2016年5月29日日曜日

タキシード姿








バッタ達の父親からメール。
リンクをクリックすると、息子バッタの晴れ姿の写真。
タキシード姿が似合っている。蝶ネクタイも様になっている。それよりも、何よりも、なんと爽やかな笑顔なのか!父親とのツーショットもある。嬉しそうに微笑む二人。

初めてのタキシード姿を日本の母や台湾の妹、オーストラリアの家族に送る。

そうか。それ程楽しいイベントだったのか。そりゃあそうだろう。
そう思いながら、どうも胸が苦しくなる。こんな晴れ晴れとした嬉しそうな顔を彼にさせたのが、私ではなく、父親であることに、思い至る。こんな風に思うなんて、なんて馬鹿げていると頭では分かっていても、心を哀しみが支配して仕舞う。

その話を、バイオリン仲間との集いで、ついしてしまう。彼の晴れ姿を見せながら。
すると、バイオリンの師マリが、「私はそうは思わないわよ。」と。これは息子バッタが父親に見せたい姿なのだ、と。隙のない、堂々とした態度。自信に満ち溢れている様子。父親への愛情や甘えは一切ない姿じゃないか、と。

一瞬、殴られたような思いがする。

そこまで彼の思いを受け止めていなかった。
いや、深読み過ぎではないか?

写真の彼はやわらかな夕方の太陽を浴び、何とも幸せそうに笑っている。
なんだか、それでいい気がしてくる。こんな機会を息子バッタに与えてくれた父親に、素直にありがとうとの思いがわきおこる。

マリには敵わない。
マリ、ありがとう。






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2016年5月28日土曜日

余りに長い間







「余りに長い間」

思いもよらない時間に、メールが舞い込む。忙しい時間帯であっただけに、タイトルを目にして機械的にメールを開き、あっと息をのむ。

ほんの5行ほどの短い文章。

余りに長い間連絡もせずに、ごめん。
弁解のしようもない。
ちょっとした「passage à vide」。
元気にしているといいけど。
たくさんのビズ


「passage à vide」。
空白の通路?
パリに来て、私に声を掛けずに通り過ぎたけど、つまらなかったよ、ということなのか。

でも、連絡をしていないことを謝るなんてセンスない。それって、ちっとも嬉しくない。
返事なんかするもんか。

そう思う反面、「passage à vide」という表現に気になっていた。
電車の中でググってみると、やはり慣用句のよう。
むむむ?ちょっとした落ち込み?鬱?スランプ?

そうだったのか。
そうなると、読み方は随分変わってくる。

こんなに長い間連絡もしなくて、悪かったよ。
弁解のしようもない。
ちょっと落ち込んでいたんだ。
君は元気にしているといいけど。
たくさんのビズ

元気づけるメールでも送ってあげたくなる。
しかし、昨年も春先に落ち込んでいたんじゃなかったか。それで、思い切って外に出て行ったのではなかったか。

山のあなたの空遠く
幸住むと人のいふ。
ああ、われひとと とめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く
幸住むと人のいふ。

カールブッセ

まさか、そういうことなのか?
青い鳥症候群の一人だったのか?
いや、そうではあるまい。

私がたとえ心から抱きしめても、落ち込みからは脱出できないものなのだろう。
きっとそんなものは必要としていないのだろう。

溌剌と活躍している姿しか目にしていないだけに戸惑うも、優しさ、ではなく、ちょっと違った角度からメッセージをしたためる。

にんまりと笑ってもらえれば、本望。


ぱっと、ピーが緑の風に中に飛び去る。







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2016年5月21日土曜日

長女バッタの挑戦







仕事中に北京にいる長女バッタからWeChatでメッセージが入る。

そういえば、この秋から行く大学の学生寮のリンクがメールに入っていたことを思い出す。やはり最初は親に確認して欲しいらしい。父親と母親宛に、この学生寮に入りたいのだけど、どう思うか、とメールにはあった。WeChatのメッセージには、今日が申込の締切なので急いで決めたいと書いてある。

