2013年11月29日金曜日

星屑のイルミネーション



ふいにドアが開いて、夕方を伴って助手席に滑り込んでくる。
簡単な挨拶が思わず長引く。

「混んでいるから。。。」
ラッシュアワーのことを指しているのか、通りの人混みのことを指しているのか。
車を発進させ、流れに乗る。

何週間ぶりだろう。あれも、これもと話題が飛び出て、遂に核心の懸念事項に達する。

思わず興奮し、立て板に水の如く早口の大声で自分の見解を主張し、今の状況の異様さを訴える。ところどころで、「うん、分かってるよ。ちょっと待って。」と止められ、別の視点からの解説を受ける。がんがんと話をしているうちに、落ち着きを取り戻し、解決法が見つかり始めたことに気が付く。

思い詰めていた怒りや興奮がすっかりと心から締め出され、代わりに充実と満足感で満たされる。

どこをどう走ったのかも分からず夢中だった瞳は、慌てて現在の場所を把握し、漸く助手席の横顔と運転に集中し、右手はシフトレバーから離れ、ぬくもりを求める。

街路灯には星屑のイルミネーション。







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2013年11月26日火曜日

迷い






送られてきたメールのタイトルを斜め読みして、ゴミ箱に入れる瞬間、手が止まる。
ぎょっとして、ゆっくりとタイトルをクリックすると、本文が画面いっぱいに浮かび上がる。
頭のどこかでサイレンが鳴っている。
メール送信者の女性も、コピーが入っている女性の名前も知らない。アシスタントか、イベント下請け企業なのだろうか。

メッセージは極簡単な一行。
125日までに参加の有無をご連絡ください。』

ボルドーカラーを基調としたフライヤー。
二人の招待者の名前が並んでいるが、共にご縁はない。産業界および学会のトップ。
堅強、制御、システムモデルリング、、、いかつい言葉が続く。
航空宇宙分野における堅強さ、制御、システムモデリング、といったところか。

仏企業がフランスの優秀な頭脳に投資をする産学連携講座の落成式。今回、資金を提供する某仏大企業のイノベーション部門の代表と、頭脳を提供する仏学界の、今回の講座を取り纏める代表者からスピーチが予定されている。

そうか。彼の晴れ舞台。いわば、就任式なのか。
招待を受けたことへの驚きと嬉しさで気持ちが高揚するが、一体、パーティーなのか、真面目な学界の研究発表の場なのか、どれぐらいの規模のものなのかとの疑問と不安が一遍に押し寄せてくる。

日時を確認したところで、愕然とする。そんな馬鹿な。もう二か月前から頼まれ、準備をしている勉強会の日と同じではないか。
申し訳ないが、招待は断るしかあるまい。おそらく、企業の規模や学界の水準を考えても、大規模なパーティーとなるに違いない。一方、勉強会の方はこじんまりとしており、とにかくも、手伝いとはいえ、幹事のような役割を担っている。しかし、なんと天は厳しいことをなさる。

本人からはこのことに関して特に何の連絡もなく、別件で出会った時に、招待を受けて喜んでいること、しかし、別の用事があって、参加はできそうにないことを伝える。

一瞬、間が空く。
「好きにするといいよ。」
冗談っぽく、しかし、はっきりと目を見つめられて告げられる。
いや、だから。本当は行きたいのだけれど、その日、たまたま、夕方に勉強会を予定していて、、、と必死に伝えるが、
「いいんだ、いいんだ。そう、好きにするといいよ。」
と言われてしまう。きっと、逆の立場だったら、同じような反応を示したろうな、と思う。

こればっかりは、仕方がない。
しかし、同じ日に何もバッティングしなくても良いのに。

それが数日前。
先程、先日と同じように、知らない女性の送信者から催促メールが届いてしまう。
彼は忙しくて、いちいち知り合いの出欠など、届け出ていないのであろう。いや、それより、やはりイベント下請け企業なのだろうか。かなりプロフェッショナル。アシスタントであれば、イベント慣れしていると言えよう。

こうなっては、丁重に断りのメールを書くしかあるまい。
日本語に決まり文句があるように、フランス語にも紋切り型の表現があり、オリジナルな文章などにしてしまったら、却って変で、評価は下がるもの。果たして、調べ出した幾つかの例文を照らし合わせても、似たり寄ったりで、ほぼ同一。それを眺めつつ、さて、いざメールを書こうとした時点で、躊躇してしまう。

彼の晴れ舞台。
大袈裟な言い方をすれば、結婚式に招待されたようなものではあるまいか。
この産学提携講座を調べてみると、彼の代表としてのポストの求人情報にヒットする。職種、役割、報酬、条件、などが詳細に記載されている。いよいよ感慨深くなる。

彼がどんな思いで招待者リストに私の名前を入れてくれたのか。気まぐれかもしれないが、こんな晴れがましい席に招待されたのだから、万障繰り合わせて馳せ参じるのが、当然ではあるまいか、と思えてきてしまう。

それよりも、何よりも、その場に駆けつけ、お祝いの言葉を掛けてあげたい。
気持ちはすっかり、大統領の就任式に招待されたかのように舞い上がってしまう。

就任式は17時半から。勉強会は19時から。受付の仕事は頭を下げて別の方にお願いをして、18時半に会場を出れば、勉強会にはぎりぎり間に合おうか。

イベントの掛け持ちなんて、言語道断、などと言ったことが何度もあったが、なんと、今はどうにかしてどちらにも出たいと思ってしまっている。
いや、本当は、勉強会を頭を下げて謝って、就任式に出たいと思い始めてしまっている。

さあ、どうしたものか。
見上げても、薄グレーの折り紙のような空は、時が止まってしまったかのようで、何も告げてはくれない。







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2013年11月23日土曜日

後悔しても一人



超後悔して、超落ち込んでいる。
これまでの、せっかく作った流れを変えていきたくない、って思ってしまったけど、なんか、空振りだった。

言い訳しか出てこない。

私がやるから、次が出てこない、とも言われてしまった。あなたのように完璧にはできないから、誰もでれるわけないじゃない、とも。
出なきゃ良かった。
分からなくなってくる。
持続性に問題があると指摘しておきながら、違うスタイルを導入しておきながら、さっといなくなってしまったら、と、思ってしまった。
いや、もう、どうでもいい。

