2022年11月30日水曜日

秋の木漏れ日を味わうグルテンフリーのガトーオマロン

 





フランスで初めての職場、そこで出会った緑の目が魅惑的な、まるでソフィーマルソーのようなマリロランス。彼女が教えてくれた、職場近くの小洒落たカフェ。そこでは、秋になるとデザートに「ガトーオマロン」がメニューに現れる。


一口食べて、しっとりとした味わいに虜になってしまった。女性のシェフが切り盛りしていて、とびきり新鮮な野菜をふんだんに使った大盛りサラダが人気で、女性客が多かったが、そのガトーオマロンは一切れがホールケーキの6分の1サイズ。その大きさに圧倒されはしたが、素朴な栗色のケーキはそれぐらい大胆な方がいい。そして生クリームやカスタードクリームの類も必要なく、飾りもいらない。そう一瞬にして悟った。


職場が引っ越すと知り、何より残念に思ったのは「ガトーオマロン」のことだった。ある時、思い切って女性シェフに声を掛け、レシピを教えてくれないかと聞いてみた。にっこりと微笑み、お客様にとても人気がある当店自慢のデザートなんですよ、でも企業秘密ですからレシピをお教えすることはできません、と当然と言えば当然の答えが返って来た。


そこで、日本に帰ることになったので、暫くはお店に来れないこと、とても美味しかったので教えていただければとずうずうしいお願いをして申し訳なかったと伝えた。


会計をして帰る時、さっと女性シェフが近づいて、「ヒントを一つお教えします。粉類は入っていませんよ。」と囁いた。まあ、ありがとうございます!日本に帰るなどと嘘をついた自分が恥ずかしかったが、それ以上にヒントを教えてもらえて飛び上がらんばかりだった。


それから「ガトーオマロン」の味を探しが始まった。そして、遂にこれかな、と思えるレシピにたどり着いた。基本の原材料は3つだけ。


栗のピュレ 500グラム

卵白 卵3個分

カソナード 100グラム


・栗はマッシュして生クリーム大匙2程度でピュレを作る。

・卵白に砂糖を一度に入れて、しっかりと角が出るまで撹拌しメレンゲを作る。

・栗のピュレに3分の1程度のメレンゲを入れ、しっかりと混ぜ、残りのメレンゲに混ぜ込む。


そして180℃のオーブンで1時間。


焼く前にバニラエッセンスを生地に入れたり、バニラビーンズ入り砂糖を使っても、或いはラム酒をちょっと入れても楽しいかもしれない。


秋の木漏れ日を感じさせる幸せな香りがキッチンを満たしてくれ、一時間はあっというまに経てしまう。


まだ温かい時に味わっても、しっかりと冷まして味わっても、それぞれに楽しめます。いかがでしょうか。栗のピュレは完全にクリーム状にしないで、少し栗の粒が残っている状態が意外に美味しいです。


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2022年11月28日月曜日

ボルシチの味 後編

 




お目当てのシュトーレンを買うことはできたが、厚みのあるA5サイズの特大スペキュロスは見つからなかった。当てもなく探していると、息子バッタの同級生のママ友や、末娘バッタにお裁縫を教えてくれたお料理もお裁縫もプロ級の友人に声を掛けられる。


久しぶりなのに、久しぶりの気がせずに、かつてのようにおしゃべりをし、冗談を言い合い、とても楽しい時間が流れていく。彼女たちも既に子供達は卒業しているのに、いやだからこそ、なんの気兼ねもなく学校のバザールに出掛けてきて、掘り出し物を見つけたり、懐かしい顔に出会っておしゃべりに花を咲かせていく。


そうこうしているうちに、メッセージを送ってくれた現役ママの友人と出会う。彼女には、良かったら我が家の玄関スペースに車を停めてね、と予めメッセージを送っていた。


バザールがある日は学校の近くの路上駐車の場所は大方既に誰かの車が駐車してしまっていて、体育館の駐車場も満杯、近くの別の学校の駐車場に停めに行くなど、駐車場確保には皆が苦労する。丁度末娘バッタが車を使っているので、学校の近所の我が家の玄関スペースを使ってもらえれば、と思ってのことだった。


この申し入れを喜んでくれて、早速車を停めて来たという。トンカのにぎやかな歓迎の声に迎えられたというので、嬉しくなってしまった。


彼女と立ち話をしている間に、数名の知り合いやバッタ達がお世話になった先生が通り、その度に色々な話題に盛り上がり、時間が経つのも忘れてしまう程。友人は現役ママなので、バザールの出店でのお手伝いがあるからと、とりあえず別れたが、車をとりに戻る時に、是非顔を見せてね、と言っておいた。


家に帰ってくると、お留守番をしていたトンカから、どこに行っていたのキックを盛んに受けてしまった。そりゃあそうだよね。朝は一緒に森に行くつもりにしていたのだものね。ごめん、ごめんよ。


なだめているうちに眠ってしまったトンカの温かな体温を心地よく感じながら本を読んでいたら、突然トンカが起きて窓に向かって盛んに騒いでいる。と、友人が車のトランクを開けている様子がカーテン越しに見えたので、慌てて外に出てみる。慌ててと言っても、トンカと一緒に台所の勝手口から出て行ったので、当然ながらトンカが先に飛び出してしまった。友人の慌てふためいた声が聞こえるので、それこそ慌てて行ってみると、なんと友人は両手に包みを持っていて、トンカにいたずらされないように高く掲げている。


「ボルシチなんです。この器に入れて食べてくださいね。」


なんと、熱々のボルシチと、それを入れるお洒落な器。バザールで買ってきてくれるなんて。慌てて彼女の手から受け取り、這う這うの体でトンカの魔の手から逃げることに成功。


ボルシチは野菜とお肉がじっくりと煮込んであって、最高の味わいだった。



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ボルシチの味 中編

 





ところが、現役ママの友達からメッセージが入ったこともあり、急遽予定を変更し、トンカには家でお留守番をしてもらうことにし、毎年恒例のノエルのお菓子、シュトーレンとスペキュロスを買いに繰り出すことになった。