慌ててリンクに行ってみるが、ログインをする必要があることに気が付く。その旨WeChatで伝えると、すぐにログインとアクセスコードを教えてくれる。と、WeChatで電話が入る。

久しぶりの長女バッタの声。ソフトで優しい。が、なんだか要領を得ない。どうやら日本語を使っていないので、単語が出てこないらしい。自分が持っている銀行口座のカードで申し込みをしたが、そのカードは父親の携帯と連携しており、銀行からの確認は父親の携帯に届いている筈とのこと。しかし、何度父親に連絡をしても返事をもらえないと言う。

パパなんかを当てにするからよ。との言葉を飲み込む。確かカンヌ映画祭に行っている筈。丁度お昼の時間。タキシードでも着て、えっへっへ、おっほっほとリップサービスの交換をしているに違いない。

ママが電話を入れようか、と言うと、今度は泣きそうな声でカード決済が完了していなかったので、もうキャンセル扱いになってしまっているらしいと言う。PCを前に焦っている様子が伝わる。電話を入れればと言えば、国際電話はできない設定の携帯契約とのこと。

彼女の学生生活にとり一番重要な生活環境を確保できない状況になりつつあることを知り、大学の連絡先を聞き、電話を入れてみる。

なんと既に本日の受付は終了とのボイスメッセージ。即、WeChatで電話し、その旨伝え、他の電話番号でもなんでも、関連メールに書いてないか聞いてみる。焦りが最大に達しつつある中、サイトで電話番号を探そうと、あちこちクリックしているうちに、新たに予約可能になったらしい。

「ママ、大丈夫だ。まだ出来る。」との声。

当然のように、クレジットカード番号を伝えようとすると、一瞬躊躇の空気が伝わる。

そうか。彼女は、自分の口座から支払おうと考えていたのか。

もう手から離れてしまったのに、改めて遠くに行ってしまった思いが胸を突く。

「ママ、ごめんね。ありがとう。」

そんな声が聞こえる。それから、WeChatで口座番号を伝えては拙いよ、と。

結局はリンクをメールで送ってもらい、こちらから支払い手続きをする。2ヶ月半分の敷金。

支払い完了の確認メールとともに、長女バッタからは「ありがとう!太感谢」とメッセージ。「ママが仕事ですごく忙しい時に、本当にこんなことお願いしゃちゃってごめんね。」とのボイスメッセージも。

これからの生活環境のことだもの。一番重要なこと。

危機を乗り越えたことが分かると、安堵と充足感に満たされるが、じわじわと不満が募ってくる。父親とどういう話し合いがあったのか知らないが、どうも詰めが甘い。だいたい、最後のぎりぎりまで申し込みを待っているなんて馬鹿じゃないか。

一人で中国という異文化圏で一年間やってきたことによる自信と、大人の自覚がついたのだろう。なんでも一人でできるとの思いが感じられる。確かに、ちゃんと一人で数ある物件から学生寮を見つけ出している。ただ、最後の詰めが、もう一つ。

ここで救いの手を差し伸べなかったのなら、全く別の物件となり、大学から遠い、値段が高い、学生仲間がいない、などコンディションも今より悪かったかもしれない。しかし、もしかしたら、その方が彼女にとっては学びがあったのではないか。そんな思いが過る。

一方、SOSコールには出来るだけ応じるのが親の務めではないか、とも思う。

人生は長い。荒波はこれから。

そう。これから先、どんなことが待ち受けていようとも、いつだってママは応援している。






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2016年5月18日水曜日

価値観の底





末娘バッタがソワレに呼ばれているというので、ドレスを買いに出掛ける。
ドレスを選ぶ時、驚くほど長女バッタと反応が一緒。

試す前から、既に好みがはっきりしている。嫌なものは嫌。
プレーンで、ショートで、エレガント。
そして、妥協を決してしない。

何軒もめぐり、試し、もうほとほと嫌になってきてくるが、本人は真剣。

漸く、本当に漸く、もうぎりぎりの時間で、彼女にぴったりのドレスが見つかる。
値段はそう張るものではなかったが、どうもベルトをするといいらしく、このベルトが何とドレス並みの値段。