もういいよ。お疲れ様って、頭をなでなでしてもらえたら、もう辞めていたんだろうし、
今回も、良く頑張ったね、って、頭をなでなでしてもらえたら、また、頑張れるんだけど。

超落ち込んでいるし、超後悔している。

臨時総会。新たにどなたかが立候補してくだされば、その機会に辞めよう。

本当は会長が辞めるって分かった時、すっごく裏切られた思いがした。夏まで、いや、9月まで、もう一期、皆でやろうとなっていたから。継続性のない委員会を批判しながら、結局元の木阿弥か、と思ったりもして。その時、私も続ける気持ちがなくなって、正直、もうどうでも良くなってしまった。でも、それから、それから、、、。これでいいのかなって思い始めて。。。

と、言ってもしょうがない。

良く考える時間がなかった、って、嘘。
時間なんかたっぷりあった。
いや、あったようで、なかったか。


今まで、教授の彼だからできた改革。彼がいなくなって、これから、どうなるんだろう。

妙に辛くなってきてしまった。
今までの仲間が、ぱっと違う世界に没入できている中、
私一人が過去を背負っている、この変な感覚。

ま、賽は振られたってことか。
もう何も考えられない。
寝るか。

そう、明日は違う日。
明日には勇気も出てこようか。






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2013年11月18日月曜日

旅立つ姪に






二日続けての会議。
その前準備もあって、頭は朦朧としてしまっている。
そこに、珍しく、いや、恐らく人生初めての兄からの依頼。
彼の一人娘が高校留学に行くにあたっての英文書類の見直し。

一目見て、困ってしまう。
文法的には間違っていないが、なんとも無味乾燥な文章。
自己紹介文なのだが、行間から彼女の個性が香り立ってこない。
他に幾つかの設問に答えているが、留学を目指す動機など、正直、これではダメだと思ってしまう。

幾つか気が付いたことを書き送り、志望動機を日本語で書くように言ってみる。

暫くして、我が家の長女バッタと同い年の高校一年になる本人からメールが届く。
こちらが思わず背筋を正すような、しっかりとした格調高い日本語。
安堵の思いが湧き上がると同時に、いかに言語が難しいかを再確認する。

彼女の英文は文法の誤りはないが、あれでは小学生レベル。自分が高校生の頃、果たしてどんな英文を書けたか、全く持って覚えていないが、日本の高校生の英語のレベルが推し量られるということか。しかし、どうも話を聞くと、高校の英語の教師に添削してもらったらしい。教師としては、文法の誤りを訂正するのみで、それ以上の指導はお願いされていないし、彼の仕事でもないとの判断なのか。

それにしても、兄は彼女の自己紹介文を読んだのだろうか。あれでは事実の羅列に過ぎない。訴えるメッセージが感じられない。そういったことを指導してあげることが彼女の成長につながるのではないだろうか。思い切って、彼女になって、文章を書き始めてみる。が、どうしても続かない。材料がないことには、作品は仕上がらない。つまり、彼女の自己紹介文には、その材料が見当たらないのである。

性格はどうなのか。明るい。積極的。怖いもの知らず。きっぷがいい。姉御肌。竹を割ったような性格。楽観的。くよくよ悩まない。チャレンジ精神旺盛。自立心が強い。リーダー格。友達に悩みを相談されるタイプ。

問題があれば、宮沢賢治よろしく、飛んで行って解決しようと努力するタイプなのか。
いや、これは超お節介な私か。
或いは意外にクールで、皆のいざこざに巻き込まれないタイプなのか。
実は、ちょっぴり寂しがりやなのか、或いは、一人の時間を楽しめるタイプなのか。
趣味はポップを聞く以外に、ブログを書くとか、写真とか、何かないのか。読書が好きなら、どんなジャンルが好きなのか。映画はどうか。最近、心に残った作品にどんなものがあるのか。

勉強が大変で、それどころじゃないといったところが、今の日本の高校生の現状かもしれない。ただ、絵を描く、料理をするなど、もうちょっと具体的なことが知りたい。

留学先の家族に教えてあげたいこと。自分の住んでいる町のこと。良く遊びに行く、自分の好きな場所。山、川、滝、湖。

田舎から飛び出してくるティーンだが、臺灣、フランス、フィリピン、オーストラリアなど、海外経験は豊富。従って海外に行くことは、自分にとって自然なことなのか、或いは、思い切って飛び出すことなのか。一年間、家族を離れるのであるから、ものすごい決断があった筈。そのパワーの源は何なのか。憧れ、だけでも十分なのだが、それなら、何に憧れているのか。

日本語でいいから、先ずは自分の心に問い掛けて、自分の言葉にして欲しい。
英文に直す手伝いなど、喜んで、出来る限りのことはしてあげるから。

一年先の留学となるらしいが、彼女の挑戦と学びは、もう始まっている。





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2013年11月15日金曜日

ある朝の母娘の会話




ママぁ。

どうしたのだろう。すごく浮かない顔。
いつも元気で溌剌な末娘バッタにしては珍しい。
そういえば昨日は頭痛がすると言っていたっけ。寒くなって来たのに薄着をするから風邪でも引いたのだろうか。昨夜は寒いからと、息子バッタが使わなくなった蒲団を一つ余分に掛けている。

ぺったりと張り付いてくる。

特に熱はなさそう。咳もしていない。
あ、まさか。
今年のノエルはバッタ達がパパと過ごすことになるから、一人で惨めな思いをしないようにと、臺灣の妹のところに遊びに行こうと思い始めていた。息子バッタには、二週間丸々行ってくるといいよ、と言われていた。パパのところにいない時は、皆で家にいればいいし、ママはママで遊んできてよ、と。それも悪くないな、と思っていた。が、末娘バッタに同じ話をすると、戸惑った表情が返ってきてはいた。パパのところに行きたくないのかな。もう少し、先に彼女と話しておくべきだったかな。

ママが一人で臺灣に行っちゃうからなの?

