2017年8月20日日曜日

コカの葉を噛みながら







アレキパの朝も早い。8時にホテルを出て、一泊二日のコルカ渓谷ツアーに参加する。先ずはアレキパから国立自然保護区を通り、4910mの高地を超えてコルカ渓谷の入り口の村チバイまで。バスで4時間。






ガイドの男性が、バスの中でコカの葉の摂取方法を教えてくれる。5枚の葉を一緒に、ゆっくりともぎゅ、もぎゅ、もぎゅと噛む。確かに唇や舌が麻痺したような感覚となる。美味しい、というよりは、今、身体が必要としているエッセンスに思えた。






このコカの葉に熱湯を注いだだけで作るコカ茶は、それまでも随分と飲む機会があり、いつの間にか愛飲していた。どこのホテルや宿にも、フロントやラウンジなどに大型の給湯器があり、コカの葉とカップや紙コップが置いてあるからかもしれない。






確か、クスコのインカ博物館で、コカの葉の様々な効用および如何に医薬品として昔から利用されてきたかについての説明が図解されていた。






コカインは勿論、この葉から抽出して作る。葉自体のコカイン濃度は薄いらしく、依存症や精神作用は非常に弱いとされている。それでも、精神を興奮させる作用のあるコカインの原料でもあるコカの葉は、精神的な疲労を回復させる効果を持っているとされる。インカの時代も、厳しい肉体労働の合間にコカの葉を噛み、疲れを取ったと言われている。






ペルーに来る前は、珈琲を楽しみにしていた。数年前に行ったブラジルでの珈琲が美味しくて、馥郁たる香りを楽しみながら、当時の思い出も蘇り、心豊かな時間が持てることからも、今でも購入する珈琲豆の原産地はブラジルにしている程。ところが、同じ南米でもペルーの人々の珈琲の楽しみ方は全く違う。そもそも、珈琲を楽しんでいるのか正直分からない。香りも味の奥行も全く度外視している。きっと、ペルーにはペルーの珈琲の歴史があるに違いない。しかし、高地では、身体が要求しているのは、豊かな香りとか、濃厚な味わいなどではなく、コカ茶のような、緑の渋みなのかもしれない。






不思議なことに、あれだけ毎日何杯も飲み、すっかり虜になったかのようなコカ茶だったが、お土産に買って来た大量のティーパックは今では忘れられてキッチンの片隅に置かれたままになっている。風土、気候、その時の身体の状態などが、大きく左右するのだろう。依存症になる恐れは、全くなかったと言えよう。






標高3856メートルの場所でお茶休憩となる。風と雨が作りあげたと思われる岩肌が真っ青な空に映える。






ビクーニにしろリャマやアルパカにしろ、こんな高地に連れてこられて、頭痛はしないのだろうか。











アルパカとリャマの見分け方を、愛嬌のある顔とツンとすまして高貴な様子とで、顔で演じて一瞬にして教えてくれたアレキパの女性の言葉が甦る。標高が高いことで地元の人たちは高山病に悩まないのか、と母が尋ねた時のことである。海に遊びに行った帰りは矢張り頭痛がすると言う。自分たちの祖先は元々標高の高いところに住んではいなかったので、身体が環境に慣れる必要があると言う。勿論、慣れれば問題はない。山岳地帯に追いやられた歴史を、それ自体を恨むわけでもなく、淡々と説明し、思い起こさせてくれた。当時の権力に追いやられて湖上に生活することになったチチカカ湖の人々のことが頭をよぎった。

「チベット高原に最初から住んでいる彼らには、そういった高山病の問題はないのよ。」

なぜチベット民族を引き合いに出したのか。考えあってのことなのか。





「私たちは音楽とお酒があれば、いつだって幸せなのよ。どこに行かなくてもね。最近は旅行者によって、旅をする、という喜びを覚えた人々もいるけれど。」

どこか遠くを見つめて彼女が答えていた。







標高4500メートル。太陽により近づいているのだろう。空と大地の空間が狭くなってきているとも言えようか。遥か彼方に山頂に雪を抱いた峰が連なって見える。ここよりも更に高い山脈。







