2014年12月26日金曜日

早朝雪掻き隊員、急ぎ馳せ参じる






「ママ、日本に行ってきたら。」

息子バッタの言葉が胸を貫く。
突然一人になってしまったボルドーのパピーを今年のノエルにはパリに呼ぶことになっていた。パパのパリのアパートは手狭なので、我が家にも呼ぶことにはなっていたが、二週間の滞在中、そのタイミングは後日相談しようとバッタ達の父親とはすでに話をしていた。

ノエル。
家族が一堂に会して一年のことを振り返り、新たな一年に向けて思いを一つにする行事。お互いにすべてを許し、愛を確かめ合う行事。

二週間のバカンスの一週間はパパと過ごす取り決めになった初めての年、日本人にとって重要な時期はお正月なので、とノエルの週をパパのもとにバッタ達を送り込んだ。そして、友人たちと遊びに出かけたものの、周囲はノエル一色。今ではどこで過ごしたかさえ定かではないが、とにかく、街を歩く家族連れを見ては涙し、夕陽を見ては涙にくれた。もちろん、最初の年であったことも大いに影響していようが、決してノエルをバッタ達なしに過ごすことはしまい、と思ったのは確か。彼には新たな家族がいるのだから、その新たな家族と過ごせばいいではないか。これからノエルはバッタ達と過ごすことにするわ。そう宣言すると、彼はあっさりと納得してくれた。

そうして、次の年はノエルに大奮発をして臺灣の妹一家のところにバッタ達と遊びに行くことにした。亜熱帯の彼の地では、冬でも暖かで過ごしやすく、アジアの熱気の虜になり、毎年恒例の様に遊びに行っていた。

今年は仕事も休めまいし、時にはフランスに残るのも悪くはあるまい。長女バッタにとっても進学準備を続けねばならない重要な時期でもある。そう思っていた矢先のことだった。

息子バッタは続ける。
「パパはママには言えないだろうけど、今年はパピーを呼んで、皆でノエルを祝おうと思っているんだよ。だから、ママ、日本に行けばいいよ。」

ママが一人になってしまうことを気にしての発言なのだろうが、息子に現実を突きつけられ動揺してしまう。ママの居場所はないってことか。

じゃあ、今年は一人で臺灣に行こうか。旧正月を祝うことから普通の日々である臺灣で、姪や甥に手料理を振舞うのも悪くあるまい。妹との他愛ないおしゃべりも大いに楽しみだ。

と、日本の母から電話が入る。かくかくしかじか、そういうわけで、今年は臺灣にちょっと行ってくることにしようかと思っている、と告げる。

すると、そりゃあ臺灣は暖かいから、いいわよね。そりゃ楽しいわよ。わざわざ寒い日本に冬を過ごしにくる必要はないわ、との思わぬ答えが返ってくる。胸がざわつく。

「あ、雪掻きしに、日本に行こうかな。」
そう言うと、雪掻きしにくるなら、ぜひいらっしゃい、大歓迎よ、と弾んだ声が返ってくる。

今年は既に何度も大雪が降り、早朝から雪掻きをしていると聞いていた。お正月まではいられないけど、ちょっとだけ行ってこようか。

母の大好きなチーズを末娘バッタと選び、息子バッタが生ハムを選ぶ。臺灣のいとこたちにとお菓子を選び、慌てて郵送。

そして、母の待つ日本に。
こんなノエルも悪くない。早朝雪掻き隊員、急ぎ馳せ参じる。





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2014年12月20日土曜日

扉までの5歩



思いがけずにランチの誘い。
どうしても抜けられない会議中。
30分後なら、と慌ててSMS返信。

会議は三時間にも及んでおり、そろそろ終わる筈だった。それでも、決してそんな素振りは見せられない。平静を装い、丁寧に最後までゆっくりと余裕を持って対応する。相手先を顧客と辞して、エレベーターで階下まで降り、門を出たところで丁寧に挨拶をし、雨の中をダッシュする。

