2021年3月31日水曜日

その挑戦、受けて立つ!




 


このところ蔦の除去の作業が延々と続いている。


前庭にある純白で甘い芳香を放つ花房が楽しみなリラの木の下が、蔦の棲家となってしまっていた。ここ数日は集中して除去作業にいそしむが、堅強な地下茎とのバトルに苦しんでいる。


蔦はチャレンジがお好きときている。


対象物に絡みつく性癖がある。それが小石であったり、コンクリートであったり、木の根っこであったり、相手にお構いなしに絡みついてくる。そして、ぎゅっと締め付けて離さない。


地面に蔓延る姿のみを除去しても、地下茎が残っていれば、そこから再び目を覚まし、新たな繁殖力で我が世とばかりに触手を伸ばし、辺り一面に蔓延ってしまう。


だから、徹底的に土を掘り起こし、地下茎を除去しようともがく。そして、そこに落とし穴がある。


がしがしと土を掘り起こし、根っこを引っこ抜いているうちに、大きな根っこにぶち当たる。遂に!観念しろよ、とばかりに勢いつけて周りを掘り起こし、鍬を噛ませ、てこの原理でよいしょっとばかりに持ち上げる。


途中でぽきりと折れながらも、大蛇のようなこげ茶の図太い根っこが姿を現した。


え?待って。


どうも蔦の根の親分とは思えない折れ方に、先ずぎくりとする。そして、そこから放たれた芳香に戸惑う。


まさか、リラの根っこではあるまいか。


蔦が不敵に笑っている。

嗚呼、往生際が悪い蔦め。連れ合いを求めているのか。いや、これは新たなる私へのチャレンジ。


そのチャレンジ、受けて立とうじゃあないか!

かくして、蔦との格闘が再開する。





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2021年3月30日火曜日

巡り合わせ

 




夕暮れ時に東の空に円く大きな月が昇る。

何かに誘われたかのように、ふらふらと外に出てみると、初夏のような暖かさの日中とは打って変わり、ひんやりとした、いや、もっとぶるりとする寒さが押し寄せてきた。


梅が一斉に月を見上げている。


桜ではないし、ここは京都の丸山公園でもないが、僭越にも東山魁夷になってしまう。


花は今、月を見上げる。月も花を見る。この瞬間、ぼんぼりの灯も、人々の雑踏も、跡形もなく消え去って、ただ月と花だけの清麗な天地となった。


ひっそりと春の夜を後にし、家路につく。




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2021年3月29日月曜日

曙礼賛

 





暗黒の世界が群青色に変わり始める時こそ好きなものはない。


清少納言は春はあけぼのとしたが、春夏秋冬、どの季節もあけぼのに勝るものはあるまい。


よく「白々と明ける」、と言われるし、正に清少納言も「白くなりゆく山際」としている。



春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。



濃紺な空が次第に透明感を持ち始め、紺色となり、瑠璃色に変わり、次第に杜若色と変化し、群青色になっていく。そして東の空に目を移せば、空の端が深く鮮やかな紅色。


いつまででも見飽きない空のパフォーマンスながら、一瞬のこと。太陽がかっきりと昇ると、いつもの日常が始まる。おはよう!





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2021年3月28日日曜日

春のいたずら

 




思い込みの激しい性格は親譲りなのだろうか。

長女バッタが前庭にある連翹を裏庭のお隣さんとの境界線上に植えたいと、根っこ付きで山吹色の花が眩しい小ぶりな枝を掘って、裏庭に植えていた。


同じ日に、蕾のついた枝を一凛差しに入れサロンのテーブルに置いていた。


蕾のついた枝を手折るなんて、一体どこから失敬したのだろうかと思うものの、本人の弁では、心配なので挿し木もしてみて、根が生えてきたら植え替えるとのこと。


我が家の庭からとった枝ならいいか、と簡単に思い、急に春めいたサロンに目を細めていた。


雨が数日降ったことが良かったのか、裏庭に植えた小さな連翹は健気にも山吹色を一層濃くして咲き続けている。どうやら、根がちゃんと張った模様。


サロンのテーブルにある花瓶の小枝も、ちゃんと水を吸い上げている様子で、瑞々しい。


そして、遂にある朝、膨らんだ蕾から花が零れ咲いていた。


と、どうだろう。白い可憐な花びらではないか。


どう転んでも、これは連翹の花ではあるまい。良く見てみると、枝も連翹とは違っている。


驚いたのは長女バッタ本人。間違いなく同じ木から枝を分けたと主張して譲らない。確かに、前庭の連翹はかなり大ぶりな株だし、梅や桜、プラムやミラベルといった白い花をつける木は裏庭にしかなく、前庭にはない。


はっはーん。犯人はママだ!


長女バッタが嬉しそうに私を見る。どうやら、私がいたずらをして、枝を交換したことになってしまっている。


そんなこと、していませんって。


こんな不思議なことがあるものか!とばかりに、大騒ぎをする長女バッタ。


彼女のことだから、裏庭で蕾のついたミラベルの小枝でも折ったことを忘れてしまったのだろう。


或いは、本当に、誰かのいたずらなのだろうか。だとしたら、、、。太陽の光をまとった春の風が頬をやさしくなでてゆく。




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2021年3月27日土曜日

可能性というドア

 





分かっちゃいるけど、そう簡単にはいかない。

嘗てバッタ達のバイオリンの練習を見ていて、素直さこそが習得、上達の王道であることは身に染みて分かっている。ましてや、私自身、教師から指摘されたことを素直に受け入れ、練習に組み入れることさえできていたら、どんなにかアルトが上達したろうのに。


自分なりに頑張った時に限って、残念ながら批判や指摘は受け入れにくい。分かっているよ、でも、難しいんだよ、との気持ちが先に出てしまう。


お料理にしてもそう。ちょっとしたことでも、例えば包丁の先で切るのか、真ん中で切るのか、人参の千切りを作る際、先ずは人参をどう切るのか、チャーハンを作る際に入れる具の大きさや切り方といったことであっても、特に今やろうとしている時にアドバイスをされると、反抗したくなる自分に戸惑ってしまう。


