2023年10月20日金曜日

遂に堪忍袋の緒が切れてしまった巻 其の参

 






小川に沿った小径に差し掛かると、私は右に折れた。右は我が家に戻るルートであり、雨の日も、風の日も、日照りの日も、猛暑の中でも、真冬の暗がりでも、毎日通っている。そして、トンカが左に折れたことを気配で知った。


トンカよ。行くのかい。


これまでの私であれば、トンカの向かう左に一緒に行き、恐らく向こうから歩いてくるクロケットおじさんの傍で興奮しているトンカの首にリードをつけ、おじさんにお愛想を言って、トンカを引っ張って連れ戻したであろう。しかし、その時の私は疲れていた。


剥き出しの本能を見せつけられることも嫌だったし、私の命令よりもクロケットおじさんの魅力に引きずられるトンカを見ることが辛かった。ならば私もクロケットおじさんに負けずに、バゲットを一本与えれば良いのか。ハムの塊でもリュックに忍ばせて、ここぞとばかりに取り出せば良いのか。違うだろう。


散歩の時間帯をずらせば良いじゃないか、とも考えたが、何せ仕事が終わってからの散歩。これ以上遅くなると、それでなくても日が短くなっている昨今、帰りが暗くなってしまう。そして、これ以上早い時間帯での散歩は無理だった。


散歩の場所を変えれば良いじゃないか、とも考えた。しかし、鬱蒼とした森の中を通る場所は私の大のお気に入りで、あそこに足を踏み入れると毎回感動し、幸福感に浸れる。そこで鹿を追いかけるトンカの姿を見ることは、何よりの癒しだった。小川の小径も、散歩の途中に喉を潤すに最高であり、小川に映し出されたリフレクションの世界をのぞき込むことも楽しかった。


果たして。


左に折れたトンカは、一向に戻ってこない。口笛を鳴らして呼んでも、大声で名前を呼んでも戻ってこない。それが全く効果のない行為であることは、これまでの経験で知っていた。


一人、小川のほとりにしゃがみ込み、トンカを待つ。この状況から脱却せねばならない、この状況を作ってはなるまい、そのことだけを考えていた。哀しみだけが心を支配し、じわじわと虚無感に襲われ、気が付くと顔を覆って泣いていた。


ようやくクロケットおじさんと彼が連れている彼の近所の黒い大きな犬とトンカが、連れ立ってやってきた、筈である。正直なところ、詳細は覚えていない。おじさんが良い方であり、トンカを可愛がってくださっていることには感謝していますが、もうトンカに餌を与えないでください、そう懇願している自分がいた。


クロケットおじさんは、分かったけれど、私は呼んでもいないのに、ついてくるのだよ、と困惑気な顔で言い始めた。私が餌をあげなくても、私が連れている犬にひかれてくるんだよ。


いえ、おじさんが餌をエンドレスで与えるから付きまとうのです。それを止めて欲しいのです。他の犬と出会った時には、一緒に遊んでも、その後は必ず私のもとに帰ってきます。おじさんと一緒の時には、トンカはどんなに呼んでも戻ってきません。おじさんのところにいるのは、おじさんが餌を与えるからです。それを止めてください。


クロケットおじさんは、そんなに言うならリードをつけて散歩をすべきだね、と言い始めた。その間、悲しいかな、トンカはずっとおじさんに付きまとっている。お座りをして見せたり、ポケットに手を掛けてみたりと、おじさんの関心を得ようと必死になっている。


トンカのつぶらな瞳に見つめられ、おじさんは「マゾじゃあるまいし」とつぶやいた。


えっ?マゾ?いいじゃないですか!マゾで上等。そうですよ。私はヒステリックで、マゾヒストなんです。


いや、貴女のことではない。


おじさんは大いに困惑気だった。今思えば、確かに、トンカにねだられているのに、おやつをあげない行為のことを言っているのだろう。この場合のマゾの対象とはトンカのことか。その時の私には、どうでも良いことだった。とにかく、その言葉に誘発されたがのように、トンカに有無を言わせずリードを引っ張り、走り出した。