連絡があってから小一時間。祈るような思いで電話をする。待ち合わせの場となる最寄りの地下鉄の駅に駆けつけるが、果たして構内なのか、改札なのか、それとも地上なのか。と、横断歩道の向こう側に傘をさしている姿が目に入る。当然、地下鉄の入り口にいるこちら側に来るものと思い待つが相手は動かない。横断歩道を渡り、傘の中に入る。

ひんやりとした頬。

向かいのパン屋がパリではちょっとした有名店であると伝えると、じゃあパン屋に入ろうか、と笑う。

小一時間待たせた相手に、今どれだけの時間が残っているのかさえ分からない。
ただ、自分がこれから何をしなければならないのか、今何時になっているのか、そんなことは一切考えられなくなっていた。

通されたテーブルは真四角。小さいようで大きくて、真向いに座りながらも、手が届きそうで届かず、話だけは後から後から溢れ出て、ふと気が付くと、あれだけ混み合っていた店内に残っている客はまばら。

カウンターで支払いを済ませ、歩き出すすぐ後を追う。
左のオーバーの袖から、後ろに手がのぞく。その手を慌てて握る。
扉までの5歩。手と手を繋ぎ走り込んで外に出る。

別れて正反対の方向に進みながら、笑みが体中を駆け巡る。




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2014年12月10日水曜日

最期の姿



あ、ボルドーのマミー。
バッタ達の父親が足腰立たないと心配して車椅子を買わなきゃ、なんて言っていたげど、お元気そう。

ふっと映像が消える。

夢だったのか。

我が家のキッチンに現れるなんて。「ママの言う通りに、使わないと筋肉が弱まって、歩けなくなっちゃうんだよね」そう心配していた末娘バッタやパパに教えてあげなきゃ。元気になるよって。夢に出てきたものって。
妹の手術も重なって、気が塞がっている彼に元気づけのSMSを送ろう。

そう思う間もなく、携帯が震える。
電話の相手は彼。
彼の母が早朝に亡くなったことを知らされる。

まさか
最期に会いに来てくれたのか。

涙が止まらない。


彼の母親、つまりバッタ達のマミーはここ一年半程、転移した膵臓癌の治療を続けており、夏休みにパピーの出身地である田舎の島でバッタ達と過ごして以来調子が右肩下がり。最近は入退院を繰り返していると聞いていた。バッタ達の訪問は歓迎されず、唯一、父親だけが週末に会いに通っていた。そして、今度は体調が悪いと病院に行った父親の妹が心臓に腫瘍が見つかったと緊急入院となり、摘出手術を受けたのは前日のこと。

パピーとマミーは職場結婚。以来、毎日のように一緒に出勤し、一緒にランチをとり、一緒に帰宅。週末のパンを買いに行く時さえも一緒。運転に至ってはひどい乱視のパピーに代わって、道路標識や信号さえマミーが教える二人三脚ぶり。引退すると、マミーの出身地であるボルドーに引越して、郊外の一軒家に住んでいた。近所には、娘一家も越してきていた。そして夏のヴァカンスはパピーの出身地の田舎の島に行き、三ヶ月はたっぷりと過ごしていた。

バッタ達もボルドーや田舎の島で何度もお世話になっている。かく言う私も、結婚式は田舎の島で挙げたし、ヴァカンスに何度もお世話になり、バッタ達の長いヴァカンス中、一月は彼らが1歳にならないうちから、お世話になっていた。離婚しても、バッタ達のパピーやマミーであることに変わらず、バッタ達はいつも夏は一月一緒に過ごしていたし、時々パリに遊びに来た時に、我が家に立ち寄ることも稀ではあったが、なくはなかった。

それでも、幼い子供達三人を残して出て行った息子を怒鳴るでもない彼らに、どうもわだかまりを感じ、いともあっさりと息子の新しい奥さんと彼らの子供を歓迎している様子を見て、とにかく全ての感情を殺していたことに気が付く。

感謝の念が沸々と湧き出て、とにかく涙は止まらない。



パピーに会いに行かないと。最期にマミーが会いに来てくれたことを伝えないと。そんな思いがこみ上げてくる。

もっと前に会いに行けばよかった、そう思うもマミーはもういない。









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