シュトーレンはドイツのお菓子だが、昔の職場の同僚だったドイツ人のヴェルナールが毎年お客様からの戴き物の大きなシュトーレンを恭しくスライスし、皆に一切れずつふるまったことを思い出す。非常に懇意にしているお客様からの一年間の感謝の気持ちを込めた贈り物だと聞いて、ドイツにも日本のようなお歳暮を贈り合う習慣があるのかと、感心したものだった。


それ以来、なんだか特別な思いが込められている気がして、大きなシュトーレンを見ると買うようになってしまった。ひょっとしたら偶々ヴェルナールのお客様がお歳暮にシュトーレンを選んだのかもしれない。しかし、あの時の誇らしげで嬉しそうなヴェルナールの顔からは、大きくて真っ白な粉砂糖がたっぷりと振りかけかれた美しいシュトーレンこそが、特別であると思わしめる何かがあった。


それと、スペキュロス。学校のバザールで出会った、3センチはありそうな、たっぷりとした厚みのスパイスが効いたB5サイズはありそうな大型ビスケット。一かけ口にしただけで、深みのあるシナモンの豊かな香りがビスケットの甘みと一緒に襲ってきて、得も言われぬ程の幸せ感に包まれる。


ところが、ここ数年は何故かバザールで見つからず、手にすることが出来ていない。夢のスペキュロスの味になってしまう前に、是非とも見つけて、味わいたいと切に願ってしまう。


今年はバザールの開始時間が遅いのか、皆がゆっくりとしているのか、朝の10時頃に行ったにも関わらず、これまでだったら既に出店の前では押せよ押せよの大混乱なのだが、意外に閑散としていて、担当者がのんびりと商品を陳列しているところだったり、通りでは段ボール箱を抱えている人や、両手に大きな袋を持っている人などが慌てた様子で行き交っていた。


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2022年11月27日日曜日

ボルシチの味 前編

 





きまって11月の最終土曜日は、バッタ達が通っている学校の冬のバザールとなっていた。その日は何故か初雪が降ることになっていて、坂の多い通りなので、立ち往生した車が通りの真ん中で放置されていることも見慣れた光景だった。


どうやら今年は雪にはなりそうもないな。早朝、トンカと散歩をしながら、空を仰ぐ。バザールは学校の保護者会が企画、運営するのだが、一般公開されていて、近所の人々もノエルの贈り物を探しにやってくることが常だった。


バッタ達も友達と待ち合わせをして、色々な出店を冷やかしながら、様々な屋台でつまみ食いをし、時間の許す限り楽しんだものだった。とはいえ、土曜はバイオリンのレッスンの日だったので、早朝のちょこっとした時間と、バザーが終わるぎりぎりの時間にしか行けなかったのだが。


そんなこともあってか、卒業しても友達と誘い合って、好きなだけ、時には一日中学校のバザールに行っていた。そして、それは子供達だけでなく、親も同様で、見知った顔を見つけては近況報告や昔話に花が咲き、あちこちでおしゃべりの輪ができるのも、恒例のことだった。


ところが、今年は長女バッタは研究発表とやらでフランスの東部、アヌシーに行っていたし、末娘バッタは前日に学校の学生企画のガラパーティーがあったとかで、運営に携わっていた彼女は明け方にでも寝たのだろうか、疲れ果ててしまっているので来ないという。息子バッタは、フラットシェアリングをしている5人の学友たちと週末を過ごすので、ちっとも家に帰ってこなくなっていた。


前回、一緒にスパイスが効いたホットワインを飲みに行こうと誘ってくれた近所の友達は、丁度留守にしていたし、お金が足りなくなっちゃったから貸してよ、と大きな袋を膨らませて興奮しながらバザールで買い物をしていた友達は、パリに引っ越してしまっていた。そこで、今年はトンカと森にでも遊びに行こうかしらとぼんやりと思っていた。



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2022年11月25日金曜日

プライベート空間に関する考察

 





郊外からパリ市内に向かう電車に揺られながら、いつもはヘッドフォンでニュース解説番組を聴いているのだが、時々ネットの調子が悪くて番組が停止してしまうことがある。そんな時は車窓を眺める。


まだ暗闇が支配している時に、広い庭と一戸建ての上品な家が立ち並ぶ閑静な住宅街を通ると、書斎や食卓が垣間見える時がある。特に外から見られることを気にしていないのだろうか。カーテンもブラインドも何もつけていないので、部屋の照明が明瞭にかつ効果的に、くっきりと中の様子を浮き出していて、瞬間とはいえ何だか覗き見をしているような落ち着かない気分になる。


そういえば、以前勤めていた会社は目の前がマンションで、時々窓から男性が裸にエプロンだけの姿でアイロンをかけていたり、のんびりと裸で寄り添うカップルがいたりと、何かと楽しませてくれたことを思い出した。


よく考えてみれば、我が家の近所のアパートや一軒家も多くがカーテンなどつけておらず、暖色系の照明が灯っていることが分かるではないか。シャッターや鎧戸を使う家もあるが、開けてしまえば中は丸見え。


ひょっとしたら日照時間に関係があるのかもしれない。せめて太陽が出ている数時間でも、日光の恩恵に授かりたい、そんな思いがあるのかもしれない。


これは恐らく文化的なことが背景にはあるのだろう。パリのアパートを借りている長女バッタは、真っ先にカーテンを買って取り付けたと言っていたが、これで窓からご近所さんと顔を合わさずに済むとしていたので、恐らく「ご近所さん」はカーテンをつけておらずに、丸見えなのだろう。


お向かいのマダムは、寒い冬でもキッチンの窓を全開にしていて、マダムがキッチンにいる時は手を振って挨拶をすることが多い。近々マダムの好きなシフォンケーキを焼いて、プライベート空間の定義とやらを肴におしゃべりに遊びに行こうかしら。



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2022年11月23日水曜日

深雪ちゃん

 





秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、夕方、薄暗くなり始めたかと思うと、いつの間にか暗黒が支配してしまう。


パリから帰ってくるバスの中で、外の景色が次第にモノトーンとなっていく気配を感じる。車の明るいヘッドライトや赤いテールランプが目立ち始め、オレンジの街路灯が付き始める。


