2018年12月18日火曜日

赤く染まる松







日中、街を歩く。
面白いように知った顔に会う。にこやかに挨拶し、立ち話をし、時にはちょこっとお茶でもとなる。
フレッシュなニュースをお互いに交換し合い、盛り上がり、別れる。

不思議なことに、誰も何故こんな時間に、そこに私がいるか、などと無粋なことは聞かない。相手にとっては、それ程関心ごとではないのだろう。
とどのつまりは、束縛するのも自分であり、解放するのも自分。
そう思ったら、またふっと気が楽になった。

二歩前進しては、一歩後退のペース。
いやいや、どんなペースでもいいではないか。

フランスにとって、悲願であったEU財政基準である財政赤字を国内総生産比3%以下にすることは、来年も厳しくなる様相を呈している。しかし、この『3%以内』は、何を根拠にしているのか。今やフランスの世論はそうなっている。

目標を掲げることは、非常に重要であり、目指さなければ到達しない。
それでも、のんびりと回り道をしても良いではないか。

庭では、松の枝葉が朝日に真っ赤に染まっている。






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2018年12月17日月曜日

冬晴れ








それは、突然訪れた。前触れもなく。

気が付いたら朝になっていた。

心の底から安堵の思いが広がっていく。

熟睡といかずとも、途中で睡眠を妨げられずに、一晩眠り通すことがもたらす効果が、こんなにも気持ちを穏やかにさせるものだとは知らなかった。

こうやって、自分を取り戻していくものなのかもしれない。

今朝はビスコットの豊かな香りが一段と心地よい。
にんまりと、冬晴れの空を眺める。






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2018年12月15日土曜日

氷結








ざくざくと森の中に歩み入れば、昨日と違う様子に立ち止まる。

ちょっと前までびっしりと敷き詰められていた黄金の絨毯が、すっかりと朽ち色になり、うらぶれた寂しささえ醸し出していたのに。

濡れそぼっていた葉に霜が降り、白化粧された絨毯に、木々の間から冬の太陽の光が差し込み、ところどころで輝きを放っている。
言葉にできない思いが昇華したかのように。





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2018年12月13日木曜日

冬日向






手がかじかむ程の寒さに、前かがみで足早に通りを進む。

橋の上には燦燦と冬の太陽の光が降り注いでいて、思いがけずの暖かさに、歩みを止める。

遠くに見えるエッフェル塔が一瞬ウィンクをしたように感じられ、これまで長い間忘れていた感情が心の奥から湧き上がってきたように思われた。

焦らずに、のんびりといこう。
ゆっくりと忘れていたものを取り戻そう。





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2018年12月12日水曜日

バースト








書きたい思いが募っているのに、時間がなくて苦しくもがく時期があり、
やがて、そんなことを考える余裕すらなくなる時期があり、
そして気が付くと、あらゆることに対して欲がなくなってしまっていた。

書きたい思いがすとんとなくなっていた。
書くことすら考えもつかなかった。
同じように、食べたいものが思いつかない。だから、料理ができない。
時間がたっぷり目の前にある。それなのに、やりたいことがない。
無欲。いや、無気力。

そんなことが、自分に降りかかるとは思いもしなかった。

一瞬にしてバースト。
しかも予兆もなく突然に。

厳密にいえば、本人が気がつかないだけで、周囲は分かっていたのだろう。

破片を拾いながら、途方に暮れること暫し。

タイヤと違って人間は、回復能力が凄まじいらしく、破裂した皮膚の下から弱弱しいながらも新しい皮膚が見え隠れし始めている。

ゆっくりといこうか。
ストイックであることがカッコイイなんて言っていないで。
こうして書き始めたことを、先ずは良しとしようか。




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2018年11月1日木曜日

思い込み







思い込みの激しさなら誰にも負けないだろう。勿論、決して威張れない話ではある。信じ込みやすいタイプだし、今思い出しても赤面するエピソードなら、枚挙に暇がない。

学生時代、忘れもしない、あの学食で、クラスの皆と午後の時間を持て余していた。何の変哲もない小さなブラシを手にした黒メガネのクラスメートが、その類稀な性能を説明し、特許を取る準備をしていると得意そうに話してくれる。無視をするのも悪いので、そこそこに聞きながら、隣のクラスメートに、これこれしかじか、この小さなブラシはスゴイ性能を持っていて、と、伝えたものの、何の反応も得られずに、却って戸惑ったことを覚えている。嗚呼、田舎から出てきた自称カントリーキッド。都会の学生達の話をいつも真剣に聞いてしまっていた。しかも、自分が馬鹿にされていたとは露知れず、それを他人にも伝えてしまう馬鹿さ加減。