哀しみで胸が張り裂けそうだった。おじさんを恐らくは傷つけてしまったことだろう。それでも、兎に角、この関係を終わりにしたかった。トンカは、分かっているのか、分かっていないのか、その日は散歩から帰ってくると、真っすぐお気に入りのソファーの片隅に陣取ると、深い眠りに落ちた。


そう。いがみ合いの後に何が残ろうか。忘れてしまうことが一番。嗚呼、忘れてしまえれば良いのだが!取り敢えずは、先ずは眠ろうか。



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2023年10月19日木曜日

遂に堪忍袋の緒が切れてしまった巻 其の弐

 




その日も、いつものように森の中を駆け回り、栗を齧り、泥水を味見し、枯れ葉を蹴散らしながら小川のある散歩道にたどり着く、千と千尋の神隠しに出てきそうな小径を夕陽に黄金色に燃えながら走り降りていた。ふと、トンカが立ち止まる。顔を心持ち上にし、耳をピンと立てて様子を伺っている。実際にはトンカの耳は自力では立たないのだが、神経を張り詰めている様子が全身から伝わってくる。


トンカにとってのサンタおじさん、私にとっての困ったおじさん、つまり例のクロケットおじさんと出会う道に差し掛かったということだった。そして、トンカはサンタおじさんの気配を全身で感じ取っている。


ちょっと前なら、微笑ましい姿だった。森で鹿と出会う時にも、同じような姿勢を取ることがあったし、全身全霊を掛けて何かをするトンカを見ることは喜びでもある。しかし、その後のトンカの態度、何も見えなくなってしまう様子に辟易していたので、一瞬にして心にずしんと鉛の塊を感じてしまった。


トンカは動物で、餌の前では本能をむき出しにする。子供達が捨て散らかした食べかす、ハイカーたちが落としていったティッシュ、時に彼らの汚物、スカウトたちのキャンプ後の残飯など、見つけようものなら飛びついてしまう。そこからトンカを引き離すことは至難の業である。


最近、ようやく落ちているティッシュを食べなくなったが、それでも、特にそれに汚物が付いている時などは一瞬にして口に入れて飲み込んでしまう。それがトンカの本性なのだと言われれば、返す言葉は一言もないが、それでも餓鬼のように貪る姿を見ることは辛い。


トンカは以前勝手にすっ飛んで、車道を私を探してかっ跳んでいる時に確保してくれた夫婦が大好きで、見掛けると大喜びで挨拶に行く。そんな姿を見ることは嬉しいし、彼らに甘える姿は微笑ましく、こちらも気付くとにんまりとしてしまう。


しかしながら、サンタおじさん、困ったおじさん、所謂クロケットおじさんの場合は、全く違うのである。なぜなら、おじさんはエンドレスでクロケットを与え続けるような態度をとるので、トンカはいつまでたってもおじさんの傍を離れない。私が呼んでも、隣で駆け出しても、何をしても効果がない。つまり、私の姿が見えなくなってしまうのである。


クロケットおじさんのポケットから全てのクロケットがなくなってしまったら、森でキャンプ後の残飯を見つけた時の様に、トンカは暫くすれば私のもとに慌てて全速力で戻ってくるのだろうか。そんな恐ろしい、トンカを試すようなことは出来ないし、していない。それでも、そんな不安を感じさせるこの出会いが、トンカの動物としての本能を見せつけられることへの苦々しさもあって、苦痛になってきていた。



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2023年10月18日水曜日

遂に堪忍袋の緒が切れてしまった巻 其の壱

 





鹿の後を追いかけて行っても、森で何かに引っかかっても(大抵はキャンプやピクニックの後の食べ残し)、数分もすれば、いや数十分もすれば、必ず戻ってくるトンカ。そして、必ず待っている私。相互信頼関係が築き上げられたと思っているのだが、一つだけ例外がある。


トンカにとっては会えばたっぷりのおやつをくれるサンタおじさん、私にとっては、トンカがちっとも言うことを聞かなくなってしまう困ったおじさん。おじさんにいつも出くわす場所にくると、トンカはソワソワして立ち止まっておじさんの姿を探し、私の存在はその間すっかり消えてしまう。


以前にも書いたことがあるが、おじさんはポケット一杯にクロケットを持っていて、トンカに出会うと大きな手にいっぱい取り出し、与え続ける。時には、二度目の大盤振る舞いもある。最初から大いに戸惑ってしまっていた。トンカを可愛がってくれていることには、感謝しかなく、お礼を言いつつも、一つだけで結構です、と言い続けて来た。