どんなに急いでも、トンカの夕方の散歩は暗闇の中でとなってしまう。それでも、最初の頃は未だトンカの栗色の肢体がしなやかに飛び回る様子がうっすらと判別できる程度ではある。そんな時、真っ白な大きな塊がすっと近寄って来たことがある。スイスのホワイトシェパードに違いない。トンカと挨拶を交わし、二匹仲良く暗闇の中に繰り出した。


羨ましいことに、純白のシェパードは光る首輪などなくても、どこにいるのか一瞬にして分かってしまう。7ヶ月というので、未だ年齢的には幼いのだろうが、体躯はしっかりとしていて、トンカの2倍はあるように思えた。


飼い主はしきりに、ここ数日足をくじいたようでいつものように走り回ることができない、と言って残念がっている。それでも、トンカとのじゃれ合いは簡単なウォーミングアップになるだろうし、二匹の相性が合っている様子なので安心だと喜んでくれていた。どうやら、大型犬との走り合いで足をくじいてしまった様だった。


大きいとはいえ、確かに未だ幼く、足元に甘えて鼻を押し付けてきた様子はとても愛らしかった。名前を聞いてみると「MIYUKI」と意外な答えが返って来た。ミユキ。


すっかり辺りは暗くなってしまったし、寒いのでしっかりと防寒具で身を固め、フードまでつけているので、曖昧ではあるが、飼い主は声の調子から恐らく初老の男性と思われた。私が「MIYUKI!」と感慨深げにつぶやいたからだろか、とても穏やかな声で名前の由来を語ってくれた。


「日本の名前なんですよ。雪を意味するんです。実は、昔学生時代にね、日仏の女性の友達がいたのです。彼女が女の子のお子さんに、MIYUKIと名付けたことを思い出して、拝借しました。」


私が日本人であることを告げると、へえ、とちょっとびっくりした様だった。それこそ、私自身も防寒具に身を包み、フードをしているので、女性ということしか分からなかったのだろう。


頭の中でMIYUKIがミユキとなり、美雪に変わろうとしていた時に、「MIYUKIはたくさんの雪だと教えてもらったのですが、たくさんとは広がりのある、つまり広大な雪ということですか。それとも、深さがあるということですか。」と聞かれ、深雪であることが分かった。


深雪ちゃん。


高校一年の時のクラスで、席が左斜め前の長い黒髪の美人の深雪ちゃんの顔がぱっと浮かび上がる。彼女のことを思い出したのは、何年ぶりだろうか。ひょっとしたら40年ぶりかもしれない。市内の唯一のお嬢様の中学から進学してきた、つぶらな瞳がバンビのように可愛らしい深雪ちゃん。


しんしんと降り積もる雪。懐かしい雪の香りとともに、郷里の雪景色が目に浮かんだ。


たっぷりと降り積もった純白の雪、そんな意味であること、とても美しい響きで、日本の女の子の名前として評判が良いこと、同じ名前の友達がいたこと、などを伝えた。


「深雪ちゃん」、そう呼ぶと、ちゃんと深雪ちゃんはこちらを振り向き、駆け寄ってくる。まだ足が本調子ではないから、と帰るという彼らとは、広場の端まで行ったところで別れてしまった。トンカとは、これから森の端を未だ少し歩き続ける予定だった。


深雪ちゃんはしばらく名残惜しそうにトンカとじゃれていたが、ちゃんと回れ右して飼い主の方に走り去って行き、トンカはトンカで、何事もなかったように私のそばで前に向かって走り出した。


犬に人間の名前を付けるのも、その名前が現実的ではないからなのだろうな、と漠然と考えた。たとえば私が幼い時に、白い熊のぬいぐるみに、マッキーと名付けたように。黄色いしもやけ兎はマーシャルだった。大切なあの子の名前は、と、どんどんと昔の思い出に浸り始めた頃、ふとあることに気が付いてしまった。


学生時代の友達の子供の名前ではなく、恐らく、その友達の名前なのではないだろうか、と。


深く降り積もった雪のように美しく、純白な毛並みが見事な深雪ちゃん、また近いうちに会おうね。きっとその頃には足が全快しているだろうから、トンカと一緒に森を大いに駆け回ってね。



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2022年11月22日火曜日

森の神秘

 





森を頻繁に歩くようになって、ひょっとしたらと疑念を抱いていたことが、このところ確信になりつつある。森の小径は、夜中に移動する、ということである。


先日のきのこ騒ぎの時、翌日もちろん同じ場所に行ってみた。正確を期して言うのであれば、行こうとした。が、叶わなかったのである。写真も撮っているので、印象だけではなく、手掛かりがちゃんとあるにも関わらず、しかも、前日と同じ道を辿ったににも関わらず、実際には違った小径に入り込み、例の場所には辿り着けなかった。


あの天空まで届きそうな樫の木の樹林に行きたい、そう思ってみたところで、行けるかどうかはその日次第なのだから参ってしまう。何故かシダが生い茂る中を延々と歩かねばならない時もある。強風で倒されたと思われる大木が、根こそぎ倒れて通せんぼしている径に入り込んでしまうこともある。


それでも不思議なことに、ちゃんと森から抜けることができるのだから、あまり深く考えないことにしている。森には森の掟があり、秩序があるのだろう。そもそもトンカは、それを知ってから知らずか、ちっとも意に介していない様子で、元気に走り回り、どんな径でも喜んでついてくる。


森の地図を作ろうなんて野暮なことはゆめゆめ考えてはなるまい。人生にちょっとしたロマンがあるのも、悪くはないではないか。


さあ、今日も謎めいた森に散策に行くとしましょうか。ね、トン。


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2022年11月20日日曜日

TO DO LIST

 






気が重いながらも、いつかは必ずやらねばならないリスト、というものが誰にでもあると思う。時には、何故それを実行することがそんなに気が重いのか、などと思えることがあるかもしれないが、ゆめゆめそんな野暮なことを考えてはいけない。人にはそれぞれ、他人には分からない事情というものがあるものなのだから。