せっかく良い方法を教えてくれているのだから、素直に聞けばよいのに。頭で分かっていても、引っかかってしまう。これでいいじゃない、と。


「ああ、そうだよね。本当だわ!ありがとう。」


そう言って、素直にアドバイスを受け入れれば、新しい方法が学べるし、すべてがスムーズにいくと思われるのに現実はそうはならない。


いつだって理屈があり、理由があり、説明があり、他からの意見は聞き入れない、そんなシステムが出来上がってしまっているようにさえ思われる。


バカげた話ではないか。もったいない。


どんな小さな、簡単なことでも、先ずは受け入れる癖からつけてみようか。


そうしたら、可能性という色んなドアが開いてくるかもしれない。




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2021年3月26日金曜日

美味しくて、活力の出る食べ物 ~ 黒鯛の白ワイン蒸し





 


何が食べたい?


新鮮な野菜たっぷりで、アスリートが試合の前に食べるような栄養価満点の食事!

頭の回転が良くなるらしいから、サーモンとか脂身の多い魚!


試合の直前なら、栄養価満点というよりは消化の良いものだろうし、頭の回転に寄与する魚の脂なら、秋刀魚や鰯といった青魚か。うーむ。


まあ、言いたいことは分かる。「美味しくて、活力の出る食べ物」これに尽きるか。


卵を抱えている時期の鱸にしようか。美味しい手作りタラマができるぞ、などと皮算用。まあ、魚屋さんの店頭で様子を見てみないことには始まらない。


今日は「maigre(メ―グル)」がお買い得らしい。痩せっぽち、つまり、脂身が少ない魚。これまで何回かメ―グルのレシピを目にしたことはあったが、実際に挑戦したことはない。さて、どうしたものか。


銀の鱗が光っている「dorade grise」が目に入る。目がすっきりとして、とても上品な顔立ちをしている。いつも「daurade royale」を選びがちだったが、今回はこの黒鯛にしよう。


週末に鰯のファルシーを作りたいと張り切っていたが、今日の鰯は既に開いてあるものばかり。今日使ってしまう必要があろうので、今回は鰯は諦めることにする。


早速生姜、ニンニク、玉ねぎ、パクチーをたっぷりと刻む。エシャロットや長ネギがあれば良いのだろうが、ここは玉ねぎで代用。予め塩を振っておいた黒鯛の、内臓を除いた腹に、殊更細かくみじん切りにした先の香草セットを詰め込む。

大きなフライパンにざっくりと刻んだ香草セットを敷き、黒鯛を神妙に載せ、日本酒もないので、白ワインを豪快に入れ、白ワイン蒸しと洒落こむ。


蓋をして煮立て、沸騰したら弱火で10分。最高に美味しい香りが立ち上がってくる。ふたを開けると身がふっくらと蒸されて、こぼれんばかり。醤油、オイスターソース、味醂、お酢で作ったソースをかけ、塩もみした玉ねぎのスライスをたっぷり、パクチーも惜しみなく盛る。


ちょっと贅沢な、幸せなひと時。






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2021年3月24日水曜日

月に笑われながら

 





土に這いつくばって、地べたを覆っている弦を巻き取り、土の奥深くまで伸びている根っこを掘り起こし、好き放題させておいた蔦を除去する。


あまりに多くの弦があちこちに交差し、絡み合って伸びているので、作業は遅々として進まない。それでも100リットルの紙袋3つは蔦の葉、弦、根っこでぱんぱんになる。


このところ、日中は快晴続きで、汗だくになっては、時間が経つのも気が付かずに、熱中して蔦と格闘している。夜には足腰の動きが緩慢になってしまうが、翌朝、意外になんともなく、太陽が庭できらめくころには、手袋をつけ出陣となる。


夜、ゆっくりとお風呂に入り、足の筋肉マッサージを施しながら、絡まり合った蔦の弦の幻影と戦う。弦をぎゅっと握りしめて地べたから剥がすからか、指の関節も固まってしまっているので、伸縮体操をする。


ふと、勝手に携帯に流れてきた明日の天気予報を見ると、どうやら今日よりは4℃程気温が低くなる模様。そして、よく見ると、曇りに水滴マーク。まさか、雨?


天気予報ほど当たらないものはない、と、いつだって言っているのに、こういう時には非常に狼狽えてしまう。せっかくの蔦がぎっしり入った紙の袋を雨に晒してはなるまい。


パジャマにジャンパーを羽織り、慌てて外に駆け出す。


と、夜空に真っ白な半月。月に笑われながら、重くなった紙袋を軒下に並べ、木の幹に立てかけておいた鋤を玄関に取り込む。


庭師の仕事は夜も続く。さて、明日の天気はどう出るか。




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2021年3月23日火曜日

お釈迦様の掌の上

 





寝ていたはずなのに、はっと閃く。


事実は一つ、

しかし、

その事実を巡って、真実は無数にある。

いや、真実なんて大げさなものではなく、解釈ってことなのだろうけど。


そうか。


こんな当たり前のことを今更、か。

いや、理解していることと、悟ることは違う。


実は、閃いたことは、そんな哲学的なことではなく、ごく卑近な話。


そんなことだったのか、と

知らなかったのは私だけだったのか、と


さて、このまま、とりあえずは知らないふりをしていこうか。

ふっと笑みが漏れ、ゆっくりと眠りの世界に戻る。







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2021年3月21日日曜日

春を待ちわびて

 







ママ、ハグ。


朝起きてきた末娘バッタがもじもじと近寄ってくる。

生意気なことを言っても、愛いヤツよ。


野性に戻された大きくなったライオンが、赤ちゃんの時に育ててくれた人間を覚えていて、ネコのようにじゃれつく様子を思い浮かべて欲しい。末娘バッタとのハグは正にそんな感じ。でっかくなった図体でがっしりと抱きつかれる。


