2021年5月31日月曜日

芍薬の香り

 




ママ!

そう言って手渡された大きな花束。

10年以上も前のシーンがフラッシュバックする。


ママ!そう言って手渡された大きな花束。

嬉しいとの思いよりも、先ずは驚き、そして、長女バッタに誰にもらったのか問いただしてしまった当時の情けない自分。長女バッタは、ママの大喜びの顔を期待していただろうのに、それこそきょとんとし、自分が買ったと主張。お金はどうしたの?と聞けば、貯めたという。


5月最後の土曜日はバッタ達の学校のお祭りの日と決まっていて、日中はスタンドでお手伝い。丁度長女バッタのダンスの時間とお手伝いの時間が重なってしまって、友人に送迎を頼んでいた。ひょっとしたら、その友人に立て替えてもらったのだろうか。そこまで考えてしまった。


ママに喜んでもらえないばかりか、信じてもらえずに、戸惑う長女バッタ。


だって、ママは、母の日に、未だ10歳にもなっていない幼い貴女が、一人で花屋さんに行って、ママのために花束を買うなんて、本当に思っていなかったのだもの。


ごめんね。


考えてみれば、土曜のダンス教室の隣が花屋さん。いつも新鮮な花を店頭に飾っていて、練習が終わる長女バッタを待つ間、冷やかしに時々覗いていた。


それ以来、毎年、母の日には花束を贈ってくれる。去年は日本にいたので、花束が突然届いたので不覚にも涙してしまった。日本の母の日とは日にちが違うので、驚きもひとしお。


今年の花束のラッピングに、ピンで留めてあった花屋さんのカード。10年以上前と同じ花屋さん。


いつものおじさんが花束を作ってくれたんだけど、今では2人の若い女性がアシスタントでいるんだよ。


嬉しそうに教えてくれた。


ありがとう。ママは、貴女の母親であることを誇りに思っている。とっても幸せよ。



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2021年5月30日日曜日

暮れなずむ空

 





こんなに元気になるなんて、思っても見なかった。

助手席から元気な声。思わずアクセルを強く踏んでしまいそうになる。

第一の山場の筆記試験期間が始まった頃から、肝が据わってきたように感じられていた。もちろん今でもピリピリしている時はあるし、取り付く島もない時もある。それでも、あっけらかんとした彼女らしい自然な笑い声がしょっちゅう聞こえるし、とにかく笑顔がいい。

寮の門で別れる時、今夜パパと電話をする予定なの、とさらりと言うので、またしても驚いてしまった。夏にはボルドーのパピーに会いに行きたいので、その手続きについて詳しく教えて欲しいと言ったら、じゃあ、電話をしようとなった、という。面倒くさくならなければいいけれど、とつぶやきながらも、さばさばとしている。

そうか。吹っ切れたのか。

暮れなずむ空を見上げる。おっし。さあ、また一週間、きばってくなんしょ!

校門では友人が待っていた様子。視界から消えるまで待たずに、車を出す。


  

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2021年5月28日金曜日

黄色い薔薇

 




黄色い薔薇を見ると、母を想う。幼い頃、ママのお墓には菊ではなく、薔薇、それも黄色い薔薇をお供えしてね、と言われていたからだ。薔薇の絵柄のTシャツを着ていた頃で、「薔薇が咲いた」の歌を良く歌ってくれ、とても嬉しかったことを覚えている。


きっと本人に言えば、「あら、そんなこと言っていたかしらね。」で済まされてしまうだろう。若い時の母は大都会東京から田舎に嫁いでいて、前衛的であることをある意味求められていただろうし、当時立て続けに祖父や曾祖母を看取り、お葬式をしていたことも影響しての発言だったのだろうか。


ママが死ぬなんて、とても考えられず、そんな話題は嫌だと泣くような子供だったが、不思議と黄色い薔薇の話はしっかりと胸に留めていた。


母は黄色い薔薇が好きなんだろうと、ずっと思っていた。


父が亡くなって、馴染の花屋さんが父が好きな花だからと、折々にスイートピーの花束を贈ってくれる。そう、父が好きな花と言えば、私もスイートピーだと思っていた。淡い色で優しいメルヘンチックな花。丁度、いわさきちひろの絵のような花。


ある時、母が花屋さんから戴いたスイートピーをお仏壇に供えながら、母が好きな花だから父がしょっちゅう花屋さんで買っていたので、花屋さんが父が好きな花だと思ってしまったのよね、と、しんみりと独り言のようにいうので、びっくりしてしまった。真実なんて、本当に分からないもの。そして、誰にとっての真実なのか。


それでもやっぱり、黄色い薔薇を見ると母を想う。



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2021年5月27日木曜日

プロ根性

 





ガトーブルトンを焼いたことに触発されてか、長女バッタがブルターニュはグロア島の名産、ゴシュテルを焼いた。ゴシュテルとは、いわば大型ブリオッシュで、何がどう特別なのか、初めて口にした時は分からなかったし、実は今でもあまり分かっていない。ただ、グロア島のロックマリア村のパン屋で売っていて、バッタの父親がグロア島に行くたびに、朝食はゴシュテルじゃなくっちゃと毎朝パン屋に買いに行っていた。恐らく、その習慣は今でも続いていて、バッタ達もバカンスでグロア島に行くたびに朝はゴシュテルを食べたのだろう。


ゴシュテルのレシピを調べてみると、どうやら幻のレシピらしい。幻想的に謎に包まれているように書かれているが、なんのことはない、恐らく大したレシピなぞなく、各家庭でそれぞれ、えいやーの感覚で作ってきたのだろう。おふくろの味といったところか。ガトーブルトンのレシピも似たり寄ったり。


どういう基準で長女バッタがレシピを選んだのかは分からないが、エスプリはしっかりと伝わっていて、驚くほどアバウト。生イーストが10~15グラムとあれば、最初は10グラムを計りながらも、ちょこっとつまんで余計に使うことにしている。小麦粉もざっくりと計って、篩うことさえしない。ダマになってもしらないぞ、と脅しても、どこ吹く風。ブルターニュの家庭に篩なんかないだろうし、撹拌機もないだろうからと、フォークでがしゃがしゃとかき混ぜている。OMG!


