2012年8月31日金曜日

餃子讃歌



未だ学校が始まっておらず、ひがな一日所在なげに過ごしているであろうバッタ達を久々に引きつれ、夕方のスーパーに出向く。

イギリスとフランスを600km突っ走り、戻ってきたのが日曜の午後。
丁度一週間前の日曜の朝6時に出て行ったが、
前日の土曜の午後に、ブルターニュからパパとのバカンスから帰ってきた3匹のバッタ達は、その足で台湾のいとこ達がいるバイオリンの先生宅にお邪魔している。
ビバルディの四季をいとこ達と弾き合い、
私が小さな愛車クリオで彼らを家に届ける間、バッタ達は先生に室内楽の担当箇所を指導してもらうといった、相変わらずの超ハード、とんでもないスケジュールをこなしていた。

パパはバッタ達との時間を削ることになるバカンスの日程の変更などの相談には絶対乗らない。台湾のいとこ達が遊びに来ていようが、日本のマミーが来ていようが、絶対譲らない。
ある意味、清々しいほど。
そして、私にしても、せっかく日本に行くのだから、と日程を組むものだから、
そのしわ寄せはバッタ達が受けることになる。

今年など、
中学卒業試験の最後の科目を終え、帰宅した長女バッタを車に乗せ、慌てて空港に駆け込み、日本にバッタ達を送り出し、
日本から帰ってきた翌日、パパとのバカンスに旅立たせ、
パパとのバカンスから帰ってきた翌日、5時起きで、イギリスのミュージックスクールに行く、といったとんでもないスケジュール。

だから、漸く、
バッタ達はのんびりと、我が家でくつろいでいる。
会社に行ってしまった私に代わって、長女バッタと末娘バッタが洗濯を受け持ってくれた。
それでも、買い物は未だというので、大急ぎでバッタ達を引き連れて、スーパーに食料品やら日常雑貨を求めに繰り出したといったところ。

夕飯、どうしようか。
そうだ。大好評だったクロックムッシューにしようか。

え?
え?
ええっ?

バッタ達が振り返る。

ああ、そうか。
台湾の姪や甥たち相手だったのか。バッタ達はいなかったんだわ。

「ママ、一体、どんなご馳走をしたの?」
長女バッタが詰め寄る。
「他に、どんなお料理をしたの?」
末娘バッタから大きな瞳を更に大きくして見つめられる。
「その時に作ったお料理、みいいんな作って頂戴!」
バッタコールが始まる。
「そう!先ずは餃子から。」

餃子、と来たか。
この子たちの情報網には参ってしまう。
と、大袈裟に言うほどのことでもあるまいか。仲良しのいとこ達と、どんな話題でも盛り上がるのだから。

餃子、ねぇ。

我が家のバッタ達とは、一サイズ小ぶりとなる台湾の子供達。
何せ、末娘バッタを筆頭に、3人といったところ。一番下は4歳ときているのだから。
彼らが長旅をして遊びに来てくれた翌日。何が食べたいのかな、との私の問いに、台湾の妹は一番下の子が「餃子」が食べたいと言っている、と言うものだから、こちらは驚いてしまった。
そもそも、4歳の子に、何が食べたいか、と聞けば、彼女の世界の中から選ぶに決まっているであろう。4歳の子は、フランスだろうが、日本だろうが、台湾だろうが、果ては、宇宙だろうが、一向にお構いなしに、自分の世界観で答えるのである。
それでも、と思う。
子供達の喜ぶ顔が見たいし、末っ子の願いを告げた妹も、「あらあら、ここはフランスよ。フランスの美味しいお料理を楽しみにしましょうね。」などと子供に言わなかったところを見れば、彼女だって餃子が食べたいに違いない。
そうね、餃子。
作ってあげよう。

餃子の皮は、この際、手作りなんてしないで、生春巻き用に置いてある、ライスペーパーを使おうと思いつく。
ぷりぷり感を出すために、海老は絶対に入れたい。
椎茸はマッシュルームで代用しよう。
挽肉は、生ソーセージの中味。

そうして、私としては、あっという間に、
香ばしくかりりと焼き上げ(実は、フライパンで沢山焼こうとしたので、もたっとしてしまってはいたのだが)、
熱々をテーブルに並べる。
大歓声で迎えられる。