二週間前までは、私にとってのそのリストの筆頭がガス給湯器の不具合調整だった。


その後、トンカのワクチン接種のアポ取得、それから眼科検診となり、それがいつの間にか玄関のドアの取っ手の修理に入れ替わり、最終的に車検証の探索、となった。これが一番気が重かった。


車検証がいつもの場所にないことに気が付いたのは、週末にボルドーに仲間たちと車で行く予定になっていた末娘バッタに手渡したいと思った時のこと。いつもなら、ハンドバックのファスナー付き内ポケットに入れている筈だった。ひょっとしたら、トートバッグかもしれない。


二つのトートバッグの中を見てみたが、何も見つからなかった。まさか、とは思うものの隣に片付けてあったリュックの中も調べてみたが、やはりなかった。


車検が今年の暮れに切れることは分かっていた。それまでには探さねばならないが、いつもの場所にないのであれば、一体どこにあるというのだろうか。それよりも、これまで運転していながら、運転免許証だけはちゃんと携帯していたが、車検証を持っていなかったのか、とため息が出てしまった。


海外で住んでいると、お役所関連の書類、特に滞在許可書を始めとした免許証、保険証などの取得がいかに大変か、そしてそれを保持していることが如何に重要か、身に染みて分かっているだけに、車検証が見当たらないことに、大いに狼狽えてしまった。


二年前に家を空けた時は、長女バッタに車、車のキー、車検証、すべてを託して留守にした。あの時は長女バッタが車検の手続きをしてくれ、フランスに戻った時に手渡されて確認したことを覚えている。


その後、夏に家を空けた時、息子バッタに同じように車、車のキー、車検証全てを託して留守にした。その後、秋にバッタ達がパークアステリクスに行くというので、長女バッタに車を貸している。あの時に車検証を渡していないだろうか。


とにかくも、バッタ達にSOSメッセージを送る。車検証紛失にあたり、場所に心当たりのあるものは是非申し出て欲しい、と。


息子バッタと末娘バッタが、車のダッシュボードに入れてないか、と言ってきた。おいおいおい。それは一番してはいけないことではないか。ダッシュボードに車検証など入れておいて、車を盗まれでおたら、もう目も当てられない。まあ、新車当時はともかくも、今のクリオを盗もうとする酔狂な者はいはしまいか。


それでも一応探してみるが、ダッシュボードにもなかった。


なんとなく、長女バッタの鞄の中に息をひそめて大人しくしているのではないか、との疑念が胸に膨らんでしまった。そう。あの時、確かに、アステリクスに行く彼女に手渡した筈だ、と。


長女バッタは、幾つかの引き出しや戸棚、化粧箱など、彼女が大切な書類を仕舞っておきそうな場所を伝えてきたので、一つ一つ当たってみたが、何も見つからなかった。何かが違うと思った。彼女は車検証は大切にしまうものとして、しまいそうな場所を考えているのであった。いやいやいや、そうではなく、君の数ある鞄の中に違いないよ。どの鞄でパークアステリクスに行ったの?


とりあえず今度家に帰った時に、ちゃんと探してみるとの返事しかもらえず、それではちっとも解決にならずに、悶々としてしまった。


ここは無心になるしかないのではあるまいか。長女バッタの鞄の中とか、他人のせいにしているから見つかるものも見つからないのではあるまいか。


車検証を紛失した場合、再発行の可能性があるのか調べてみた結果、どうやら車検証明と居住地証明など必要な書類さえ揃えれば、再発行してもらえることが分かり、少しは安堵することが出来た。しかし、車の登録番号のシリーズの種類に最近変更があり、新たな番号が同時に発行されるので、新番号でのナンバープレートを新たに購入し、取り付ける必要があるとの但し書きを読み、改めて意気消沈してしまった。


これは、何が何でも車検証を探さねばなるまい。大体、なくなる筈がないのだから。


改めてハンドバッグ、トートバッグ、リュックサックの中身を点検するが、出てこない。ため息をついている時に息子バッタから電話が入る。パークアステリクス以外に、誰かがどこかに車で行っていないか。その時に、車検証を手渡していないか、と聞いてみる。


人のせいにするのは良くないよね、という冷たい返事が返ってきて、大体ちゃんと自分の持ち物を見たの、と聞いてくる。そして、「僕は夏は階段の上か、ママの部屋の戸棚に入れておいたんだよ。戸棚、見てみた?」と言う。


階段にはないことは確かだし、戸棚も、小切手の置いてある場所には何もなかった。ふと、息子バッタが日本のパスポートを何故かそこの戸棚に仕舞っていることを思い出した。バッタ達と私の4人分の期限切れのパスポートが数冊あって、そこも一度探してはいたが、もう一度見てみようか、と言う気になった。


大体、誰が期限切れのパスポートと一緒に車検証を保管するのだろうか、と思いながら、それでもあのグレーのナイロンケースの手触りを思い出しながら、戸棚で眠っているパスポートを一冊ずつ出して確認してみたところ、どうだろう。奥の方で、グレーの一冊が出て来たではないか!そうか、車検証はパスポートと同じ大きさだったのか!


思い込みとは恐ろしいもので、長女バッタがパークアステリクスに車で行った時には、車検証を手渡すどころか、その存在さえ念頭になかったということである。そして、夏に帰宅した際に、恐らく息子バッタに車検証はどこにあるのか、などと聞きもしなかったということである。


とにもかくにも、車検証は無事に見つかり、これで再発行の面倒くさい手続きをしないで済み、新しいナンバープレートを作る必要もなくなった。かくして、めでたく車検証の探索はTo Do Listから二重線で削除された。しかし、今度は車検アポ取得がじわじわと優先順位の上位に引き上げられることになるのも、時間の問題か。


とりあえずは、のんびりと美味しい珈琲でも飲もうか。いや、先ずはバッタ達にお詫びを兼ねた報告が先だろう。やれやれ、お騒がせママに成り下がってしまったか。深呼吸をし、背筋を伸ばす。



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2022年11月19日土曜日

雨談議

 