ほら、今日は良いお天気よ。見てごらん。彼女が窓の外を見ることができるように、ハグし合いながら、ぐるぐると回る。


と、突然、不安と悲しみの感情が彼女の体からどっと押し寄せてきた。霊感などちっともないので、初めてのことに驚いてしまう。起きたばかりの彼女の身体はぽかぽかに温かいし、ほっぺはとっても柔らかいのに、どんどんどんどん悲しみが流れてくる。


そうか、そうなのか。そうだよね。いいよ、いいよ。ママがしっかりと受け止めてあげる。


できることなら、彼女の不安と悲しみの感情をすべて吸い取ってしまおう。


そう念じながら、しっかりと柔らかに抱きしめる。


身体を離した時、ちょっと心配をして彼女の顔をそっと覗いてみると、すっきり爽やかな顔をしている。


さっきの感覚は勘違いだったのだろうか。

春のおだやかな陽に連翹の黄色がまぶしい。






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静謐な時間

 






前夜の賑わいとは打って変わり、

早朝の台所は静かさに満ちている。


どんなに遅くなっても、その日のうちに食器や鍋は洗ってしまうの。


初めての企業研修先のボスの秘書だったケリー。

ブルーの瞳と金髪が自慢で、染めた金髪と地毛の金髪の違いを教えてくれたっけ。今頃どうしているのだろう。ブッシュ(親)のファンで、バッチを持っていて皆にからかわれていた30代前半のスレンダーな彼女。


ケリーのアパートがパリのどの辺にあったかなんて、今ではすっかり忘れてしまった。オフィスの気の合う若い連中で、押しかけていった記憶はあるが、ケリー以外に誰がいたかなんて憶えていない。いや、一人だけ、ケニア出身で、ライオンをおじさんが飼っているといって私をびっくりさせた二十歳前後の可愛い女性スタッフが一緒だった。


名前こそ憶えていないが、バレリーナのような肢体と小さな顔につぶらな瞳が印象的だった。すぐにも帰宅するという少女のような彼女が、実はもう5歳ぐらいの男の子の母親であることを初めて知った。陣痛を黙って一人、ホームステイ先の牧師一家のベッドの中で耐えたというから驚き。パリの地下鉄でレイプされた結果の妊娠であり、敬虔なキリスト教の彼女には堕胎など選択肢にはなかったこと、それでも、親切な牧師一家にはどうしても伝えられなかったこと、異郷の地で一人なんとか耐え忍んだこと、など、初めて聞く話に茫然とした。それをなんでもなかったかのように、楽しい話のように聞かせてくれた彼女。今頃どうしているんだろう。


ワインとチーズで盛り上がったのだろうか。パスタをご馳走してくれたのだろうか。


さあそろそろ帰らないと。グラスや食器をキッチンに運ぶ手伝いをしていると、ケリーが自分に課していることとして、教えてくれたのが先ほどのセリフ。


パリのアパートで一人暮らしをしているケリー。国際金融機関の欧州代表の秘書として、一見華やかにみえるが、実は堅実で慎ましやかな生活を営んでいる彼女の一面を知った瞬間だった。


以来、私自身も自分に課している。どんなに遅くなっても、その日のにぎわいの余韻を翌日まで持ち込まない。


その結果、手に入れられるものは、早朝の静謐さ。


未だ生活の音が始まらない中で、珈琲の香りだけが立ち上がるキッチン。

目を閉じて、その豊かさを満喫する。





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2021年3月18日木曜日

我が使命、見つけたり

 




つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日

夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば

懐しい友の顔が 一人一人うかぶ

重いカバンを抱えて 通ったあの道

秋の日の図書館の ノートとインクの匂い

枯葉の散る窓辺 学生時代


平岡精二作詞作曲のこの曲がペギー葉山によって歌われたのは昭和39年、奇しくも東京オリンピックが開催された年。両親の学生時代と重なることもあり、特に母が大好きで、私が幼いころに良く歌っていたことを思い出す。今でも、時々口ずさむ程。


そんなこともあってか、蔦に対するイメージは非常に懐かしく、ロマンチック。家の壁に蔦が這っている様子など、風情があって好きだった。


そう、好きだった、と過去形。


我が家の庭のクエッチの木に蔦が絡まっていた時、息子バッタが丁寧に取ってくれたことがあった。離れの物置の壁に蔦が這った時は、庭師の若い衆が建物が傷むからと取ってくれた。

松の木に絡まり始めていた時は、ぼんやりと見ているに留まってしまっていた。庭師を頼む時間さえ見いだせず、気持ちの余裕もなく、庭を荒れ放題にしてしまっていた。


ちゃんと付けは回ってくるもの。


さくらんぼ、クエッチ、すもも、ミラベル、松、杉、リラ、葵、石楠花、椿、ジュダ。

あらゆる木に蔦が絡まり、あらゆる木が蔦に絡めとられてしまった。

花壇が蔦に覆いつくされ、

石の階段の隙間から蔦が這いまわり、

一見緑に見えた地面は、芝ではなく蔦で覆われてしまった。

なんたる生命力、そして破壊力!


そして、蔦だけではない。

月桂樹、ヘーゼルナッツ、クルミの芽が、あちこちで成長し、今ではしっかりと根を張ってしまっている。


このところ、銀の雨が降り、気温が一桁の日が続くが、今のうちにテコ入れをしないと、いつの間にか、この家全体が庭も一緒に蔦に絡めとられてしまうかもしれない。蔦の動きを食い止めることが出来ても、庭は月桂樹やヘーゼルナッツ、クルミの木がうっそうと繁ってしまうかもしれない。


そのためにこそ、今この時間が与えられているのだろう。


我が使命を漸く見出す。


雨合羽にズボンカバーを履き、軍手をつけて、鍬を振るう。

明日は長靴でも買おうか。どろどろになった運動靴を見つめてつぶやく。





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2021年3月17日水曜日

名誉挽回を期して

 





