2017年7月4日火曜日

北の街









「明後日の晩、何か予定がある?」
「別にないわよ。」
「北の街に行くんだ。夕食でもどう?」
「喜んで。電車の時刻を見てみる。」

サイトで電車の時刻表を睨みながら、明後日は数ヶ月前から準備していた講演会があることに気が付く。どうするか。ひょっとしたら、相手は翌日もそこにいるのかもしれない。慌てる前に、予定を聞いてみる。

「その日だけだよ。」

「その日、行く予定をしていた講演会があるの。」
幹事とは名ばかりながら、当日は受付と会計を担当することになっていた。

それでも、北の街での夕食に気持ちはすっかり傾いている。ありえない、と思いつつも、関係者にお詫びのメールを書き、知り合いに受付と会計をお願いする。

会社から駅に駆け込むことになるだろうから、慌てないように事前にチケットを買って印刷をしておく。

当日、夕方携帯がなる。

まさか?
ちょっと緊張した声で受けると、のんびりとした明るい声が返ってくる。乗車券はもう買ってしまったか、と聞かれる。購入済みと言えば、キャンセルできるか、と聞いてくる。要領を得ない。一体どうしたのか。すると、思っていた以上に早く仕事が終わってしまったので、パリに戻るという。夕食はパリにしよう。

ちょっと待ってくれ。こちらはチケットを購入済み。しかし、誰もいない北の街に一人で行く気にはなれない。それなら、とキャンセル。30ユーロのキャンセル料を徴収されるが、60ユーロは戻ってくる。まあ、仕方ない。

深く考える間もなく、打ち合わせの時間となり、気が付いたら18時を回っている。そろそろパリに戻ってきた頃だろうか。レストランの予約はどうするのか。慌ててSMSを送ると、電話が入る。

「チケット、キャンセルしちゃったの?」
えっ?まさか?真っ青になる。
「ちょっと、どこにいるのよ。仕事が早く終わったからってパリに戻ってきているのじゃないの?」
「いや、あれから色々あって、まだこちらにいるよ。」

「何言っているのよ。それならそうと、早く言ってくれなきゃ。キャンセル料を支払ってチケットはキャンセルしたし、もしも電車に乗るにしても、もうオフィスを出ないと間に合わないわよ。これを逃すと、次の電車は22時にそちらに到着なのよ。」

信じられない思いを抑えつつ、打開策を必死で考える。待てよ。もしかしたら、本当に今ダッシュしたら、電車に乗れるかもしれない。

一方で、そこまで走って行って、乗り遅れた時の虚しさ。騙されたような、虚脱感を味わうことへの恐怖も覚える。

それでも、行こうか、と思う。
このところすっかり雨降りになり、猛暑はどこに行ったかと淋しく思っていたが、急に夏の日差しが空を明るくしている。

これで本当に間に合わなかったら諦めよう。
一瞬、さっさと諦めて、講演会に行くことも頭を過ぎる。それでも、足は駅に向かってダッシュしていた。

これは罠かと思う。試されているのか。いや、馬鹿にされているのか。

北の駅に着いてみれば、慌ててパリに戻っていた、となることも十分考えられた。

全くなんてお人好しなのか。大学生の頃、そう親しくない友達を二時間も駅で待っていたことを思い出す。そうして、その友達はちゃんと二時間遅れてやってきた。

馬鹿馬鹿しいと思いつつも、キャンセル料まで払ってキャンセルしたチケットを改めて正規料金で買う。あと5分。

こんな時に限って指定車両はプラットフォームの奥にある。それでも、吸い込まれるように車両に乗り込むと、電車は静かな音を立ててドアを閉め、出発。

間に合ったか。
車窓からの景色は真っ青な空がまぶしい。





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2017年7月2日日曜日

悪魔に魂を渡す










フランスに生まれ、フランスで育ちながら、母親が日本人というだけで、つまり、親のエゴで日本語学習をすることを余儀なくされてバッタ達。今年は、息子バッタがバカロレアの試験を受ける。

鋏が上手く使えないからと呼び出された日を思い出す。左利きなので、右利き用にできている鋏を使うことは、そう簡単ではなかったらしい。が、幼稚園の4歳幼児の時である。仕事をしている母親への偏見が学校側には大いにあったに違いない。せめて夜、家に帰ったら、お子さんと一緒に鋏を使ってあげてください、と真顔で言われた時には、面食らったもの。

ただ確かに、左利きであることのハンディは、右利きの人間が思っている以上あるらしい。鉛筆を使う縦書きノートは、当然汚く汚れるし、手も汚れてしまう。

バイオリンだけは、左指の力が違うので、弦を押さえる時に有利かと思ったが、どうやら弓を動かす右手こそ重要なので、左利きがバイオリンの演奏に有利なんてことはない、と中学時代の息子バッタに言われてしまっていた。

