朝6時半に到着したアグアスカリエンテス村の駅はマチュピチュ遺跡に向かう人々でごった返していた。ここから遺跡の入り口まで、徒歩で2時間は掛かるらしい。勇ましい若者は4時起きで急斜面の上りを歩いて行っただろうが、朝6時から10分おきに出るというバスは何台も連なっており、そのバスに乗ろうとする旅行者が、これまたずらりと並んでいた。バス乗り場はすぐに分かるだろうかと心配することは何もなかった。
ほっそりとし、小柄で、ケチュア人だろうが、恐らくアジア系ではないかと思わせる目つきと、それにしては鼻筋が通っており、彫りの深さを合わせ持っていることで、スペイン系の血も混じっていると思わせる風貌の、若いのか、それなりの歳なのか、ちっとも年齢不肖な男性が、旅行会社が手配したアシスタントとして駅に迎えに来てくれていた。
静かな声で、あのバスに乗ってマチュピチュ遺跡の入り口まで行くのだ、と教えてくれる。ワイナピチュ登山のためには、7時までにワイナピチュの入り口に着かないと困ると興奮して伝えようものなら、そんなの分かっているさ、と一向に意に介さない様子で、また静かに、あの列をご覧よ、とバスを待っている人々の列を指差す。行儀よく、あの列の最後についたなら、7時まで待ってもバスには乗れないよ、と淡々と話す。
そして、まあ、俺に任せろ、と言わんばかりに、バスの乗車券とパスポート、ワイナピチュ登山の許可書を渡すように指示される。ここは彼に任せるしかない。書類を受け取ると、さっと飛ぶように消えて行ってしまう。あの細めの彼に、我々4人の宿泊用具の入った鞄を預け、宿泊施設まで持って行ってもらうのだろうか。他にも、2人の旅行者のスーツケースも預かる様子である。一体、大丈夫だろうか。
道路の向こう側から、さっきの彼が合図をしている。すぐ来るように、と。この4つの鞄はどうすればいいのか。大声で鞄のことを言えば、そこに置いておけば良い、とにかく、早く来るように、と指示が飛ぶ。確かに、このどさくさに紛れ、旅行者の寝袋のような鞄をさらう好き者はいそうにない。皆マチュピチュ遺跡に行くことで頭がいっぱいの人々ばかり。そして、貴重品は自分たちが持っている。さあ、行かないことには、バスに乗れず、バスに乗れないことには、ワイナピチュ登山はできない、と思い切って通りを渡り、彼のところに駆けつける。
ペルーは、マチュピチュ遺跡に入る観光客に対し、必ずガイドが必要との新たな規則を作っていた。大切な遺跡で観光客に好き勝手なことをさせないこともあろうが、観光ガイド育成・支援、観光による収入増を狙ったものとも言えよう。我々のガイドとなったユゴーに出会う。爽やかな笑顔がまぶしい好青年。アシスタントの男性は上手くバス会社と交渉できたらしく、ユゴーと一緒に次のバスに乗れと我々に指示する。そして、鞄は間違いなく宿泊施設に置きに行くと言ってくれる。その間、彼は全く笑顔を見せない。しかし、彼の誠実さは、静かな語り口調からしっかりと伝わってくる。ユゴーとバトンタッチしたかのように、アシスタントの男性はすっとまた消えてしまう。
彼の名前は知らない。多分、名乗らなかったのだと思う。我々4人にとって忘れられない人物となり、我々の旅の行程の鍵を握る人物になろうとは、その時は誰もが予想だにしていなかった。
かくして、我々4人とガイドのユゴーを乗せたマイクロバスは、幾つものヘアピンカーブが連なるハイラム・ビンガム・ロードを一気に駆け上がったのであった。
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