前回は幸せを呼ぶはずのココナツフランだったが、確かに幸運を呼んだものの、お味の方は今一つだったので、ここは名誉挽回を期して、再チャレンジ。


同じレシピを使わないことはもちろんだが、グルテンフリー、ラクトースフリーと、ハードルをちょっと上げてみる。


蕎麦粉のタルトを敷き、そこにアーモンドミルクと豆乳クリームをベースにコーンスターチで作ったカスタードクリームをとっぷりと入れる。今回はココナツファインを使用。甘ったるいお菓子よりも、控えめな甘さで上品に、などと指定の砂糖の量を大幅にカットしてしまったが、後になって悔いる。甘みのない淡白なフランなど、フランではあるまい。


前回は、フランというよりもココナツケーキ。今回こそ、口に入れればとろける美味しさを出せただろうか。


クリーミーなソース系は苦手、という長女バッタからは、フランを作っても食べないと事前に言われていたが、ココナツの香りがキッチンから流れ出すと、本人が鼻を引くつかせてやってきた。美味しそうなので、一切れ味見がしたいと目をハートにしながらオーブンの前に陣取る。


慌てずに、冷蔵庫で一晩しっかりと冷やしてから切り分けよう。


さあ、今回はどうだろう。

夢のココナツフラン、再現なるか。





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2021年3月16日火曜日

よからぬ算段

 




思わず足を止める。

枝に鈴なりについた花穂の先々から、ビロードのような銀の艶艶とした綿毛がのぞいている。


あまりの立派さに茫然と立ちすくむ。


家人はその存在さえも知らないのか、辺りは雑草でうっそうとしている。

一枝だけ失敬しても、罰はあたらないぐらいの大木で、どの枝も見事。


ぱきりというより、しなりとする枝のようで、剪定鋏が必要に思われる。


夜間の外出は禁じられているので、早朝にでも、こっそりと鋏をポケットに忍ばせて、一枝いただきに参上しようか。

未だ日の出ていない暗い道で、花穂の銀色が月明かりに光ってしまうだろうか。




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2021年3月15日月曜日

マヤの秘宝

 





新しい珈琲豆の袋をハサミで切った瞬間、

馥郁たる香りがパッと立ち上がる。


珈琲豆を挽いて、ミルの蓋を開けると、

芳醇な香りが解き放たれる。


至福のひと時。


「Trésor des Mayas」

「マヤの秘宝」


しかし、よく考えれば、かなり安直過ぎまいか。マヤ文明が栄えた地域で珈琲栽培が開始されたのはいつだろうか。スペインによる植民地化以降となろう。マヤの秘宝とするのであれば、それは、カカオ、チョコレートであろう。騙されたと、やや鼻白らんでしまう。


それでも豊かな香りはしっかりとそこにある。


マーケティング戦略にまんまと引っかかることも、

時には悪くはないか。

深みある甘い香りに包まれる。




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2021年3月14日日曜日

椿の妖精

 





通りを歩きながら椿の花が鈴なりに見事に咲き誇っている大木を見つける。

我が家の椿はどうしているだろう。

リラの木と藤の枝に挟まれながらも、ひっそりと真っ赤な花を幾つもつけていた姿を思い出す。奥まっているとは言え、今まで気が付かなかったのだから、未だ蕾なのかもしれない。


ところが、どうしたことだろう。今にも枯れんばかり。辛うじて細い枝についている幾枚かの葉も、艶のない薄黄緑色をしている。蕾など一つもない。


藤の木は以前息子バッタが伐ってくれており、その時にリラの木も随分伐採していたので、枝葉に隠れて苦しそうな様子はちっともない。


近づくと、枝に蔦がびっちりと巻き付いていて、地面はすっかりと蔦で覆われている。慌てて蔦の枝を引き抜くが、もちろん、相手はそんなにやわではない。菜園用手袋をし、鍬をもって出直す。


地中深いところまで蔦の根はしっかりとはびこっている。


以前、植物は子供と一緒で、そんなに構わない方がしっかりと育つのかもしれないと嘯いたことが悔やまれる。当たり前だけど、植物も子供も、やっぱりちゃんと様子を見ないといけない。常に根っこを穿って、その成長を確かめる必要はないし、毎日たんまりと栄養を補給する必要もない。ただ、気が付いたら、根っこを他の植物にがんじがらめに絡めとられ、栄養がいかなくなってしまっていた、なんてことは避けなければなるまい。


雨が降って地面がしっとりとしている今、できるだけ蔦を抜いてしまおう。そう思って小一時間奮闘。これで少しは椿の根も息ができるようになっただろうか。


椿に宿るという精霊が喜んでくれるには、もう少し本格的に土を掘り起こして、蔦の根っこを引っ張り出す必要があろう。椿さん、ほったらかしにしてしまっていて、ごめんね。





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2021年3月13日土曜日

芸術の神様

 




自称カメラ小僧。

どこに行くにも一眼レフのカメラを背負って歩いたものだった。携帯がカメラ機能を内蔵すると知った時、鼻で笑ったものだった。

行く先々でポストカードを買うことも大好きだった。

ところがどうだろう。

あっという間に誰もが携帯を持つ時代になり、内臓しているカメラの性能が素晴らしく向上し、加えて撮影後の写真は簡単に削除できるし、ストックもできる。今では加工も簡単。SNSでシェアするなんてお茶の子さいさい。

なんという時代になってしまったのだろう。

自分たちで簡単に、且つ、ハイレベルの写真が撮れるものだから、ポストカードなんて需要がなくなってしまった。しかも、ドローンなんてものまで、それこそ一般市民が手に入る時代になってしまい、空からの撮影も誰もができるようになってしまった。

ブラジルに遊びに行った時、一眼レフのフィルムカメラを背負っていったが、非常に手ごろなので川下りの際など携帯で撮影。そのうちに、携帯での撮影が中心になってしまった。その後、写真を見比べ、携帯で撮影したものが遜色ないことに気が付き茫然。

スイスの山に行った時、奮発してデジカメを買おうかとも思ったが、携帯内臓のカメラで十分と諦めた。その分、携帯を新規購入する際は、カメラ機能をしっかりと比較して決める。

撮影した写真を加工するなんて、そんなまやかしのような行為は好かん!なんて思っていたのは始めだけ。写真好きのママなら、FBよりもInstagramがいいよ、と長女バッタに勧められて始めたが、確かに面白い。写真を自由に大きさを変えたり、カットしたり(おっと!トリム!)、明暗を変えたり、フィルターをかけたりと、楽しむようになるには、時間はかからなかった。


ところが、落とし穴があったのである。


年末になると、一年のハイライトとなった写真を使って翌年のカレンダーを作成している。するとどうだろう。昨年は出来上がってきたカレンダーを手にして、思わずうなってしまった。こんなんじゃない!ピンボケじゃあないか!