えっ?
ぺったりと張り付いていた身体が跳ね起きる。

ママ、違うよぉ。
なんの準備もできていないのに、学校に行くことに気が重いの。
ほら、ママも一週間アルトの練習をしていなかった時に、先生のところに行きたくないでしょう?分かるよね。

おっと。これって、母娘逆の会話ではないか。

末娘バッタは弱弱しい声で続ける。
今日はラテン語、英語のテストがあって、何も準備していないの。漢字のテストは読みじゃなくって、書きのテストなんだけど、これも練習していない。このところ、社会のテストの準備ばかりしちゃっていたから。

そうか。

あのね。一日何もしなかったからって、これまでの力がなくなっちゃうわけじゃないのよ。一日食べなくても、元気はなくなるけど、死なないでしょう。これまでの蓄えがあるからだよね。勉強も同じ。昨日、漢字の練習をしなくて、今日テストで良い点を採れなくても、大丈夫。これまでの積み重ねがあるから、その後で、ちゃんと頑張れば追いつけるよ。今までの基礎があるから、次に進めるのだもの。
バイオリンもそうだよ。見てごらんよ、チャルダッシュ。今度のノエルのコンサートの曲になったからって、練習して上手になってきているでしょう。夏には弾けていた○○君(息子バッタ)は、秋は別の曲を弾いていたので、今になって皆が上手になったからって慌てて朝、晩、時間があれば練習しているよね。追いつこう、上手に弾こうと必死なのよ。

結局、人間にとって敵は我が身なんだよね。嫌だな、まずいな、できないな、と思うのって、自分の心なんだよね。自分の声に負けちゃっているんだよね。

そういうと、ちょっと眩しそうにする。

このところ、ほぼ全ての教科でクラスでトップの成績。それを続けることが如何に大変かということを知ることも大切。努力なしでは、やはり、何もできないということを、思い出すことは必要。

さて、明日にレッスンを控えて、先ずは爪切ろうか。深爪となって、指の先が痛くなるけど、バッタ達に言わせると、そんなことには慣れちゃうらしい。指先を慣れさせなきゃ、いけないらしい。そして、久々に練習をしようか。

親の背を見て子は育つとは言うけれど、子供は全くもって、しっかりと観察している。練習をしていない時に、レッスンに行きたがらない親の気持ちをちゃんと見抜いていたなんて。
思わず背筋を伸ばす。庭では今年最後の蕾となろうか、黄色の薔薇が揺れている。





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2013年11月12日火曜日

銀河鉄道の夜空のように



「ママ、ラグビーの授業で水晶失くしちゃった」

パリからの電車の中でSMSが届く。相手は長女バッタ。学校にいる彼女から連絡を貰うことは珍しい。水晶のブレスレットは台湾に住む彼女の叔母からのクリスマスプレゼント。でも、失くしたって、どういうことだろう。更衣室で着替えている時なのか、落としたのか。

「ラグビー場でなの。。。」

なんだ。じゃあ、探せばいいんだ。良かった。

その返事に、何か勘違いしたらしく、
「おおっ!ありがとう。学校の裏手にある、二つのサッカー場の隣にある広場で、水飲み場の近く。」
えっ。ママはパリだよ。

そうか。失くしたと分かっていても、他の授業があって、探しにも行けないのか。でも、子供の失くしものを親が探す絵図はいかにも滑稽で、到底受け入れられるものではない。が、物がものであった。台湾の妹が心を込めて、腕の周囲を計り、玉を特注していることを知っている。長女バッタの幸せを祈ってのものであった。

慌てて帰宅すると、夕闇が迫る前の時間帯にぎりぎり間に合う。

息子バッタに声を掛ける。案の定、「なんで僕がぁ?嫌だよ、ラグビー場なんて。ぐちょぐちょだよ。しかも、水晶が見つかるわけないじゃん」と言われてしまう。

まあ、仕方がない。取り敢えず、暗くなる前に場所だけでも正確に教えてもらわねば。そう思ってトレーナーに着替え、運動靴を急いで履いていると、「待ってよ。ママ、雨が降っているよ。」と慌てた様子で息子バッタがウインドブレーカーを手にし、運動靴に足を突っ込む。

車で行こうとの息子バッタの声を聞かずに、ずんずん歩いて行く。雨は小降り。以前、息子バッタが未だ小学生の頃に、彼の誕生日をした広場なのだろうと見当はついていた。我が家から近い筈の広場は、たどり着くと既に夕闇の中にある。ぼそぼそとついてくる息子バッタに、場所の確認をする。とにかく、真っ暗になる前に、大まかにでも広場を舐めつくしたかった。声を掛ける必要なく、悟ったのか、息子バッタが左の端から歩き始める。それなら、と右端から取り掛かる。

息子バッタが、ラグビー場なんかに行きたくないと言ったわけが、すぐに分かる。ここは只の雑草の広場。水捌けが悪く、ところどころに水たまりがあり、ねちょねちょしている。靴はすぐに水浸しとなり、靴下の中までぐっちょり感でいっぱいに。

小降りの雨は止んでいたが、草は十分に水気を含んでいる。すっかり暗くなったからと、携帯電話の電灯機能を付けると、辺り一面がきらきらと輝く。えっ、水晶。あちこちで草の葉にちりばめられた雨の滴が、電灯の光を受けて煌めいている。思わず立ちすくんでしまう。

小一時間も掛けて、それこそ、舐めるように雨に濡れそぼった草原を探すが、肝心の水晶は見つからなかった。ぐちょぐちょの靴を引き摺って、寒さに鼻を啜りながら、息子バッタが近づいてくる。