どうやら、台湾の妹のところでは、水餃子を頻繁にしており、子供達も水餃子を期待していたらしい。
が、リクエストをしてくれた4歳の姪は、大喜びしてくれた。
「これは、カニ?」
ううん。えび、だよ。ぷりぷりしているでしょう?
そう言っても、一口、食べるたびに、
「カニ?カニなの?」
う~ん。
お嬢様は蟹入り餃子をリクエスト?なんと、高級な。
いやいや、蟹は旨味はあっても、海老のプリプリさはあるまい、などと思ってしまう。

9歳の甥っ子のお皿の餃子はすぐになくなってしまう。
どうやら、かなり気に入ってくれた様子。

11歳になる姪は、どうもお肉が苦手なのか、おしゃべりばかりで、お皿にはいつまでも餃子が同じ数だけ並んでいる。
それでも、海老の頭と殻でスープを採った、お豆腐入り特製スープを喜んでおかわりまでしてくれる。

ふふん。
香ばしさに包まれて、
久しぶりに会う、バッタ達に比べたら一サイズ小さな子供達に囲まれて、
母のお腹の中からの、いや、生命を受けた瞬間からの、大切な魂の友である双子の妹を迎えて、
熱々の餃子を口に運ぶ。
プリプリの海老、ジューシーな野菜と豚肉の旨味が口中に広がる。

。。。
そうか、バッタ達も餃子をリクエスト、と来たか。
彼らと頬張る餃子は、今度はどんな味がするだろう。
早速、作るとしようか。


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最後の晩の出会い

 
出会いとは、思わずやってくるもの。

広大な英国の寄宿学校を舞台をしたミュージックスクールでの一週間。
朝、昼、晩、それに午前のティータイム、午後のティータイムも合わせ、5回は食堂に皆で集う。
それぞれのスケジュールを抱え、文字通り走り回っているバッタ達や、妹の3人の子供達、そして、彼らをサポートして一緒に走り回る妹や母との貴重な会合の時でもある。

時々、長女バッタが室内楽の仲間たちと食事を一緒にするようになったり、
こちらが驚くほど気の合う息子バッタと妹の長女が、
一緒のオーケストラの授業が終わると、余りの空腹に食堂に駆け込んで先に食べてしまうことはあっても、
大抵、皆で揃って、賑やかに食事をしたもの。

あれは、最後の晩の夕食。
翌日、朝の6時には出発する予定であったことからも、夜のお楽しみイベントのレビューには参加しないつもりでいた。
どうやら、翌日にヒースローまでバスで行き、そこからアムス、香港と経由しつつ台湾に帰る妹も、レビューに行かずに、荷造りをすることにしたらしかった。

漸くコンサートも終え、練習からも解放された午後、
子供達はどうしてもプールに行きたいと大騒ぎし、
彼らが一緒に遊ぶ時間も、次はいつになるかと思えば、
ついつい承諾してしまったので、夕方は慌てて洗濯機を回し、
バスタオルを乾燥機に入れるなどしていて、
気がつくと食堂に行く時間がいつもより遅くなってしまっていた。

それだからか、或いは、最後の晩だからか、食堂はいつになく賑わっており、
いつも9人が揃って座れる場所もない程であったから、
レビューを観に行く子供達と、
部屋に残って荷造りをする親とが別れて食事をする格好となってしまった。

母や妹、そして、彼女の一番幼い4歳になる娘と楽しく食事をしていると、
「ご一緒して良いかしら。」
と、栗色の瞳が穏やかに、声を掛けてきた。

気がつくと、どうやら、隣の一団が出て行った後で、6人掛けのテーブルが空いている。
「勿論。どうぞ、どうぞ。」
そう言うと、彼女は私の真向かいにいた妹の隣に席をとった。
そうして、妹とにこやかに会話を始める。
どうやら、姪と一緒のクラスに、彼女の娘がいて、お互いに知り合いの様子。
気がつくと、私の横に座った旦那の顔には見覚えがある。
そうか。前日のコンサートで合唱をしていた一人に違いない。

妹がうらやましそうに、幼い子供が二人もいるのに、合唱団に加わるなんて、
と呟く。
そうすると、彼は、合唱には子供も参加できるので、皆で参加したのですよ、と応じる。
「そうだ!その手があったのね。来年は合唱に子供連れで参加したら?」
と、私が妹に振ると、彼女は、ふふふん、と笑う。
「じゃあ、誰がオーケストラや室内楽の練習を見てあげるのかなぁ。」
おお。そうか!
妹は、バッタ達にまでプライベートレッスンをつけてくれていた。
彼女の指導のお陰で、なんとか落ちこぼれずにオーケストラでもパートが弾け、
室内楽でもついていけたのである。
今度は、その話を聞いていた妹の隣の女性が驚く。一体、何人の子供たちがいるの?
妹がにんまりとして答える。6人よ。
驚く彼女。
来年は、声を掛けるわ。手伝って頂戴よ。
そう言うと、彼女がにっこりとする。