こういうことは、最初が肝心なのだろう。やめてください、とはっきりと断れば良かった。おじさんは善意の塊であり、トンカは大いに喜んでいるのだから、どうにも困ったものであった。しかし、おじさんに会うたびに、トンカはおじさんしか見えなくなり、いや、現実にはおじさんの持っているクロケットしか見えなくなり、私がどんなに呼んでも効果がない。


一度は、トンカを連れて行きたいのであれば、どうぞお連れください、とまでおじさんに言ってしまったこともあった。その時から、おじさんに会う場所にくると、はしゃぐトンカをよそに、心に錘がつけられたかのように辛く、悲しく、なんでこんなことになっているのだろうかと自問してきた。毎回、トンカがおじさんのところに走って行き、お座りをしてドッグフードを与えられている傍で、トンカにリードをつけ、引っ張って連れ戻す、ということの繰り返しだった。


おじさんは、ちっともこちらの気持ちを分かってくれていないようで、リードで連れ戻されるトンカが名残惜しそうにおじさんを見つめていると、ほらっとクロケットを投げてくる時もあった。そんなことしないで欲しい。やめてください。心の中で叫び続けてきた。


私にも、散歩の途中でトンカの仲間たちに煮干しを振る舞う時がある。それでも、一つだけが基本で、私自身もトンカには一回に一つだけあげている。下手をすると、おじさんのおやつは一回に与える餌の半量ぐらいに相当することもある。


いつかはっきりと断らねば、そう思ってきたのだが、そのいつかが、先日思わぬ格好で起きてしまった。



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2023年10月14日土曜日

イガグリ小僧

 






今にも泣きそうな空だと思っていたら、突風まで吹き始めた。森の木々はごうごうと音を立てて揺らぎ、小枝、どんぐり、毬栗が、ばらばらと地面にたたきつけられる。と、ばしん、っと物凄い勢いで左腕に毬栗がぶつかってきた。


あまりの激しさと、痛さに、思わず悲鳴を上げてしまいそうになる。帽子を被っているから頭に直撃される心配はないが、これは堪らない。トンカは大丈夫なのだろうか。当然のことながら靴を履いているわけでもないし、栗のイガが爪の先に入ってしまったら、痛いどころのことではないだろう。


そんなことは一向にお構いなし、といった風で、いつものように毬栗だらけの小径を小鹿のごとく駆け回っている。あまりに痛いので、そっとシャツをまくって腕を見てみると、栗の小さなイガイガがびっしりと腕に刺さっている。あっちゃあ。取り敢えず、つまめる分だけ取り除いたが、小さな赤い発疹が出始めている。トンカに比べて、なんてひ弱なんだろう。


なんだか、大雨になりそうな気配を感じるが、雨に打たれても、まあ良しとしようか。なんだか急に気が大きくなり、引き返そうかとの思いを打ち消して、森の奥に歩みを進める。トンカが、嬉しそうに飛び跳ねている。さあ、行こう!




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2023年10月13日金曜日

30年目にして異文化体験

 





先日、あれだけ市内の路線バスを褒めちぎったばかりなのに、今回は真逆の記事になってしまう。


我が家に一番近いバス停は、駅を始発、あるいは終点とする市内循環バスが通っている。その他にも、駅から隣村まで行くバスが、朝夕一本ずつのみ我が家に一番近いバス停を経由している。高校があるので、隣村の子供達にとっても需要があるとみての計らいと思われる。


この隣村まで行くバスは、駅からあまり寄り道をせずに、比較的直線距離で走るので、待てど暮らせど姿を現さない横道に入る市内循環バスを待っているよりも、効率よく我が家に帰ることができる時もある。隣村に向かう国道に入る手前のバス停で降りて、ちょっとした坂を歩かねばならないが、わりかし気に入っている。


しかも、夕方、うまく乗り合わせれば我が家に一番近いバス停経由に乗ることもできるのだから、使わない手はない。そう思い乗り込み、携帯でメールチェックなどをして、ふと車窓を眺めたらバスが国道を突っ走っているので大慌てをしたことがある。