まあ、いいか。これ以上他を探すなんて根気も時間もネルギーも、なかった。


それでも夕方には靴を探しに出掛ける。
今度こそは黒のプレーン。ちょっとしたヒール。
それだけだから、すぐに見つかると思ったが、甘かった。

彼女があーでもない、こーでもないと試している間、ひょいと覗くと、ちょっと好みのハイヒールが目に留まる。そうそう。こんな感じの欲しかったのよね。そう思って手にすると、「ママ、お願いだから、それはやめて。まさか、買わないよね。」と声が掛かる。

あまり考えずに、すぐに買ってしまう母親の性格を知っているからだろう。かなり真剣に「ママ。これは、すっごく歳をとって見えるよ。やめて。」と言われてしまう。

ぎょっとする。末娘バッタが一緒ではなかったら、恐らく買ってしまったであろう一足。このヒールのどこがいけないのか。スマートで先がつんとしている。ピンヒールでないところが、履き心地の良さを保証してくれている。

彼女にしてみたら、先ずは先が長くとがっていることが旧式というのである。そして、ヒールが太いところがダサい。

なんだか、自分の価値観の底を娘にこつんとトンカチで叩かれ、すっこんと底が飛び出てしまったような錯覚を覚える。

そうか。古い人間なのか。

だから最近、好きなスタイルの靴がなくて買っていないのか。なんだかしみじみと思ってしまう。

今度は一人で靴を買いにこよう。
出来たら、別のお店で。そして、ゆっくりと自分の好きな靴を見つけよう。

なんだか、いつもと同じ靴を買ってしまいそうだけど。








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2016年5月14日土曜日

ハミング






バッタ達がバイオリンで弾いている曲をハミングでもしようものなら、即座に「ママ、やめて」と言われてしまう。

息子バッタだけかと思ったが、最近は末娘バッタも然り。

どうやら、彼らの頭の中で流れる曲と私のイメージしている曲のリズムやニュアンスが違うらしい。端的に言ってしまえば、私がイメージしている曲を再現した結果のハミングの音、リズムが合っていないということ。

幼い頃は一緒に何度も歌ったのに!
それだけ彼らも真剣なのだろう。

バイオリンの練習を終えて、真っ暗になった森を車で走っていると、前方に動物の姿を発見。スピードを落としてみると、なんと鴨のカップル。

酔狂な!月明かりも未だ周囲を照らす程でもない晩、鮮やかな緑色の首を持つ雄と褐色の雌が仲良く散歩。

ぐわぁ、ぐわぁっぐわっぐわっ。

ちっともどこ吹く風で悠然と散歩を続ける二人。
面白がる母親をにやにやと見ている息子バッタに末娘バッタ。

こういう動物の鳴き真似なら得意なのにな。
まあ、いいか。彼らがすっかりマスターしたら、好きなだけバッハの協奏曲をハミングしよう。

デート中の鴨のカップルをゆっくりと過ぎ、のんびりと走り去る。






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2016年5月11日水曜日

新緑の香り







「ママ、明日はブルベの試験の日なんだよ。すっごいストレスなんだから、もうそうやって怒るのやめてあげてよ。」

帰宅するなり、くどくどと末娘バッタに対して、土曜のサッカーの試合の出欠確認の連絡をしていないことを怒っていた私に、息子バッタが一喝する。

ブルベの試験?

末娘バッタは真っ赤な顔で嗚咽しながら、「ごめんなさい。ちゃんと連絡を入れるから」と謝っている。

彼女の中学卒業検定試験であるブルベが明日であることなど、ちっとも頭になかった。
カレンダーには何の印もついていない。

そうか。それなのに、いつも通りに9時過ぎの帰宅。末娘バッタが夕食を作ってくれていた。鶏の胸肉は火が強かったのか焦げていて、トマトときゅうりのサラダは味噌の塊が残っているし、梨は皮付きのまま角切り。それに対して、一つ一つ厳しいコメントをしていた。

母親失格、か。

怒っていたエネルギーのやり場に困って、それじゃあ、ママが皆悪いみたいね、と言うと、息子バッタは、そんなんじゃないよ、兎に角そうやって怒り続けるのはやめてよ、何にもならないじゃない、と。

