2014年4月18日金曜日

夜明け前の花泥棒







『リラだけは枝で花を咲かせないと駄目』、とはご近所の80歳になるマダムの言。引っ越してきた年に、『リラは咲いた枝を伐らないと良く年花がつかない』と教えてくれたのもマダム。

実は昨年、どうも気力が湧かず、見事に咲いた枝をそのままにしてしまっていた。道端で華麗に咲き誇るリラの樹木を見上げ、全く手入れなどされていないのに、毎年美しく咲いているではないか、とちらりと思ったことも原因の一つ。

そして、この春。駆け足で初夏の陽光が満ち溢れる中、リラはむくむくと新芽を出し葉を広げ、黄緑色の蕾の塊が突き上げるように枝の先から伸びてきていた。が、確かに昨年の枯れた花が残っている枝には新たな花芽はない。マダムの仰る通り。

と、マダムの庭に目をやるが、リラの花が見当たらない。毎日のように庭の手入れをしているマダム。常に大仕事に取り掛かっていて、枝を容赦なく伐採する気風の良さと元気さには感服している。でも、時々やり過ぎてしまう。以前もジュダの樹を伐り過ぎて枯らしてしまっていた。今回も、思い切りよくリラを伐ってしまったのか。

例年に比べ数は少ないとはいえ、南に面した薄紫のリラが可憐に咲き誇り始め、次に濃紫のリラが甘やかな芳香を撒き散らし始めた。そして純白のリラが一足遅れて白い塊を緑の葉の茂みから見え隠れさせ始める。

いつもならリラの好きな友人たちに届けるのに、学校のバカンスで皆出払っている様子。一人の友人がぜひ欲しいと言ってきてくれていたので、そろそろ出荷の時期とばかりに連絡する。
「今日あたり、リラいかがですか。」
夕方6時に、「嬉しいです。散歩がてらに寄らせてください。何時ごろがいいですか。」と返事が来る。
「いつでもOKです。それでは伐ってお待ちしています。」
薄紫をたっぷりと純白のリラを選ぶ。白はもう少し待った方が良いのかもしれないが、薄紫は今が花盛り。

夕方の散歩とは洒落たことを。
そう思いながら佇んでいると、薄ら寒くなってくる。車で届けようかしら、と一瞬思うも、ひょっとすると夕方の散歩が夫婦の日課なのかもしれない、などと思ってしまう。

そうこうしているうちに、9時。夏時間となり日暮れが遅いとは言っても、室内は照明なしでは薄暗くなっている。流石にお互い、何か勘違いしてしまったのかな、と思う。伐採してしまったリラが薄暮れの中でぼんやりと光っている。ひょっとしたら散歩の途中で出会うかもしれない。車で一っ走り届けに行こう。

後部座席に積まれたリラは甘い香りを静かに撒き散らす。

友人宅は既に雨戸も締まっており、ひっそり閑としている。呼び鈴を鳴らすことを躊躇ってしまう。流石に9時を過ぎている。玄関にそっと置いておいて、後でメール連絡をしよう。

「今晩は。先程玄関にリラをお届けしました。」

友人から連絡がないことから、ひょっとしたら本当に勘違いをしていて、彼女は今日はもう外に出ないのかもしれない、と思い始める。この冷え込みなら、翌朝までリラはしっとりと咲き誇っているだろう。明日の朝、玄関を開けてびっくりするかな、と楽しくなる。が、同時に、萎んでしまったら可哀想なことになってしまうな、とも思う。せっかくリラを受け取った友人も、がっかりしてしまうだろう。

翌朝、「夜はメールを見なかったのでごめんなさい。昨日来てくれたのね。でも、なんだか花泥棒されたみたい。。。」とのメッセージが届く。

えっ?花泥棒?あの抱えきれない程の大きなリラの花束を?
そうか。誰かがちゃんと拾ってくれたんだ。萎んでしまう前に。
「OK。かえって新鮮なリラをお届けできるわ。良かったら、これから伺いますね。」

知らない誰かを我が家のリラの甘い香りで幸せに包むことができたのであれば、こんなに嬉しいことはない。夜遅く家路を急ぐムッシューかもしれない。恋人との出会いに駆けつける若者かもしれない。犬を散歩に連れ出したマダムかもしれない。明けやらぬ薄暗がりを工事現場に向かうムッシューかもしれない。どこかで甘美な芳香を撒き散らしているリラ。

心に甘やかな香りが舞う。






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