なんでもない彼女との会話。
それでも、自然で、なんだか波長が合って、なんとも心地よいと感じ始めていた。

英国人らしい英語なので、
ロンドンのどの先生に子供達がお習いしているのか尋ねると、
彼らはドイツからの参加であり、スカイプでレッスンを受けているというので驚いてしまう。そして、この秋からは、インドに行くことになっているという。

ドイツ?
でも、子供達との会話は英語?
どうやら彼女は英国人。ただ、これまでベルギー、フランス、ドイツで過ごしたことから、英語は勿論、仏語、ドイツ語ができるという。そして、旦那がドイツ人。

インドなら、ヒンドゥーを習うことになるのかしら?
それとも、南インド?それなら、タミル語?インドのどこに行くの?

彼女は、ちょっと驚いたらしい。
詳しいじゃない、と。

欧州でインドの話をしても、専門家でなければ、反応はそう期待できないのでは。
でも、アジア人なら、インドはそこそこ知っているわよ、と、さらりと応じる。

気がつくと、隣の母も、目の前の妹も、姪も姿を消し、
彼女の旦那も、二人の幼い子供たちもいなくなってしまっていた。

なんとなく、その場を立ち去ることがためらわれた。
彼女と、もう少し、言葉を交わしたい、そんな思いを感じていた。

どうして、そんな話題になったのだろう。
話の流れは覚えていない。
音楽が心を癒すという話からだろうか。
彼女が、19歳のときに、母親が飲酒運転の車に轢かれて死んでしまったこと、
その時、一年間大学を休んで、
毎日、8時間チェロを弾いたことを教えてくれる。

ジョエル。
そう、彼女の名前はジョエル。
大学院で原発の廃棄物処理について博士論文を書き、博士号を持っているという。
静かな佇まいに、芯の強さを見出し、意外さに驚きながらも、彼女なら、と納得してしまう。

ああ、もう行かなきゃ。

お互いに見つめ合う。
自然と、フランス式の頬に二回のビズをして、別れを告げ、再会を誓う。

彼女のチェロをぜひ聞いてみたいと思う。
彼女の話ももっと聞いてみたい。そして、私の話も聞いて欲しい。

不思議な出会い。
ジョエル。
彼女が勧めてくれた本を先ずは探して、読むとしよう。
そして、その感想を、彼女と分かち合おう。

インドに行ってしまう前に、ベルギーに寄って、母親のお墓を護ってくれる人を探すと言っていたっけ。
お墓を護る。。。
なんだか日本的な考えのようで、
それでいて、きっと、母の眠る墓への思いとは、宗教を超え、世界共通なものがあるに違いない。

ジョエルと彼女の大切な家族の幸せを祈ろう。。。





関連記事: 魔術に掛かる一週間 ~エキセントリックな魂の師、ヘレン~


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2012年8月28日火曜日

魔術に掛かる一週間 ~エキセントリックな魂の師、ヘレン~




3年前、挨拶を交わした時、ウインクをしてニックが告げる。
「そのうち分かると思うけど、 “addicted?”になるから気をつけてね。」
 “addicted?” 中毒

600人もの子供達が奏でるバイオリンの豊かな響きに心浮き立たせつつ、
我が家を早朝6時に発ち、フランスの田園風景を眺めつつ300km
海峡を越え、英国に移り、これまたイギリスの田園風景を眺めつつ300km
午後3時のやわらかな陽射しを浴びながら、
ああ、今年も来れた(we made it!)の感慨に浸る。

二つのバイオリンのためのバッハの協奏曲。
息子バッタが第1バイオリンを弾いている様子。
長女バッタは第2バイオリンに回ったか。
足だけでそれと分かる末娘バッタも、今年は仲間入り。
この時を一年間楽しみに練習してきた台湾から参加の妹の子供達も、
この荘厳たる空間を皆と一緒に作り上げ、
我々、観客を酔わせてくれる。