こんな高いところに生えている花を見に行こう、とガイドが誘う。もちろん、希望者だけで、と。標高の高さで具合が悪くなっている人や、関心のない人はゆっくりと景観を楽しんで、といったことだけの話だと思うが、バックパックの女性が、その花を見に行くのは、どんな理由があるのかとガイドに尋ねてきたから笑ってしまった。

好奇心がないわけではないだろう。コルカ渓谷までやってこようと言うのだから。何だか特別な気がして、私などはガイドのすぐ後ろを嬉々として歩いていただけに、ずっこけてしまった。感覚の違い、と言えばそれまでだが、旅に出ること自体、実際は理由なんであるようでない。そぞろ神のお導きではあるまいか。






その花、というか、苔のような、しかし決して苔ではない植物が岩の上にびっしりと生えていた。そして、確かに花を咲かせている。そこからの蜜が松脂のように光って粘っていた。一年に何ミリ育つか育たないか。うっかりして、植物の名前をメモしなかったが、探してみても見つからない。そんな出会いが旅の楽しさではあるまいか。







山裾に集落が見え始める。そこがコルカ渓谷の入り口の村、チバイだった。












ペルー紀行
 第一話  インカの末裔
 第二話  マチュピチュを目指して
 第三話  真っ暗闇の車窓    
 第四話  静かな声の男
 第五話  さあ、いざ行かん
 第六話  空中の楼閣を天空から俯瞰
 第七話  再び、静かな声の男登場
 第八話  インポッシブルミッション
 第九話  星降る夜
 第十話  インカの帝都
 第十一話 パチャママに感謝して
 第十二話 標高3400mでのピスコサワー
 第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂
 第十四話 クスコ教員ストライキ
 第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
 第十六話 標高4335mで出会った笑顔
 第十七話 プカラのメルカド
 第十八話 標高3850メートルの湖上の民
 第十九話 ゆく河の流れは絶えずして



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2017年8月19日土曜日

ゆく河の流れは絶えずして







今回の旅行を考えた時、母からのリクエストはマチュピチュのみ。せっかくだからナスカの地上絵もみたい、程度。

昨年、丁度今頃遊びに行った友人がマチュピチュに行っていて、彼女がばっちりと旅程を写真入りで書き記してくれていて、それが非常に参考になった。また、フランスに来た時から本当にお世話になっている日本人の友人が、矢張り数年前にマチュピチュに行ったというので、地球の歩き方を貸してくれていた。彼女は、せっかくならとボリビアのウユニ塩湖に行ったという。ただ、現地にフランスの外交官の知り合いがいて、彼等の車で各地を回ったとの話。きっと何度も読むだろうからと、地球の歩き方をパリの書店で日本の値段の3倍で購入。






本当にガイドブックは良くできている。とても魅力的に書かれていて、ここも、あそこも、と行きたいところが沢山出てくる。その一つがアルキパ、そしてコルカ渓谷だった。プーノまで行くなら、もう少し足を延ばして良いのではないかと思った。





年間を通じて雨が少なく温暖な気候に恵まれていて、フルーツの栽培も盛ん。街のいたるところから望める6000メートル級の高山。近郊には大渓谷があり、温泉も楽しめる。しかも、その渓谷たるやアメリカのグランドキャニオンよりも深いというではないか。グランドキャニオンに行っていないが、眩暈がしそうな程魅力を覚えた。アルキパから一泊のコルカツアーが出ているらしい。コンドルが空を飛ぶところを見る!なんてワイルドなんだろうか。「コンドルは飛んで行く」のメロディーが懐かしさを伴って頭をよぎる。





中学の時、音楽の教師から校内放送で呼ばれて室内楽のメンバーにさせられたことがある。本当は双子の妹に声が掛かったのだが、私の姿を見て、音楽の教師はちょっと驚いた顔をしつつも、まあ、やってみれば、とテナー・リコーダーを手渡してくれた。その時の曲の一つがアンデスのフォルクローレの「コンドルは飛んで行く」だった。

本当に毎日、仕事で大変だった。朝は6時に起きて出社し、夜の9時に帰宅。それから11時半まで家で仕事。大したことはしていない。ただ、通勤時間が長いことと、仕事の量が半端ではないことが、要因だった。

