2015年12月19日土曜日

真っ赤なハート








ストラスブールに遊びに行った友達から真っ赤なハートのプレゼントをもらう。
「あなたの熱いハードにぴったり」と。

その彼女へのお礼のメール。


真っ赤なハートありがとう。
私の心臓を思って買ってもらったのなら、もう少しで砕けてしまうかもしれないからと、記念に写真を撮っておきました。なんて、ね。

自分でもかなり疲れているんだと思う。疲れが澱のように溜まっていて、精神的に脆くなっているのが分かる。夜11時まで仕事をして、翌朝は6時に起きて出社。このペース、いつまで続くかと思い始めている。今朝ぼんやりとした頭で、メトロの階段を上って未だ夜のような地上に出た途端、通りのイルミネーションが目に飛び込んだの。これまで淡青色だけだったのに、真ん中が赤の粒できらめいている。もうすぐノエルだよって叫んでいるように。

早く逃げなきゃ。そう思った。

なんでノエルなんか、この世にあるのかって思い続けて、もう10年になる。毎年逃げているのに、今年は仕事があんまり大変で考える暇もなかったの。それに、バッタ達のパパが、ノエルとお正月、好きな週末を選んでいいよ、というので、じゃあ、ノエルの週末を子供と過ごしたいって伝えてあった。それが、ボルドーで一人暮らしをしているパピーがパリにくるので、23日の夜から25日の夕方まで子供たちにパリに来て欲しいっていうのよ。分かったわ、と答えるしかないよね。

それが先週の土曜。その夜友人の家で食事をしている時にノエルの話になって、皆で24日の夜がイブだよねって、当たり前のことを言い出して、その当たり前のことを私はすっかり忘れていて、パニックになったの。一人でどうやってこのフランスでノエルを過ごすのかって。

日曜の夜に帰ってきた子供たちにその話をしたら、息子バッタが、僕がパパに電話をするっていうから、やめて、って言ったの。ママが一人でいることって、ママの問題だものね。今でもパートナーもいなくて、一人だからなんて情けなくて言えないよ。言いたくない。

バッタ達は沈痛な顔をしていた。

逃げなきゃ。

つまらないことで言い合って傷つけ合うことには疲れたの。だから、私が我慢すればよいことは全てOKしている。バッタ達のことで彼らを庇おうと頑張ったこともあったけど、するとバッタがママやめて、って言うんだよね。親の諍いの原因となっていることが辛いんだと思う。

だから、私の心臓は今崩壊寸前。

早く逃れたい。

クリスマスとは無縁の地にいる友人に連絡をしたら、丁度自国で最大の基地を任されることになったらしく、その就任パーティーがクリスマスの時期に一週間続くんだって。彼らにはクリスマスなんてないからね。

慌てて台湾の妹のところに行くことにしたの。

500ユーロで往復チケットがあったので、やけに安いと思ったらイスタンブール経由。大丈夫かな。でも背に腹は代えられない。

素敵な真っ赤な心臓ありがとう。壊れそうな心臓を抱いて台湾に行ってくる。
またね。








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3 件のコメント:

  1. 陰から毎度読ませていただきながら、別の世界で僕が知っているクッカバラさん、そして風の便りで聞いているクッカバラさんと照らしあわせて、時々大いに心配し、時々貴女の表に出ている以上の一層のパワーを確認し、あるいは多忙な中に見せる余裕と細やかさに感心し、そして今回はいつになくまっすぐに心の中を吐き出している貴女を見て思わずこうして僕もここに顔を出したくなりました。

    七年前のノエルのイヴのことを今思い出しています。本当に楽しい晩でした。親バッタとともに3匹の子バッタたち皆がはちきれんばかりに元気に輝いていました。もちろん貴女は誰よりも分かっているはずで — だから誰よりも不安 – あれからは傍からほんのたまに眺めるだけの僕でしたが、ああもうすぐにでも子バッタたちは広い世界へと旅立っていくのだなと思ったものでした。

    でも彼らがそうやって旅立っていくことこそが、クッカバラさんのこれまでの最大の願いと目標だったはず。いつか親の言うことをもう聞かずに自分の意思で生きていくようになることも。強く賢い貴女だからそんなことはしっかり分かっているはずなのだけれど、そこにいつも寂しさと不安を感じてしまっている貴女が不思議で歯がゆく思う・・・のだけれど、それはきっと遠いところから見つめている部外者の僕だからでしょう。

    でも今のそのあまりもの大変そうなお仕事はなんとかならないものか。貴女のハートは砕けないかもしれないけれど、体が砕けてしまうかもしれませんよ。この際全部ひっくり返してしまうほどの革命を起こしてしまうというのはいかが?