4年前のクリスマスに、贈り物のよう、この世に現れた姪も、
幼い仲間たちに混ざって聞き入っている。
近い将来、彼女も、奏者側に回るに違いない。

イギリスの広大なる敷地にある寄宿学校を利用しての一週間のミュージックスクール。
初日は、お決まりの「play together」。

子供達はレベルと年齢に合わせて、それぞれ個人レッスン、グループレッスン、オーケストラ、室内楽のクラスに振り分けられる。室内楽は中学生からで、小学生までは、リズム教室。そして、オーケストラは小学生からの参加となる。

三回目の参加となり、教室の名前や建物の場所が頭に入っていることもあり、随分楽となったが、初年度はとにかく走り回った記憶がある。
特に、共通語は音楽とはいえ、指導時の使用言語は英語。
子供達の通訳として、また、親として指導を受けるため、クラスには同行することになる。
ところが、3人もいれば、同じ時間帯に別のクラスがあって当然。掛け持ちすることが多くなる。妹も子供3人を抱え、状況は同じ。日本から応援に来てくれる母と一緒に、いつでも誰かのクラスに付き添うことになる。

オーケストラは初めての顔合わせのときに楽譜を渡され、
皆で合わせるが、いやはや、どうなることか、と聴いている方が心配してしまう。
ところが、一週間後の最後のコンサートの時には、
ダイナミックさ、ニュアンスも加わり、ぴったりと息も合い、
大喝采を浴びることになるから、驚き。
子供達は、魔術に掛かってしまうのであろう。
皆、真剣に空き時間を見つけては、或いは、寝る間を惜しんでは練習をする。

今回も、夜の練習中に、同じ棟のマダムから、もう練習は止めてくれと苦情がくる。
朝も、起きたらバイオリンを弾きたがる子供達を止めねばならない。
まだ寝ている赤ちゃんがいるかもしれないよ、と。

勿論、練習曲はオーケストラのみではない。
グループレッスンでも、常に新しい曲が紹介され、数日中に暗譜せよとのお達しが出る。

今年は、我が家のバッタ達3匹とも一緒。
しかも、妹の子供達2人とも一緒だったので、8時半からのクラスには皆で参加。
妹の子供達のレベルは高く、我が家のバッタ達は上に引っ張られる格好となり、
加えて、末娘バッタともなれば、背伸びも背伸び。
ここでのコンサートの曲はウェーバーの「country dance」と初日に言い渡される。
末娘バッタにとって、未だ取り組んだことのない曲となってしまう。が、コンサートの時を目指して、覚悟の猛特訓。
寮に帰り、9歳の甥っ子が指使い、シフトを丁寧に譜面に記してくれて、弓使いも指導してくれる。

このグループレッスンの先生であるヘレンは、銀髪にピンクや黄色のメッシュをしていて、エキセントリックな姿かたちのみならず、演奏時、そして指導時の情熱とパワーにはいつも圧倒されてしまう。バッタ達のバイオリンの先生であるマリが、ロンドンに住んでいた幼少時代に学んだ師でもある。
そのヘレンが今年のグループに選んだ曲は、「Lovers’ waltz」。
今年の214日にニューヨークの通りで耳にし、「バレンタインなのね!」と心潤し、涙し、演奏者たちにバレンタインだからと頼み込んで楽譜をもらってきたというストーリーつき。
1バイオリンと第2バイオリンが旋律を譲り合いながらも競い合い、
高めあっていくところなど、愛の高まりを感じ、胸締め付けられんばかり。

ある日の午後。
空いた時間に宿舎で妹の子供達とバッタ達がこの曲を練習していると、
窓の外にヘレンが大股で闊歩している姿が目に入る。

子供達は嬉々となって、窓際に駆け寄って、Lovers' waltzを奏でる。

ヘレンは歩みを止めることなく、
こちらを振り向くでもなく、
それでも楽しげに、目的を持ったものが持つ力強さで去って行く。

子供達は、ヘレンが気がついてくれなかったのかな、と、ちょっと残念そう。

翌朝のレッスンで、ヘレンが皆の前で伝える。
昨日、ランチを食べて心地よく歩いていると、Lovers’ waltzが聞こえたのよ。それも、二つの旋律が入り混じって。ああ!あなたたちときたら!