ふっと怒りの気が消える。

母親として初めて息子に一喝されたか。
いや、確かに、ご尤も。

皮付き梨を口にすると、やっぱり皮が邪魔。それでも、実はとろけるように甘い。
「美味しい梨じゃない。」そう言うと、末娘バッタが微笑む。
「やっぱり皮が邪魔だけど、ね。」 末娘バッタの笑顔は大きくなる。

ありがとう、息子殿。

開け放たれた窓から新緑の香り。






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2016年5月8日日曜日

ピーの使い







むせる程の甘い芳しい香りが一気に庭中に放たれている。
いつの間にかそんな季節になってしまったのか。

手が届かない程大きくなった枝を見上げる。
昨年は枝を伐採しなかったので、花のつきが悪いと半ば諦めていたのに、このところの夏日の様な日差しに蕾が芽吹いたのか、あちこちで純白のとんがりコーンの塊が揺れている。

白と赤紫と薄紫の花束を抱えて、遊びに行った日のことを思い出す。
部屋中が甘い香りに包まれて、言葉にしていない思いまでもが伝わりそうな空間を楽しんだことが、今更のように思い起こされる。

今年は、香りを届けようにも、叶わない。

その時、松の枝から、ぱっとピーが舞い降りる。黒と白のトレードマークの姿に、すっと青い羽根が太陽に輝き、なんだか気品さえ感じられる。

挨拶に来てくれたのかしら。
ピーの使いじゃあ、ちょっとロマンチックさに欠けるか。

爽やかな五月の風が枝を揺らす。





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2016年5月6日金曜日

13歳の瞳








相変わらず遅く帰途につく。
台所で洗い物をしていた末娘バッタの顔を覗くと、目の周りがうっすらとピンクに染め上がっている。この間も、友人とショッピングに行った時、スーパーの化粧品コーナーで試したとかで、それでなくとも漆黒で長い睫毛がくるりんとカーブしていたことを思い出す。マスカラの次はアイシャドーか。

「お化粧したの?」

「違うよぉ。」
「目の周りがピンクじゃない。」
「目の周りを手でくりくりしたからだよ、きっと。」

ふうん。納得しないながらも、彼女がよそってくれた熱々のご飯を口にする。
「で、どうだったの学校は?楽しかった?」
「ça vaだけど、楽しかったとは言えないよ。言っていたじゃない。第二次世界大戦の時、迫害を受け、強制収容所を経験したユダヤ人の人の講演があるって。」

そうして、彼女は堰を切ったように語り始める。

もう70歳になるだろう女性が7歳の時に母親と一緒に南フランスに逃亡する電車の中で取り調べを受けたこと。「ユダヤ人と言えばすべてが許されるよ。さあ、言ってごらん」といった、多くの甘言、誘いの言葉、悪魔の囁きを取調室で色んな人から言われたこと。それでも絶対にユダヤ人と言ってはいけないとの母親の言いつけを守ったこと。ところが、本当のことを言わなければ、母娘離散だ、と脅され、母親が泣きながら真実を告げたこと。そうして収容されたこと。

父親が捕虜であったことから、強制収容所でも若干の特別扱いを受けたこと。死体はどこにでも転がっていて、食事のスープの大鍋を皆で運ぶには、誰もが力なく、鍋をひっくり返してしまい、何の食事もありつけない日がしょっちゅうあったこと。母親が腸チフスにかかったこと。170cmの長身な母親の体重が30数キロになってしまったこと。戦後、父親が戻ってきて、一緒にロシアの病院で母親を診てもらった際、「坊や、これで安心だよ。」と医者から声を掛けられ、父親が「坊や、ではなく、私の妻です。」と答えたこと。戦後、歯ブラシ、スプーンの使い方さえ忘れてしまって戸惑ったこと。学校で親戚が亡くなり泣いていた友人をみて、「なぜ泣くの?」と思ってしまったこと。死に対し鈍感になってしまったこと。
など、など。

