2023年12月31日日曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(ダルバート)





 


Ammaの体調も振るわなかったが、相棒の体調も怪しげだった。二人には、私の病をバトンタッチしてしまったような思いがあったし、一方の私はすこぶる元気になっていた。ルクラまで、無事に歩いて行くためにも、出来る限りのサポートをしたかった。


そこで、荷物を一切背負わないように、私が二人の水筒を持ち、相棒の大切なクリスタルボールを背負うことにした。途中で上着を脱ぐことがあれば、私がリュックに入れると申し出た。本来であれば、回復の為にも寝ていたいところを、歩かねばならないのだから、少しでも負担を軽減したかった。


相棒は元気になったことを見せたかったのか、エネルギー補給を身体が欲求したのか、はたまた、彼の地での食事を愛おしむ思いがあったのか、朝食にダルバートを注文した。その朝、厨房には珍しくRajさんは未だ来ておらず、顔見知りになったシェフにダルバートを作って欲しいのだけど、とお願いをした。


えっ?ダルバート?いや、もちろん出来るけど。オッケー、今作って持っていくよ。


よくよく聞けば、相棒はご飯が食べたかったらしい。それであれば、熱々のご飯とお漬物、とでも言えばいいのに。


「ダルバート」とは、ネパール料理の一丁目一番地といえよう。「ダル」は豆のスープのことで、「バート」は白飯のことである。従いダルバートの基本構成要素は、豆のスープと白飯となるのだが、野菜のおかずとなるタルカリ、お新香のようなアチャール、青菜の炒め物であるサーグを盛り合わせたものが、ロッジでは供される。これに鶏のカレーがオプションで付けられる。


そして、肉のカレー以外は、全てお替りが自由であることも「ダルバート」の特徴と言わねばなるまい。そして、自由と言うよりも、お替りはいかが、と途中で厨房からシェフがわざわざ来てくれ、お替りを持ってきてくれることも、大いなる魅力であることを付さねばなるまい。


相棒はお肉のカレーなしの、シンプルな「ダルバート」をお願いしたわけではあるが、朝から親子丼を注文したようなものであった。えっ?朝から親子丼っすか?といった感じで、シェフが対応したことは確かである。


おい、おい。せめてチベタンブレッドあたりで手を打たんかい、と言いたいところではあるが、病み上がり、いや、むしろ病を押してのトレッキングなのだから、ここは相棒の要望を聞いて欲しいところであり、最初こそ戸惑ってはいたが、快く準備してくれたシェフには感謝しかない。


しかし、私も迂闊ではあった。あの時、もしも最初に注文を受けたのがRajさんだったら、彼ならどう対応したろうか。病み上がりであり、これまで熱があったのだから、シェフのスープかオニオンスープあたりで、お腹を驚かせないようにした方がいい、と言ったのではあるまいか。




残念ながら、Rajさんの聡明な意見を聞くことは無く、相棒は暫く待たされたものの、お願いしたダルバートがテーブルに置かれると、嬉しそうに食べ始めた。それが引き金になった、とは明言できないが、とにかくも、その後の彼女の一日が非常に辛いものになってしまったことは事実である。激しい下痢に襲われることになってしまったのだから。





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カトマンズ編 迷子

カトマンズ編 コペルニクス的転回

カトマンズ編 政治談議

出発編 ビスターレ、ビスターレ

出発編 ラメチャップへ(人生観)

出発編 ラメチャップ(深淵)

出発編 ラメチャップ(恋に落ちて)

Day 1 ルクラ(チベット仏教の世界に)

Day 1 ルクラからパクディン(画像バージョン)

Day 1 パクディン(林檎と蜜柑と柘榴)

Day 2 ナムチェへ(渓谷の朝)

Day 2 ナムチェへ(ジャパン トキオ)

Day 2 ナムチェへ(冠雪のクスムカンガル峰)

Day 2 ナムチェの夜(まさかの高山病)