このヘレンの話をしたら、恐らく何時間でも続いてしまう。
だから、ここでは最後のレッスンのときの話をもう一つ書くのみに留めよう。

末娘バッタは必死の練習によって、country danceのさびの部分こそ弾けるようにはなったが、コンサートのテンポとなったら、指が追いつかない。
一週間で仕上げることなど、所詮無理な曲。
多分、ヘレンは知っているに違いない。それでも、末娘バッタの無謀な挑戦を認めてくれたのか、彼女の参加を黙認してくれているかのよう。やっぱり一言伝えたい。そう思って、次のクラスに行く前に、末娘バッタにとり、この曲は未だ練習をしていない曲で、なんとか弾けるようにはなったが、それでもパーフェクトではなく、申し訳ない、と声を掛ける。
すると、彼女は、灰色がかった緑の目をカッと見開き、じっと私の心の奥まで見透かすかのように覗き込み、
「私は70年弾き続けています。でもパーフェクトにはなっていません。」
返す言葉もなく、立ちつくすのがやっと。
ああ、なんと馬鹿なことを言ってしまったのだろう。
我が愚かさを悔やむのみ。

親にとっても、子にとっても、
学ぶことの多い、貴重な時間。

そう、ニックが教えてくれた通り。完全にAddicted
魔術に掛かってしまう不思議な一週間。そして、その余韻は未だ続く。。。



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2012年8月13日月曜日

興醒めな演出



やわらかな柳の葉から覗いた蓮の池は
そこだけ空気が切り取られたよう。

池の水面に映る雲に浮かぶ蓮。

ゆっくりとした時間の中で、
大きな幹に触り、久しぶりね、と語りかける。

いつ訪れても、
その時々の季節の花が香り豊かに迎えてくれる庭園。

訪問する会社によるドタキャンでぽっかり時間が空いてしまったお客様と、
車を飛ばして遊びに訪れたある日の午後。

朝からゆっくりと散策しながら、
のんびりと遊んだ豊かでいとおしい時間。

遠方からの大切な友人夫婦をお連れした眩い夏の日。

コクリコの赤が草原一杯に咲き乱れる前で
長女バッタと母で驚嘆した初夏。

私の心の中で、
大好きな場所の一つ。

それなのに、
最近は演出なのか、
前回は藤棚に艶やかに咲く紫の藤に、
我が家よりも一月も遅いタイミングを訝しく思ったが、
なんと、贋物。

そして、今回。
蓮の池に見事に咲く睡蓮のピンク、イエロー。
ただ、どの花弁も美しくピンとしており、肉厚。
蕾がないこともないが、
どうして、ここまで満開なのか、と
やや違和感。
そして、午後の時間であるにも拘らずの花の開きように、
じっと見つめると、
黄色いオシベが贋物であることを物語っている。

いやはや興醒め。
そんなことをしていると知ったら、モネはなんというだろう。

散るから、花の命の愛しさ、儚さを思うのであって、
人口の美しさを求める気持ちとは別物であろう。

訪問客へのサービスなのか。
それとも、訪問客をバカにしているのか。
真意の程が分からない。

池に、たとえ蓮の花がなくとも、
その季節でないのであれば、
十分納得いく話であろうのに。

その瞬間の美しさを切り取った絵画。
その場を人口に再現しようとする愚かさ。

大好きな場所であっただけに、
現在の管理者の思惑が残念に思えてならない。

そうなると、
やはり、
モネの絵画に、憩いを見出すしかないのか。


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2012年8月8日水曜日

どこにいるの?


夏の光がまばゆい透明な空気に、
緑の風が葉裏を駆け抜ける中に、
蜜蜂の羽音が賑やかなラベンダーの紫の香りに、
口の中で鮮やかに沸き立つコカライトの粒に、
その姿を探す。

どこにいるの?

近くにいるはず。

どこを歩いても、
何をしても、
確かに感じられる、その存在。

どこにいるの?

心の奥にひっそりと濃紺な水を湛えた湖。
その面がかすかに震え、
体中の60兆個の細胞一つ一つが、震動している。

見つけた。

思いもよらない。
こんなにも近くに見つかるなんて。

私の心の中に。




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2012年8月6日月曜日

いたずら心




銀の粒が天窓を叩く音を聞きながら、
ことのほか雨が好きな自分に気がつき驚く。

雨が上がった後の土や草、木々から立ち上る香りが好きなことは勿論、
雨の粒が木々や葉、屋根や窓を打ち付けて織り成す様々な音が好き。

そんな暢気なことを言っているのも、
これといった戸外でのイベントが待ち受けているわけでもないからで、
ピクニック、山登り、サイクリング、などの屋外行事は勿論のこと、
コンサート、式典、といった屋内行事であっても、晴れやかな空はありがたい。