PCで作成している時の画像は色の鮮度も抜群。一体何が原因なのか。

何千枚とある写真の中から選ぶのは、非常に目も疲れるし、何より時間がかかる。従い、どうしてもInstagramでアップした写真を先ずは検討してしまう。その後でオリジナルにあたるわけだが、そのうちに、SNSでシェアした写真とは知らずに、いつの間にか利用してしまったのである。

オリジナルの写真と比べ、SNSに投稿した写真は軽量化されていた。つまり解像度が低くなってしまっていた。それを印刷に利用したのだから、残念な結果になってしまったのである。


そういうことか。唸ってしまう。


間の悪いことに、ついこの間写真を整理してしまっていた。ベストショットファイルの中をどんなに調べても、件の写真のオリジナルは見つからない。


芸術の神様はいらっしゃるのだな。


今後はしっかりと写真保存、そしてセレクションをしなければと気持ちを引き締める。





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2021年3月12日金曜日

手作りタラマ初挑戦

 



友人宅で出張シェフをすることに。

この夏から日本法人の代表として駐在することがほぼ確定しており、早速日本語の勉強も始めたという。料理も日本料理なら何でも嬉しいとのこと。

家庭的なものにしようか。

牛蒡のきんぴら、茄子の煮びたし、ほうれん草のおひたし、五目御飯、そして、鶏の照り焼き。

随分と悩みながらも、手に入る食材を考えつつ、選び出す。

味醂を切らしていたので、近所の八百屋さん立ち寄り、味醂と新鮮な野菜を調達。そして、つい、鮮魚コーナーを覗いてしまう。活きの良い鯛が銀色の鱗を光らせて行儀よく並んでいる。ふとみると、顎が剣のように鋭いカジキ、青色の斑点が綺麗なアオブダイが鎮座している。レストランが閉鎖している中で、一体誰が買うのだろうか。そして、

と、鱸に一目惚れ。鶏の照り焼きはまた別の機会にして、今日は鱸の塩焼きにしよう。

3人分ならと、やや小ぶりの鱸を差し出されるが、それよりも一回り大きな、上品な顔立ちの鱸を指し示す。鱗を落として、内臓を処理してもらうようにお願いする。すると、しばらくして、

「マダム、卵はどうしますか?」

どうやら子持ちだったらしい。

もちろん、包んでもらう。

かなり大きく立派な卵の様子。生姜を利かせた醤油で甘辛く煮ようか。いやいや。もう一ひねり欲しいところ。そうだ、タラマを手作りしてはどうだろう。




そうとなったら、家に勇んで帰ってきて、タラマのレシピを検索し、各種検討してみる。多くのレシピは魚の卵の燻製を使っていて、生の卵からのものはない。ふと、日本語で検索してみると、幾つかヒットする。そして、なんと、我が料理の師匠、「fleur de sel (塩の華)」さんのブログ記事が見つかる。流石お師匠様。港町にお住まいで、魚介類がお好きとなれば、タラマも手作りされていて当然か。

「fleur de sel」さんが推薦するレシピに間違いはない。何を作っても、本当に美味しくできてしまうのだもの。昨日のココナツフランも「fleur de sel」さんがレシピをアップしていないか、早速確認しなければなるまい。見た目はこんがり美味しそうでも、実は想像とは大いにかけ離れた味と口当たりで、非常にがっくりとしてしまっていた。

それにしても不思議なご縁。なぜって、既に今朝は「fleur de sel」さんのブログを拝見し、鰯のファルシーケーキを作る予定にしていたのだから。

とにかくも、タラマに初挑戦。

かくして、純和風とはすっかりとかけ離れてしまったが、なかなかどうして、やめられない止まらない、カリリと焼いたバゲットにぴったりの、ワインの肴、タラマペーストが出来上がる。ワインが大好きな友人夫婦も大喜びするに違うまい。




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2021年3月10日水曜日

幸運を呼ぶココナツ味のフラン

 



「ママ、出来たらココナツパウダーを使ってお料理してよ。」

我が家の貯蔵庫には、スーパーフードといわれる、キヌア、色とりどりのレンズマメ、古代米から始まって、インディカ米、バスマティ米、ジャスミン米などがぎっしりと詰まっており、グルテンフリーのパスタ、グルテンフリーのシリアルなども各種取り揃えてある。

昨年一年間の不在中に、末娘バッタがグルテン摂取を控えるように医者に指示されたことで、長女バッタが買い揃えてくれたもの。ココナツパウダーも当然グルテンフリー。オーガニック食品専門店での買い物だけに、随分とお金を使わせてしまったなと、感謝で長女バッタを抱きしめたい思いになる。

ただ、長女バッタにしても、つい手にしてしまったが、学業と家事の切り盛りの両立はなかなか難しかったのだろう。しかも、このコロナ禍である。貯蔵庫なのであるから、いつでも使えるようにと貯蔵しているのであって、本来の役割を果たしているとはいえ、未開封の袋や箱が少なくなかった。そのうちの一つがココナツパウダー。

ココナツミルクであれば、タイカレーを作るなど、料理に利用しやすいし、ココナツフレークであれば、サラダの上に振りかけたり、シリアルと一緒に食べたりと、何かと使いやすいであろうが、パウダーとなると、簡単に利用するにはもったいないと思ってしまったのだろうか。


ココナツ味のフラン!


