2018年10月7日日曜日

焦燥







最高の天気に恵まれ、惜しみなくその姿を見せつけるマッターホルンに心酔してしまっていた。翌日の天気は崩れるかもしれない。山の天気は変わりやすいので、瞬間、瞬間を大切に、好機を逃さないように。気持ちが急いていた。貪欲にさえなっていた。

一体、これ以上何を望むのだろうか。そう思う程の景観に恵まれ、心底本当にこんな幸せはないと涙までしたのに、さあ、次はどこを制覇しようかと気持ちが逸った。とにかく、あらゆるものを見たかったし、感じたかった。

ツェルマットの村では午後2時からパレードが繰り広げられると聞いた。それに間に合うように、急いで下山するという老夫婦の話を聞き、パレードよりも山を見たいと思った。母もそれには大賛成してくれ、晴れている今だからこそ、と、ヨーロッパ最高地点の展望台と言われるマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(Matterhorn glacier paradise)を目指すことにした。

リッフェルベルク(Riffelberg)からフーリ(Furi)まで小型リフトに乗り、中型リフトに乗り換えてシュヴァルツゼー(Schwarzsee)経由でトロッケナーシュテーク(Trockener Steg)に。そこから大型ゴンドラに乗り換えマッターホルン・グレイシャー・パラダイスへ。出来たら、帰りにシュヴァルツゼーからフーリまで歩いて降りたかった。





ロープウェイからの景色は余りに壮大で、途中冷気が入るので窓を閉めたが、気分は最高であった。そろそろお昼の時間に差し掛かっていたが、天気が変わらないうちに、との思いが強く、食事処となりそうな場所を確認しつつ、上へ、上へと上っていった。今なら分かる。そうした焦るような、憧れへの期待感、焦燥感が、後で思いがけない結果に繋がってしまったのだと。しかし、その時はそんなことなど思いもしなかった。






マッターホルン・グレイシャー・パラダイスへの最後のゴンドラは大きく、正に老若男女でひしめき合って乗っていた。到着したところは洞窟のように暗く、どうやら暗い通路を歩いて、最終的な展望台に向かうらしかった。そして今我々が乗って来たゴンドラで下山しようとする、夏スキーを楽しむ若者たちでごった返していた。神聖なる山頂を我先に拝みたい、そんな気持ちがどこかで働いてしまったのだろう。また、展望台への通路は、本当にこれでいいのだろうか。掲示板はどこにあるのか。そんな思いもあり、つい、早歩きとなった。ゴンドラからは、雲で覆われてマッターホルンがちっとも見えなくなってきたことへの焦りもあった。

と、ガッシャーン、鉄格子がコンクリートに叩きつけられたような音がした。山を削って作られたのであろう暗がりの狭く細い通路は、片側に金網の板が張り巡らされていた。先程いた子供の一人が足でも引っ掛けたのだろうか。足を止め、後ろを振り向くと、驚いたことに、母が倒れていた。ばったん、と。

背の高いスイス人の男性だろうか。すぐに母の様子を見て、抱き起してくれた。大量の血が鼻から出ている。ティッシュで拭うと、鼻の上を切ったようだった。こんな時、慌ててしまったら、本人が余計精神的なダメージを受けるだろう。なるべく、平静を装い、ちょっと転んだ程度と受け止め、どこか骨折していないか簡単に確認すると、また歩き始めることにした。

地面は湿ってこそあれ、隆起があるわけでもない平坦なものだった。持っていた杖が仇になったのか。平らな道で転んでしまったのか。左手が動かないと言う母に、大袈裟な対応はせずに、身体全体の重量が掛かってしまったのだろうね、などと極めて冷淡とも思われる返事をした。

標高3800メートルからの眺望は如何に。

先程ロープウェイに乗っていた大勢はどこにいったのだろう。そう思われる程、周囲に人はいなかった。トンネルを抜けるとエレベーターがあり、その後階段を上るようになっていた。エレベーターを降りたところで、母が、手も動かないし、ここで待っている、と言う。一瞬迷った。怪我をし、手が動かないという母を残し、上に行くべきなのか。

小さなエレベーターホールから見える外の景色は、真っ白だった。それでも、見に行きたいと思った。この白い雲の向こうに、一体何が見えるのか。




ここが最高地点というところまで行き、大きく深呼吸をし、回れ右をした。さあ帰ろうと慌てて母のところに戻った。

正直なところ、平坦な場所で転倒し、鼻を怪我して出血した母に、これまで感じることも恐れていた老いを見ざるをえずに、自分自身がかなり動揺していた。母にいたれば、それ以上であろうと思うに、胸が塞いだ。

帰りのロープウェイは行き以上に下山客でごった返していた。スキー合宿でもあるのだろうか。バッタ達と同じような年頃の子供たちがスキーやスノーボードを抱えて大勢乗り込んでいた。母は最初は怪我した自分の顔を皆が見ているような気がして居心地が悪そうだったが、次の中型のゴンドラで乗り合わせた男性達がスキーウェアを脱ぎ、サイクリングウェアに着替える様子に、笑顔が戻ってきていた。






土曜日の午後。スイスの事情は知らないが、これがフランスだったら、先ず医者は休業。急患ともなれば、病院は何時間も待たねばらなず、薬局も下手をすると休みに入ってしまう。取り敢えずは、ツェルマットの村まで下りることにした。




ツェルマットの村には、輝く夏の陽射しが降り注いでいた。どうやら、パレードは大通りで繰り広げられているらしく、賑やかな音楽が流れていた。パラソルのある川沿いのレストランで一息つくことにする。先ずは、母にトイレに行って顔を洗ってくるように促す。非常に控えめに。





そこで、のんびりとしたことが良かったのだろう。母の気持ちは、太陽の陽射しを浴びて、すっかりとほぐれていった様だった。医者に診てもらう必要もないだろうとなり、薬局で冷えピタや絆創膏を買おうとなった。





薬局は案の定昼休みだったが、近くのスーパーで絆創膏、捻挫した際の湿布や塗り薬をゲット。ゆるゆると登山鉄道の駅まで歩き、のんびりとホテルに戻る。母は部屋でゆっくりとすると言う。部屋の窓からは、もくもくとした煙の様な雲を背景に、颯爽とした美しいマッターホルンの姿が優しく微笑んでいた。















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2 件のコメント:

  1. 外国で怪我すると厄介そうと思いながら読み進めました。
    お母上様の怪我がそんなに酷くなくて一安心でした。
    その後の怪我の経過が気になります。

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  2. ログの大好きな徳さん、
    コメントありがとうございます。また、母へのお気遣いもありがとうございます!

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