2016年3月13日日曜日

玉子焼き弁当



金曜の夜はいつも以上に忙しない。
夜の8時には我が家から車で30分程したところにある森に住むバイオリンの先生のところにバッタ達を連れて行かねばならない。その為には7時半には帰宅していなければならないが、何故か金曜の夜はハプニングがつきもの。オフィスを6時に出ようと心掛けても、何かに引っかかってしまい、気が付いたら6時半になっていることはざらにある。そうして、そんな時に限って電車は危険物発見の為運行一時停止、或いは、何かのトラブルで急行が各駅停車となったりする。

今回は終着駅で事故があったとかで、運転手が申し訳なさそうに、自分だってちゃんと最後まで乗客の皆さんを連れて行きたいが、状況によってはままならないこともあるので、どうぞ堪忍して欲しいと言うので、皆が溜息をつき、タクシーなんかない無人駅で降ろされたが最後、歩いて帰るか、家族や知り合いに連絡をして迎えに来てもらわねばと覚悟と算段を練り始めていた。絶望的な思いに駆られつつも、何とかなるさ、と開き直っていたところ、各駅停車でのんびり運行していたことが奏功したのか、事態は好転、終着駅まで運行が許可されたとのことアナウンスがある。

それでも、いつもよりも遅い到着。慌ててタクシーに乗り込む。パリで研修を終えた末娘バッタと一緒だったので、息子バッタにSMSを送る。
「あと5分で到着予定」
これを見たら、バイオリンを玄関に準備し、待っているだろうと期待していた。

庭を転がり込むように走り玄関の扉を開けると、キッチンに息子バッタの後ろ姿が見える。
「何しているのよ!急いでちょうだいよ。行くわよ!!!」
大声を張り上げて家に入る。

と、何やらお弁当を作っている様子。
「あ、作ってくれたんだ。ありがとう。」
返事はない。青いケースが三つ。手に取ると温かい。
「お箸かな?スプーンでいいの?」
やっぱり返事はない。頭にきて、わめきちらしてしまう。

すると息子バッタは一人で二階に行って悠長に歯を磨き始めた。全くなんでそうなるのか。レッスンの時間には、確実に遅れてしまっている。となると、帰りはいつも以上に遅くなってしまう。こちらも一日、いや、一週間の終わりで疲れが澱のように溜まり始めている。

ぷん、ぷん、怒りながらエンジンを掛ける。

末娘バッタが慌てて乗り込み、息子バッタがイヤフォンをしながら助手席に乗り込む。手元を覗けば、ゲーム。

お弁当を作ってくれたのは嬉しいけれど、ママだって内容に合わせていつもお箸やフォーク、スプーンを用意するじゃない。聞いても答えないとはどういう料簡なのよ。

未だ準備の途中だったとの返事。
皆が帰って来たら一緒に食べようと思って待っていたから、準備が遅くなったとのこと。

それから、すましてゲームに熱中している。

話題を変えて、末娘バッタの研修の話をするが、全く反応がない。これが、アド。ティーンという生き物なのか。

ゲームよりも、ちょっと研修の話を聞いてあげてよ。すごいんだから。
そう言うと、意外に素直にイヤフォンを外し、末娘バッタの話を聞き始め、漸くいつもの楽しい雰囲気となる。そりゃあそうだろう。彼も、母親以上に末娘バッタの話を楽しみしていたのだから。何と言っても彼女の体験は普通じゃあできない。