昔の職場で、ランチにといつもバゲットのサンドイッチを買っていたパン屋さんを思い出す。デザートにフランを買うのが常だったが、時々、ココナツ味を選ぶこともあった。すると、どうだろう。小さいながら、あっと嬉しくなる良いことが起こるのであった。毎回ココナツ味を選ぶことはしなかった。なんだか、せっかくの不思議な力を台無しにしてしまうように思われたから。


懐かしく思い出す。


手作りのココナツ味フランの威力はどうだろうか。


キッチンは甘いココナツの香りで満たされ始めている。その香りにつられてか、長女バッタが二階から降りてきた。先ずます、成功か。


幸運を呼ぶココナツ味のフラン

500グラム フロマージュブラン

125グラム 無糖ヨーグルト

125グラム キビ砂糖

50グラム ココナツパウダー

25グラム コーンスターチ

3個 卵

バニラビーンズ 1本


180度のオーブンで45分




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2021年3月9日火曜日

いちりん程の

 




梅一輪 いちりん程の 暖かさ


作者、嵐雪がどんな思いで詠んだ句なのか。


寒梅が一輪だけ咲いた。その花を見ていると、まだ冬だけれど、わずかながら一輪ほどの暖かさが、もう感じられるようだ。


こんな解釈が通例のようだが、このあまりに有名な句は既に作者の手を離れ、多くの人の手紙や書に書き写され、一人歩きしている。


もっと自由な解釈をしても良いだろうか。


ひっそりと一人で冬の寒さを過ごしている詠み手が、一輪咲き始めた梅を見つけ、その存在に春を感じ心を震わせている。


紅梅の前で見入っている、そのか細い肩を、後ろからふわっと抱きしめたい、そんな思いに駆られてしまう。


昨年は春の訪れを一緒に迎えた大切な人を、今年は一人にしてしまったという思いがあるからだろうか。咲きおおる花の前で、一人思いに耽る。





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2021年3月8日月曜日

究極のグルテンフリーのガトーショコラ

 





外側はカリッと香ばしく、中はしっとりと濃厚。チョコレート好きには、たまらない美味しさ。そんな味わい深いガトーショコラを作りたかった。加えて、二年前から謎の腹痛に突然襲われて苦しむ末娘バッタが、あーでもない、こーでもない、と複数の医者の診断を仰ぎ、血液検査の結果、医者から口にしてはいけない食品リストを渡されており、グルテンフリーのレシピであることも、必要条件であった。

末娘バッタが、急に、チーズを食べると喉が痛くなると言った時には、冗談かと思った。バッタ達は三人とも好き嫌いなく、特に末娘バッタの食欲の旺盛なことは、料理のし甲斐があったものだから、やや面食らってしまった。

確かに、血液検査の結果では、チーズ(一部を除き)は摂取すべきではない食品リストに入っていた。他には牛乳、ヘーゼルナッツ、林檎(加熱したものは除く)、そしてグルテン。チョコレートの食べ過ぎではないかと思う程、チョコレートの摂取量が多いが、そんな指摘はなかったようだ。

グルテンアレルギーに関しては遺伝子組み換えや残留農薬が背景にあるのだろうか。我が身を振り返って、幼少時代や学生時代も含めて、グルテンアレルギーの友達や知り合いはこれまでいなかったが、バッタ達が大きくなるにつれ、彼らの友達の中にも何人かいるようになり、そしてその数は年々増えているように思われる。夕方、会社帰りにパン屋が閉まる前に駆け込んでバゲットを買うスーツ姿の紳士が、むき出しの細長いバゲットを小脇に抱えながら、端っこを齧る風景は一昔前ならパリの風物詩といっても良いが、最近はどうなのだろうか。食卓にバゲットがのぼらない家庭も増えているのだろうか。代わって、BIO専門店が大手を振るい、やや値は張るものの、オーガニックなグルテンフリーのパンを買い求める若者が増えているように思われる。

バッタ達を見れば、その傾向は如実に分かる。5人の若きエンジニア達で共同生活を営む息子バッタによれば、彼らは常にオーガニックな食材を求めており、それでも理論だけでは空腹は満たされないので、結果、どうしても値が張る鮮魚・肉類とは縁遠くなり、ややもするとベジタリアンの食事中心となっているらしい。しかし、若きエンジニア達は、パスタやデザートまで手作りをしてしまうというから、驚き。そこまで食材にこだわるのか、あるいは、彼らにとって料理は、実験の一環とでも位置付けているのであろうか。

長女バッタは、環境経済を専門としていることから、環境問題には非常に関心が高いが、中国留学を経てロッテルダムで勉強していた頃既に「お肉は週に一度」としていた。今では、特別な席(友人宅に招待されたり、パーティーなど)を除いては、自分からは肉類は摂取しない。料理する身としては、張り合いがないこと、この上ないがが、魚介類はOKとしているので、まあ良しとするか。そんな彼女の行きつけのスーパーはBIO専門店。

末娘バッタに至っては、本人の意思とは関係なく、グルテンフリーを否応なしに求められている。

BIO専門店には、赤や黒の古代米はもちろん、スーパーフードといわれる、チアシード、キノア、色とりどりのレンズマメ(黒、珊瑚、緑)、蕎麦の実、雑穀(ひえ、あわ、きび)など揃っている。


まあ、そんな硬い話はさておき、とにかく、美味しくなくては始まらない。

室温に戻したバターをポマード状に撹拌するし、キビ砂糖を入れ、更に撹拌。卵を一つずつ割り入れ、更に混ぜ、小麦粉ではなく、栗の粉を篩い入れる。最後に人肌に冷ました溶かしたチョコレートを入れ、艶が出るようにしっかりと混ぜる。この時、シナモンをたっぷりと混ぜ込む。トンカ豆でもいいかもしれない。この生地を、外側がかりりとするように、熱伝導が良いブリキ素材の型にとっぷりと入れ、とんとんと、平らにならす。

180度に熱したオーブンで30分。生地は10分後にはふっくらと膨らみ始め、チョコレートの豊かな香りが台所中を包む。

栗の粉を使ったのは、グルテンフリーを意識して。栗の甘みがあると想像し、砂糖は極控えめに。

果たして。長女バッタから、ママのガトーショコラの中で一番美味しい!とお墨付きをもらい、末娘バッタに至っては、友達の誕生ケーキに作りたいからレシピを教えて欲しいとせがまれる。

ふっふっふ。




外側カリッとして、中はしっとり濃厚な究極のグルテンフリーのガトーショコラ

材料:

無塩バター 250グラム

チョコレート 200グラム

キビ砂糖 150グラム

卵 4つ

栗の粉 70グラム

180度のオーブンで30分






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2021年3月7日日曜日

似て非なり

 


双子、しかも一卵性双生児の宿命なんだろうけど、いつだって比較されてきた。

どっちが先に生まれたの?どっちがお姉ちゃん?から始まって、どっちが背が高いの?どっちが甘えん坊?果ては、どっちが勉強できるの?