台湾の叔母からの贈り物だから、一緒に探してくれたのか。ママと一緒だから、探してくれたのか。長女バッタの大切なものだから、探してくれたのか。

そのすべてがあてはまるのだろうか。

銀河鉄道の夜空のように、たくさんの小さな水晶の玉がきらきら瞬く草原を後にする。



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2013年11月10日日曜日

あの日から12年



お友達をたくさん呼んでパーティをしたいと言っていた末娘バッタ。
末っ子の割に物分かりが良く、
強引なお願いができないタイプ。

だから、彼女のお願いは、お願いというより、遠慮がちで、
だったらいいけど、駄目だよね、といった風に終わってしまい、
こちらも、本気で受けていたら大変だと、
流してしまっている。

ちゃんと目を見て言ってあげればよかった。
ごめんね、ママは今、お友達を迎える心持ちになれない、と。

そのうちに、胸を張って生きていくスタイルに戻ったら、
いつだって呼んでいいよ、って。

その日は土曜だったので、
ランチに大好物の鰻の蒲焼にする。
久々の香ばしいタレの香りがキッチンを満たす。
ふっくらの炊き立てご飯にのせて、
いただきます。

夕食は、リクエストでチーズフォンデュ。
適当に美味しそうなチーズを選び、
抜群に美味しいと思っている白ワインを、ついつい数本購入してしまう。

デザートはサプライズにして欲しいとのこと。
ガンガンに冷房が効いているスーパーで、
外も例年並みの寒さ。
ゼリーやムース、アイスクリームは凍えてしまうよ、と長女バッタ。

そこで、本当に久しぶりにパイ生地を作り、
白焼きしたところに、バナナを二本、薄切りにしたものを敷き詰め、
小麦粉を使わない、卵とバター、チョコレートの生地をとっぷりとかける。
アーモンドのスライスを飾りに散らし、オーブンで25分。

いつもと違ったチョコレートケーキに、末娘バッタのまん丸い目は一層大きくなる。

アルコールを飛ばすとはいえ、これだけのワインと、ミラベル酒を入れて、
一体子供たちに悪影響はないものか、と心配してしまう。

友達に呼ばれて出かけて行った長女バッタから、
実はディナのお呼ばれで、帰りは遅くなる、末娘バッタには悪いことをした、
ごめんね、
とSMSが入る。

それを告げると、一瞬、末娘バッタの体が固まる。
でも、すぐに、
あら、それなら、チーズフォンデュがたっぷり食べられるよね、と返事が返ってくる。

私が思っている以上に、彼女にとって、誕生日とは意味合いが深いのかもしれない。

熱々のチーズフォンデュは最高に美味しく、
皆、頬を真っ赤にして、おしゃべりも楽しく、あっという間にパンがなくなっていく。

お腹が一杯になったから、先ずはビデオを観て、その後でケーキにしよう、となる。

リオが舞台のビデオを観ながら、こちらは、うとうととしてしまうが、気が付くと、もう長女バッタを迎えに行く時間。そして、他の子達は、ベッドに行く時間。

それでも、長女バッタの帰りを待っていると言う。
皆でケーキを食べようと言う。

そうか。

友人一人を送っているからか、そう遠回りした訳でもないのに、どんなにすっ飛ばしても、帰ってきた時刻は、もう翌日に差し掛かるころ。

二人はちゃんと待っていて、驚いたことに、息子バッタは宿題なんかしていた。
そうして、皆でチョコケーキをいただく。

こうして書きながら、それでも、歌も歌わなかったし、ロウソクも立てなかったことに思い至る。写真も撮っていない。
フォンデュでお腹は満ち足りており、一旦うとうとしてしまった身体はベッドを求めていた。

ああ、末娘バッタよ。
お誕生日おめでとう。
もう一度、これから、しっかりと抱きしめてあげよう。
そう、彼女がこの世に登場した、あの日のことを詳しく教えてあげよう。
どんなにママが嬉しかったか、伝えてあげよう。






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2013年11月7日木曜日

雨の訪れ



なめらかな小川のせせらぎの音が、
ひそやかに暗闇に忍び寄る。

びゅんびゅんと勢いついた風が昼間から唸っており
季節にしては未だたっぷりと枝に緑の葉を残していた木々も
すっかりと細くなり、
今宵は、いつもの葉を叩く音ではなく、
枝を濡らす音となって、耳に届くのであろう。

アスファルトが街路灯のオレンジの光に
きらめいている様が
暖かな毛布にくるまっているベッドから
見えるよう。

なんだか今夜の雨は
あまりに密やかで、
甘く透明な香りを含んでいる。

ちょうど、
ふてくされた私の頬に、
そっと置かれた手のように。





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2013年11月5日火曜日

タジン鍋による鯛の蕪蒸し



野菜スープが大好きな彼女には、新鮮な人参のポタージュにしようかと思っていた。
が、どうやら、お祝いはお祝いで、ちょっとした晩餐らしい食事が欲しいという。

じゃ、思い切って鯛のタジン鍋にしよう。
ところが、どのレシピを見ても、タジン鍋を使うとなると、ハーブたっぷりのソースで魚の切り身を漬け込んだものをオリーブオイルで炒めるか、たっぷりのハーブ入りライスやクスクスを詰め物にした料理しか出てこない。

塩焼きが鯛を美味しく食するには最高かとも思ったが、目出度いといった正月につきものの鯛料理としての感覚に乏しい彼女にとって、ありがた味は希薄となろうか。見た目にゴージャスで、料理としても美味しいものがいい。

そこで、鯛の蒸し煮感覚で、先ずはジャガイモ、長ネギをスライスしてタジン鍋の底に並べ、そこに大き目な蕪を二つばかり擂って、たっぷりとした水気とともに押さえ込むように載せ、その上に鯛を置く。加熱された野菜からスープがたっぷりと出て、それが蒸気となって、鯛の身を蒸し、逆に鯛の旨みがしっかりと野菜に流れ落ちるだろうと狙う。鯛はもちろん、尾頭付き。しっかりと塩を振り、取り除いた内臓の場所に、エシャロットをざっくりと切って入れ込んだもの。

魔法の鍋のようなタジン鍋の蓋をし、弱火で加熱すること20分。
ぐつぐつと愉快な音が聞こえだし、これは成功したな、との感触を得る。

目を期待で大きく真ん丸にして見つめるバッタ達の座るテーブルに、熱々のタジン鍋を慎重に置く。そして、魔法使いよろしく、さっとエレガントに先の尖った三角の蓋を取る。

真っ白な湯気の中で、ぐつぐつぐつと愉快な音が続き、立派な尾頭付き鯛がでんっと鎮座している。おおっ!!!