しっかりと膨らんだし、こんがりと焼けて、先ずは合格かと思いきや、本人は味にご不満。どうやら甘過ぎるらしい。こんな時、製作者が責任をもって完食すべきと思うのだが、そこはプロ根性が未だない。半分以上も大きなブリオッシュのお化けが残ってしまって、数日間キッチンに置きっぱなし。栄養価高い土作りに寄与とも思ったが、流石にそんな勿体ないことはできない。お昼にサンドイッチ代わりに、結局私のお腹に収まってしまった。


プロ根性の問題なのだろうか。この間は、末娘バッタが友達を呼ぶからと張り切ってマカロンを二種作った。ガナッシュがうまくいかなかったと、二倍の量作るし、焼きあがったチョコレート味のマカロンは正直失敗作。その後友達が遊びに来てしまったので、本人は忙しく、ピンク色のバニラ味のマカロンを作っただけで、他は放置。


その後、寮に戻ってしまったから、出来損ないのチョコマカロンを美味しく作れたガナッシュではさみ、結局は出来損ないのマカロンを私が作る羽目になってしまった。冷蔵庫に入れっぱなしになっていた出来損ないのガナッシュは、後日溶かして、パンに塗って食べた。


どうも食べ物は捨てられない。失敗して捨てるぐらいなら、作るな、と厳しく言いたいところだが、じゃあ、と責任とって全部その場で食べられても、あまり良い気はしまい。次回から作らなくなっても、それはそれで困る。成功作であれば、喜んで寮の友達に持っていったり、ご近所さんにお裾分けするだろうから、仕方ないか。


願わくは、そう失敗作を作ってくれるな。


プロ根性とは、時には潔さも求められるのであろう。そう、潔く失敗を受け入れ、破棄。そんな勿体ないことはできまいと、次回からは大いに気を遣って美味しい理想の味に近づくよう努力する。それこそが、プロ根性ではなかろうか。そうか。で、あれば、ここは涙を飲んで、作品の処理を製作者に任せようじゃないか。たとえそれが、破棄することであっても。



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2021年5月26日水曜日

ジュニエーブルの実




 


目的が何であれ、抗い難い情熱に突き動かされ、実現に向け走り回る時の快感は、久しぶりに海に潜って体中の細胞が嬉々と活性化する時の興奮に似ている。


今回はシュークルート。


発酵食品が体に良いと実家の母がこのところ凝っている。良いとなると、とことんその道を極めてしまう。無農薬の大豆で納豆まで自宅で作ってしまったというから驚きもの。白菜の浅漬けの話を聞いていたら、無性にシュークルートが食べたくなってしまった。


どこかで手作りシュークルートのレシピを見た気がするし、実際に一度作った記憶があるのだが、どうも怪しい。掲載されていそうな料理ブログを幾つか検索するが、ヒットしない。


そこでレシピそのものをネット検索し、幾つか目を通してみる。驚くほど簡単。必要な材料と言えば、新鮮なキャベツ、塩、クミンシード、ジュニエーブルの実。


いや、待て待て。ジュニエーブルの実なんて聞いたことがない。英語でジュニパーベリー。日本語ではセイヨウネズの実。ジンの香りづけに使うらしい。


早速スーパーで香辛料の棚を見てみると、あっさりと小瓶が見つかる。胡椒の粒よりは随分と大きめで、やや赤味を帯びた黒色。口に入れると、甘くスパイシー。ベリーとあって、種なのか小さな苺の粒のようなものが残り、歯で砕くと爽やかな香りがする。ジンの香りか。


BIOで買ったキャベツを一個、千切りにする。そこに塩、クミンシード、ジュニエーブルの実を入れ、ざっくりと混ぜ、1時間置く。しんなりとしたところをガラス瓶に入れて、数日発酵を待つ。ただそれだけ。


レシピによっては、待つ期間は一週間と書いてあったり、一月と書いてあったりするが、気温によっても違うのだろう。


それにしても、このジュニエーブルの実、病みつきになりそう。まだ口に残る粒々の味と香り、そして、ぴりりとする刺激。ジンベースのカクテルなんて、お洒落過ぎて鼻持ちならない、なんて敬遠していたが、ちょっと試してみるか。そのうちに、シュークルートが美味しく漬かるだろう。




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2021年5月25日火曜日

似て非なるもの

 




似て非なるもの。


大体、なぜ同じ枠で括れるのか理解しがたい。

形状からして、片や丸い球型、片や瓢箪型。

歯応えといったら、片やパリッパリ、シャキッシャキと瑞々しく、片やとろん、とろんとなめっこい。

片や爽やかでジューシーなところが売りだとすれば、片や甘美でトロっとしたところが売り。

そう、梨。似て非なるもの。日本の梨と西洋梨。


確かに日本の梨でも長十郎と二十世紀は皮質、色、香り、全く違うが、それでも同じ仲間。冷蔵庫でしっかりと冷やした実は瑞々しさが一段と高まり、歯応えも良く、爽やかな甘いジュースが口いっぱいに広がる美味しさは何とも言えない。何度幼いバッタ達に食べさせたいと思ったことか。


一方、西洋梨もコンフェランス、ウィリアムズ、コミスなど色々あり、皮質、色、香り、それぞれに特徴がある。それでも瓢箪型だし、まだ熟していない青い実をサラダのように食するのも悪くはないが、熟して実がとろけんばかりとなり、甘い蜜にうっとりしながら食するのは最高である。


これだけ品物の流通が活発化し、世界の食材がどこでも手に入る世の中になったとは言え、日本の梨は未だフランスの食卓には上がっていない。ひょっとしたら、「梨」と分類しているので、フランスにもある「梨」を、日本から輸入するまでもないと思われているのかもしれない。市場に日本の柿が「kaki」として出回っているのだから、あながち間違ってはいないかもしれない。


日本の梨を食べさせたいと願っていたバッタ達は、今や大きくなり、それぞれに生活圏を広げている。一緒に梨を食べる機会なんて、ありそうで、そうそうないのかもしれない。彼らがいつか日本に行って梨を口にした時、ああ、これがママが言っていた日本の梨ね、と感慨深く味わってくれれば、それで良しとするか。





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2021年5月24日月曜日

我も雛罌粟

 




ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す

君もコクリコ 我も雛罌粟


与謝野晶子 恥じらいもなく堂々と愛を歌い上げる情熱の塊。


柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を説く君


これを読んだときは鳥肌が立った若かりし頃。自分の晶子のようでありたいと憧憬の念を抱いた。ややもすると感情が先走る我が身を正当化する思いだったのかもしれない。


愛する人のもとなら、どこにでも行けた。どこにでも行った。即断できた。障害はむしろ挑戦という甘い刺激に思えた。


不思議なことに、今回初めて、自分を恋しく思って、日本から飛び出してきた晶子を迎えた鉄幹に思いを馳せてしまった。情熱ほとばしる愛の塊。彼女を迎えた時、どんなに愛しい思いだったか。同時に、彼女の気迫に戸惑いはしなかっただろうか。


仏蘭西の野は今も火の色に燃えている。




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2021年5月22日土曜日

リスとマグパイ

 




このところ、リスが庭に遊びに来ている。とはいっても、姿を見せるのは一瞬。すばしっこくて、クエッチの木を駆け上がったかと思うと降りてきて、今度は松の木に飛び移り、ちょっと一休みして、すぐに垣根に飛び移り、いなくなってしまう。


いつものパターン。


ところが、最近、その動きに変化が生じている。なんと、マグパイがリスを追いかけて飛んでくるようになった。この間など、奇襲攻撃をくらうのではと思う程の勢いで、リスが慌てて松の木の幹にへばりついていた。滑稽な姿に、こちらは笑ったものの、当事者にしたら必死。マグパイはミミズを好物にするので、リスと餌の収奪戦でもあるまいし、一体どうしたのだろうと思っていた。


芝刈りならぬ雑草刈りをしている時、まつぼっくりを拾いながら大きくなった松の木を仰ぎ見る。なんだか、幾つもある枝の上方がこんもりと細かい枝で覆われている模様。マグパイの巣ではあるまいか。これで納得。


マグパイが巣作りのために、細い枝を咥えて飛んでいる様子は頻繁に目にしていたが、目の前の松の木に巣を作っているとは気が付かなかった。一つ楽しみが増えた。


雑草とはいえ、ピンクや白、紫など可憐な花をつけているものだから、ところどころ刈り残してしまう。なんとも気まぐれ。その秩序のない、いい加減な庭を愛しく思う。


サクランボの実が色づき始めた。





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2021年5月20日木曜日

心を鬼にして

 





連日雨続きだが、晴れ間が見えるとあっという間に気温が上昇し、それに連れて庭の雑草たちも一気に成長する。芝ではなくなってしまったが、芝刈り、いや、雑草刈りをそろそろしないことには、気が付いたら背丈ほどに成長してしまうかもしれない。


庭の奥にラズベリーだなんて喜んでいたのは昔のこと。なぜか赤い実から黒い実になったと思っていたが、いつの間にか別の種類の類似植物が、とげとげの枝を元気に太く伸ばしのさばっている。先日、できるだけ刈りこんでおいたが、今日見てみると、なんと掃き溜めに鶴とはこのこと。ピンクの薔薇の蕾がすくっと幾つも空を見上げている。


せっせと周りのとげとげ枝の雑草を刈り取ろうとするが、これがなかなか手強い。そして、気が付いたら薔薇の枝をちょん、なんてことになりかねない。雑草の枝と奮闘していると、甘い香りが立ち込める。雑草からだろうか。


なぜ私たちが厭われるの、ほら、今だってもうすぐ蕾が膨らんで花が咲き誇るところなのに。


そんな声が聞こえてしまった。


この間も、友人宅に行けば、彼女の数ある植木鉢の中に、なんと蔦を発見。蔦の葉をインテリアとして使うことは知っていたが、地面を覆いつくす蔦と奮闘している私からしたら、ペストそのもの。そんなものに、お金を払うなんて。こうなったら、我が家の蔦で何か商売でもしようか。


いや、そうではなく、見方によったら、雑草も観賞用になるし、花もつければ、実もなる。


おっと。甘い顔をしてはなるまい。ここは心を鬼にして、ごめんよ、と勢いよくばっさりと裁つに限る。





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2021年5月19日水曜日

有朋自遠方来

 



友人が久しぶりに我が家に遊びに来てくれた。

この地に降り立った時以来の友人。フランスにきてもう10年になると言われ、驚嘆したことが懐かしい。

いつでも相談に乗ってくれ、嬉しいことがあれば我が事のように喜んでくれ、困ったときには惜しみなくサポートをしてくれた。

バッタ達をバイオリンのレッスンに連れて行けない時には、パリから車で応援に来てくれて、連れて行ってくれた。バッタの一人が具合が悪くて医者に連れて行かねばならない時、お願いをしたことも一回だけではない。学校への提出書類には保護者の連絡先と緊急連絡先の記入欄がある。緊急連絡先の一つに、母親の友人として、いつも書かせていただいていた。

三年前にパニックに陥った時には、とにかく泣いて、泣いて、泣きながら彼女に電話をし、とにかく会いたいと泣いて、彼女に会いに行った。

彼女と話をすることで、今の問題がはっきりと明快になり、何にこだわっているのか、何がまずいのか、どうすれば良いのかまで見えてくる。

感謝しかない。



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2021年5月18日火曜日

香煙

 




そろそろお線香がなくなってきたので、どうしようかと思いあぐねていたが、ググってみればなんのことはない、ネットで販売されている。ただフランス語の説明を読んでも、あまりピンとこないので、同様の商品を日本語のサイトで見てみるが、実にこれも分かりにくい。


そもそも、日本でお線香など買ったことがないことに気が付いた。いつも我が家にはあったし、お墓参りの時には、選ぶも何も、近くのお店で調達したこともあるし、お寺のご住職から頂いたこともあったが、選ぶことはなかった。コンビニでも、たいてい一種類しか置いていなかった。


ネットではインド、中国、ヨガ、マッサージ、など随分と沢山の種類のお線香が提供されていた。一度BIOのお店でお線香と思しきものを購入したことがあったが、太目で香りもきつく、また使おうと思わずにしまってしまった。ここは日本製に限ろう。


一箱300本入りがあったが、そうなるとほぼ一年分。せっかくなら、時々香りを変えてみても楽しいかもしれない。薔薇、桜、梅、そんな香りがあるらしい。ただ、ここはオーソドックスに白檀とか沈香とかがいいだろうか。


取り敢えずは40本入りで、無難そうな白檀、檜、そして、ちょっとお試しで金木犀にしてみた。値段は高いのか安いのか、正直分からなかった。注文すると、ほぼ翌営業日に配達の素早さで品物は届いた。