だから、と言い訳ではないが、気合を入れないと旅行の計画は立てられない。そして計画をバッタ達に説明し、相談、といった時間はなかった。
取り敢えずのアイディアを現地の旅行会社数社に投げ、返事の速さと内容を検討し、一社に絞り、プログラムを決めた。




母やバッタ達が、私と同じようにアレキパの街に惹かれ、コルカ渓谷に圧倒されるか、未知数であった。正確には、私自身が心揺さぶられるか、それさえも分かっていなかった。

プーノのホテルで、いや、厳密にはチチカカ湖を望む、他にはお店も何もない、プーノの中心からは小一時間も離れた村のホテルで、母が、これから標高が富士山の山頂よりも高いところを行くらしいことをガイドブックを読んで教えてくれた時には、声も出なかった。

勉強不足。準備不足。

バッタ達は標高の高さに一向に問題はなく、頭痛薬も特に必要としていなかったし、母は日本からの頭痛薬があるので大丈夫と言っていた。そこで、私の分のみ、プーノの薬局で頭痛薬を購入。箱ではなく、一錠ずつばら売りしていることに驚いた。






プーノからアレキパまではバス。6時間程度、今度はどこにも観光に寄らずに真っ直ぐに行く予定。息子バッタとiPadで映画を見ていた末娘バッタが具合が悪そうな顔で通路の向こうから手を伸ばしてくる。慌てて酔い止めを渡すと、何故か私と席の交換をしたがり、急遽交代。そうして、道中、息子バッタの隣に座ることになる。

バスは飛行機の国際線同様、座席の前に一人一人スクリーンがあり、映画や音楽、ゲームが楽しめるようになっている。映画は全てスペイン語だったが、何の問題があろうか。二つ、三つと、大いに楽しめた。気が付くと外は真っ暗。川が流れている様子だった。

と、息子バッタが、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と口ずさむ。「淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

インカ帝国の第4代皇帝マイタ・カパックが建設した街、アレキパ。あまりに美しいその様を見て、ケチュア語で「Ari qhipay(ここへ住みなさい)」と言ったという。これがアレキパの語源らしい。その街を1540年にスペインのフランシスコ・ピサロは制服してしまう。

そんな歴史に思いを馳せてなのか。インカ帝国の神殿を取り崩し、土台だけは使い、そこに教会を建設したクスコを見てきたからなのか。各地で遺跡を見てきたからなのか。

高校の最後の最後まで、息子バッタが日本語の勉強を続け、バカロレアの試験で比重の高い日本語を選ばざるを得ない状況に追いやったことに対して、忸怩たる思いをしていた。彼は理数系コースを選択していたが、最終学年に於いても国語および日本語による地理・歴史の勉強を続け、最終的にバカロレアの試験が課されていた。結果、日本語関連学科を除けば、平均点は満点近いにも関わらず、比重の高い日本語関連学科が大きく足を引くことになった。

分かっていた。人生は試験だけではないことを。彼の高校生活を豊かにし、友人たちにも教師にも非常に恵まれた環境を提供した、今の教育機関に通えたことに対して非常に感謝していた。

それでも、
試験の結果を見て、数字ではっきりと、日本語関連学科が彼の評価の足枷になった事実は、痛かった。

ところが、
南半球の、ペルーという国。その南部にある、同国第2の都市、人口約90万人程度のアレキパにて、鴨長明の方丈記の一節を口ずさむとは!

にんまりとする。
これから二年間、全寮制の教育機関で学ぶことを選んだ息子バッタ。力強く、確信をもって出航!









ペルー紀行
     第一話  インカの末裔
     第二話  マチュピチュを目指して
     第三話  真っ暗闇の車窓    
     第四話  静かな声の男
     第五話  さあ、いざ行かん
     第六話  空中の楼閣を天空から俯瞰
     第七話  再び、静かな声の男登場
     第八話  インポッシブルミッション
     第九話  星降る夜
     第十話  インカの帝都
     第十一話 パチャママに感謝して
     第十二話 標高3400mでのピスコサワー
     第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂
     第十四話 クスコ教員ストライキ
     第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
     第十六話 標高4335mで出会った笑顔
     第十七話 プカラのメルカド
     第十八話 標高3850メートルの湖上の民