雨は音を消し、痕跡を消し去る。

我が家に泥棒が入った日も雨降りの日だった。


同時に雨は独特のにおいがある。

地下鉄に乗っている時に、停車駅で雨のにおいを運んでくる乗客がいて、はっとしたことが誰もがあるに違いない。


雨上がりの道は土の香りがするし、森の中はいつも以上に草木の香りに満ち満ちている。雨の雫が蒸発する時に、付着している物体の香りを同時に空中に解き放つのであろう。


雨の日はきらいではない。

天窓を雨の粒がたたく音も小気味いいし、車のフロントガラスを威勢よくはじき続ける音も悪くない。むろん、そんな呑気なことを言っていられるのは、我が身が濡れない状態にあるからであって、雨降りの日に外に出るなら、高性能な防水靴を履かねばならない。濡れそぼった靴下で長時間歩こうものなら、意気消沈してしまい散歩どころではない。


トンカはどうなのだろう。

夏は朝露に濡れた草原を嬉しそうに走り回っていたが、さて。凍えるような晩秋の朝、暗闇の中で、夜中に降り続いた雨をたっぷりと吸収した小径を嬉しそうに駆け回る姿に、トンカの力強さを見る。それが野生動物の本来の姿なのであろう。勝手に人間の都合で家で飼いならされ、拾い食いを禁止され、暖房の効いた部屋で人間と一緒に過ごすことは、ぬくぬくと眠りを貪ることは、果たしてトンカにとって幸せなのだろうか。


雨談議がトンカの幸せという壮大なるテーマに移ってしまった。しかし他人が幸せか、などと勘繰ること自体が非常に失礼な話に違いない。ここは、そろそろ切り上げて、雨上がりの森に散歩に行こうか。トンカは二つ返事でついてくるに違いない。



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2022年11月17日木曜日

灯火

 




気が付いたら外はもう真っ暗だった。時計を見れば既にトンカの夕食の時間を半刻も過ぎていた。どうりで、さっきからひっきりなしに膝の上に乗ろうとしたり、ポケットに鼻を突っ込んで甘えたりしていた筈。慌てて全てのファイルを保存し、アプリを閉じ、コンピューターを消した。


さあ、表に行こうか。


朝夕、暗い中での散歩となるので、トンカ用にLEDライトの首輪、そして自分用に懐中電灯付きヘッドバンドを買っていた。その威力を試すに格好の日和ではあるまいか。


しかし、どうやらそう思っているのは私だけで、トンカはちっともその気がないことが判明した。雨が降り始めたので、防寒具に身を固め、防寒靴を履き、勇んで表に出たものの、トンカがついてこない。戸口で恨めしそうに雨空を睨んでいる。


いや、待ってよ。君が外に出たいとねだったのじゃないか。雨が降ってくるとは思っていなかったって?でも、一日中家にいたのだし、外の新鮮な空気を吸って、することをしないと。


転がっていたテニスボールを手にすると、雨に濡れてぐっしょりとしていた。それを遠くに放ってやると本能なのだろか、一旦外に出てボールを取りに行くが、すぐに玄関口に戻ってしまう。トンカの好きなサッカーボールでも同じだった。


仕方がない。あまり上品な手段とは言えないが、煮干しで釣ってみることにする。と、煮干しをもらう時だけ一瞬外に出て、その後身を翻して家に戻ってしまった。


そこまで雨に濡れることが苦手なのか。唖然としてしまう。


ここで諦めてしまったら、雨の日はいつだって外にでなくなってしまうし、そうでなくとも家の中で暴れまくり、せっかく齧らなくなったパイナップルの植木や、ぎっしりと本やノートが入っている本棚が危ういことになりかねない。しかも、未だ用を足していないではないか。


こちらの思いが伝わったのか、数度目のテニスボール作戦で松の木の下にトンカが来た隙に、大急ぎで家の戸を閉めて、外に連れ出すことに成功した。さあ、いざ出陣。


雨は小降りになってきたものの、やむ気配はなく、むしろ風が強くなってきていた。ヘッドバンドの懐中電灯は高性能で、かなり遠くまで明るくしてくれ、夜道でも怖がらずに歩いていける安心感を与えてくれた。トンカのLEDライトも抜群の威力を発揮し、トンカが動くたびに青い蛍光色のバンドが動き、暗闇の中でもどこにいるのか分かりやすく、車道の運転手に喚起を促すことが出来る点で二重丸の商品だった。


肝心のトンカは、一旦外で出てしまうと、時々立ち止まって身震いをし、濡れてしまった体から水滴を振るい落とそうとする以外は、いつも通りに足取りで、嬉しそうにさえ見受けられた。


せっかくだから、森のいつもの散歩コースに行ってみようか。小径はところどころに水溜まりが出来ていて、泥沼が潜んでいたりしたが、懐中電灯のお陰で存在を事前に察知することができた。だからといって、それを避けることができるか、ということは別問題ではあった。


風雨が激しくなってくると、藪にトンカが入り込んでしまい、恨めしそうにこちらを見つめて動かなくなってしまった。懐中電灯を近くて当てられて、トンカの目は異様な光を反射して見えた。暗闇で見えなくなるからと、リードを外していなかったが、LEDライトの首輪もあることだし、思い切ってリードを外すことにした。


自由の身になったことを知ってか、藪から飛び出て来たトンカは、それ以降は藪に入り込むことなく、いつもの散歩コースを、いつものペースで速足で歩き始めた。


首輪が光るので、トンカがどこにいるのかが分かることは、非常にありがたかった。そして、二つのつぶらな瞳がこちらを見ていることも、懐中電灯が捉えてくれるので、それもありがたかった。いつも以上に、こちらの様子を見守っているように思えたが、気が付かないだけで、ちゃんとこちらの状況を確認しつつ歩いていたのかもしれない。


風はどんどんと強くなり、嵐の様相を呈してきた。外套は雨でぐっしょりと重くなってきたが、防寒靴はありがたいことに足が濡れるという最悪の状況から、しっかりと守ってくれていた。


時々、前方でトンカが振り返る。走り寄ってこちらを見上げる。最初は煮干しのおねだりかと思ったが、どうやらそうではなく、近くで存在を確認したいのだろうと思われた。そうだよね。こんな嵐の夜に、酔狂にも散歩だなんて。トンカと一緒に、手をつないで歩いているような錯覚に陥る。


雨は止みそうになく、風はますます強くなっていた。トンカと二人、暗闇の中をLEDライトと懐中電灯を明るく灯しながら、心にも明るい灯火をともして、家路を急いだ。



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2022年11月13日日曜日

判断ミス

 






霧深い朝、トンカのピンと元気に立っている尻尾に神経を集中させて歩道を歩き、野原の手前で養蜂家のおじさんとボーダーコリーのマロに会う。早速トンカとマロは鼻をくっつけて挨拶をし、仲睦まじく尻尾を振り合った。


最近、生意気盛りのトンカに手を焼いていたので、ゴミが落ちてそうな体育館の入り口やゴミ箱付近ではリードを外さないことにしていたが、マロと一緒なら大丈夫だろう、そう判断し、リードを外す。


と、トンカはぱっと身を翻し、逆方向に走り去ってしまった。


トンカぁ!