開けて、先ず、その香りの強いことに驚いた。小さな箱を開けると、5か国語で記された15種類の香りの説明書入っていた。日本語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語。使用上の注意については、日本語、英語、フランス語しか読めないが、驚いたことに、ちゃんと各国語で適宜うまく対応して書かれている。日本語をこなれた文章で翻訳したという水準ではなく、更にその上をいく。これには感嘆。感服してしまった。


そして、15種類の香りの説明だが、これがまた、それぞれ微妙に違っていて、何とも素晴らしい。さすが言葉の重複を避ける文化を熟知している。ワインの味や香りの説明を読んだ時のちょっとした驚きと似ている。こんな風に微細に変化させて表現したいものだと思ってしまう。


さて。では、今回購入した白檀、檜、金木犀のうち、この説明の香りはどれでしょうか。お分かりになりますか。


甘く華やかなフルーティフローラルの香り


因みに、今回は購入しなかった藤の香りは「つややかで品のあるパウダリックフローラルの香り」。ここで英語では、パウダリックフローラルの香りとしか書いておらず、パウダリーな香りイコールつややかで品のある香り。こういった訳し方、書き方は本当に参考になる。


これは大変楽しい買い物をしたと一人ほくそ笑む。そして、こうなったら15種類すべて買って香りを楽しみたくなってしまう。みすみすマーケティング戦術の罠に嵌ってしまうが、まあ、それもたまにはいいか。


甘く華やかな香りがゆっくりと広がり、優しく包んでくれる。




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2021年5月17日月曜日

ヒレがなくても鯛!

 




うっかりしていた。

初めて見た顔だと思ったし、ちょっと若いなとも思ったが、とりあえず「ヒレは残しておいてください」と伝えていた。いや、伝えていたつもりだった。


我が家に戻って、さあ塩を振ろうかと出した時には、背鰭、臀鰭、胸鰭、腹鰭はもちろん、尾鰭までチョンと切られてしまっていた。なんと間抜けな姿。いや、可哀想なことをしてしまった。


鱗を改めて綺麗に取り、お腹をしっかりと洗って水気を拭き取り、たっぷりと塩を振る。しばらくして、水分を拭き取って、刻んだ生姜をお腹に詰め、切り込みを入れ、昆布がないのでマッシュルームを皿に敷き、その上に載せ、フライパンで蒸すこと15分程度。


始めこそ滑稽な姿になってしまったと思ったが、身はふっくらと蒸上がり、脂が乗っていて、結構なお味に。なかなかの一品。鯛様様。やはり腐っても鯛。ヒレがなくても鯛!最高!






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2021年5月16日日曜日

大物なのか、粗忽者なのか

 






一次試験となる筆記試験を終え、二次試験の口頭試問の準備に勤しむ段階だが、どうやらエンジンがなかなか掛からない様子。エントリーしたカテゴリーによっては、筆記試験の結果次第で足切りになる場合もあるし、受験日程も4つのグループに分けられ、更に一人一人の時間が決まるのだから、なんとも切迫感に欠けてしまうのは否めない。


通常、最低3つのカテゴリーにエントリーするのだが、一つのカテゴリーで、必須の外国語に加え、任意の外国語選択科目の中に日本語があった。受験が任意ということで、取得した点数がいかに悪くても平均点の足枷にはならず、半分以上取れればプラスに働く仕組みになっている。たとえコンマ1ポイント程度のプラスであったとしても、このコンマ1の違いが大きいことは、息子バッタの時で十分身に染みて分かっていた。


息子バッタの時には、ちっともサポートできないジレンマを感じていたが、日本語対策は何か手助けができないかと真剣になった。どう調べてみても過去問は見つからず、それもそのはず、毎年5千人はいる受験生の中で任意の外国語の口頭試問を選ぶ受験生は少なく、日本語ともなると、本当に極僅か。二年前の息子バッタの時はどうやら5人だけだったことが、試験結果報告書から判明した。昨年は口頭試問自体がなくなってしまったから、当然皆無。


しかし、この試験というのが凄い。50ページも渡る文書に試験科目のねらい、出題内容の詳細、試験方法などが詳しく記述されている。エンジニア向けの試験であり、加えて任意の外国語の口頭試問なので、当然のことながら全体での比重は小さい。しかし、外国語の口頭試問についても、ちゃんと紙面が割かれていた。


どの言語を選ぼうとも、当然ながら条件は一緒。直近の話題の一般的なニュース(政治、社会、環境など)がテキスト(A4一枚程度)になるが、複数用意されており、受験生は予め自分が好きなテキストを選べることになっている。


試験のねらいは、受験生がテキストを正確に理解し、口頭で説明する力および、流暢に議論する力を問う。二年前まではテキストの音読も課されていたが、受験時間を短縮するためなのか、背景は不明であるが、今年からはなくなっている。

20分間の準備の後に、受験生は10分程度でテキストの要約を発表し、その後、そのテーマに関し、自分の意見を述べる。そして試験官による質疑応答。この時、選択した言語の文化圏に関する時事問題や文化的なテーマが取り上げられる。当然ながら、音響機器は使えないし、辞書や電子辞書も持ち込み禁止。


二年前、今見てみると17のテーマで記事を選び、要約、コメントを簡潔に列挙したものを1枚にとりまとめていた。記事は全て印刷し、難しそうな漢字にはフリガナをふった。息子バッタがどうそれを利用したのか、正直分からない。日本語なんて使ってこない2年間だったのだろうから、ブラシュアップ程度にはなったのかと願っている。17のうち、いくつか興味のあるテーマを選んで読んだのかもしれない。


結果は、嬉しいことに満点。ただ、実際には彼は別のカテゴリーの学校への進学を選んだ。だから、彼の進学に直接貢献してはいない。それでも、日本語の試験が満点だったことをひどく誇りに思うし、嬉しかったのは事実。


さてさて。末娘バッタの時も、やはりそれぐらいはしたいと、直近のニュース記事をピックアップし、取りまとめ始めた。驚いたことに、選んだ記事数は17。この辺で一巡したかの感覚が同じだったことに、一人苦笑。そして、二年前とテーマが被っていないことも面白い。しかし、二年前の記事ながら、決して廃れたテーマではない。こうなったら、彼女に二年前のものも一緒に渡してあげよう。