蕪がいい塩梅にとろけるように仕上がり、しかも鯛の旨みを吸収して、うまいのなんの。

どうやら、休憩時間を利用したクラスのおやつ会では、当番の子がプルーン入りファーを作ってきてくれたとか。それって、ブルターニュの名物。長女バッタのルーツがブルターニュにあるって分かっての特別の配慮かしら。

仲良しのお友達が、彼女の大好物のチョコレートでケーキを焼いてきてくれたとか。

成長すると、親の出る幕がどんどんなくなる。

我が家のデザートは我が家のクエッチのクラフティ。アーモンドプードルだと思っていた袋がココナッツ。きっと美味しいよ、と、ソムルも少し混ぜて、生地を作ったもの。ここに、今日は特別にバニラアイスクリームを添えて。

今日は息子バッタが一本のロウソクに火を点ける。

昨日と同じように、今度は息子バッタが長女バッタの写真を撮り、末娘バッタが大声で歌う。

お誕生日おめでとう。





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2013年11月4日月曜日

ロウソクの火の下で






「ママからお願いされたもの、みんな買ってきたよ。」

この夏、あれ程パパと喧嘩をしたのに、
どうしたことか、バカンス最後の週末をパパ達一家と小旅行に行くといって驚かせた息子バッタ。

夫婦喧嘩は犬も喰わぬとは言うけど、親子喧嘩もそうなのかしら。
息子バッタは、週末だけなら我慢して良い子になれると言う。
父親も満更でもないらしく、にやにやしている。

親子、仲が良いことに異存はない。
一方、娘たちは学校が始まる前の週末だからと、
口実なのか、本音なのか、我が家に残って旅行には参加しなかった。

夕方アムステルダムからパリに到着する電車を駅まで迎えに行こうか。
そう思わなくはなかったが、
バカンスの最終日曜日は渋滞すると相場が決まっている。
しかも、一人でRERに乗って帰ってこれる年齢に達している。

彼の誕生日だから迎えに行ってあげたいとの親としての思いと、
14歳になるのだから、一人で帰れるだろうとの、これまた親としての思いとで
気持ちは落ち着かない。

が、随分前に、誕生日には粗塩と小麦粉を練り合わせた生地で鶏を丸ごと包み、長時間に渡って蒸し焼きにしたものをリクエストされていたことを思い出す。
確か、焼き上げるのに4時間は掛かる。生地を手でこねる時間も合せると、お迎えに行っている暇はない、と、意外にもあっけなく自分の中で割り切れてしまった。

粗塩1キロ、小麦粉1キロ。
手当たり次第のハーブを混ぜて、ボールで捏ね回す。
案の定、通常サイズのボールでは混ぜる前に粉が溢れてしまう。
この料理を作った一昨年の夏には、どのボールを使ったのか。
記憶なんてあるはずがない。あの時は二羽分作ったというのに。

思い切ってシンクに入れて練り始める。
想像以上のハードワーク。

エシャロット3本をざく切りにし、
生姜を5cmほど千切り。
ザラメと醤油、隠し味にミラベル酒を混ぜ、
鶏のお腹にある空洞に流し入れる。
すかさず、首筋の皮を引っ張って紐でしっかりと結わき、
お尻も楊枝で留めてから、紐を巻く。

皮には、事前にたっぷりの醤油とオリーブオイルを擦り込んでおく。

アルミで何重にも丁寧に包み、
ジュースがこぼれ出ないように工夫する。

今度はその小包さながらのアルミで包まれた鶏を、
先程の生地でくるりと包む。
小麦粉粘土の要領なのだが、
どうもすっきりとした出来栄えではなく、
どでん、とした塊が出来上がる。

先ずは250度の熱いオーブンで1時間。
暫くするとハーブの香りがキッチンを包む。
今度は160度に温度を下げて3時間。

あらあらと時間は過ぎ、
息子バッタを最寄りの駅まで迎えに行く時間となる。

パリ到着時刻から凡その概算で弾き出した時間。
しかし、一体、彼らはちゃんと定刻通りにパリに着いたのか。
それぐらいの連絡があっても然るべきはあるまいか。
が、まあ、いいか。
息子バッタは携帯を持っていないし、それこそ、何か問題があれば、父親が連絡をしてこよう。

予想していた時間を15分回ったところで、
駅から地上に上がるエスカレーターから一気に弾き出された集団の中に、
息子バッタの姿を認める。

こちらに気が付いたのか、どうか。
すっかり暗くなった寒空に、にこりともしない表情でこちらに向かってくる。
ティーンエイジ。
そんな年頃なのか。
小さく溜息が漏れる。

突然、助手席に転がり込んでくる。
「お帰り。」
言い終わるよりも早く、首脇に鼻が押し付けられる。
「寒かったよ、アムスは。」

車を飛ばして我が家の前に着くと、
外灯が煌々と玄関を照らし出している。
扉からは二人のバッタ達の顔が覗いている。

お風呂にする?
ご飯にする?
蒸し鶏は丁度良い頃合いに出来上がっている。

「待って。それよりも先にスーツケースだよ。」
そう言って、大きな袋を取り出す。

長女バッタがリクエストしたビスケットの名前が実は違っていたから、
なかなか見つからなかったと、入手の困難さを手柄話のように始める。

「ママの大好きなスペキュロス。」
大きな分厚い板のようなビスケットが二枚、手渡される。
そして、大き目なシロップ入りストロープワッフルがぎっしりと重なった小袋、
シナモン味の小粒なペパーノートンが一杯詰まった袋。

ふふん。
彼なりに気を遣っているのか。
一人抜け駆けして遊びに行ったことで、ちょっと引け目を感じているのかな。

夕食の席では、麻薬と売春が合法化されている国として、赤線地区はどうだったのか、と長女バッタが息子バッタに質問している。
パパのところのチビ君も一緒だったから、怪しげな場所には行かなかったと言いながらも、当地はドラッグの匂いが酷かった、と。

麻薬の匂い?
知らないのに、何故分かる?