霧の中に私の声だけが吸い込まれ、消えていった。


驚いた様子の養蜂家のおじさんとマロに挨拶さえもせず、トンカの後を追いかける。怒りで胸がいっぱいになると同時に、どこかに行ってしまったのだろうか、ちゃんと見つけられるだろうかと、心配で心が震える。


子供達の水飲み場の脇を走り、奥まった建物の陰に足を向ける。以前、夕方の暗闇の中、そこでひっそりと息をひそめて立ち尽くしていたトンカを見つけたことがあった。霧が晴れ上がってきたのか、その建物の容貌が浮かび上がって来た。


扉が取り外されていて、その奥に剥き出しになったトルコ式トイレが隠れ見え、そこにトンカが立ち尽くしていた。水飲み場と思っていたそれは手洗い場で、建物自体は公衆便所であることが漸く分かってきた。


ああ、とんちゃん。


罪のない真ん丸の瞳を大きくさせ、じっとこちらを見つめているトンカ。トンカには、どこかに逃げようとか、隠れてしまおうとか、そんな感情が一切ないことが瞬時に分かり、大いに安堵した。それでも怒りは収まらない。


リードをつけ、有無を言わせず家に帰る。脱力感に襲われ、しばらくはベッドの上に身を投げ出し、呆然としていた。


時間がたち、冷静さを取り戻してくると、明らかに私の判断ミスであったことが思われた。


とにかく好奇心旺盛で、何かを疑うことを知らないので、気になるものは全て口にする。鼻が利き、遠くの匂いであっても敏感に察知し、確認したがる。私のそばを離れても、また戻ってくる自信があるので、平気で遠くに行ってしまう。そして、私がいつも待っていてくれると勝手に信じている。


それがトンカなのである。


理性的に行動せよ、など思うこと自体が間違っていて、そのように行動させ、成功体験を重ねさせることが重要であり、そうさせることが私の務めではないか。


とんちゃん、ごめんね。よっしゃ、相棒よ。霧もすっかり晴れ上がって来たよ。森に遊びに行こうじゃないか。さあ、いざ行かん。



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2022年11月10日木曜日

名残り

 






今年最後の蕾かな、そう思いながらいまだに庭で咲き誇る薔薇たち。例年になく穏やかな日が続くことが大いに影響しているのだろう。それでも朝の7時になっても東の空は暗闇に包まれていて、夕方の5時になろうものなら、空に星が瞬き始める。


人間とはかくも愚かなものかな。わずらわしいと思っていたものがなくなると、それを懐かしむ、いや、かえって欲する気持ちが湧いてしまうことがある。


所詮気持ちなど山の天気のように目まぐるしく変わるもの。


こんな時は、芳しい薔薇の香りをせめて楽しもうではないか。この香りこそは確かなものなのだから。


いや、待て。香りを楽しむとすることこそ、主観的なことこの上ない。


笑止。誰がこの高貴な甘やかな香りに惹かれないものがいようか。


秋の名残りを楽しもうではないか。



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2022年11月9日水曜日

飛翔のとき

 




3匹のバッタ達、三人三様で驚くほどにそれぞれに性格が違う。ママは3人を深く愛しているが、彼らへの愛情は同じようで同じではない。親への愛と、子への愛の種類が違うように、子への愛も、子供一人一人違っていることは、極自然なことではないかと思う。愛とは対象が増える度に増え続けるものなのだから。


そして恐らくバッタ達は、皆それぞれ、ママからの愛情が自分の方がちょこっとだけ多いと感じ、他のきょうだいに対して申し訳ないなと思っているのではないか。いや、そうであって欲しいと願っている。


末娘バッタへの母親としての思いは、長女バッタ、息子バッタのそれに対して、かなり異なるものである。それは彼女の性格に起因しているし、その性格というものも、我が家の末っ子というポジションから大いに影響を受けていることも否めまい。


中学3年ぐらいまでは、顔一つママよりも背が高くなっていながらも、ママとずっと一緒に住むと言い張っていたのが、高校3年になった頃には、私は一人でやっていくから、ママはママの好きなことをして自分の人生を楽しんでね、などと大人びたことを言ったものだった。


彼女の高校卒業を機に、子供達はしっかりと自立し、親がいなくても十分に我が道を切り拓いていける力を有していると判断し、これからは日本の実家の力になれるものならなろうと、日本に戻り、人生の新たな展開を試みた。


しかし、フランスにいる子供達こそが自分にとっての大切な家族ではないか、と目を覚ますに至り、今がある。そのきっかけを作ったのは、末娘バッタだった。その割には、週末やバカンス中でも、あまり家には帰ってこない。帰ってきても、すぐに友達と会う約束をとりつけ、家を空けることが多いのも、彼女ならではのこと。


しかし、それこそが彼女らしいではあるまいか。若さならではの根拠なき自信に満ち溢れ、常に仲間から必要とされ、仲間を必要とし、明るく、ほがらかで、好奇心に満ち溢れ、向学心に燃えている。そんな彼女の笑顔を、しっかりと支え、見守り続け、いつでも必要な時に帰ってこれる場所であることが、親の務めであろう。


21歳のお誕生日おめでとう。

さあ、どんどんと力強く思う存分羽ばたいていってね。ママはいつだって応援している。


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2022年11月8日火曜日

生意気盛り

 