そんな準備が整ってきていることを告げると、末娘バッタは、予期せぬことに、友達の名前を挙げて、彼女にシェアしても良いかと聞いてきた。


一瞬、何を言われているのか分からなかった。


まあ、確かに、これが確実に出題されるわけでもなく、出題傾向に沿ったものか、ということでさえ危うい。非常に個人的な、勝手な思い込み視点で選んだテーマである。さすがに要点やコメントあたりは参考になろうが、はて、どうしたものか。


それよりも、なによりも、無償奉仕とはいえ、この力作を友人に軽く見せちゃうって、どうよ。


まあ、本人に手渡したら、それこそ、後は一人歩きし、彼女がそれをどう扱おうが、彼女次第ではある。私に了解を得ようとした態度だけでも、良しとすべきなのか。


何が引っかかるかって、そう、私の「力作」を見もせず、労力を褒め称えもせず、さらりと、友人に見せてよいかと聞く、その態度。


嗚呼。


己の自己顕示欲が人一倍強いことを恥じ入る。穴があったら入りたい。

それに比べ、友人といえど、ライバル。その相手に、虎の子を渡せてしまう末娘バッタは、大物なのか、粗忽ものなのか、ありがたみが分かっていないというのか。


クッカバラの囁きを熱心に愛読してくださる読者がいるのか、いないのか、正直なところ分からないし、その中にコンクールに向けて日本語の口頭試問の対策が必要な人が何人いるのか、いないのか。恐らくいないだろうとは思うが、明日からは毎日記事を一つづつアップしようかしら。せっかくだから、要約とコメントを添えて。まあ、そんなことにはなりそうもないので、ご興味ある方はその旨おっしゃってください。応相談。






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2021年5月15日土曜日

雲間から太陽の光の筋

 





前ブレーキしか利かないママチャリで、末娘バッタの後姿を追う。


今朝は一向に起きてこないので、やきもきしていたが、いつの間にか勉強を始めており、11時には森を走るという。自転車で伴走して欲しいとのリクエストに、森の入り口まで一緒に行って、その辺を散歩しながら待っていると言えば、怖い顔で「ダメに決まっているでしょう。レイプ防止にならないじゃない。」とドギツイことを言う。


もともとしっかりとした子だったが、日本人が美徳とする婉曲表現やオブラートに包んだ物言いをしなくなったのは高校時代からだろうか。それに従って、服装も、周りにどう見られるかではなく、自分がどうしたいか、を主眼としたものとなった。わざとなのか、気にしないだけなのか、地味なグレーの男物と思われるジャケットに、ゆったりとした濃紺のジャージパンツをいつも身に着けている。


それでも、自分が女性であり、森の中でランニング中に襲われるリスクがあることは承知している模様。確かにランニング時は短パンにTシャツ。もちろん、母親としても断じてそんな事態にさせてはなるまい。


渋々、連日の雨でぐちゃぐちゃに濡れていて、時々水溜まりが出来ている、森の中の細い獣道を、ブレーキの壊れたママチャリで走る羽目になった。寒さがぶり返したとはいえ、森の中は新緑で眩しく、枝と言う枝から若葉が出ていて、頭を下げながら漸く通る場所ばかり。


でこぼこなので、スピードを出さずに慎重に自転車を進める。曲がり角では、先に行っている末娘バッタが左!とか右に行くよ!とか大声で伝える。それでも、心配なのか時折後ろを確かめる。


ったく、どっちが親なのか。


鬱蒼とした森から開けたところに出た途端、曇天からざーっと銀の雫が流れ落ちてきた。走っている時には、火照った体には爽やかなシャワーといえようか。


雨も小降りとなってきたところで、思い切ったかのように、突然末娘バッタが走りを止めて早歩きとなる。このところ走りこんでいなかったので、きつくなってしまったと言う。


ふと林に目をやると、鷹が枝に止まっている。まさか、視線を感じたからではあるまいが、さっと華麗に飛び立ち、演舞を披露して別の枝に移った。末娘バッタと二人、息をこらして見つめる。森の主からのメッセージぞ如何に。


末娘バッタが鼻歌交じりにシャワーを浴びている間に、レンズ豆とほうれん草のスープを作る。雲間からは太陽の光の筋。





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2021年5月14日金曜日

笑えるようで笑えない話

 





教習所に通っていた時、親しくなった友人から聞いた嘘の様な本当の話。路上試験で次の交差点で左折と指示された際、丁度前の車も左折のウインカー。前の車に続いて左折したところ、何とそこはファミレスの駐車場。教官から、お前よっぽど腹が減っているんだな、と呆れられたとか。


大笑いしてしまったが、実は他人ごとではない。


30年以上も前の話。フランクフルト空港でロンドン行きの飛行機に乗る際、チェックイン時間ぎりぎりになってしまった。滞在先のバーデンバーデンからフランクフルト行きの電車に乗ったのだが、駅でチケットを購入する際、クレジットカードが使えずひと騒ぎ。持ち合わせのドイツマルクの紙幣と硬貨を数えて、なんとか買えたが、今度は電車の出発時間ぎりぎり。プラットフォームに向かって走った、走った。と、スーツケース!後ろを振り向くと、一緒に旅をしていた双子の妹がすごい形相で両手で二つの大きなスーツケースを引っ張りながらあたふたと走っていた。しまった!ごめん、ごめん!