そういえば、やはり学生時代、駅でよく美容関連のセールスの女性に捕まったものだった。無視をしては悪いと、これまた真剣に聞いてしまう。ある時、勧誘してくる女性が私の反応を見て、「あなたの心は本当に穢れていない。こんな化粧や美容マッサージなんて実はなんの役にも立たない。とにかく、朝、一杯のお水を飲むといい。応援しているわ。」そんな類のことを言って、別の歩行者に向かって行ってしまったことがある。

なんの疑いもなく、真剣に聞き入ってしまうので、却って気勢が削がれたのだろうか。

もちろん、その話以降、毎朝、一杯の水を飲み続けているといったら、笑われるだろうか。





そう、アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」。この三山をヴェンゲンの村から見渡せると思い込んでいた。こうして、クライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩いていく間に、この三山を目の前にし、感動に立ち竦んでしまっていても、一度宿に戻り、窓から見える山脈を見つつ、いったい、どの山がどの山なのだろうと、悩みに悩んでしまっていた。お笑い沙汰である。

漸く、宿から見える山はユングフラウであることに思い至ったのは、最後の日。それまでの悩みが、氷解した時の驚き。そして、自分の馬鹿さ加減への呆れ。まったくもって呆れ果ててしまう。ヴェンゲンの村からユングフラウを見ることができるとの文章を、勝手にどこかでユングフラウ三山と入れ替えて思い込んでしまっていたのだろう。

だから、謎が解けた今だから、写真を見ても、すぐに山の名前が出てくるが、実は撮影した当時は、分かっていなかった。しかし、名前を知らなくとも、この三山の壮麗さ。雄大さ。ただただ、畏敬の念をもって見惚れてしまう。







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2018年10月29日月曜日

アイガーと母






真正面にどんと立ちはだかる、その雄姿に、思わず跪いてしまう程の畏敬を覚えた。朝の太陽が燦燦と輝く方向に正しく聳えており、その姿を上手く写真に撮ることは叶わなかった。じっと見つめられているようで、怖い程であった。



 



メンリッヒェン(Mânnlichen)からクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩いて行こうとする人々は少ないのか、先程ロープウェイで運ばれた人々はどこに散らばっていったのか、不思議な程だった。真っ青に晴れ渡った空に、牛の姿は非常にスイスらしいじゃないかとファインダーに収める。そうこうしているうちに、煙のような雲が一面に出てきて、目の前のアイガー様の姿が消えては、ふとしたことで雲の切れ目ができて、ぬっと現れてはまた消えた。


いつしかアイガー様と呼んでいる自分がおかしかった。一目ぼれ、と言っていいのかもしれない。胸の高鳴りを押さえつつ、アイガー様の姿が少しでも存在感に満ち満ちた様子で撮れないかと、カメラ(携帯)から手が離せられなかった。



 


写真撮影に現を抜かしている私を余所に、母は踏みしめるような足取りで、しっかりと前進していくのだった。牛が道端にいようが、霧で視界が真っ白になろうとも。しかし、同時に、母もアイガーの漲る威力に魅せられていることは見て取れた。





親の背を見て子は育つ。

バッタ達に対して、なかなか相手にしてあげられないことが多かっただけに、そう自分に言い聞かせて彼らを育ててきたところがある。今こうして、母の背を見つめながら歩いていると、その凛とした姿勢、毅然とした態度に、改めてこちらまで背筋を正してしまうほどである。

実は非常に奥の深い言葉であって、放っておいても子は育つが、それでも、親の姿を子はちゃんと見ているのである。その意味では、だらしのない背中をバッタ達に見せてしまっていたなと、今更ながら思う。反面教師、という言葉があるのが、救いといえば救いか。

そして、我が母親の背中と言えば、あまりに威厳があって、いつまでたっても母は母であり、越えられない存在であったなとしみじみ思うのであった。と、同時に、その背は余りに愛おしく、思っていた以上にほっそりとしており、慌てて追い掛けて隣に並ぶ。

母とアイガーの雄姿を愛でつつ、思いっ切り新鮮な空気を吸い込む。












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