写真撮影に於いても、
太陽によって作り出される陰影がもたらす効果の重要性は十分、分かっている。

それでも、
雨音を聞きながら楽しんでいる心の余裕に、
ふと、幸せを感じてしまう。

そうして、伸び放題になっている雑草を刈り込まないと、と思い至り、
先日、我が家の庭で、のんびりと日向ぼっこをしていた3匹の猫の姿を思い出す。

我が家には勿論門があるが、猫が戸を叩くわけでもなく、ましてやインターフォンなど使うわけもない。
ひょいと飛び乗れば簡単に登ることができる塀の高さに、
するりと身を捻れば庭に入り込める柵。
我が家のバッタ達が喜んで門を通らずに庭に入るので、
以前、堂々と門から入りなさい、と叱ったことがある。

猫を叱るわけにもいかない。
庭に悪戯されて困るものも、特にない。
彼らも、こちらを試すのか、
時々、玄関やベランダに、置き土産をすることもあるが、
別段、なんてことはない。

かといって、
姿を認めて声を掛けることもない。
いわゆる、猫かわいがり、ということを、
我が子であるバッタ達にさえしないのであるから。

不思議なことに、バッタ達も、猫を見てもそんな仕草も見せない。

だから、なのか、
或いは、伸びた草を歩くことが楽しいのか、
見たところ、ちっとも家族でもなさそうな、
ちゃっぷりとした白に茶のぶち、
スレンダーな真っ黒、
三毛猫タイプが、
我が家の庭を、そこれこそ我が物顔で日向ぼっこしていることが良くある。

さて、
当たり前のように晴れ上がった冷たい空気の中、
芝刈り機の音を響かせ、
幾つもの刈り取った草の山を作る。

庭の奥底にひっそりとフランボワーズが赤く実って息づいており、
ミラベルは黄金の粒をたわわにつけた枝が、重さで芝生をこすらんばかり。
昨年の秋に、通りがかった人に枝を少し軌ってもらったクエッチは、
ミラベルほどではなくも、黄緑色の粒を細長くし、一つだけ既に赤紫に輝いている。

背が高くなった雑草を刈り、庭の姿がすっかり変わると、
新しい発見があちこちで見られる。

足の踏み場もない程に散らばったまつぼっくりを拾いながら、
長女バッタが幼いときに、まつぼっくりを拾っては、「まつぼっくりがあったとさ」と言うので、すっかり歌を覚えたのね、と関心していたが、
実は、その松かさの固有名詞が「まつぼっくりがあったとさ」と思っていたことが何かの機会に発覚し、大笑いしたもの。
きっと、それこそ、「まつぼっくり」を拾っては、私が「まつぼっくりがあったとさ」の歌を歌っていたから、そんな風に覚えてしまったのだろう。

今まで草で覆われていたところに、柔らかな土が見え、
すかさず鳥たちが獲物を狙って遊びにくる。

ヘーゼルナッツの木の上では、
ふっくらとした赤茶の尻尾を遊ばせたリスが木の実の味見をしている。

今まで、庭にいなかったからか、或いは、庭を見なかったからなのか、
草刈をした途端、
久しぶりの仲間達と出会う。

そうして、
ふと、そう、ふと思い至る。

冷蔵庫で一月以上も保存してしまった手にすっぽりと入る卵を
一つはさくらんぼの木の根元に、
一つは、キッチンの窓からも良く見える石のベンチの上に、
もう一つは、、、
もう一つは、もう忘れてしまったが、
庭のどこかに隠す。

このところ、ちょっと見かけていない猫君たち。
ひょっとしたら、バカンス先に家族と同行したのか。
彼らなら、細長い、ほんのりとピンク色を帯びた丸い物体を、
最初は訝って、それから、嬉々として遊び始めるのではないか。
そうして、割れた瞬間の驚き。
まさか、それをちょっと舐めたからといって、彼らがお腹を壊すこともあるまい。

と、そこまで想像して、
ぎくり、とする。

もうすぐ遊びにやってくる姪や甥たち。
4歳の、あの子が、先に見つけたら。。。
まさか、生で食べはするまいが、、、。

その前に、猫君たちよ、早く遊びにおいで。

そう思うも、キッチンの窓から見える石のベンチの上には、
薄ピンクの丸みが太陽の光を浴びて今日も輝いて見える。

さて、さて。。。


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