無事に電車には間に合い、ほっとしているのも束の間、今度は空港に着くや飛行機の搭乗ゲートで、早くしてください、皆さん待っています、と急かされてしまう。慌ててゲートに入ってみるものの、誰もいない。通常なら航空会社のスタッフが待ち構えてくれそうなところ、本当に誰もいなくて、驚いてしまう。と、ちょっと先にタラップをつけた小型飛行機が止まっている。ははあ!あれに違いない。今度も妹と一緒に走って、勢いよくタラップを駆け上がる。が、飛行機の中は誰もいない。急激な不安に襲われる。この飛行機じゃない。急がねば置いてきぼりを食ってしまう。冷汗が流れる。ふと、バスが目に入る。ああ、そうか。バスに乗って行くのか。


こんな経験、おそらく誰もが一度は二度しているに違いない。


おっちょこちょいがなせる業なのか。最近はそんな馬鹿なことはしないと思っていたのに、所用で初めて行く会場に赴いた時のこと。場所もさることながら、その地へも今回が初めて足を踏み入た。パリの郊外。まだまだ知らないところは多い。それでも、GPS様様で迷わずに着けるのだから素晴らしい。会場自体は通りから入って奥まったところにあるらしい。なんだかすごい人だかり。この分であれば、迷うこともあるまいと、駐車スペースを探す。運の良いことに、そう遠くない場所に廃墟のようなゴミ捨て場のような路地がみつかり、そこで車を止めて歩いて会場に向かった。


ここはアラブ系の移民が多い場所なのだろうか。イスラム教徒の着る長めの上着をまとった男性がぞろぞろ歩いている。「入口」と書いてあるゲートにはマスク着用のこと、体温が高い場合は入場禁止、など、イラストを使ったポスターが貼ってあった。予定の時間に合わせて来たのだけれど、どうも待たされそうだな、と思う。とにかく、すごい人込みなのである。こんな時は、正々堂々と、しっかりとした足取りで、ずんずんと前に進むに限る。


大柄の、いかにも関係者といった雰囲気を持っている男性に声を掛けられる。〇〇会場にお越しですか?それなら、ここではなく、この先の角ですよ。


えっ?これは大変失礼をしました。そして、教えてくださってありがとうございます。


約束の時間になりそうだったので、慌ててお礼を言ってその場を離れ、真の会場に向かう。外に出てみると、確かに張り紙があって、会場はもう少し先と矢印で示してあった。その時は特に気にせずに、会場に急ぎ足で向かった。用事を無事終えて戻ってくる際、先ほどの間違った会場を外から眺めてみる。公民館のような建物ながら、奥の方にドームが見える。


モスク、か。


外観では一見分からなかったが、確かにモスク。だから、アラブ系の人々が多かったのか。何かの行事でもあったのか、既にそこは誰もいなくて、ひっそりとしていた。うっかり者も、ここまでくると救いようがないか。


先ほどの会場でも、帰り際にトイレに寄ろうとして、鍵が閉まっているので受付の男性に、トイレを貸して欲しいとお願いしたところ、二つあるからどちらを使ってもいいですよ、との返事。あれれ?どういうことだろう、と戻ってみると、確かに男性用と女性用がある。そして、女性用は閉まっているが、男性用のドアが軽く開いている。あっ!赤面。当たり前のことながら、先客がいたのである。鍵が閉まっているから、会場で使えないようにしているのかと勝手に思ってしまった。


しまった、しまった。


うっかりした間違い。でも、気が付いたらモスク。服装が神を冒涜するなんて言われて、つまみ出された日には洒落にもならない。


笑い話なのか、笑えない話なのか。外観は一般の公民館っぽいのに、モスクだなんて、どれ程イスラム教がフランスに静かに、じわじわと浸食しているのかと思ったら、一向に笑えなくなってしまった。




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2021年5月13日木曜日

晩春






時の流れの早さを狂おしく思う時がある。

あれだけ愛おしく咲き誇っていたリラの花房も、茶色く変色し始めている。

朝夕、寒いと言っても、日が長くなってきており、明るい日差しが一日中降り注いでいる。

このまま時を止めることはできないし、伸びすぎた髪もそろそろなんとかしなくてはならなくなってきた。

どんな身の振り方をすべきなのか。

分かっているようで分かっていない。時計の振り子のように、あっち、こっちに揺れ動く。

時が来れば、収まるところにストンとはまるのだろうが、今はもう少し、この時の流れに主体性なく、ぼんやりと流されていたい。

周りばかりが順調に進んでいき、一人取り残されてしまった、そんな焦りにも似た思いに苛まれるのは、もう少し後のことだろうか。


と、庭の奥で赤いトサカに似た頭をぴょんぴょんと上下にしながら、キツツキが遊びに来ている。それをクエッチの木の上で枝をゆさゆさとしながら鳩たちが眺めている。なんとまあ、穏やかな春の終わり、そして夏の始まりなんだろう。




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2021年5月12日水曜日

感謝たっぷりの究極のガトーブルトン

 




今度の連休に長女バッタがパパと一緒に車でボルドーのパピーに会いに行くという。マミーが亡くなってから、一人で寂しいのではとの周りの心配を他所に、仲間たちと森林の散策を楽しんでいたパピーだったが、三年前に心臓弁膜症の手術をしてから、術後の回復は順調だったようだが、今度は脚の関節を悪くしてしまっていた。簡単な手術で前の様に問題なく歩けるとの医師の説明だったが、バッタ達の父親の妹、つまり、パピーにとっての娘が、全身麻酔に真っ向から反対。彼女がパピーの近所に住んでいることから、日常生活や病院関係など、常にサポートしていたこともあり、パピーは彼女の意見に賛成し、結果、手術はせずに歩行困難に陥ってしまった。この件でバッタ達の父親と妹は、これまで以上に関係が悪化してしまっていた。


以前はよく新聞や雑誌の切り抜きをバッタ達の関心事に合わせ、それぞれに送ってくれていた。そんな手紙が途絶えたのはいつの頃だったろうか。歩行困難ということは、常に誰かのサポートが必要となる。サービス付き高齢者住宅に引っ越しする筈だったが、介護施設に入居することになったと聞いていた。


昨年、長女バッタがパピーに会いに行った際、とても喜んでくれて長時間話が弾んだものの、彼女がトイレに席を立った後、立ち寄った看護師に、是非また遊びに来てくれと声を掛けていたと、後で父親が悲しそうに話してくれた。どうやら、時々シナプスに障害が出てしまうようだった。


それでも、バッタ達は何かあるとパピーに電話しなくちゃと、連絡したり、手紙を書いたりしているようだった。幼い時から、夏のバカンスはもちろん、二か月半に一回の割合で訪れる学校のバカンスの際には、いつでも喜んでバッタ達を歓迎してくれていた。息子バッタなんて、特に夏のバカンスでは、パパと折り合いが悪くなると、すぐにパピーとマミーの家に遊びに行っていた。バッタ達のことを本当に可愛がってくれていたし、今でも大切に思ってくれている。


もしかしたら、息子バッタも、ボルドーのパピーに会いに行く目的なら、父親と一緒に行動するかもしれない。そう思って声を掛けてみたが、暫し逡巡した後、年度末の試験期間であることからも、今回は見送るとの答えだった。