Day 3 ナムチェの朝(子を抱く母、アマダブラム)

Day 3 サガルマータ国立公園(ゾッキョと相棒)

Day 3 サガルマータ国立公園(空間の共有)

Day 3 シャンボチェの丘(お数珠)

Day 3 シャンボチェの丘(標高3 800m)

Day 3 シャンボチェの丘(夜の帳)

Day 3 シャンボチェの丘(今後の相談)

Day 3 シャンボチェの丘(明けない夜はない)

Day 4 シャンボチェの丘(エベレスト御開帳)

Day 4 シャンボチェの丘(標高3800メートルのお粥)

Day 5 シャンボチェの丘(復活の朝)

Day 5 再びナムチェに(シバ神と天照大御神)

Day 5  再びナムチェ(相棒)

Day 6  ジョルサレ(祈り)

Day 6 ジョルサレのロッジにて(考察)

Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)

Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)

Day 7 パクディン(祈りと願い)

Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)



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夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 8 ルクラへ(Ammaの矜持)



 

人にはそれぞれ矜持がある。母は45歳にして大学生3人を抱えた未亡人になるなんて、思いもよらなかっただろうし、しかも、亡くなった旦那の家業を継ぐことになろうとは、考えてもいなかったであろう。


3年間は父の話題を母にすることはご法度だった。母から話題にする分には問題がないが、子供達が話題にすることは禁じられていた。それ程、母にとっては乗り越えることが困難なことであったともいえよう。



私でさえ、そうだったのだから。夏の暑い日に父は別の世界に旅立ってしまい、9月に大学のキャンパスに戻った時、クラスメート達が他愛なく笑い合っている姿に、異様な違和感を覚えたことを今でも思い出すことが出来る。


しかし、母は悲哀感も悲壮感も、一度でも漂わせたことはなかった。子供というフィルターを通しての母しか表現できないが、いつだって生命感に溢れ、正義感に燃え、松明をかざして群衆を導く、圧倒的なオーラを持っていた。



幼稚園生の頃か、小学生になっていたのか定かではないが、一度母に尋ねたことがある。「ママは魔法使いなの?」私は大まじめだった。一瞬、沈黙の時間が流れた。


「ううん。違うわよ。」


母は私の質問を笑い飛ばすでもなく、どうして、と聞き返すこともなく、真っすぐに受け止めて、真剣に答えてくれた。そのことが子供ながらに嬉しかったし、母は嘘を決してつかない、との思いが胸に刻まれたように思う。



そして、計画を急に変更することを酷く嫌うところがあった。だからこそ、計画は用意周到に立て、滅多なことでは変更しない。それなのに、対極的なことではあるが、瞬時に物事を決めてしまう潔さも併せ持っていた。






果たして。ドゥードコシ川の瀬音を子守歌にして寝入った翌朝、Ammaは黙々と朝の準備をし、出発の予定時間には、笑顔さえ見せて登場した。前日に飲んだ茶色い錠剤の効き目は、どうやら大したことはなかったようだった。喉の痛みは、咳と鼻水に取って代わっていて、それゆえの倦怠感もあるだろうのに、トレッキングポールを両手にしっかりと掴み、さあ、参りましょうか、となった。








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Day 7 パクディン(祈りと願い)



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夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(祈りと願い)

 





パクディンのロッジでは、遅い昼食をAmmaと私のみでとったように記憶している。相棒の調子は、ここでも今一つで、確か早々に寝入ってしまったように思う。ダールバートに舌鼓を打つ私の傍で、Ammaは所謂チャーハンに、溶き卵をさくっと焼いただけのシンプルな卵焼きが定番となっているオムレツ付きフライドライスを、時間を掛けながら食べていた。が、それも半分以上は残してしまった。






懸念していた通り、Ammaは体調が振るわず怠いようで、喉の痛みに加え、咳が出るようになっていた。高山病向けの薬はあるが、風邪薬は持ち合わせていない。痛み止めのアスピリンも、錠剤の数が少なくなってきていた。