近所の犬仲間のグループのアカウントに、迷子の犬として画像メッセージが送られてきた。それを見て、心臓が止まる程驚いてしまった。トンカではないか。送信者の飼い犬と思われる犬と鼻を突き合わせているが、毛並み、毛の色、細身な体躯、正にトンカ。まさか、勝手口のドアがちゃんと閉まっていなかったのだろうか。


最近、トンカは生意気になってきていて、呼んでもちっとも応えずに、むしろ遠くに勝手に行ってしまうことが度々あった。ピザの食べ残しやバゲットの切れ端など、転がっていたらひっかかってしまい、何とか引き離しても、遠くに行った際にリードを外すと、一目散にその場に戻ってしまう。たとえ、それが直線コースでなく、歩道とは言え、道路を通るとしても、である。


その日の朝も、勝手に自分で散歩コースを決めて、サッカー場の入り口が開いていたことを良いことに、さっさとサッカー場に入ってしまっていた。朝といえど、未だ暗闇が支配している時間帯で、トンカが一体どこにいるのか分からない。これまでは口笛を吹けば、慌てて走ってくるのだが、どんなに口笛を吹いても、「トンカ!こい!」と呼び掛けても、気配すらしない。


漸く入り口に戻って来たかと思うと、飛び跳ねるように入り口をすり抜け、またどこかに駆けだしてしまった。それでも、恐らく逃げるように走る先はゴミ箱の近くだろうと予想をつけ、足音忍ばせ、暗闇をこちらも忍者のように走る。


案の定大きなゴミ箱のあたりをうろうろとしていて、蛇口が並んでいる水飲み場に転がりこんだところを押さえつけ、お縄頂戴となった。


そんなことがあったので、一匹でうろついている犬の写真をみて、トンカだと真っ青になってしまったのである。よく見ると首輪をしていて、それも丁度トンカの首輪に似ているではないか。ん?首輪?まてよ。トンカは外で散歩をする以外は首輪はしていない。トンカではないのか。


慌ててバッタ達に画像をシェアしていたが、すぐに長女バッタから、トンカに似ているが耳の形が違うのではとメッセージがあった。首輪の話をすると、トンカではないとなる。それでも心配なら、お向かいのマダムに見に行ってもらってはどうか、と言うので、そんなことをしたら、マダムは心配するし、大ごとになりそうだから、と提案を退け、冷静になって画像をもう一度見て、トンカでないことを確認する。


他の犬仲間から、トンカではなく、農業学校のスタッフが放し飼いをしているアイスに違いないとのメッセージも入って来て、ようやく安堵するに至ったが、本当に度肝を抜かれてしまった。


トンカよ。生意気盛りなことは分かるけど、呼び掛けたら返事をするか、ちゃんと戻ってきなさいよね。


トンカとの人生の珍道中は続く。


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2022年11月4日金曜日

雑草の魂を秘めて

 




第一子ということで親が特に手塩に掛けて育て、幼稚園、小学校、中学校、高校とあらゆる節目で親子ともども大騒ぎし、誕生会から始まり、お泊り会、お友達とのプチ旅行、そして、フェット、ガラと続いて行く社交イベントの度に、親も一緒にどきまぎしてプレゼントを用意したり、洋服を新調したり、ハイヒールを購入したりする。


つい親が先回りをして色々と準備をしてしまうので、どちらかと言えばのほほんとした気性になりがちで、おおらかでのんびり屋さん。


それが正しく第一子の運命ではなかろうか。しかし、それこそ運命とは分からぬもので、色々なところで落とし穴や地雷が潜んでいて、波乱万丈となるのが常。長女バッタに至っては、そうなのだろうなとつくづく思ってしまう。


何不自由なく育ち、お嬢さん街道まっしぐらであった筈なのに、小学生の低学年にして親が離婚し二つ下の弟と四つ下の妹を連れて、隔週の週末にはパパの家庭にボストンバックを抱えて行くことになるのだから。嫌がろうと、ママと一緒に残っていたいと主張しようと、問答無用で連れ出される。二ヶ月ごとの学校のバカンスも然り。期間の半分はパパのところ。


気が付いたら、10歳下の弟も加わり、4人きょうだいのしんがりを務めることになっていた、といったところだろう。ヌヌ(ベビーシッター)の時代を経て、朝起きて学校に行くまで、そして、学校から帰って来てママが夜帰ってくるまで、自分だって幼いのに、幼い弟と妹を上手に御し、家の鍵を預かっていたのだから、大したものである。


従い、中学生になり、背も大きくなり、体力だって勝るであろう息子バッタに恐れられる存在になったのも、むべなるかな。ムードメーカー、影の番長、そんな存在にのし上がっていった。


彼女が企画するイベントは数知れず、上手に仲間を引き連れてしまう。今年に入ってからは、研究室の仲間たちとイタリアでの学会に乗り込んだり、南仏で勉強会合宿をしたかと思えば、ヴァンセンヌの森でのハーフマラソンに皆で参加したり、モンマルトルの丘を走りぬくイベントに参加したりしている。


ばらばらの地で生活している4人のきょうだい達に声を掛けて、週に一回のきょうだいコールを実施しているのも、彼女ならではのもの。ひとえにパパの努力の賜物と、ここは素直に脱帽するところだが、異母きょうだい達はいたって仲が良く、純粋に「きょうだい」という絆で結ばれていて、結束力は抜群である。それを上手に支えているのが、しんがりの長女バッタ、といったことろか。


博士課程の二年目で、今年は経済を専攻する大学一年生に数学を教えているというから驚いてしまう。長女バッタが数学を大学生に!彼女の中学時代の数学の教師が知ったら、あまりに驚いて椅子から転がってしまうのではあるまいか。


そんな彼女の25回目の誕生日。

誕生日おめでとう。明るく、ほがらかで、雑草の魂を秘めながら、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花!

これからも堂々と我が道を突き進め!その道に幸多からんことを!