    そして一度、バッタたちのことも仕事のことも本当に綺麗さっぱり忘れて – バッタたちのこともですよ – ひととき昔々の自分に戻ったかのように過ごしてみたら? これから向かう台湾でそんなひとときは過ごせないのかな・・・

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  2. クッカバラ25/12/15 17:16

    Sさん!お久しぶりです。

    まさか、Sさんが読んでくださっているとは全く知りませんでした。そして、このようなコメントをいただき、大変うれしくもあり、恥ずかしくもあります。今更ですが、かなり脚色して書きますし、言葉が勝手に紡がれていってしまうことも多く(汗)。。。心から心配してくださり、本当にありがとうございます。そして、こんなに心配かけちゃってごめんなさい。書くことによって非常に救われており、その時の思いに縛り続けられることなく、すっきりと心に解放感がもたらされています。

    バッタ達を肩車してくれたSさんの姿もありありと思い出せますが、それよりも20年前に、初夏の朝日輝くトロカデロの坂をスーツ姿で颯爽と出社するSさんの姿を鮮明に脳裏に浮かべることができます。あっと言う間でもあり、お互いに、本当にいろいろなことがありましたよね。当時の私は、今の私の直線上にあるようで、ないような気がします。これまでの20年間があるからこそ今の自分がいるのだと思いたいですし、実際そうであろうと思います。

    仰るとおりに子の幸せを願わない親はいませんし、子供たちの旅立ちを心より願ってもいます。そして究極的に人間は一人。一人で生まれてきて、一人で死んでいくのですものね。私たちの共通の友人Sさんのブログに(おそらく彼のブログに私がコメントしたことから、Sさんが私のブログを訪問くださるようになったのかしらと思っていますが)、確かギリシャの海を一人で見て、ああ、孤独とは美しいことなんだ、と心の底から感動する場面がありますが、ご覧になりましたか。そこの境地にいつかは辿り着きたいものだと思っていますが、日々是精進です。

    しかし、今回のことでブログに思いを綴るという行為は、かなり身勝手なことなのだと改めて思いました。ブログという不特定であり、かつ存在すらないかもしれない世界(読者)に悲鳴を投げてしまうことは、非常に無責任な行為でした。その証拠に、今回Sさんのコメントをいただき、読者の存在を確認し、しかも顔のある相手であることに大いに動揺してしまったのですから。一瞬の感情を綴ると、そればかりが強調されてしまうのですが、実際には多くの別の感情も沸き起こっており、先の感情は相殺されたり、昇華されたり、消滅したり、或いは増強されたり、変化をしています。まったくいい加減なものです。ご心配をおかけしちゃって本当に申し訳ないです。そして、心優しいメッセージ、ありがとう。Sさんと久しぶりにお話ができて嬉しく思いました。

    年末年始はご実家にお帰りになるのでしょうか。どうぞ良いお年をお迎えください。そして、ぜひフランスにいらっしゃる時にはお声かけ下さい!お会いできることを楽しみにしています。

    返信削除
  3. Sさん、

    改めまして、コメント本当にありがとう。
    今こそSさんが誰なのかちゃんと分かるから、素直に本当にリラックスしてお返事できています。私のことを心配してくれて顔を出してくれたようですが、私はSさんの連日の外出やら、シンデレラタイム過ぎての帰宅を心配していました。どんなに遅く帰宅しても朝はぱりっとスーツ姿で出社するエネルギーと、日中の会議でのバトル。そして、野生のカンに頼る出会いの日々。いろいろ考えただけで、ハラハラです。

    ノエルの話をしてくれてありがとう。そう、あの年は頑張ってサパンを買ったんだって思い出しました。バッタ達とすごく楽しみにして準備して、でも、大人の皆さんは約束の時間になっても現れず、バッタ達とひょっとしたら来ないのかも、と話していただけに、一時間遅れて呼び鈴が鳴った時の喜びよう、今でも覚えています。あの時のバッタ達。皆さんに何の抵抗もなくバイオリンを聴いて欲しくて、ノエルの曲を何度も弾いていましたよね。今では、人前で弾くなんてとんでもない話になっちゃいました。典型的アド。人生のすべての不幸を背負っているような様子をする息子バッタ。やれやれ。

    私にとってバッタ達がいつか旅立つなんて考えもしない必死の毎日でした。誰一人泣きごとを言わなかったけれど、朝は三人で起きて食事し学校に行く毎日。気が付くと、長女バッタが夕食の準備までしてくれるようになり、そうして彼女は驚くべきことに、ちゃんと優秀な成績で高校を卒業し(奇跡的!)、北京に奨学生として旅立ってしまいました。

    あのベベが旅立ってしまったのよ!大きな喪失感。私の一番の問題は、バッタ達の存在でこれまで生きてきたことだと自覚しています。長女バッタが旅立ち、次にちゃくちゃくと僕の番だと嬉しそうに羽を手入れしている息子バッタがいる。ちょっと前まで本当にベベだった末娘バッタでさえ、今か今かと飛び立つ出番を待っている。そうしたら、私の生きている存在価値ってどうなるの?誰かに必要とされないと、生きている価値がない、なんてバカなことを思っているのよね。

    だから、人生の次のステージの準備をしています。心の準備と、それに備えての知識と経験。
    ふふふ。昔々の自分には戻れない。懐かしく思い出すけれど。Sさんの部屋の絨毯がふわふわで同じスペースなのに、どうしてここまで住み心地良くできるんだろうと感心したなぁ。

    同じ環境にありながら、それを最大限に活かして楽しむことができるSさん、尊敬しています。その生への姿勢、変わっていないよね。

    心配ありがとう。お察しの通り、おろおろする愚かな母親しています。この思いは理性や知性でどうなるものでもなくて、本当に動物的なものなのじゃないかな。あと4年ほど、愚かな姿をお見せするだろうけど、ちゃんと立ち直って、図太く生きていくから。そのためにも、このブログがあるのです。ここで心情を吐露して、浄化する。。。なんだか最近は妄想に走っているけど、ね。ではでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。ぜひ近いうちにお会いできますように。

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