運転手のところに行って、高校前のバス停には行かないのか、と問うと、そんなところには寄る予定はないと一蹴されてしまう。それなら、ここで降ろしてくれないか、と村まで延々と続く草原を横目で見ながら嘆願する。無理だ、と突っぱねられる。幼い子供が待っているので、後生だからお願いします、と言っても運転手はアクセルを踏むばかり。加えて、バスの乗客の子供達の失笑を買ってしまった。


そんなことは無いはずだ。さすがにバスに乗る時に、しっかりと高校経由と書いてあったではないか。ところが、驚いたことに先ほどまで掲示されていた停車場所を示す画面は電源オフとなっており、画面には何も出ていなかった。


あの時は、ぷんぷんと怒りながら、それでも仕方なく、最初に着いた村のバス停から、全速力で走って家に帰ったものだった。幼い子供、つまりトンカのことであったが、トンカが待っていると思うと、息が切れるのも忘れ、走った、走った。


あんな馬鹿な思いはするまい、そう胸に刻み、隣村に行くバスは鬼門とばかりに、暫く乗らずにいた。それでも、市内循環バスは当てにならず、ふらふらと乗ってしまうことがある。そんな時には、確実に国道手前のバス停で降りて、歩くことにしていた。


ところが、である。今にも空から大粒の雨が降ってきそうな曇り空の夕方、駅のバス停でいつもの市内循環バスを待っていたが、待てど暮らせど来ない。隣村に行くバス停には「高校経由」と明示されたバスが停まっていて、高校生たちがぞろぞろと乗り込んでいた。


その日は、なんだか疲れが溜まっていて、思考も空の様にどんよりとしていた。よし、乗ってしまおう。バスの中は中高生でぎゅうぎゅうだった。やれやれ、そう思いながらも、バスに揺られ、何を考えるわけでもなく、ぼんやりとしていた。


ぼんやりとし過ぎだったのだろうか。国道に入る手前で、「停車」ボタンを押したが、バスは平気の平左で国道に入り、「高校」に向かうために左車線に入ることもせず、スピードを上げて猛烈に隣村に向けて走行し始めた。


おい、おい、おい!それはないじゃないか!


学習効果がない、と言われればそれまでだが、別の面での学習効果はあって、こうなったらどうにもならない、と覚悟を決め、大騒ぎはしないことにした。そんなエネルギーはどこにも残っていなかった。


嗚呼、大声を上げねば正論も通らない社会。まさか、表示されているバス停を通らずに、突っ走るとは思いもよらなかった。確かに、通常のルートに比べ、寄り道にはなる。しかし、だからこその高校経由バスなのではないか。怒りを通り越して呆れてしまうし、むしろ、天晴。


かつ、私以外の乗客は、誰も慌てた様子もなく、隣村まで早く到着することをむしろ歓迎していることも驚きだった。まあね、そんなものかしらね。


今回は慌てず、走らず、やや早歩きで、隣村から広大な草原を横目に見ながら家路を急いだ。駅から歩いて帰った方が早く家に着いたのだろうな、と思い、何年住んでいてもサプライズはあるものだな、と自嘲気味に笑ってしまう。人々の習性というものは、分かっているようで、分かりにくいものなのなのだろう。30年目にして改めて異文化体験とはこれまた如何に。いやはや。



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2023年10月11日水曜日

ヴェルヴェンヌの効用






朝夕こそ冷え冷えとしているのに、日中は真夏日のような暑さが続いている。地球にしても、大袈裟に言えば宇宙にしても、毎日いつも通りの平穏な日々というものは、存在しないのだろう。


そんなことは既に鴨長明が看破していたではないか。


行く河のながれは絶えずして

しかももとの水にあらず

よどみにうかぶ泡沫は

かつ消えかつ結びて

久しくとどまりたるためしなし

世の中にある 人と栖と 又かくの如し


庭にあるヴェルヴェンヌの爽やかな香りを凝縮した、自家製ハーブティーを淹れる。世界中の色々なざわめきが、その瞬間だけなくなり、自然の恵みを味わう。



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2023年10月9日月曜日

町のバス

 





