が近視だということで、左目しか使わないで生きていくことの弊害を眼科医や眼鏡屋さんから教えられたのではなかったのか。体に良いもの、悪いもの、体に良いこと、悪いこと、そんなものは実際のところ主観が大いに入るものなのであろう。分かっちゃいるけど、の世界といえようか。


そうなると、多くの情報を得て、自分の感性で取捨選択をし、これが今の自分には最善、と思う道を進むしかないのであろう。と、ここまで偉そうに書きながら、実のところ、小学生の時に両親から買ってもらった眼鏡を使わずに、ランドセルの底に眠らせておいたことに思い至り、人間とは感性の動物であり、誰から言われずともちゃんとそうして来たのではないか、と笑いたくなってしまった。


そんなこんなで近視用眼鏡、遠近両用眼鏡、読書の時専用眼鏡が揃うことになった。ここで漸く文頭の場面に戻ることになる。そう、朝掛けた眼鏡は以前に作った近視用眼鏡で、驚くなかれ、半日過ぎて漸く眼鏡のフレームを確認して自分の間違いに気が付いたのである。なんともずぼらな話。春も近い、ということか。



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2023年2月5日日曜日

ベトラーブ

 




マルシェで元気な野菜たちに挨拶をし、吟味し、籠に入れていた。いびつながらも瑞々しい蕪、見た目にも辛そうな細くてひねった黒大根、ふっくらとした傘の茶のシャンピニョン。きなり色のパースニップ、ごろごろとしたベトラーブことビートルート。


高校時代に一年留学したオーストラリアでの定番の夕食を思い出していた。噛み応えのあるウエルダンに焼かれたステーキと、人参やパースニップ、スクワッシュなどの茹で野菜のマッシュ。


パースニップやスクワッシュは、日本で見たことも食べたこともなかったので、この様な味で、この様に食するのかと思っていた。胡瓜にしても、オーストラリアのものは巨大で味は日本の胡瓜とは似て非なるものだったし、最初こそ新しいものが物珍しく、何でもありがたく頂いていたが、故郷の味が恋しくなかったかと言えば嘘だった。


ステイ先は田舎の小さな村だったが、ある時、車で小一時間程の大きな街に連れて行ってもらった。そこでアジア系の食品店に足を踏み入れた瞬間を、今でも昨日のことのように覚えている。シナモンや八角といった中華料理独特の香辛料が出迎えてくれて、眩暈がする程だった。こじんまりとした店舗で、狭い通路の両脇の棚に、色々な調味料の瓶、香辛料の袋、豆類、ナッツ類、粉類などが、ぎっしりと陳列されていた。そこは明らかに日本の空間ではなかったが、それでも強く郷愁の念にかられた。


ある時、ホストマザーと一緒にお店に行った時、トウモロコシが目に留まった。小躍りし、頬ずりせんばかりの私を見て、早速買い物かごに入れてくれて、その日の夕食に茹でてくれた。興奮しながら黄金の粒が並んだ一切れを口にし、泣きそうになってしまった。頭の中で描いていた、歯を当てると、ぷっつらとした粒が弾け、ほのかに甘く、瑞々しい汁で口がいっぱいになる、といったことはなく、べっちゃりとして、硬い粒の皮が歯にまとわりついたのである。


しっかりと焼いて歯応えのあるステーキに添えられている、茹で野菜のマッシュと共通するものを感じた。ブロッコリーもカリフラワーも、個性的な味のパースニップだけは別としても、人参やスクワッシュ同様、原形の判別つかなくなるぐらい茹でられ、潰されてしまうのだった。味は乏しく、塩をして辛うじて食べる、といったところか。


あんなに美味しいトウモロコシが、茹で野菜のマッシュと同じになってしまうなんて。日本は野菜を生で食する文化を持っていて、素材を活かした調理法をとるのだと、その後思うに至った。


調理法が異なるだけで、こんなに味が変わるものなのか。


そうだと分かっていても、今まで身体が拒否反応を起こしていた素材の一つに、ビートルートがある。これもオーストラリアで初めて出会った時には、その禍々しい程の赤色に怖気づいてしまった。缶詰だったのか、酢漬けしたもので、とにかく柔らかく、独特の甘酸っぱさがあった。


赤色が自然なものとは到底思えず、人口着色料を使ったものだと信じ込んでいた。その後、ホストマザーがスーパーで大きなバケツのようなもから取り出して買う様子を見て、やはり人工的な香りがぷんぷんとして好きになれなかった。好き嫌いが全くない私にとって、唯一の苦手な味だった。


随分たって、フランスのマルシェで蕪や人参と一緒に並んでいる、赤黒いごつごつの丸い球根がベトラーブ、つまりビートルートであることを知り、驚いたことがある。あの禍々しい赤が自然の色だったということに驚き、酢漬けではなく、生のビートルートを人参や蕪と同じように売っていることに驚いた。