末娘バッタは目を白黒させながら、マリファナや娼婦に関する兄、姉の話を聞いている。

驚くことに、叩いて小麦粉の固い殻を壊すことは大いに時間が掛かったが、
中から現れた身は、骨から崩れる取れる程の柔らかさで、
それこそ、とろける程の美味さ。
気が付いたら、4人で一羽を平らげてしまっていた。

デザートはどうしようか。
5つのメニューの中から、好きなものを選んでもらい、
その品がなかったら、そこでアウトとしよう。

そんなつまらない提案は無効、と長女バッタは騒ぐが、意外に自信はあった。

先ずは、ガトーオショコラ。
そしてマロンムース。「モンブランでしょ」と、横やりが入る。
パンナコッタ。
マンゴムース。
最後に、バナナスプリット。

「バナナスプリット!」
息子バッタが大声を上げる。
ビンゴ。

そりゃあ、チョコレートが焼き上がる香りはしないし、
マロンムースを作るにも、我が家の庭には栗の木はない。
マンゴは、嫌いじゃないけど、大好きな果物ではないと、つい先日息子バッタから打ち明けられていた。
ここで、パンナコッタのリクエストとなる心配が出るが、テーブルには美味しそうなバナナが飾られている。これを見たら、誰もがバナナスプリットをリクエストしよう。

バニラアイスをたっぷりとグラスに盛りつけ、
薄い櫛切りの真っ赤な林檎のガラと、
黄緑のキーウィ―の薄切りを飾る。
バナナを形よく盛って、
ホイップしたクリームを飾る。
溶かそうと思っていたチョコを、ままよ、と削ってトッピング。

長女バッタが一本のロウソクに火を点けて、
皆で大合唱。

お誕生日おめでとう。





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とあるpiazzaでの昼下がり






「カルロスが皆と食事をしたいというので、一緒に行きましょうよ。」

フランスからの取りまとめ役を買って出てくれる、英仏語はもちろん、イタリア語が堪能なスペイン人のべリンダが、自慢の金髪のロングヘアを揺らしながら声を掛ける。

カルロスとは、イタリアの演奏チームの長であり、バイオリンの師であり、今回のコンサートの総指揮者。ミケランジェロの手によるローマの皇帝の彫像を思わせる堂々とした風格。エネルギッシュな指揮ぶりと、包み込む笑顔に魅了されていたが、二日間に渡るコンサートを終えた今、カルロスがフランスからの遠征軍と食事をしたいなんて、嘘っぽいと思ってしまう我が身に戸惑っていた。

今回のコンサートは、もともとイタリアチームが主体であり、彼らの厚意によって、フランスチームも参加させてもらっている。従い、人数はもとより、選曲もイタリア側で既にされ、彼らは一年かけて練習を積み重ねてきている。一方、フランス側が楽譜を手にした時期は9月に入って。本格的に練習を始めてから日が浅い。曲自体はそう難解でもないらしいが、テンポについていけないとフランスチームの奏者は良く嘆いていた。実際には、オーケストラの第二部門に参加するフランス側の奏者は、今回は5人のみ。うち3人が我が家のバッタ達といった格好。一方、第一部門へのフランスからの参加者は、第二部門の参加者と合わせて総勢12人。皆、親きょうだい同伴が多く、今回の旅では全体で30人を超える団体ではあった。

前日の聖堂でのコンサートは、大勢の聖職者たちに交じって、一目我が子の晴れ舞台を観ようとする親族で溢れかえり、会場いっぱいの観客となった。バイオリン、ビオラ、チェロ、と演奏者の数も少なくない。後ろからでは奏者の表情が見えにくい。せめて姿だけでも、と移動していくうちに、気が付くと円柱の柱によじ登って立ち見をしていた。神聖なる聖堂で、神聖なる柱に土足で登るとは、と気が引け、途中で靴を脱ぐが、すると今度は、イタリアではベッドに入る以外は靴を脱がない、という某エッセイストの文章を思い出し、靴下でいることは、土足以上に神聖な場所を凌辱しているのであるまいか、と余計な心配をし、結局、靴を履き直して柱に登る。

フレスコ画をバックにした演奏会場。荘厳な雰囲気にすっかり酔いしれ、疲れを知らぬエネルギッシュな演奏の数々を味わいながら、バッタ達の頼もしい姿に目を細める。

さぞや満足感に浸っているだろうと、演奏後、にわか楽屋となった祈りの場に駆けつけると、周囲の目も気にせず、息子バッタが黙々と着替えをしている。真っ赤な顔は演奏の興奮が冷めやらぬのか。声を掛けると、今にも泣きそうな顔で、ひどい演奏をしてしまったと告げられる。いや、立派だったよ、と言っても、本人は一層表情を硬くする。どうやら、配置の関係で、後ろに一人にされてしまい、音響の点で決して最高のコンディションではない場所柄、皆の音が聞こえず、曲に乗れずに疎外感を味わった模様。確かに、今回の配置では、イタリア勢のトップクラスの奏者が4名、ずらりと一番前に揃い、ソロよろしく、それぞれが大いに身体ごと曲に乗って弾いていた姿が印象的であった。

我が身の練習不足や、能力不足を苦々しく味わったということか。
夜9時を迎える時間であり、夕食も未だであったが、これからすぐに寝所に戻り、練習をすると言う。

しかし、それよりも、一人にさせるなど、配置に問題がなかったか。フランスからの応援団をカルロス達は蔑ろにしていないか。

つい、親ばか丸出しで本気で怒ってしまっていた。フランス勢の中では、一番練習量も多く、おそらく、それなりに弾ける筈の息子バッタ。辛く思う彼に、成長の姿を見出し、逆に非常に満足そうな末娘バッタに幼さを見出すべきなのか。