パリ行きの電車に乗るための駅までは、我が家から歩いて小半時間の距離。バスだと、車が混んでいなければ15分。朝夕の通勤、通学の時間帯にはほぼ15分おきに運行していて、日曜は一時間に一本程度。これで十分なのだけど、それは問題なく運行している時のこと。


驚くことに、運行会社が、なのか、運転手の自主的判断なのかまでは分からないが、時々本数が勝手に減らされてしまうことがある。運転手の数が確保できていない、といったもっともらしい理由がサイトに載っているが、おいおいおい、ちょっと待って欲しい。それなら、何故意欲的な時刻表を改めて、現実的な時刻表にしないのか。


一時間に3本でもいい。確実に運行する時刻を載せて欲しい。運休することがあってもいい。それならば、その旨、公表して欲しい。


7時4分のバスに乗るべく準備をしてバス停で待っていても、7時20分頃にやってくることがある。そうなると、7時4分のバスは運休で、次の7時11分のバスなのだろうか、となるが、詳細は不明である。そんなことが続くと、ついつい、家を出るタイミングが遅くなってしまう。


今朝など、7時3分にバス停のある坂を駆け上がっていると、坂の下の方からバスのエンジン音が聞こえて来た。慌てて走り始めたが、すぐにバスに追い越されてしまった。が、なんと、バスはゆるゆるとスピードを落とし、バス停のある坂の上の手前、私の目の前で止まってくれたのである。


プシュー。ドアが開いて、さあ、どうぞ、と言わんばかり。


なんと!ありがたい!ご親切に、どうもありがとうございます!おはようございます!そう言って、元気にバスに乗り込んだ。運転手は、これまで見たことがない若い男性だった。


こんなフレキシブルな対応をしてくれるのだから、厳密な時刻表通りの運行がなされていなくても、たいして問題ではないのかもしれない。住民の足ともいえる町のバス。注文をつけるよりも、住民がその存在をありがたく思って、親しみを持って接していくことの方が何十倍も効果があり、お互いにウィンウィンと言えまいか。


メルシー、ムッシュー!ボンジョルネ。


そう、運転席に大声で声を掛けてバスを降りた。東の空が薄っすらと明るくなり始めていた。



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2023年10月6日金曜日

出会いの森

 





ばりり、ばりりと小気味よい音を立てて、コナラやクヌギのドングリの傘や実を足元で弾けさせながら森を闊歩する。隣ではトンカが負けずとばかりに、かりり、かりりと賑やかな音を立てて、栗の実を齧っている。


太陽はまだ西の空で薄っすらと輝いているが、そろそろ夕闇が迫ってきそうな気配が森中に満ちている。もうすぐ、暗闇でランプを灯しながら夕方の散歩をすることになるのか。そんな風に思いながら森の坂道を上っていると、やや遠くの栗の木の下に人影を認めた。


キノコ狩りをしているのだろう。8月の思わぬ収穫以来、気を付けてみてはいるのだが、ちっともセップを見かけていない。数日前に雨が降ったので、キノコ達がにょきにょきと目を覚まして姿を現しているに違いない。


姿が段々と鮮明に見えるようになってくると、どうやら青年らしいことが分かり、手には案の定大きめの籠を持っている。すれ違う時にお互い同時に挨拶の声を掛けていた。


「こんにちは!キノコですか?収穫の具合はどうですか?」

「こんにちは!お元気にしていましたか?」


え?知り合いの青年だったのかしら?そう思う間もなく、青年は言葉をつなげた。「森で冬に何度かお会いした方ですよね。鹿の写真を撮影していたの、僕なんです。」


一瞬、わけがわからなかったが、すぐにパズルはぴたりと収まった。嗚呼、ウィッツ!防寒具で頭まですっぽりと包まれていたので、瞳の色だけを覚えていたのだが、そうか、あの時の青年だったのか!


すごく嬉しくなってしまった。トンカにも伝わったのか、青年の周りをびゅんびゅんと歓喜のカンガルー跳びをした。青年が見せてくれた籠には、見事なセップがたっぷりと入っていた。青年の性格を表しているかのように、セップの足はどれも綺麗に削り取られ、丁寧に置かれたと思われる籠の中で鎮座していた。


夏に森で小鹿に出会った話をしたところ、大いに関心を寄せ、「僕も、母と一緒の時に、丁度ゴルフ場がある角で見たんですよ。」と教えてくれた。ひょっとしたら同じ小鹿だったのかもしれない。青年が母親と一緒に森を散歩し、小鹿を認め、二人で一緒に息を殺して小鹿を見守っている様子が目に浮かび、思わず微笑んでしまった。


僕たち、今夜はセップでご馳走です!