ロッジに向かう手前に、目を見張る立派な建物に、残念ながら手入れが行き届いているとは言い難い、豪勢な庭園を持つシャングリラリゾートという、宿泊施設があった。シャングリラグループの系列なのだろうか、と思ったのでよく覚えている。その隣にドイツの支援で建てられた病院があることを、Rajさんが教えてくれていた。


相棒が言い出したのか、私が思いついたのか、詳しいことは忘れてしまった。とにかく、そこに行って薬を買ってくることになった。早速厨房の入り口にいたRajさんを見つけ、新たなミッションを担ったので、遂行すべく助けて欲しい旨伝えた。


薬を買いたいので、病院に連れて行ってはくれまいか、と言うと、勿論ですよ!となり、すぐに一緒に外に出てくれた。ひと休みしていたところを連れ出してしまったことを詫びると、いつもの笑顔で、大丈夫ですよ、と言ってくれた。Rajさんが「大丈夫」と言うと、本当に大丈夫だと思えてしまうから不思議だった。彼の「大丈夫」に何度救われ、何度甘えたことか。






病院は、思っていた通りにシャングリラリゾートに隣接しており、小洒落た小径の奥にある瀟洒な建物だった。中に入ると受付に女性がいて、丁度男性に薬を渡しているところだった。解熱剤と風邪薬を少々買いたい旨告げると、非常に高飛車な言い方で、ここは病院であり薬局ではない、従い患者を診るが、薬だけを販売することはない、と撥ねつけられた。


そして、初診料は75ドルです、と印刷された紙を指さした。母と妹が具合が悪くて寝ており、とてもではないがここまでは来れないと告げ、お願いなので薬を分けて欲しいと懇願した。しかし、けんもほろろに断られ、険悪な空気が流れた。


一瞬、私が診てもらい、薬を処方してもらおうかとの思いが過るが、その思いを口にする前に、Rajさんが、ディディ、もう行こう、と私を出口に促した。75ドルも支払うなど馬鹿げているし、薬なら誰かが持っている筈だ、と言うのであった。


病院は確かに薬局ではない。それでも、パクディンには他に薬局などないのである。具合が悪くなった人を救おうとするのが、医者の使命ではあるまいか。そんなことを言っていたら、誰も診察料を払わずに、薬だけを買うことになり、人件費や運営費が賄えない、となるのかもしれない。病院側の言い分も分からなくはないが、妙に腹が立った。


一体、誰が75ドルの初診料を支払えるのか。旅行者料金で、地元民には別の料金体系になっているのだろうか。誰も使えることが出来ない、立派な箱だけを用意しても、何もならないではないか。


Rajさんも、Rajさんで、腹を立てているようだった。その勢いで、ネパールの現政権の一党独裁の問題点、中共に取り込まれてしまったこと、王政復古を願う動きが次第に多数派になってきていること、などを語ってくれた。彼と政治の話が出来たことが、新鮮で嬉しかった。





ロッジに戻ると、Rajさんは食堂に行き、仲間のガイドさんに薬を持っていないか聞いてくれた。聞かれたガイドさんは、もちろんだよ、と快く応じてくれ、翌日はルクラに戻るのでもう必要ないので好きなだけ使うといいよ、とバファリンを思わせる白い錠剤と、細長い茶色い錠剤を持ってきてくれた。白が解熱剤で、茶が喉の痛み止めだと教えてくれた。






その夜、Ammaは咳込むこともあり、体調が良くなっているとは言い難かった。改めてAmmaの年齢を思った。ここで無理をしてはなるまい、そう思う一方で、もしももう一泊することになれば、当然のことながらルクラからの便は一日遅らせることになり、宿代が一日分増えるだけでなく、航空チケットも日程変更による料金が発生するかもしれない、と思った。