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2017年8月15日火曜日

標高3850メートルの湖上の民






プーノの朝は早い。
太陽が標高3850メートルの水平線を焦がし始める。




アイマラ族出身のガイドの青年から、湖畔に住んでいたウル族たちがスペイン人に責められて湖に住むようになったと聞いたが、15世紀の第9代インカ皇帝パチャクテックに攻め入られ、ティティカカ湖の浮島に逃げ込んだ等の諸説があるらしい。既に湖に住む民はいたが、湖畔に住む人々もスペイン人の攻略を受けて湖上生活を余儀なくされた、といったところだろうか。





葦、トトラで作られた舟に揺られながら、思う。
人間は考える葦。自然の中では最も弱いものだが、考えるという行為によって宇宙を超える、とパスカルがフランスで沼地に生える葦を見ながら思いに耽っている時にも、アンデスの奥地、標高3850メートルのティティカカ湖では、当時の権力に追いやられた民が葦を使って島を作り、そこに居住していた。そして、その生活は今も続いている。






波もなく、静かにゆったりと舟が進む。一緒に乗り込んだ島の男の子が「さいた、さいた。」と口ずさむ。誰に聞かせるということでもなく、とても自然に。「ちゅーりっぷのはなが」。いつもそこで止まってしまう。日本人の観光客が教えてあげたのだろうか。とても恥ずかしがり屋なのに、それでいて「さいた、さいた。」と皆の周りを歩き回る。





末娘バッタが船頭の女性に頼んでオールを握る。怖いもの知らず。何でも見てやろうとの精神。

数家族が住んでいると言う浮島では、観光客が数人ずつに分けられた。我々は一人の女性の家に手を引かれて招かれる。観光サービスの一環なのだろう。家といっても、小さな部屋に蒲団が敷いてあるだけ。それだけの生活空間。壁にはいくつもの洋服がぶらさがっている。4人家族と言っていたか。居たたまれなくなって、外に出る。すると、招き入れてくれた女性が手作りの織物、刺繍のタペストリーを広げて見せてくれる。


末娘バッタが値段交渉をやらせてくれ、と言うので、任せる。同じ大きさなのに、値段がそれぞれに違う。末娘バッタによると、欲しいと思われている作品には高い値がつけられているらしい。真剣な商談が展開される。先程の小さな空間に住んでいる女性は最初はウキウキとしていたが、そのうちに顔を曇らせ、悲しそうな表情を浮かべる。ああ、これでは勝負にならない。


別の女性が持っているタペストリーを母が気に入った様子。ここでも末娘バッタが値段の交渉。頑張る彼女に、女性は奥で遊んでいる少女の方を向いて、子供がいて大変なんです、と訴える。そう言われてしまうと、勝負はついてしまった。ママ、そんなんじゃダメだよ、と末娘バッタには呆れられるが、言い値を出してしまう。





子どもには弱い。特に、この地の子供達を見ると、幼いころの自分と重なってしょうがない。何故だろう。小学校の頃の友達の顔も重なる。母親にしても、ひょっとしたら長女バッタと同い年ではないかと思ってしまう。彼らが不幸などと決して思わない。そんな不遜な考えはない。それでも、彼等の日常を思う。湖の浮島の中だけの生活。閉塞感。水の臭い。





パスカルの言葉が改めて重みを持つ。
人間は自然のなかで最も弱い、一本の葦にしかすぎない。だが、それは考える葦である。彼を押し潰すためには全宇宙が武装する必要はない。蒸気や一しずくの水でも人間を殺すには十分だ。しかしながら、たとえ宇宙が彼を押し潰そうとも、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬこと、また宇宙が自分よりも優れていることを知っているからだ。宇宙はそれについて何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。





湖上の民に幸多からんことを










ペルー紀行
     第一話  インカの末裔
     第二話  マチュピチュを目指して
     第三話  真っ暗闇の車窓    
     第四話  静かな声の男
     第五話  さあ、いざ行かん
     第六話  空中の楼閣を天空から俯瞰
     第七話  再び、静かな声の男登場
     第八話  インポッシブルミッション
     第九話  星降る夜
     第十話  インカの帝都
     第十一話 パチャママに感謝して
     第十二話 標高3400mでのピスコサワー
     第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂
     第十四話 クスコ教員ストライキ
     第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
     第十六話 標高4335mで出会った笑顔
     第十七話 プカラのメルカド