それでも、ごつごつのベトラーブ、を買ってみる気にはならなかった。フランスでも、サラダに酢漬けのベトラーブが入っていることがあったが、出来るだけ避けてきた。


ところが、昨年のノエルのバザールで、友人がボルシチを買ってきてくれて、その味があまりに美味しかったことから、ボルシチのレシピを見たところ、重要な材料の一つがベトラーブであることを知り、驚いてしまった。


その後、マルシェでベトラーブを見る目が変わってしまった。ひょっとしたら、別の食べ方があるのではないか。禍々しい赤色が、なんだか身体に良い色に思えてきてしまった。怖いもの見たさ、というよりも、初めて出会ったかのような思いで、ごつごつのベトラーブを手にし、我が家の台所にお迎えした。それが、つい先日のこと。


恐る恐る包丁をあててみると、さっと赤い汁がほとばしった。薄切りにして、味わってみると、例の独特の甘みがあるが、いやらしくはない。良く考えてみれば、柘榴の赤も、ブラッドオレンジの赤も、ベトラーブの赤も似ているではないか。長いこと避けてきてしまったが、これからは我が家の食材として使って行こう。


ふと、小学生の頃学芸会で演じた「大きな蕪」を思い出した。あれは確か、ロシアの民話だったのではなかろうか。いつも大きな真っ白な蕪を想像してきたが、ひょっとしたら赤黒いベトラーブだったのではないか。そう思うと、大声を出して笑いそうになってしまった。早速、ロシア人の同僚に確かめねば。


外では鉛色の空に、春を待ちきれない鳥たちがにぎやかに鳴いている。


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2023年2月4日土曜日

恵方巻き

 






節分となりて大阪人がすなる恵方巻きといふものを、我もしてみむとてするなれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


具材にとぼしけれど、我が家にあるものを総動員し、作ってみるなり。


黄金の厚焼き玉子

ディジョンの粒マスタードを絡めた、しっとりむっちり手作り納豆

ぱりりと細切り胡瓜

ジューシーツナ

大塚さん手作り梅干しの紫蘇

ペルーのぽってりアボカド

炒り胡麻


カマルグの無農薬玄米と焼き海苔


切らずに食するなど、はしたなきこと、いかに縁起担ぎとはいえ、えせず。福を逃がすことにならぬようにぞ、念じけり。



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2023年2月2日木曜日

自然体

 





グレングールドのバッハが流れると、トンカはとっても落ち着く。バッハの螺旋階段を駆け上っていくスタイルに共鳴するものがあるのだろうか。グールドといえば、小学生の頃、ピアノを練習していた双子の妹が弾く曲だとかで、母が彼のレコードを買ってきたことがあった。


皆で居間のソファーに座って、神妙にスピーカーから流れる音を拝むように聴き入ったのだが、途中で母が変な顔をし出した。いや、母だけではなく、妹も困ったような顔をしている。スピーカーに問題があるのか、レコードに傷がついているのか、途中で低い唸るような音が混じっているのである。


それがグレングールドの鼻歌であったことは、そのレコードについていた解説書を読んだ母が解明し、教えてくれた。すごい衝撃を受けたことを覚えている。ピアノを弾く時は、姿勢を正して、正確にリズムをとって、楽譜通りに音を出すものだと思っていた。いや、正に「音を出す」ことしかしていなかったのである。音楽を奏でることへの理解が、ちっとも深まっていなかったし、それがどういうことなのかも、考えることさえしていなかった。


当時の子供たちのピアノの発表会なんて、そんなものだったし、プロの演奏会に行く機会も滅多になかった。プロが陶酔して演奏している姿を見ても、それを真似ようとは思いもよらなかったし、そんな風に弾くものだとも思わずに、別世界のことだと思っていた。


恐らく、子供ながらに、我を忘れて何かに没頭する姿を人に見せることは、気恥ずかしく、禁忌なのだと思っていた節がある。何故だろう。自分の感情を表に出すことは、恥ずかしいこと。そんな風に教育を受けたわけでもなかろうに。


幼い頃はとても泣き虫だったので、人前で泣くことは恥ずかしいことで、親が死んだ時ぐらいにしろ、とは言われたものだったが、なにゆえに四角四面な性格になったのかは、謎である。そして、その四角四面な性格がぱちんと弾けて、大らかになったきっかけはオーストラリアへの高校留学だったことは、以前にも言及している通り。


こうして、グレングールドの奏でる音楽をこよなく愛するトンカの様子を見ながら、自然体であることの素晴らしさと、大切さをしみじみと思うのだった。



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