深い意図もなく、さらりと投げつけられる質問の数々。

生まれた時からの親友は、かくして、究極のライバルとされてしまう。

幼い時は泣きめそで、とろくて、臆病だったけど、常に遠慮のない視線にさらされていたことで、いつの間にか闘争心が植え付けられたのかもしれないと、今更ながら分析する。

しかし、ありがたいことに、そんな周囲の環境をしっかりと把握していた両親によって、二人はとても上手に育てられたと思う。相手の手柄は自分の手柄、といった共有意識が非常に強く、相手を妬むこともなく、自分にコンプレックスを抱くこともなく、自画自賛になってはしまうが、素直に、すくすく育った、と思う。

小学一年の頃のお気に入りのセーター。私はゾウ、彼女はペリカン。アフリカに住むゾウと南米に住むペリカン。アフリカに行って、ゾウに乗ることが夢だった。恐らく、彼女は、南米に行って、ペリカンを見ることが当時の夢だったのではないかしら。

花が大好きで、大人になったらお花屋さんになりたいと言う彼女の横で、私は床屋になりたいと思っていた。彼女が青なら、私は黄色。彼女がグレーなら、私はベージュ。

選択肢が用意されている、幸せな環境にいたという証でもある。親の深い愛情に包まれていたのだなと、感謝の念がしみじみと湧いてくる。

そうなのよね。

戦うべきは目の前の相手ではなく、我が敵は己にあり。


さあ、ややこしい話はこのぐらいにして。先ずは、関西風桜餅、関東風桜餅、どうぞお召し上がりください。

どちらも、愛情たっぷりに育てた可愛い我が子。それぞれ似て非なり。もっちりさ、しっとりさ、持ち味を十分生かしております。それぞれにお味見いただけましたら幸いに存じます。





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2021年3月6日土曜日

我が子の晴れ舞台ー関西風桜餅





さて、次は関西風、道明寺桜餅を作ろう。


一晩水に漬けておいた糯米を30分は水切りし、布巾に包んで麵棒で叩いて細かくする。それを蒸気の上がる蒸し器に入れて蒸す。その間に桃色のシロップを作っておき、塩漬け大葉も準備する。

さて、そろそろお米が蒸した頃だろうか。プロは決して所要時間を記さない。コメの粒の大きさ、新米か古米か、産地、種類、そして鍋の火加減など、いろんな要因が複雑に絡まって、その時その時で糯米を蒸す時の所要時間は変動する。それは分かっているが、目安というものが必要ではないか。

湯気がもうもうと出ていると蓋を開け、お米を取り出してみるが、どうも未だ硬いようである。それを何回か繰り返す。本当に未だなのかと、焦ってくる。別のレシピで見てみると、蒸し時間は15分程度らしい。もう20分は蒸している。よっしゃ、シロップに漬けてしまおう。

薄桃色に染まったお米を少し放置し蒸らしておいたが、ちょっと硬い感じがする。こんな時に便利な電子レンジで少々加熱。それを8等分。量を間違えたのではないかと思うほど僅かな量に戸惑うが、潰すしかあるまいとサランラップで薄く延ばす。そこに予め準備していた漉し餡の玉を入れ、これまたサランラップを使って丸く整える。思った以上にうまくいき、ほっとする。

どうも大葉が小さすぎたようだが、そこはプレゼンテーション次第。うまくカバーしよう。しかし、なんだか大葉がしんなりとして、いかにも「菜っ葉」のようになってしまい、何かが違うと思ってしまう。ただ、ここまできたら、後は最後まで作るのみ。揃えてみれば、なかなかどうして、上品に出来上がったではないか。

今回もまた、我が子の晴れ舞台に付き添う親の心境。さあ、いかがでしょう。




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2021年3月5日金曜日

我が子の晴れ舞台ー関東風桜餅





 

さて、関東風、関西風、どちらから先にとりかかるか。

ちゃきっちゃきの江戸っ子の母を持ち、東北の田舎で育った私にとって、桜餅といえば一つしかなかった。祖父は信州の出身なので、問題もなかったのだろう。唯一、京都出身の曾祖母が異議を唱えていたかもしれないが、今となっては知る由もない。うっすらと桃色の生地が二つ折りになっていて、中には漉し餡が入っている。塩味のする桜の葉で巻いてあって、口にすると、上品な桜の香りがぱっと広がった。

関西風の桜餅の存在を知ったのはいつだろうか。ひょっとしたら道明寺粉の存在を料理本か何かで先ず知ったのかもしれない。そして、良く考えると、一度も関西風桜餅を食べたことがないかもしれない。

桜餅を作るのであれば、両方作ってみないことには、なんだか手落ちではないか。漉し餡もたっぷりと出来ている。そんな思いで、今回は両方、初挑戦。潤かしておいた糯米は水切りをしなければならない。その時間に関東風桜餅を仕上げてしまおう。

幾つかレシピを比較検討してみたが、漉し餡を作成したレシピのサイトだけ、若干粉と水、砂糖の分量が違う。なんだか、こちらの方がプロらしく感じられてしまい、採用。恐らく生地が薄くて、扱いにくいのではないかと思われたが、ハードルは高いほど生きがいを感じるタイプにはうってつけ。