セップが綺麗に盛られた籠を受け取った時の青年の母親の驚きと笑顔、そして彼らの興奮した歓喜の声が聞こえてきそうだった。


それじゃあ、またね。


青年に別れを告げると、夕闇の気配が次第に濃くなってく森を、やや急ぎ足で、それでも足元に気を付けながら、セップを見逃さないようにと家路に向かった。



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2023年10月5日木曜日

都合の良い女

 





君の笑顔にもう一度会いたいとずっと思っている。


そうだ、僕のオフィスに来ないか?

美味しい珈琲も、ちょっとしたビスケットもあるよ。ゆったりとしたソファーでくつろいでもらってもいい。


今日、どうしても君に会いたくなった。18時以降なら、いつ来てもらってもいい。




って、言われてもねえ。

フルタイムで仕事をしているし、ホームステイの高校生の夕食の準備もあるし、トンカの散歩も欠かせない。こちらの都に一切聞く耳も持たずに、自分の都合に合わせてくれるのが当然とばかりに言われてもねえ。


都合の良い女と思われたのだろうか。ま、悪いけど、無理だわ。


いつか好機が訪れるだろうから、その時にね。


そう書き送ったところ、それに対する返事はない。ま、そんなものか。



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2023年10月4日水曜日

コンタクトレンズの効用

 





ひょんなことから週一で預かっている高校生君を喜ばせようと、今回はつくね丼を作ることにした。鶏のモモ肉を使うのだが、当然フランスではモモ肉のひき肉など手に入らない。需要がないからだから仕方のないことなのだが、先ずはモモ肉を手に入れることから始めようか。


そして、当然のことながら、フランスで通常手に入る鶏のモモ肉はしっかりとした骨がついている。バッタ達の学校行事で、何本もの焼き鳥を作ったことがあるので、骨を除く作業など、最早朝飯前となった今では怖いものなし。さっさと骨を除き、身だけをミンチにする。


今回は、つくねを作るので、作業はここでは終わらない。ふと思うところがあり、眼鏡を外して最近あまり使うことがなかったコンタクトレンズを付ける。そして、二年前に沢山買って未だ山積みのマスクも、きっちりとはめる。さあ、これで準備万端。


大きめの玉ねぎを3つ選び、皮を剥き、おろし金でごりごりごりと摺り始める。玉ねぎは、水分たっぷりで、とろとろとどんどんと摺り上がっていく。ぽってりとした摺った玉ねぎを、今度は晒しでぎゅっと搾り取り、ほぼ搾りかす状態にする。ここまでの作業で、奇跡的にも鼻がつんとすることも、涙が出ることも一切ない。


いや、これは奇跡でもなんでもなく、コンタクトレンズとマスクのおかげであることには間違いない。玉ねぎをスライスしただけでも、眼鏡の場合はごんごんと涙が出てしまうのだから、効果のほどは抜群である。


しかし、そうなると、いかにコンタクトレンズが眼球にとって不自然であり、やはり眼鏡にした方が、目にとってはいいのだろうな、と朧げに思ってしまう。


さあ、ここではそんなことを考えている暇はない。しっかりと絞った摺り下ろした玉ねぎを、鶏ひき肉に入れ、しっかりと手で混ぜ合わせる。卵をいれてぐちゃぐちゃし、酒、醤油、みりんを入れてぐちゃぐちゃする。コーンスターチも少々混ぜ合わせる。


ぽってりとしたところで、冷蔵庫に入れて少し休め、今度は沸々と煮え立った昆布だしのスープに、左手で丸取りしながら、ぱっぱっぱと入れていく。ほとほとほと、と丸い玉がのんびりと浮き上がってきたら、スープから掬い取って、水気を切って置く。


熱々のところを毒見をしてみると、ふんわりと、そしてまろやかで、美味しいことこの上ない。けれども、スープで茹で上がったつくね君は、まだ社会にもまれていずに白っぽくて頼りない。


これをフライパンに油なしで直に並べ、じっくりと焦げ目をつけ、香ばしさが立ち上ってきたところで、酒、砂糖、醤油、みりん、そして水を少々、フライパンに入れ、たれを絡めるように、つくね君をころころと転がす。たれが気持ち残っている程度で火を止めて、熱々のご飯を丼によそり、その上に焦げ茶色にふっくらと色目がついたつくね君を並べていく。


さあ、ご飯よ!


