かくして、標高の高さだけではないと思わせる強い太陽の光を身体中に感じながら、朝靄が幻想的に山あいから浮き上がってくる様に心奪われつつ、マチュピチュ遺跡に足を踏み入れた。
ワイナピチュの登山の入り口が閉まってしまう前に、遺跡を横切り辿りつかねばならない。そんな焦りを感じ取ってか、精悍な顔つきのユゴーが、登山口まではあっという間の距離なので、ゆっくり行こう、と言ってくれる。
アグアスカリエンテスの村に予定通りゆっくりと一泊して、といった心の余裕があったわけでもなく、考えてみれば夜遅くまで仕事をして翌日慌てて荷造りをして、その頭で空港に向かったようなところもあり、実に唐突にマチュピチュはその姿を見せた。厳密に言えば、これから登ろうとする、ワイナピチュ山を背景に、15世紀のインカ帝国の秘めた都市は姿を現した。
ワイナピチュを登山後、午後にじっくりとユゴーの丁寧な解説を聞きながら遺跡を見て回ったが、インディアナ・ジョーンズのモデルになったと言われる探検家ハイラム・ビンガムが遺跡の第一発見者ではなく、実は地元のペルー人が発見していたことを幾つかの証拠を挙げて説明してくれたユゴーによって、中学時代の地理の教科書で写真をみた程度の知識が、立体的に、長い時間軸さえも伴って構築されていった。第一発見者ではなくとも、その存在を世界に知らしめた功績は大きいであろうビンガムの名を、アグアスカリエンテス村から遺跡までの山道に冠したペルーの国の偉大さに、敬意を払わずにはいられない。
王侯貴族のみに用いられたとされる入り口の大きさを持つ空間。教育施設(学校)と思わせる空間。常に太陽の位置を配慮して作られた数々の石の建造物、そして窓。石で作られた柵留め。幾つもの段々畑。
一つ一つにストーリーがあり、歴史がある。それでも、聳える秀峰ワイナピチュとアンデスの山並みを背景とし、石造りの建造物、棚田がならぶ光景に、人は息を飲み、しばし佇むであろう。
後ろ髪を引かれつつも、誘惑を振り切りながら、マチュピチュの遺跡を横切りワイナピチュの登山口に向かったわけだが、実際にはワイナピチュからの誘いの力は余りに大きく、ユゴーの言う通りに、あっという間に登山口にたどり着いた。
さあ、いざ行かん。
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