保険が効くのは、病気の本人のみだけで、私や相棒には保険が効かないのかもしれない。恥ずかしいことに、私は母の容態を心配するよりも、自分の財布を気にしてしまっていた。そして、純粋に母の容態が回復するようにと祈ると同時に、何とか翌日はルクラに向けて無事に出発できるようにと、願うのだった。





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2023年12月30日土曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディン(ドゥードコシ川の瀬音)

 





部屋に落ち着くと、ごんごんとしたドゥードコシ川の瀬音が耳に入ってきて、ああパクディンに戻って来たのだとの感慨が強くなった。寒空が広がる部屋の外では、もうすぐ日も暮れるであろうのに、男性が洗濯物をしていた。これから干しても乾くのだろうか。





夕暮れ時の凍てつく中、ナムチェのロッジの前の通りで、若者たちが上半身裸で身体を洗っている光景に出くわしたことを思い出した。恐らくルクラから荷物を背負ってきたポーターさんたちだろう。泡のついた身体を一瞬にして水で綺麗し、タオルで拭くことなどせず、同時に洗ったと思われる固く絞ったシャツを、さっと着ていた。






高蓄熱・吸水速乾・抗菌防臭効果を備えた高機能シャツを二重に着込み、その上にフリース、ダウンを着ている我が身と比べ、なんたる違いであろう。我々の二人のポーターさんも、いつでも裸足にビーサンだった。高山病など、彼らの辞書にはあるまい。





それでも、当たり前のことながら体調が悪くなったり、風邪を引くこともある。ある時、我々の荷物を取りに来たポーターさんが、別の部屋の荷物も一緒に持って行こうしている場面に出くわした。ポーターさんの表情と、わずかな会話で、彼が特に間違っているわけではないことが感じ取れた。





その時は、大抵2人分の荷物を一人が運んでくれる勘定なので、我々は3人の荷物しか預けていないことからも、余裕があって別の仕事も請け負っているのだろと思った。それが、実はそうではなかったことが、ひょんなことでRajさんとの会話で判明した。







体調が悪くなったポーター仲間の荷物を、運ぶことがあるという。目的地が同じでない場合は、途中で別の仲間に託すこともあるらしい。そうやって、当たり前の様にお互いに助け合って、仕事の穴をなくし、時には過酷なトレッカー達のスケジュールに合わせてくれているのであった。






ガイドにしても同じだろう。Rajさんも、一度デング熱で一週間ナムチェのロッジで寝込んだことがあった。彼が引き連れていたチームは、エベレストベースキャンプに無事到着して戻って来たと言っていたので、詳しくは聞かなかったが、誰か別のガイドが彼の代わりにカバーしてくれたものと思われた。





契約以外の仕事はしない、時間外労働の無報酬は搾取である、といったマインドが濃厚なフランスで既に半生以上生きてきた。時に、俺はアジア女性は苦手なんだよ、と公言し憚らない同僚と仕事をし、社内で会っても無視され、会議中に存在さえ無関心であるかのように遇され、フランスが如何にあらゆる意味で階級社会であるかを見せつけられてきた。




確か、あれはやはりナムチェのロッジであったろうか。我々と同じ階の外廊下の手すりに、二人分の山靴と、恐らく洗ったのであろう靴下が干されてあった。ナムチェでは高度順応のため最低二泊することからも、その機に洗濯をするトレッカーは少なくない。彼らもそうなのだろうと、ぼんやりと思っていた。





ところが翌朝、くだんの外廊下で、ポーターと思わしき男性が床に膝を付けて荷物の準備をしているではないか。開け放たれたドアから見えた部屋は、寝袋や洋服が散乱していた。Business is business なのかもしれない。それをすることによって、彼は報酬を得ているのかもしれない。何も知らない私が、勝手に解釈すべきではないことは承知している。