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2017年8月14日月曜日

プカラのメルカド




ペルー紀行
第一話 インカの末裔       第十一話 パチャママに感謝して
第二話 マチュピチュを目指して  第十二話 標高3400mでのピスコサワー
第三話 真っ暗闇の車窓      第十三話 アンデスのシスティーナ礼拝堂    
第四話 静かな声の男       第十四話 クスコ教員ストライキ
第五話 さあ、いざ行かん     第十五話 高く聳えるビラコチャ神殿
第六話 空中の楼閣を天空から俯瞰 第十六話 標高4335mで出会った笑顔
第七話 再び、静かな声の男登場
第八話 インポッシブルミッション
第九話 星降る夜
第十話 インカの帝都





プカラに到着。プカラ文明は紀元前200年から400年近く栄えた文明とのこと。ここではプカラ遺跡から発掘されたミイラや石像などの出土品が展示されている。





歴史にも触れたいが、それよりも、今この土地で住んでいる人々の生活にも触れたい。足は自ずと広場のマルシェに向かう。






数人の子供たちが駆けていく。バイオリンケースが目に留まった。音楽教室の帰りだろうか。声を掛けるが、ツンとして行ってしまう。どこぞのご令嬢か。子供仕様のバイオリンを持っていたことにも驚いたが、着ている洋服からも他の子達とは違っていた。他の子達は取り巻きのようにも思え、非常に分かりやすく、どこの国でも地域でも、人間の営みとは同じようなものだと笑ってしまう。




広場には老若女女、、、茣蓙を敷くもの、小さな机の上を出すものそれぞれだが、皆が乾燥した草、花、豆、芋などを、あるものは大きな袋に、あるものは小さな袋に、各自それぞれに商いをしていた。ヒトデの感想と思わしきものもある。バッタ達は夏のブルターニュでいつでも見ていると、あんまり関心を示さずに、どこかに散ってしまう。






母が赤色の殻のピーナツを見つける。どうやら台湾に住む妹の旦那の父上が、母に特別に贈ってくれるらしく、最高の味わいと言っていたが、ペルーのプカラ産だったとは!と驚いている。台湾からのピーナツがプカラ産かどうかは怪しいが、確かに目の前の赤色の殻のピーナツはこの地のものだろう。とはいうものの、ここの土地は赤みがかっているから、ここで採れた植物の殻も赤みがかっていているというのは、短絡的過ぎるか。






つい最初に目についた場所で一袋を買ってしまうが、奥に歩みを進めるとかなりの規模で豆を扱っている。一体これだけの量をマーケットに出しておく必要があるのだろうか。一日でどれだけの量が売られ、どれだけの日数で回転するのだろうか。







後日談となるが、フランスに戻って真っ先にスーツケースから取り出して味見。
野ざらしになっていて、湿気ったりしないのかしら。新鮮度はどうかしら。
そう母が心配した通り、ソラマメは硬くて湿気っていた。味見をさせてもらえば良かったと思うものの、堅いなりに豆は味がしっかりとしていて齧っていれば旨味がどんどん出てきた。ピーナツに至っては粒も大きくて最高だった。


ここで末娘バッタが色とりどりの小さな牛の形をした瀬戸物をゲット。色によって意味があるという。確か台湾でも山岳民族のお守りが、色によって意味があると言っていたな、と思い出す。三つだと割安にしてくれるんだって、と勇んで女主人にお金を渡す。戻って来たコインを見て、不満そう。しっかりと払うべき値段を伝え、お釣りの額を言うと、女主人は、あら、そう、と慌てた様子も悪びれた様子も見せずに、淡々とコインを追加する。我が娘ながら天晴れ。

彼女が商売に向いているのでは、と思う場面が他にもある。値段の交渉をしっかりとするのである。相手が、「マダム、ベイビーアルパカ。」というので、私が、だから値が張るのね、などと思うものなら、すかさず「ママ、ちゃんと見て!ただのウール。」と来る。

小さな牛の形のお守り。一つは今回一緒に来れなかった丑年の長女バッタへのお土産だという。せっかくだから、色んな色のものを沢山買って皆にお土産に、とも思うが、末娘バッタが必死に選んだ三つ。プカラの良い思い出になるだろう。




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