バッタ達が大変お世話になったし、感謝の気持ちで一杯ながらも、私が出ていく幕ではない。さすがに、20年近く前に分かれた旦那の父親に会いに、別れた旦那と、彼の子供と、長女バッタと一緒に行くわけにはいくまい。


遊びに行けば、いつもお土産にブルターニュ地方の銘菓、ガトーブルトンをもらったものだった。そうだ。今度は私がボルドーにいるパピーにガトーブルトンを贈ろう。


何かを作る時は必ず複数のレシピを見て検討する。ある、ある、ある。これこそが元祖ガトーブルトンのレシピと謳ったものが続々と出てくる。おばあちゃんがいつも作ってくれた、とか、我が家にいつもあった味だとか、皆それぞれに、ストーリーがある。そして、驚くなかれ、材料こそ似通っているものの、量や作り方、オーブンでの温度や焼き時間が皆それぞれに違うのである。ちょこっとどころではなく、本当に全然違う。と、いうことは、意外に適当に作っても大丈夫ということなのだろう。


動画を幾つか見たが、そのうちの一つに、卵を7つ用意するが、実際は3つしか使わず、生地を捏ねながら、あら足りないと、どんどん粉を入れる場面があって、大笑いしてしまった。


まあ、適当に肩の力を抜き、フィーリングで、パピーのお母さん、メメさんになったつもりで、作ってみよう。


キビ砂糖 165グラム

有塩バター(もちろん、ブルターニュ産) 165グラム

小麦粉 200グラム

ベーキングパウダー 一つまみ

卵 5個(卵黄4つ分)


室温に戻したバターと砂糖を混ぜポマード状にし、そこに卵黄3個分を入れ、念入りに混ぜる。その後、別に撹拌した卵一個を入れ、更に混ぜる。そこに篩った粉を入れて生地を作る。バターを塗った型に生地を入れ、フォークで模様をつける。卵黄一個分を刷毛で丁寧に塗って完成。150℃に熱したオーブンに1時間弱。


甘く、優しく、豊かな香りがキッチンに漂い、幸せ感たっぷりとなった頃に焼きあがってくる。


冷めたところを、パラフィン紙とプレゼント用の包装紙で包む。

キッチンにはガトーブルトンの香りがゆっくりと残っている。


パピー、喜んでくれるかしら。








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2021年5月11日火曜日

贅沢な時間

 





嗜好品の代表格である珈琲。

別に栄養源でもなく、摂取しないと生命の維持に支障がきたされる訳ではない。

ということは、贅沢品とも言えるのか。


その珈琲の何が一番好きかと言えば、珈琲豆の密封された袋をハサミでじょきりと切った時に放たれる芳香。香ばしく、深みのある、重厚でいて爽快さを併せ持つ、非常に豊かな香りに、うっとりとしてしまう。


香りをたっぷりと愉しんだところで、ミルにこんがりと煎られた豆を必要なだけ入れる。その時のカラカラという軽快な音といったらない。粉砕した後、ミルの蓋を開けると、繊細な香りが放たれる。


珈琲ドリップのフィルターにゆっくりとお湯を注ぐと、ぷくぷくと粉が膨らんでいく。心躍る瞬間。


珈琲を淹れるまでのプロセスの楽しさは、ひょっとしたら恋人との出会いの楽しさに似ているかもしれない。


ゆっくりと愛しみながら珈琲カップに口をつける。




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2021年5月8日土曜日

潮風

 




何年振りだろうか。

潮風の中を延々と続く砂浜を歩く。

思いの外、日差しは暑く、ほのかに潮の香りがする。

海藻なんか一つも流れてなくて、貝殻といえばマテ貝ぐらい。

それでも、懐かしさが胸の底から込み上げてくる。


突然、声を掛けられる。

以前の職場の同僚。名前がすぐに出てこないが、10年以上も前なのに、ちっとも変っていない。末娘バッタが今年の11月で20歳になるのだから、もっと前の話になるのか。彼女がお腹にいる時に9.11があり、職場のTVでCNNの放映を映画の一コマのように、茫然として見ていたのだから。

職場の仲間たちは気さくで和気あいあいとしていたが、非常に特殊な業界。一歩足を外に踏み出せば、その虚構のような空気には馴染にくく、業界から去ることを決めた時から、昔の同僚たちとの邂逅を懐かしむことはなかった。一度だけ、集まりに行ったことがあったが、それだけ。会話がちぐはぐしてしまうし、自分から飛び込む場所ではないと感じていた。

それなのに、浜辺で会った時には、驚きと、懐かしさと、嬉しさで、歓喜の声を上げてしまった。まったく、いたって単純。


こんな風に、なんのわだかまりもなく、再会を喜び合える場所が、海なのかもしれない。

潮風に打たれ、嬉しさに顔をほころばせながら、はしゃぎ合う。


ふと、息子バッタと末娘バッタも父親とこんな風に、潮風に髪を振り乱しながら、偶然に会うことが出来れば、と思う。

海の懐に抱かれれながら。






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2021年5月7日金曜日

幸せ度満点のこんがり饅頭

 










ひと月近くの闘いを終えた末娘バッタを迎えに行くと、これ以上にない大きな笑顔で待っていた。最後の週はどうやら蕁麻疹が出てしまい、良く寝れなかったらしいが、そんな様子は微塵も見せずに、清々しい、達成感を得たもののみが見せる満ち足りた顔をしていた。

これで一つの試練を乗り越えたと言えよう。しっかりと週末に静養し、エネルギーを蓄え、次の試練に備えて欲しい。

そんな彼女に、グルテンフリーのお饅頭をおやつに用意していた。本来、小麦粉を使うところ、米粉に変更。ほっかほかの蒸したては、長女バッタが既に毒見をしていた。手作りとは思わずに、どこで買ってきたのかと聞かれた時には、こちらが逆に驚いてしまった。

末娘バッタは、このお饅頭を、贅沢にもオーブンに入れて温め直した。ちょっと焼いたお饅頭は、こんがりとしていて、香ばしく、餡子もほっこりと美味しいとのこと。幸せそうに味わっている末娘バッタの様子にこちらまで幸せになってしまう。

先ずはお疲れ様。ほんの束の間だけど、頭を空っぽにして、そして、静かにまた闘志を燃やす準備をしてね。




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2021年5月6日木曜日

招かれざる客人

 