そうして、翌日、劇場での演奏。
幕が開いて、唖然とする。劇場という場所柄、どちらかと言えば奥行きがあるが、ステージは狭い。しかし、しかしだ。フランス勢の顔が見えない。照明が当たらない脇に押しやられてしまっている。

それでも、第一部は人数も多く、幼い奏者を前面に出すことからも、納得がいこう。
ところが、第二部が始まって、怒りが沸点に達してしまった。

前日、息子バッタが後ろに一人にさせられたことを取りまとめ役のべリンダに相談していた。彼女からカルロスに一言伝えてくれることになっていた。だからか、今度は彼は長女バッタの隣となり、一列前に仲間入りする。が、末娘バッタと、もう一人の奏者が今度は後ろに追いやられ、顔さえも見えない場所になっている。

はるばるローマまでやってきた結果がこれなのか。

オーケストラという集団の演奏において、実力あるものは引き立てられ、前面に押し出され、力のないものは、後ろでサポート役。この役割をこれからも喜んで引き受け、彼らは演奏していくことになるのか。この事実を受け入れないことには、これから、ますます力の差が出てくる年齢の彼らをオーケストラや室内楽に参加させるわけにはいくまい。

愕然とする。

主役だけが人生ではない。そんなことは分かっている。だが、この照明さえ当たらな場所での演奏には、堪えた。

演奏後、どう声を掛けたらいいのかさえ分からなくなっていた。

そんな時のべリンダの誘い。
一体、カルロスは、フランスからの遠征チームのことをどれだけ思っていて、彼らの存在をどう感じているのか。我々は、参加すること自体、歓迎されているのか。大いに疑問に思ってしまっていた。

バッタ達に、さり気なく聞いてみる。カルロスとランチに行く?

親の悶悶たる思いなど意に介さず、嬉しそうな返事が返ってくる。
彼らは仲間と食事に行くことに喜びを見出している。
それじゃあ、そうしようか。カルロスは後片付けや、劇場の責任者への御礼回りで少し時間がかかるらしいけど。

ところが、待てど暮せどカルロスは姿を見せない。
イタリア勢は、皆挙って他の先生たちと連れ立って、先にレストランに行っているという。
えっ?彼らも一緒に?100名にもなろうか。
これって、一体、現実的なのだろうか。

ついつい、待っている間に、フランス勢の親たちに対して、疑問と不満をぶちまける。
私ほどの過激な意見は出ないも、後からこっそり、貴女の言う通りよね、と肩を叩く人もいた。午後2時も過ぎると、ちっとも姿を見せないカルロスに不満の声が大きくなる。もちろん、カルロスに対してではなく、取りまとめ役のべリンダがスケープゴートとなってしまう。

漸くカルロス登場。皆で、通りを楽器を持ってうねり歩く。カルロスはローマの出身ではないらしく、レストランの住所をところどころで訪ねては歩いていく。ほとほと、一行から離脱してしまおうかと思い始めた頃、大きな広場に出て、そこのレストランのテラス全体に見知った顔が食事をしていることに気が付く。驚くほどの早業で、レストランの一部に長いテーブルが揃い、皆が席を確保する。

程なく注文した料理が出てくると、満足の声があちこちで上がる。
さっきの文句はどこへやらで、大人たちも腹が満ちると笑顔が広がる。

と、イタリアの奏者がカルロスのところにやってくる。挨拶かな、と思っていると、嬉しそうに姿が消える。それを合図にテラスの方が騒がしい。どうやら、子供たちが演奏を始めるらしい。フランス勢にも声がかかる。あっという間に広場の一角でコンサートが始まる。曲の順番も、スピードも、すべて子供たち任せ。アップビートなダンス曲では手拍子が聴衆から巻き起こる。ピッツァカートの曲が嬉しそうに弾け出す。どの子も笑顔。皆、それぞれに目で合図をしあっている。バッタ達も仲間として堂々と場所を陣取り、皆との呼吸もぴったり。

気が付くと、隣でカルロスが大きな声で子供たちに向かって何か言って笑っている。

と、隣の出店のおばさんらしき人が、目を三角にして怒鳴り込んでくる。あんた達のおかげで、お客が入らないと文句を言っているのだろうな、と想像する。責任者は誰なの、と騒いでいるように聞こえる。それを合図に、子供たちは演奏をぴたりと止め、それぞれに楽器を仕舞始める。

予想だにしていなかったコンサートに胸が熱くなる。
先ほどの苛立ちは、すっかり姿を消し、ゆったりとした満足感と深い感動が押し寄せてくる。

ローマに来て良かったね。楽しいコンサートをありがとう。
バッタ達に心の中で呟く。

お誘いいただいてありがとうございます。
今度はカルロスに感謝を込めて呟く。

べリンダには、近寄って頬にビズ。








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2013年11月1日金曜日

傾きかけた太陽の日差し






バッタ達をローマの数あるバジリカのうちの一つ、Sant'Antonio al Laterano聖堂に置いて、Piazza del Popoloに向かう。


傾きかけた太陽の日差しは柔らかく、人々を笑いに包む魔力を持っている。
















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San Giovanni in Laterano大聖堂~切り取られた青





バッタ達には夜の演奏に向けてのリハーサルが待っている。集合時間の午後4時までに、会場近くのSan Giovanni in Laterano大聖堂を見学しようと計画していたが、夏日のような日差しが容赦なく頭上から落ち、バイオリンに譜面台、演奏用の靴や衣類が肩に圧し掛かり、どうやらバッタ達は元気がない。ラテン語クラスで3年前に来たことがあるという長女バッタは、目印のオベリスクがないと小さな声でつぶやく。ローマで最も高いという。取りあえずは、日陰を作っている聖堂の入り口の階段に座ることにする。とにかく、聖堂だらけなので、地図をにらみながら、一体これがどこの聖堂なのか半ば諦めかけながらも、見つけようとしていた。向こうの通りには、何かの壁が一部だけ残っており、その小さな窓のような空間からは、青い空が覗いていた。