最初こそ鍋に落とす生地の分量や、鍋の温度が分からずに、あたふたしたが、3枚目からは要領良く焼くことができた。師とも勝手に仰ぐようになった餡子専門店のレシピでは円筒形にしている。その方がお上品なのかもしれない。漉し餡は一つ25グラムずつとし、8個分、200グラムを確保。8等分し、一つずつ予め丸めておく。

即席一夜漬けの桜の葉、もとい大葉は、水でさっと洗い、丁寧に葉の先を伸ばしておく。

くるくると丸めて作成。思った以上に緑の大葉がアクセントとなり、悪くない。生地のピンク色がやや薄すぎはしまいか。いや、この方が上品なのかな。桜の香りが舞い立つことはないが、なかなかどうして、柔らかな薄桃色の生地から、優しい艶のある漉し餡がちょっとのぞいたところなど、うっとりとしてしまう。まるで、我が子の晴れ舞台に、いそいそと付き添う母の思い。そう、だから料理はやめられない。




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2021年3月4日木曜日

妖怪小豆研ぎ

 




桜餅を作ろう!

思いついたらまっしぐら。

手元に糯米、白玉粉があることを確認し、小豆を買いに走りでる。桜餅に欠かせない、うっすらと塩味のする、甘い桜の香りが奥ゆかしい、桜の葉の塩漬けは、先日目にした大葉で代用しよう。紫蘇の香りと桜の葉の香りでは、全く別物ではあるが、背に腹は代えられぬ。この喩は当てはまらないか。とにかく、何かで包まぬわけにはいくまい。それも、うっすらとした桃色に映える色合いで、ちょっぴりと塩味を添える、なくてはならない引き立て役として、塩漬け大葉ほどぴったりとしたものはあるまい。

やや小ぶりな感は否めないが、丁寧に洗い、綺麗に葉を隅々まで広げ、一枚一枚重ね、静かにたっぷりの塩水に浸す。塩漬けにしてしまうと、見た目の菜っ葉感が拭えないが、塩味は餡子の甘みを上品に際立たせる上でも外せまい。

漉し餡はこれまでにも作ったことはあったが、数あるレシピを見ているうちに、どうしても本格派に目が行く傾向があり、最終的に餡子専門店のレシピを参考にすることに決定。シャカシャカシャカと小豆を研ぎながら、「小豆研ぎましょか、それとも、人取って食いましょか」と思わず口ずさんでいた。幼少時代に見たテレビの日本昔話シリーズの一場面。小豆を研ぐ度に思い出すのだから、不思議なもの。プルーストにとってのマドレーヌが、私の場合は小豆研ぎとは。子供時代、我が家は健康志向で玄米に小豆や黒豆を入れて炊いていた。お米や豆を研ぐ度に、一つ上の兄が私をからかって、「小豆研ぎましょか、それとも、人取って食いましょか」と歌っていたことを思い出す。さすがに、番組を一度見たからといって、その記憶が鮮明に残っていたというわけではなく、兄がからかう度に、小豆研ぎの妖怪を思い出していたことで、記憶が定着したのであろう。

渋切りをしてから、鍋に付きっ切りで小豆をことこと煮る。小豆が水面から顔を出さないように、時々静かに水を足す。プロは、何グラムだから、何分煮る、なんてことは言わない。火力・鍋・仕込み量・豆の種類・等級・年度産・保存法によって違うので、残念ながらお答えしかねる、と書いてある。ごもっとも。それでも、凡その時間を教えてくれても良いものなのに。仕方がないので、別のレシピで検索。まあ、小一時間程度か。

芯がなくなったところで火を止める。そのまま放置して蒸らした後、生餡の製造となる。その間に道明寺粉を作るために、糯米を洗って水につけておく。

さあ、生餡を作ろう。先ずは、煮汁を切って豆を潰す作業。その後水を入れて裏ごし。たくさん水を新たに入れて濾すように指示されているが、なんだか二度手間のように思い、既に裏ごしした水分を再利用してしまう。恐らく、水分が既にこってりしてしまっているからだろう、裏ごし作業に時間がかかってしまう。そして、その後の沈殿させて上澄みだけ捨てる作業も、予想以上に時間がかかってしまう。それでも、餡汁が形なりにもボールに残った。布巾に入れて、水分をしっかりと絞り切る。生餡の出来上がり!

夕食後に始めた作業だったので、既にシンデレラタイムが迫っており慌ててしまう。恐らく、水切りがプロに比べ不十分なのだろう。生餡の重さが予定より多めになる。さて、それに合わせて、水分と砂糖の量も増やすべきなのか。朦朧とした頭でぼんやりと考える。今なら、簡単にその答えは分かる。水分が絞り切れていないだけなので、砂糖の量は変えず、むしろ水分をやや控えめにすれば良いのだろう。そんな論理的思考は残念ながらできずに、水分も砂糖の量も気持ち増やしてしまう。

加熱した餡は熱くなり、飛び跳ねると脅され、ゴム手袋を着用し、大鍋でシロップを作り、生餡を入れ、強火で一気に炊き上げる。といっても、上述のごとく、水分が多めだったので、一気にというよりは、かなり時間を掛けてしまう。

桜餅の餡はやや固めにするとあるので、鍋底が見えるまで、しっかりと炊き上げる。

さあ、どうだろう。なかなかどうして、うっとりするほどの艶じゃあないか。

レシピの最後に「和菓子作りの第一歩があんこ作りですが、そのハードルが極めて高いのです。こし餡を豆煮から作るには、是非、粒餡を何回も作って十分に慣れてから挑んでください。豆煮からこし餡を作れる方は自信を持ってくださって結構だと思います。」と記されていた。

なんと!そうなのか。いや、確かに、手間暇は大いに掛かった。

お味の方はどうだろう。自信を持っていいのだろうか。

粗熱を取るのもそこそこに、タッパーに入れてしまう。桜餅は、明朝とりかかる予定。その前に英気を養わないと。

妖怪小豆研ぎは、寝室にまっしぐら。



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