30分遅れで到着。
バッタ達を先に行かせ、その後車を止めて、お弁当だけを抱えて遅れて教室に入ると、二人は既に弾き始めている。

そおっとお弁当箱を開ける。ご飯の上に卵焼き。
鼻の奥がつうんとする。
これって、中学一年の土曜日に、父が作ってくれたお弁当とそっくりじゃないか。

お弁当箱は三つ。ご飯と卵焼きのお弁当が二つ。もう一つにはくるくると巻かれたハムが4つ入っていた。彼が初めて作ったお弁当。しかも、ママと妹バッタの為に。

それなのに、怒鳴ってしまったなんて。
ご飯はバスマティライスだったので、お箸で食べるにはちょっと一苦労だったが、カレーの風味が何とも言えず、卵焼きとぴったり。

ありがとう。さっきは怒鳴ってごめんね。
バイオリンを弾く背にそっとつぶやく。








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2016年3月9日水曜日

麒麟蒸し



「鰈の麒麟蒸し」

「カレイ」は読めたが、次の文字「麒麟」で思わず詰まってしまう。
これってキリンと読めるのでは?でも、そうなると、キリン蒸しって???蕪蒸しぐらいしか知らなかったので、無学を恥じつつも、色々と想像してみる。

勝手に師匠と思い、敬愛してやまないFleur de selさんの ブログの記事を目にしてのこと。

美味しそうな写真を見つつ、細長く、まだら模様のキリンと余り共通項が見当たらず、どうも何か違う気がする。そもそも何故サバンナ地方の動物が魚料理の調理法に出てくるのか。それよりも動物を出してくるところが、料理のセンスとしてちょっと品がないのでは?

そう思っているうちに、ああ、中華料理じゃないか、と思い当たる。

ならば架空の霊獣、キリンビールのトレードマークの麒麟に違いない。

こうなると、ぐっと気品ある高貴な料理に思えてしまうから現金なもの。

では一体、何をもって麒麟蒸しなのか。

ここは調べるしかない。

どうやら、鮮魚の重ね飾り蒸しのことを指すらしい。
麒麟様には鱗があるらしく、この鱗に見立てて、魚の切り身、椎茸、アスパラガス、ハムを順番に並べて蒸し、熱々のとろみがついた餡をかけ、葱で飾る。

なんとも豪華でお祝いの席にぴったりの一品。
じっくりと作り方を何度も読み耽ってしまう。こちらまで美味しさが感じられるいつもながらの書きっぷりに、うっとり。

いつ挑戦しようか。
先ずは鰈との出会いを求めてマルシェに繰り出さねば。
思わず笑みがこぼれる。

春はすぐそこ。





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2016年3月7日月曜日

人生初の労働の成果物






「ママ、今からお刺身を届けるから。」

えっと。いいけれど。

今日からパリで一週間の企業研修をしている末娘バッタ。明日からはレストランだが、今日は魚屋さんでの研修。どうやら初日は大先輩方から優しくしてもらえて、楽しい日を過ごした模様。ちゃんと間違えずに一人で待ち合わせの場所に行って、挨拶をし、無事に一日を終え、満足したのだろう。

会社のドアを開けて、こそっと入ってくる。入ってくるなり、ハグにビズ。
あらあら。昨日、出て行ったばかりじゃない。

綺麗にカレイのお刺身が二皿、卸山葵までついている。

「縁側の骨を外すのが難しかったんだよ。ほら、ここをきゅっとするように、並べたんだよ。」
興奮しながら報告してくれる。
パパのところで一週間お世話になるのだから、パパ達にお土産に持っていけばいいのに。
「せっかく作ったんだから、ちゃんと分かって大切に味わってくれる人じゃないと嫌なの。」

お刺身のお皿の下にも、何やらラップに巻かれたお皿がある。鯖を三枚に卸したという。カレイは生きている魚を活け締めしたけれど、鯖は既に死んでいたから、新鮮でもお刺身は駄目だと言う。あらあら。どこのお店でも、活け締めした魚を使っているわけではないのよ、と思う。それに、鯖は酢で締めて、しめ鯖が美味しいのではないか、と思うが、そうか、そうか、と聞いておく。どうやら、味噌煮を薦められたらしい。

我が家への帰り道、末娘バッタのお土産をぶら下げながら、これが彼女にとって初めての労働の成果物であることに思い至る。

急いで、こっそりとわざわざオフィスにまで寄ってくれて、母親に届けたかった彼女の思いに、胸が張り裂けんばかりになる。

ありがとう。大切にいただくね。


家路を急ぐ。







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2016年3月6日日曜日

弥生の空







真っ青な空に輝く太陽がまぶしい。
サングラスを探さなきゃ。

と思えば、今度は鼠色の雲に太陽が隠れて急に冷たくなり、慌ててダウンのファスナーを首まで上げる。

空から霙が落ちてきて、そのうち辺りは薄っすらと白くなる。

雪?