末娘バッタの隣にいたドイツ人の友人は、講演の間ずっと泣いていたと言う。そういう末娘バッタも、時々言葉に詰まりながら、目を潤ませて話をしている。

誰かが、ドイツを許せましたか、と質問をしたらしい。
「ありがとう。質問がなくても、これは皆さんに話そうと思っていました。」そう言って、彼女は、「ドイツは今でも許せません。」とはっきりと告げ、ドイツ人の友人もいるし、ここにいるドイツ人の皆さんの事を個人的にどう思っているか、ということではない、と前置きしながらも、ドイツの戦争犯罪を裁く裁判に関する資料全てに目を通したが、誰一人として自分の非を認め、謝罪の言葉を告げるものはいなかった、この事実は許せない、と語ったという。

国、政党、思想団体、など、組織による行いは、それを支える個人にとり、自分の責任といった概念は欠如してしまうのであろう。会計不正問題にしろ、燃費データ不正問題にしろ、責任逃れではないが、社のため、としての大義名分の下で堂々となされたのであろう。

しかし、ドイツという国は、こうしてナチスドイツ時代のユダヤ人迫害問題を国の立場ではしっかりと受け止めていることに、ここでは注目したい。フランスの公立の中学で、14ヶ国以上の国籍を持つ子供たちが犇き合う中で、こうしてナチスドイツによるユダヤ人迫害の問題をテーマに講演会を開催することができている事実。

日本に置き換えたらどうだろうか。果たして、日本の公立中学で、中学生相手に、旧日本軍による攻略、占領を身近に体験した人による講演会など、開催し得ようか。ナチスドイツによるホロコーストは一般的な攻略の戦争とは種類が違う、といえばそうかもしれない。

日本の某平和財団による作文コンテスト実施のお知らせが入る。「平和の文化と持続可能な地球社会」を築くことを目的とし、今年は「より良い未来をつくるための教育」がテーマとか。

末娘バッタに、世界平和をもたらすための教育について作文を書いたらどうかと水を向けると、
「世界すべてが平和になるわけがないじゃない。」
と、非常に現実的な答えが返ってきてしまう。

13歳。
多感な時期。
彼女の瞳に未来はどう映っているのか。





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2016年5月5日木曜日

鈴蘭の蕾






4月は波乱万丈な月。何が起こっても人のせいにせず、荒波を乗りこなさねばらない機会がやってくるらしいよ。

占い好きな同じ誕生日の双子の妹から言われた時には、やれやれ、また言っているよ、程度に考えていた。そもそも、誕生日占いなんて、どうして信じられるのだろう。

だって、私たち二人は同じ誕生日なのだから。これまでの人生、決して同じ時期に困難に苛まれたり、幸せな出会いに巡り合ったわけじゃないことぐらい、経験値で知っている筈。

それでも、確かに二人は外国暮らし。子供は三人。上から女、男、女。
しかし、だからどうだと言うのか。
彼女の人生は彼女のものであり、決して私の人生と同じであるわけがない。

普段は突っぱねるところ、今回は何となく引っかかってしまった。
「波乱万丈」
このところ、ずっとそうだったのかもしれない。荒波ばかりの人生じゃないか。

その心の緩みからか、先ず肩がダメになる。
左腕が上がらない。何もしないのに痛くて辛い。夜は眠れない。
ちょっとした動作で腕に激痛が走る。

医者は欠勤のための診断書を書いてくれようとした時、「バイオリニストじゃないので。」なんて馬鹿なことを口走ってしまう。

左腕を肩で吊って固定した恰好で通勤。片手での作業、レポートやメール作成は辛い。片手で電話を受け、メモが取れない。

仕事がはかどるはずがない。空回りが続く。
最悪のパターン。

やれやれ。
ふとカレンダーに目をやると、もう5月じゃないか。
毎月誕生日占いを送ってくれる彼女は、今月はひっそりとしている。
おかしい。
5月は流れが変わる筈じゃあないのか。
下りが延々と続く坂はない筈。

鈴蘭の蕾は未だ固く、焦らなくてもいいよとつぶやいている。

のんびりといこうか。




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