2019年1月6日日曜日

身体の声








健全なる精神は健全なる身体に宿る
これを勝手に解釈し、精神が健全であれば身体も健全と勘違いをし、そして遂には、精神力で健康をも維持できると思い込んで、これまで突っ走ってきた感がある。

その結果、身体が悲鳴を上げてしまった。もうこれ以上は無理というところまで、自分を追い込んでしまったことに、愕然とする始末。渦中にいることで、全体が見えなくなってしまっていた。それが昨年の11月。漸く落ち着きを取り戻したかと思ったが、今度は耳鳴りに悩まされるようになってしまった。

8年前、東日本大震災の時に、実際に自分自身が被害を受けたわけではないのに、故郷を思い、現地で奮闘する家族や友人を心配し、気が付いたら水中にいるような感覚に襲われ、それが暫く続いたことがある。車を運転すれば、振動が頭の中で最大限に響き渡り辛く、歩いても自分の足音が頭の中で響き辛かった。人と話ができなくなり、日常生活に支障をきたしてしまった。専門医は、原因が不明であり、一生耳鳴りが続くことも覚悟するようにと、そして、それはそんなに大したことではないと、諭してくれたが、あの時は本当に煩わしく、辛い時期だった。それが、半年もしたら、いつの間にか消えていた。気が付いたら、圧縮した空気の世界から脱出していた。

首や肩の凝りが原因のように思われ、以来、首が問題なく回るように注意していたが、うっかりと最近はそんなことに気を取られていなかった。

ある朝目覚めて起き上がると、ぼーっと低音が頭の中に響き渡り、ぼん、ぼんと異様な音が聞こえた。それが自分の足音であり、またもや、圧縮した空気の世界に入り込んでしまったことに気が付いた時には愕然とした。肩が強張り、首が上下、左右、動かすことがままならない。こうして身体がまたもや悲鳴を上げてしまった。

暗澹たる思いに気がふさがり、どうにか状況を打開しようと、先ずは首と肩の体操を始める。蒸しタオルで首や頭のこりをほぐす。しかし、身体はこうも正直なものなのか。


そして二日前。冷たい空気を頬に受け、通りを歩いている時に、ある思いにとらわれた。と、臍のあたりからぐいぐいとその思いは膨らみ、身体中の一つ一つのあらゆる細胞が震えながら叫び始めた。遂にその思いは歓喜となって身体中を駆け巡った。

嗚呼!
正にこの時を待っていた。この瞬間、決意が確固たるものとなり、確信に満ちたものとなった。

翌朝、目覚めると圧縮した空気の世界から脱出していた。







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