それでも、私の胸は痛んだ。





お前だって、荷物をポーターさんに持ってもらっているではないか、と言われるかもしれない。ひょっとしたら、高山病でヘリコプターで運ばれるトレッカーの荷物を、ポーターさんが取り纏めてくれていたのかもしれない。そうかもしれない。むしろ、そうであって欲しい。





凍てつく寒空で、身体を洗っている青年たちの笑顔は爽やかだった。私が感じる幸せが、このヒマラヤにはある。





私は寒空の中で、高機能シャツやダウンを着ているし、靴下も二重に履き、軽量ながらも防水のトレッキングシューズを履いている。それでも、いや、だからこそ、こぼれんばかりの荷物を背負っているポーターさん、重い米袋やガスボンベを背負ったゾッキョやロバたち、彼らを率いる人々への畏敬の念は膨らむばかりである。そして、彼らの手を取って、一緒に歩んでいきたいとの思いも、ドゥードコシ川の瀬音のようにごんごんと溢れてくるのであった。





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2023年12月29日金曜日

夢のエベレスト街道トレッキング~ Day 7 パクディンへ(ビスターレ、ビスターレ)

 




相棒は高熱は下がったものの、本調子ではなかった。まるで私の体調の悪さをバトンタッチして、引き受けてもらったようなものであった。実際のところ、本当にそうなのかもしれない。私がフランスから風邪のウィルスを持ち込んでしまったに違いなかった。


加えて気になったのが、喉がおかしいと言っていたAmmaの体調だった。それでも取り敢えずは、ビスターレ、ビスターレでパクディンに向かって、歩き始めた我々だった。相棒は携帯の電源を落としているようで、いつものように先陣を切って太陽のもたらす光のシャワーを撮影する姿を見ることはなかった。そして、彼女の体調と反比例の如く、元気になっていく自分を感じていた。



私自身はカメラを所持していたので、最初こそ携帯の電源はオンにしていたが、ルクラ入りしてからはオフにしたままだった。ロッジに入って真っ先にすることは、カメラのバッテリーの充電であり、何かあれば連絡したいAmmaも相棒も目の前にいるとなると、携帯を使う理由は見つからなかった。






水が砕けて、幾つもの岩肌をほとばしりながら流れる滝では、小さな虹が見えた。ナムチェに行く時には、先陣を切って歩いていた相棒が携帯で写真を撮り、興奮しながら奇跡的なシャッターチャンスと景観の美しさとに酔いしれていたことを思い出した。


相棒の代わりに、私が彼女の目となって写真を撮らねば、との思いが、いつもなら狙わないアングルからの写真を私に撮らせたように思う。逆光は基本ご法度であるし、太陽光線を直接撮影することはしてこなかったが、敢えて挑戦した写真が残っている。また、同じ場所であっても、来た時と時間も天候も違うので、驚く程違った印象の写真が撮影されているのも、興味深い。





途中で、鶏の品評会のような場面に出くわした。「あら、立派な鶏ね!」とのAmmaの一言で、鶏の重さを計っていた男性が、「幾ら出します?」と聞いてきたので笑ってしまった。さすがに、こんなところで鶏を買ってぶら下げて下山する強者はおるまいて。






ビスターレ、ビスターレ。上りがあり、下りがあり、ゾッキョやロバの一隊に道を譲るために脇道に避難をしたりしながら、Ammaのペースに皆揃えて、ビスターレ、ビスターレで歩いて行った。見慣れた建物が左手に現われ、入り口で男性が懐かしい笑顔で迎えてくれた。パクディンに到着だった。




前回と同じ部屋ですよ。そうRajさんに言われたのだが、すぐにはピンと来なかった。前回は夕方近くの到着だったが、今回はまだ日も明るい時間帯で、ロッジは誰もいないようで静かだった。階段を上り、ぐるりと回りながら更に階段を上り最上階に着くと、ぽっかりと空いた天井から梯子が下りていた。ああ、ここだわ!苦笑が漏れた。



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