どうもこのところ態度が大きくなっている気がする。一心不乱に雑草取りや草刈りをしていた時、隣にいても追いやらなかったからか。どうやら甘くみられてしまっている。


今朝も、ドアを開けて外に出ようとしたら、ぱっと動く影。玄関のドアの下で寝ころんでいたらしい。その後、庭が見渡せるサロンのテーブルで本を読んでいたら、庭に出る大きなガラス窓の下で、やっぱり寝ころんでいる。一体どういう料簡なのか。


御馳走をお裾分けしたこともないし、おやつを出しておいたこともない。ましてや、声を掛けたりしたこともない。


庭には朝から色々な種類の鳥たちが遊びにくるし、そのうちにリスもやってくる。ハリネズミの家族もそろそろ顔を出す時期でもある。だから、時々庭で日向ぼっこをしたり、横切る分には、そうそう文句は言わない。


松ぼっくりが乾燥して崩れ、松の葉と混ざって、ふわふわになっている場所を、どうもどこぞと勘違いすることがあるらしく、そんな時には、見つけたら最後、大声で追いやる。ぽかぽかの太陽の下で、せっかく洗濯物が気持ちよく乾いている時に、変な匂いがしたら非常に頭にくるものである。また、以前、暗闇の中、門から玄関までの間を歩いていた際に、ぐにゃりとブツを踏んだこともある。


友人たちのほとんどは皆猫を飼っている。そして、皆口をそろえて、庭で用を足すことなどしないと言う。ほらやっぱり。皆、人の家の庭で何をしているんじゃないか。すると、今度は、また皆口をそろえて言う。他の家の猫が庭に来ないようにするためには、自分の家で猫を飼えばいいのよ、と。


はて、さて。


我が家にしょっちゅう顔を見せる猫たちは4匹。そのうちの、一番図体の大きい猫が、最近態度がでかくなってきているアイツ。図体が大きい割にはすばしっこく、ミラベルの木を登って、離れの屋根に上がってしまうから驚いてしまう。


蔦の根っこを一緒に掘り起こしてくれるのであれば、話は違うが、まあそんなことはしまい。とりあえずは、様子見としようか。庭のリラの香りがあまりにかぐわしいから、アイツだってうっとりとしているに違いない。そんな理由なら、いつだって誰だって大歓迎。





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2021年5月5日水曜日

ちょっとせつなく甘く、そして優しく

 




庭を歩くとリラの甘い香りがそこかしこで遊んでいる。


リラの花は咲き誇ってから切らないと、花瓶では開花してくれない。足も速い。それでも、リラの甘い香りは人気があり、友人やバッタ達の友達の家族に、たわわに咲き誇ったところを純白、薄紫、濃紫をたくさん束ねてプレゼントしている。


明日は漸く怒涛のような試験期間を終え、末娘バッタが帰ってくる。我が家では、特別な日には庭の花を飾るようにしているが、今年は何故か庭の薔薇が一つも未だ咲いていない。流石にボタンを手折ることはできない。そこで、リラの花を飾ることにした。


どのみち、いずれ茶色になってしまい、最後は刈り取ることになる花房。咲き誇っているところを、ばっさりと斬ってしまっても、むしろ一石二鳥ではないか。そうとばかりに、いつも長い枝ごと斬ることにしている。


幾つもあった大きいガラスの花瓶は割れてしまったのか、一つも見当たらず、シャンパンクーラーを使うことにする。大ぶりの豪華なブーケ。テーブルに飾るのも一興だが、玄関脇の階段が我が家の花瓶の定位置。入ってすぐに目につく場所。


飾って間もなくすると、二階で仕事をしていた長女バッタが、とても良い香りといって嬉しそうに降りてきた。玄関はすっかりと甘く爽やかな香りで満ちている。末娘バッタもきっと喜ぶに違いない。


甘い香りは階段を登って、二階の部屋にも優しく漂い始めた。


もう随分前に友人宅にたくさんのリラの花束を持って遊びに行ったことを思い出した。過ごした午後の間中、リラの香気が甘く爽やかに漂っていて、寒くなってきたからと火を入れた暖炉がぱちぱちと優しい音を立てていた。


その後、その友人は引っ越してしまったので、今にして思えば、それが別れの宴。元気にしているだろうか。久しぶりにリラの写真と一緒に、メッセージを送ろうか。


リラの香りが、ちょっとせつなく甘く、そして優しく思い出を揺り動かす。





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山燃ゆる

 





丁度去年の今日、端午の節句を祝って粽を作ってみようと思った。幼い頃、粽に黄な粉をつけて食べた思い出が急に蘇ってきた。そうと決まったら即実行。はて、粽を包む熊笹はどうしよう。


その時、急に裏山に生い茂っている熊笹の情景が目に浮かんだ。そうだ、裏山に行って、ちょいと取ってこよう。


お昼の時間に裏山に行ってみると、笹があるにはあるが、どうも葉が小さい。そうこうしているうちに、山頂に通じる入り口にたどり着いてしまった。幼い頃は、おにぎりを持って母ときょうだい3人で登ったものだった。懐かしさも手伝って、足を踏み入れた。何十年ぶりだろう。登山道というよりも、けものみち。の筈だったが、狭い道ながらも、急な斜面には簡易ながらも木の階段が設置されていた。これにはびっくり。


それ以上に驚いたことには、狭い道の両脇には野生のツツジの群生が連なっていた。道はどんどん険しくなるが、ツツジの群生は続いている。そして、どのツツジも真っ赤な花が丁度燃えるように満開で咲き誇っている。こんなことってあるのだろうか。


上に、上に登るに従い、鼓動が激しくなる。野生ツツジが更に密集して生えていて至る所が真っ赤に燃えている。観客は一人だというのに。


かっと切り開いたところが頂上となり、そこには驚くなかれ、探していた熊笹が大きな葉をゆさゆさと風になびかせながら群れて生えていた。


感極まって落涙。


何かにおびき寄せられるかの様に来てしまったが、ご先祖様が満開の野生のツツジを見せて下さったに違いない。その時ほど、ご先祖様の存在を身近に感じたことはない。いや、初めて感じたといっても過言ではない。


今年も裏山はツツジで燃えているだろうか。我が家の庭のふっくらとした純白のリラを見ながら、思いを馳せる。








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