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2022年11月3日木曜日

輝かしい未来

 





トンカとちょっと長めの朝の散歩を終え、ソファーに転がって柔らかな秋の陽射しをのんびりと楽しんでいると、「息子バッタ君、今、見ています」とのメッセージが届く。送り主は、トンカを心から愛してくれる大切な友人の一人だった。


息子バッタは大学のキャンパスの近くで、友人達5人と共同生活をしているので、彼がいつ何をしているのか、これまで以上に全く把握できていない。テニスを始めると言っていたので、テニスの試合があったのだろうか。或いは、サッカーの試合、それともマラソン大会だろうか。


すぐに思い浮かぶのは、どれもスポーツのイベントだった。しかし、どれも当たらなかった。


「進路フォーラムです。息子と一緒に見ています。」と、友人は教えてくれた。


えええ?全然聞いていない。友人の息子君はバッタ達が通った学校の、高校2年生。そうか、進路フォーラムの時期なのね。それにしても、息子バッタが進路フォーラムにスピーカーとして登壇するなんて!その事実に先ず驚いてしまった。


人前でバイオリンを弾きたくないとコンサートへの出場を嫌がり、口頭試問は苦手で、近所で知っている人に会っても、ろくに挨拶もしなかった、そんな彼が、母校の進路フォーラムに卒業生として参加している。


その後本人に連絡をしてみると、体調が悪くて準備もあまり出来ず、発表の時はひどく咳込むこともあり、大したプレゼンにならずに申し訳なく思っていたのに、保護者会からお礼にと商品券が送られてきて、ちょっと戸惑っているとのこと。


時間の許す限り卒業生が母校のイベントに無償で貢献することは当然のことで、現役諸君にとって役に立つのであれば喜んで馳せ参じる、という彼の姿勢を目の当たりにし、心震えてしまった。


数日後、フォーラム担当の方が偶々以前からの知り合いであったことから、当日の動画のリンクが送られてきた。確かに咳込むところがあったが、理数系プレパに進学を考えている生徒達に向けて、真摯なアドバイスがなされていて、とても分かりやすくまとめられていた。プレパがいかに楽しかったか、の箇所には笑ってしまったが、コンクールがいかに苦しく、何千人もの学生の問題を解く音、紙をめくる音にすっかり飲まれてしまったことを、これも正直に話していて、心打たれた。


昨年、末娘バッタの進学で本人以上に本当に何が一番彼女にとって良い道なのだろうかと思い悩んでいた時、息子バッタが、悩み続けること、それが人生ではないか、と言ったことを思い出した。


それでも、選んで前に進んでいく、その繰り返し、それが人生だよね。ママだって、フランスに来なかったら、あの仕事をしていたら、あの時こうしていたら、って悩むことがあるでしょう。それが普通なんだよ。僕も、あの時もう一年プレパをしていたらと思う時があるよ。


その時初めて息子バッタの口から彼の進学について後悔らしき言葉を聞いたが、その言葉は既に苦悩から脱し、達観している者が発する響きとなっていて、目を見張ってしまったことを覚えている。


困難を乗り越え、辛い経験を我が身の血と肉とし、逞しくなってくれている。辛い時期を乗り越えたからこそ見えるものもあり、感じることができるものもある。そして何より、どれだけ彼の言葉で私自身が救われたか!悩むことが当たり前、そうだよね。それでいいんだよね、と。


今日は、そんな彼の23歳の誕生日。おめでとう。君の輝かしい未来に幸多からんことを!



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2022年11月2日水曜日

逃したセップは大きいの巻

 






冬時間になって、日暮れの時間も随分と早まっているが、気温だけは異様に暖かく、なんだかちぐはぐな日々が続いている。それでも、青空に輝く太陽の下での森の散策は最高に爽やか。いつもより遠くまで足を延ばしてみようか、そんな気にさせてくれる。


かさかさかさ、と枯れ葉が敷き詰められた絨毯を歩く音が耳に心地よく、野ばらの真っ赤な実がちょっとした装飾になっていて心を和ませる。枯れ葉の厚い絨毯に埋もれている、イガからすっかり飛び出した栗を上手に見つけ出して、こりこりとトンカが食べる音もいたってのどか。


かなりの急勾配の坂を嬉しそうに駆け抜けるトンカの後姿に、笑みがもれる。壊れかけた煉瓦の塀の上を歩く様子は、もしかしたら猫のDNAも持ち合わせているのではないかと思わせる程。


と、丁度目をやった先にぷっくらとしたこげ茶色の傘のきのこがこちらに笑顔を向けている。ま、まさか。天下のセップ様では?いや、さすがに、まさかであろう。写真だけ撮って、その場を離れる。息子バッタがフラットシェアリングをしている仲間の一人がキノコ採りの名人で、彼らが住んでいる近くの森で20個以上のセップを採取し、皆で美味しく食べたという話をしていたことを思い出した。


その日は3時間以上のウォーキングとなり、山歩きの靴を新調したばかりだったからか、足が珍しく火照ってしまっていた。この時期にぐっしょりと汗ばむことは悪くはないが、風邪を引きかねない。急いで着替えて、ソファーに落ち着くと、息子バッタに早速キノコの写真を送る。


と、珍しいことに息子バッタからすぐにメッセージではなく、電話が入る。なんだか興奮している様子で、何事かとよく聞いてみると、セップを見つけたことを喜んでくれているのだった。


「え?本当にこれがセップなの?ママ、写真だけ撮って、キノコは採ってこなかったのよ。」


驚いたのは息子バッタの方だった。先日、息子バッタが久しぶりに家に帰った時に、一緒に森を散策し、セップの見分け方を教えてもらっていたのだが、まさか本当に、あんな大きなセップが見つかるとは露も思わず、そのままにしてしまっていた。


「明日、同じところに行かないとね。」


そう言われたが、さあどうどうしよう。なんだか、最初に見たキノコ(セップ?!)の大きさが、一回りも二回りも大きく思えてきてしまう。豊かな秋の香りがぷんぷんと漂ってくる。炒めた時のとろりとした食感までもが生々しく迫ってくる。


逃した魚は大きい、もとい、逃したセップは大きい。


トン、どうする?明日も森の奥まで、ちょいと行ってみる?相棒からは、すやすやとした安らかな寝息しか聞こえてこない。秋は日に日に益々深まる。



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