つくね丼の前で、高校生君の目が輝く。一口食べて、小さな声が漏れる。う、うまい。


へへへ。たっぷり食べてね。


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2023年10月3日火曜日

他人の空似

 





同じ場所なのに、同じ時間なのに、日にちが違うだけで、こうも違った様相を見せてくれる自然に、憧れと同時に畏敬の念を覚えずにはいられない。


これから益々日が短くなって、朝の電車の車窓からの景色は、真っ暗闇になってしまうだろう。だから、今だけの楽しみと言えようか。


そんな風に窓の外ばかりに気を取られていた、いつもの朝。降車する駅名が告げられたことで、ふと視線を車内に戻すと、はす向かいに座っている男性が目に飛び込んできた。


ぎょっとしてしまった。知り合いにそっくりだったからである。ただ、その知り合いの若い頃と言えようか。スニーカーを履いていて、白いシャツに包まれた上半身は引き締まっている様子だった。それでも、髪型といい、本を読んでいる様子といい、とにかく知り合いに似ている。


最後に会ったのはいつだったろうか。もう3年前になるか。いや、4年前かもしれない。流石に、その間に若返ることはないだろう。恐らく白髪も交じるだろう年頃の筈が、目の前の男性の髪には白いものは見えなかった。それでも、どうしよう。声を掛けてみようか。


あまりにじっと見ていたからだろう。その男性が、こちらを鋭い眼光で、胡散臭そうに睨んだ。そのしかめっ面さえも似ているようで、慌ててしまった。


他人の空似、か。久しぶりに連絡をしてみることにしようか。元気にしているのかしら。



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2023年10月1日日曜日

中秋の名月

 





ノルマンディーに週末出掛けるという友人夫婦と食事をして、外に出たら月が出ていた。中秋の名月。中国では大々的にお祝いするとかで、何度も彼らのホームパーティーに呼ばれたものだった。初めこそ、彼女が振る舞う本場の月餅は、日本で食べる甘いだけの月餅と似て非なるもので、大いに違和感を覚えたものだったが、今ではその味が懐かしく思われるのだから不思議なものである。


そう、今年も彼女は中秋節のお祝いをしなかった。あら、忘れていたわ、と軽く受け流したが、確か去年も同じように答えていたように思う。そして、夕食はスペイン料理のタパスか、レバノン料理にしようかと言ってきたのは彼女の方だった。以前だったら、中華料理に行こうと誘ったところなのに。


こうして、彼女は徐々に、しかし確実に母国の文化や風習をフランスで再現することをやめ、フランスの文化や風習に溶け込んできている。かくいう私も、似たようなものなのだろう。それで彼女らしさがなくなるということでもない。



明月幾時有 明月 幾時よりか有る

把酒問青天 酒を把りて青天に問ふ

不知天上宮闕 知らず 天上の宮闕には

今夕是何年 今夕 是れ何の年なるかを

我欲乘風歸去 我は風に乗じて帰り去らんと欲するも

惟恐瓊樓玉宇 惟だ恐る 瓊楼 玉宇の

高處不勝寒 高き処は 寒に勝へざらんを

起舞弄清影 起ち舞ひ 清影を弄すれば

何似在人間 何ぞ似ん 人間に在るに

轉朱閣 朱閣に転じ

低綺戸 綺戸に低れ

照無眠 眠り無きを照らす

不應有恨 応に恨みは有るべからざるに

何事長向別時圓 何事ぞ 長へに別事に向いて円かなる

人有悲歓離合 人には悲歓 離合有り

月有陰晴圓缼 月には陰晴 円欠有り

此事古難全 此の事 古より全うし難し

但願人長久 但だ願はくは 人の長久にして

千里共嬋娟 千里 嬋娟を共にせんことを



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