膨らみかけていた水仙の蕾が震えている。

何て気まぐれなのだろう。

こうして春は巡ってくるのか。
きっと去年も同じように思ったに違いないし、来年も同じように感心するに違いない。
ほら、また太陽が輝き始めた。







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2016年3月2日水曜日

一つ上の兄





遠い昔、丁度、今のバッタ達の年齢の頃、いつか一家に数台テレビが置かれるようになるって話で盛り上がったことを覚えている。

せっかくの家族団らんの時なのに、との反応をしたのだろうか実はうろ覚え。それよりも、テレビを置く部屋が幾つもあること自体、考えにくかった。

そうしたら、一つ上の兄が、そのうち皆がそれぞれにテレビを持って観るようになるんだよ、と言うので仰天してしまった。なんだって信じられないことを言うのだろう。皆が一人一人自分の部屋に閉じこもって、こっそりテレビを見て楽しんでいる光景が頭に浮かび、不健康で不幸せだな、と感じた。

ところが、兄はそんな凡庸な発想など蹴散らすように、目をきらきらとさせ、将来の楽しい像を描いて語る。

小学生の頃から、当時、大きなコンピューターをどこからか仕入れて、プログラムをするような兄だった。あのコンピューターはどこからきたのだろうか。中学の頃には、確か東京にプログラムの講習に行って、学生で、しかも地方からわざわざ受講に来たとかで新聞にまで載ったことを覚えている。

変わった兄だった。

資源を大切に。節約。節制。こんなことを学校で学ぶと、すぐに率先し、家中の電燈を消して回ったり、水を節約して使ったものだが、そんな私を兄は呆れて見ていた。そんなことをしていたら、人間、発展はない、と。石油がなくなるのであれば、違う代替エネルギーを考えねばならず、そうなるためには、石油を使わねばならない、と。

どうして同じ親から、こんな発想を持つ兄が育ったのか、今でも不思議。
いや、兄の方が、同じことを妹の私に思っていたのかもしれない。

何を聞いても答えてくれ、物知りで、どんなことにも薀蓄を傾け、読書家。

確か、中学の数学の試験で、いつも時間が足りないとぼやいていたことを思い出す。そうして、それが、実は同じパターンの質問には、別の回答方法を示さないといけないと思っていたから、と知った時、本当に驚いて口がきけなかった。

要領の良さ、なんて彼にとっては価値のないことなんだろうな、と思う。

大学受験の時に、「悪魔に魂を売らないといけないよ」と言われたことも印象的。
彼は、悪魔に魂を売って受験に臨んだ、なんと純粋な精神の持ち主。
一方、私は自分の考えよりも、試験の問題の出題者がどんな答えを期待しているのかを想像し回答することに、何ら疑問も抱かずにいたことに思い至り、なんだか居心地が悪くなる。

とにかく、そんな兄の言っていた世界が今、現実になっている。

左ではアメリカのテレビシリーズを観て笑っている息子バッタ、右ではのだめカンタービレを観て興奮している末娘バッタ、そうして、真ん中で名探偵コナンの劇場版をチェックしている。
決して悪くない。
皆がばらばらなんてことはない。

時々、サロンで一緒に映画を観ることもあるけど、こうして、それぞれが好きなものを一緒に観るのって、悪くない。

兄は、今頃、何をしているだろうか。
30年以上先を見通せたその先見性の高さは一体どこで培ったのか。
久しぶりに話がしたくなる。きっと笑いながら、こちらがびっくりするような話を、普通のことのように話してくれるに違いない。

白酒でもお土産に、ちょっと遊びに行ける距離ならいいのに。
にっこりと笑顔で昨日会ったように話が弾むに違いない。





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