「ああ、ここでいいんだよ。」
長女バッタから地図を奪って、ざっと見ていた息子バッタが告げる。どうやら、オベリスクは建物の向こう側にあるらしい。ローマ一の高さを誇るオベリスクがここから見えない筈がない、と尚も頑張る長女バッタに、息子バッタが高らかに笑う。「ローマ一、ってことは、バチカン市国を含まないってことだよ。だから、Piazza San Pietroにあるオベリスクよりは、低いのかもしれない。」




仰ぎ見れば、大聖堂らしき風格。ファサードには聖人たちが居並んでいるではないか。建物をぐるりと回ると、確かに広場が現れ、オベリスクが屹立している。




そうなると、やはり中を覗いて見てみたくなる。荷物をバッタ達に預け、長女バッタと連れ立って異空間に入る。


思わず跪きたくなる荘厳なる趣が壮大なる空間によって圧迫感なく迫ってくる。今、読みかけのケンフォレットによる『大聖堂-果てしなき世界』のマーティンとカリスの息遣いが聞こえてきそうな思いに囚われる。








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バチカン市国の城壁で思う






システィーナ礼拝堂にある、ミケランジェロによる『アダムの創造』を先ずは観たいという息子バッタのリクエストで、バチカン美術館を目指し、城壁に沿って圧倒される行列の後についていた。朝の9時。そもそも、ローマ行きの目的はバッタ達によるコンサート演奏参加。観光は二の次に考えていたため、空港で慌ててガイドブックを買い、にわか仕込みの知識に頼っていた。

いや、実は、出発間際まで大慌ての旅であった。前日になって末娘バッタのフランスの身分証明書が出てこず、ママに預けた、いや、貰っていない、の大騒動。日本のパスポートはバッタ3匹分、間違いなく棚のあるべき場所に収まっていたが、フランスに入国する際に必要となるフランスの身分証明書は2匹分しかない。フランスのパスポートは父親がパリで保管しているが、肝心の彼は仕事でリスボン。日本のパスポートで押し通すか、とも思うが、航空券はフランスのパスポートに記載されているパパの苗字を使って購入している。こういう時は、長女バッタにパパと電話で交渉させるに限る。どうやら、アパートの管理人に鍵を預けているらしく、その鍵を使ってアパートにパスポートを取りに入ることを許可してくれる。ただ厄介なことに、アパートの管理人は、最近新しい人になったらしく、バッタ達の顔を知らないし、バッタ達も彼らを知らない。ここは長女バッタの天使スマイルで信じてもらうしかあるまい。

朝一のバスに乗り我が家を出発し、RERとメトロを乗り継ぎ、未だ明けきれぬパリの通りに立つ。駅で空港行きのチケットを購入していたので、バッタ達に遅れてアパートの前にたどり着くと、末娘バッタが所在無げにバイオリンとスーツケースを持って待っている。どうやら、恐ろしいぐらいに問題なく長女バッタはパパのアパートの鍵を入手し、今、階段を駆け上がって部屋に入ったと報告がある。それはそれでめでたいことであるが、なんだか空恐ろしくもなる。最悪、リスボンの父親に電話連絡をし、本人確認をしないと鍵は手に入らないと思っていただけに、拍子抜け。人が良いのか、無防備なのか。パリという都会は、意外に隙だらけなのか。

夜中に、父親がSMSで、パスポートがちゃんと置いてあるか分からない。君が持っているのではないか、と伝えてきたから、本当のところ、かなり怯えていた。確信を持って、彼がパリで保管している筈だと思っていたが、その根底を覆されるようなことを言われると、やはり落ち着かない。祈るような思いで長女バッタが消えていったという階段を見つめる。

漸く、軽やかな足取りですまし顔の長女バッタが下りてくる。表情は読み取れない。声を掛けると、驚いたような顔をして、にっこりと微笑む。もう!最初から、大声で「あったよぉ!」と言ってくれれば良いのに、と恨めしく思う。と、同時に、ここでは、彼女は彼女なりに虚勢を張っているのかな、と思ってしまう。

そうして、寄り道しつつも、バイオリンを背負ったバッタ一行、漸く落ち着いてローマ行きの便に乗り込むべく、空港を目指し電車に乗る。旅にハプニングはつきもの、とは言うが、今回はどうも準備がおざなりであったことが悉く露呈。ガイドブックを頼ってのローマの空港から市街に向かう電車も、えいやぁの感が鈍って、各駅停車の鈍行を選んでしまい、乗り換えも、一旦駅を出て、数百メートル程離れた別の駅まで歩かねばならなかった。バイオリンに楽譜立て、演奏用の靴、ラップトップ、外套、などがそれぞれの肩に食い込み始め、重さを増し始めたころ、漸くB&Bがある通りに辿り着くと、今度は同じ経営者ながら、別の通りにあるB&Bこそが我々の宿泊先であることが発覚。これには、流石に呆然としてしまう。逆の立場であったら、どれ程相手をなじったであろうか、と思うにつけ、バッタ達のささやかな文句の声が健気に思われる。さすがに、今来た道を戻って電車に乗り、次の駅で、更に歩く、といった提案は即座に却下され、たまたま横に停まっていたタクシーにぞろぞろと乗り込んでしまう。まあ、いいか。

思うに、親としての責任感が薄れてきたのだろう。見事にバッタ達は成長しており、彼らは十分一人で、どこに行っても困らないだけの判断力と知識、そして度胸を身につけている。逆に言えば、如何にこちらがずぼらになったか。

10月の終わりにしては、眩しい日差しを浴びながら、ガイドブックを片手に、これから我々を待ち受けている文化遺産についての薀蓄を語り聞かせる長女バッタの声が頼もしい。




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