男女沢山の友達に囲まれ、毎年幾つもの誕生パーティーに呼ばれ、多くの友達を呼んで自分の誕生日を祝った日々。それが気が付くと、いつの間にか超硬派となり、必要以外のことを口にしなくなり、バイオリンこそ恐らく親の執念で続けたが、あんなに大好きだったサッカーを止めてしまった年もあり、ティーンの辛さ、悩みを一身に負っているような時もあった。

最終学年の時には、笑顔が戻り、サッカーも復活。お国柄、この歳にもなるとパーティーで煙草、ドラッグ、アルコールは当たり前。それを忌み嫌ってクラス会や学年のパーティーにはちっとも参加をしなくなった息子バッタも、同じ波長の仲間が出来たらしく、彼等とは映画だ、バスケだ、サッカーだ、と遊びに出掛けるようになっていた。高校最後の日には、友達が4人ぐらい泊りに来て、サロンを占領されてしまったが、ドライだとばかり思っていた息子バッタが仲間と楽しそうにしている様子を、心から嬉しく思った。

いつ、日本語学習を放棄してもおかしくない環境だったが、遂に、一般のフランス人はおろか、日本の教育界でも、その存在さえ余り知られていないであろう、一般バカロレアでも、オプションアンテルナショナルの日本語選択という、厳しい試験を敢えて受験。今は、その結果を待つのみ。

このディプロムを得たことで、今後フランスで高等教育を学んで行こうとする息子バッタにとり、何か有利なことはあるのか、と問われれば、実は回答に窮するところ。二年前にやはり同じ試験を受けた長女バッタにとっても、同じ。彼女も日本に進学をしたわけではない。理数系の彼らにとり、最終学年でも人文学の科目を習得し、文学の分析に時間を費やし、科目の配点比重も高いとなれば、この選択は足枷になるとも言えよう。それでも、長女バッタは、このディプロムを得たことを誇りに思う、と嬉しそうに語ってくれていた。

社会の口頭試問の前日、何でも質問をしてくれと言われ、現代日本の抱える問題点を5つ挙げよ、との私の質問に対しての彼の回答にあまりに度胆を抜かれたので、無事に取り敢えず試験が終わってほっとしている。

少子・高齢化問題、エネルギー自給率の低さ、拡大する社会格差、四つ目に何を言ったのか、忘れてしまったが、五つ目に、日本国憲法第9条、平和主義、を挙げた時にはつんのめってしまった。この憲法により日本は自衛隊しかなく、自国の戦力を持てないことで、アメリカの軍事力に依存せざるを得ない構造になっている。これは一国の統治能力欠如の問題につながる。うんぬん。

待ったぁ!こんな政治的に微妙な内容を、試験官がいかにニュートラルであることが求められるとは言え、どのような思想をお持ちなのかも分からない中、日仏ハーフの高校生が発言することで、どんな評価を得るのか。

試験官も人の子。その方の心証を悪くするようなことは、できるだけ避けるに越したことはない。そんな計算を、息子バッタが受け入れるはずもなく、自分の意見のどこがおかしいのか、と仏頂面。

高校時代、先に受験をした兄が、大学入試とは、悪魔に魂を渡すことなんだよ、と囁いたことを思い出す。特にしっかりとした自己主張があったわけでもない当時の私には、兄が何を言っているのか、本当のところは分からなかった。兄が何を苦しんでいるのかも慮ることができなかった。今なら分かる。つまり、回答内容にたとえ自分が合意していなくても、その答えを求められているのであれば、あえて、自分の意思をも曲げてでも伝えることが、試験を突破する鍵なのである。

もしかすると、兄と息子バッタは通じるところがあるのかもしれない。いつか、兄から息子バッタに話をしてもらえる機会があればいいが、男同士、そう話が弾む様子でもない。自然に任せるしかあるまい。機会とは、思わぬ時に訪れるものなのだから。

取り敢えずは、ヒロヒトなどと決して呼び捨てにせず、せめて昭和天皇と言うようにとアドバイスをし、他の質問に移った。

そもそも、フランスの国家試験であるバカロレアをフランスで教育を受けたわけでもない日本人の教師が試験官を務めることに無理があるのかもしれないとの思いが過る。が、ここは、余り大事にせず、そんな質問を息子バッタが受けないことを祈るしかあるまい。彼の得意なグローバリゼーション、中東の問題、世界の格差問題、あたりがテーマとなってくれることを願った。

翌日、彼があたったテーマは日本の民主化。おっと、おっと。一体どんなプレゼンをし、質疑応答とになったのか。

かくして、高校時代最後の試験は終了。時は容赦なく過ぎてゆく。母の役割は益々なくなっていく。






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