2016年5月6日金曜日

13歳の瞳








相変わらず遅く帰途につく。
台所で洗い物をしていた末娘バッタの顔を覗くと、目の周りがうっすらとピンクに染め上がっている。この間も、友人とショッピングに行った時、スーパーの化粧品コーナーで試したとかで、それでなくとも漆黒で長い睫毛がくるりんとカーブしていたことを思い出す。マスカラの次はアイシャドーか。

「お化粧したの?」

「違うよぉ。」
「目の周りがピンクじゃない。」
「目の周りを手でくりくりしたからだよ、きっと。」

ふうん。納得しないながらも、彼女がよそってくれた熱々のご飯を口にする。
「で、どうだったの学校は?楽しかった?」
「ça vaだけど、楽しかったとは言えないよ。言っていたじゃない。第二次世界大戦の時、迫害を受け、強制収容所を経験したユダヤ人の人の講演があるって。」

そうして、彼女は堰を切ったように語り始める。

もう70歳になるだろう女性が7歳の時に母親と一緒に南フランスに逃亡する電車の中で取り調べを受けたこと。「ユダヤ人と言えばすべてが許されるよ。さあ、言ってごらん」といった、多くの甘言、誘いの言葉、悪魔の囁きを取調室で色んな人から言われたこと。それでも絶対にユダヤ人と言ってはいけないとの母親の言いつけを守ったこと。ところが、本当のことを言わなければ、母娘離散だ、と脅され、母親が泣きながら真実を告げたこと。そうして収容されたこと。

父親が捕虜であったことから、強制収容所でも若干の特別扱いを受けたこと。死体はどこにでも転がっていて、食事のスープの大鍋を皆で運ぶには、誰もが力なく、鍋をひっくり返してしまい、何の食事もありつけない日がしょっちゅうあったこと。母親が腸チフスにかかったこと。170cmの長身な母親の体重が30数キロになってしまったこと。戦後、父親が戻ってきて、一緒にロシアの病院で母親を診てもらった際、「坊や、これで安心だよ。」と医者から声を掛けられ、父親が「坊や、ではなく、私の妻です。」と答えたこと。戦後、歯ブラシ、スプーンの使い方さえ忘れてしまって戸惑ったこと。学校で親戚が亡くなり泣いていた友人をみて、「なぜ泣くの?」と思ってしまったこと。死に対し鈍感になってしまったこと。
など、など。

末娘バッタの隣にいたドイツ人の友人は、講演の間ずっと泣いていたと言う。そういう末娘バッタも、時々言葉に詰まりながら、目を潤ませて話をしている。

誰かが、ドイツを許せましたか、と質問をしたらしい。
「ありがとう。質問がなくても、これは皆さんに話そうと思っていました。」そう言って、彼女は、「ドイツは今でも許せません。」とはっきりと告げ、ドイツ人の友人もいるし、ここにいるドイツ人の皆さんの事を個人的にどう思っているか、ということではない、と前置きしながらも、ドイツの戦争犯罪を裁く裁判に関する資料全てに目を通したが、誰一人として自分の非を認め、謝罪の言葉を告げるものはいなかった、この事実は許せない、と語ったという。

国、政党、思想団体、など、組織による行いは、それを支える個人にとり、自分の責任といった概念は欠如してしまうのであろう。会計不正問題にしろ、燃費データ不正問題にしろ、責任逃れではないが、社のため、としての大義名分の下で堂々となされたのであろう。

しかし、ドイツという国は、こうしてナチスドイツ時代のユダヤ人迫害問題を国の立場ではしっかりと受け止めていることに、ここでは注目したい。フランスの公立の中学で、14ヶ国以上の国籍を持つ子供たちが犇き合う中で、こうしてナチスドイツによるユダヤ人迫害の問題をテーマに講演会を開催することができている事実。

日本に置き換えたらどうだろうか。果たして、日本の公立中学で、中学生相手に、旧日本軍による攻略、占領を身近に体験した人による講演会など、開催し得ようか。ナチスドイツによるホロコーストは一般的な攻略の戦争とは種類が違う、といえばそうかもしれない。

日本の某平和財団による作文コンテスト実施のお知らせが入る。「平和の文化と持続可能な地球社会」を築くことを目的とし、今年は「より良い未来をつくるための教育」がテーマとか。

末娘バッタに、世界平和をもたらすための教育について作文を書いたらどうかと水を向けると、
「世界すべてが平和になるわけがないじゃない。」
と、非常に現実的な答えが返ってきてしまう。

13歳。
多感な時期。
彼女の瞳に未来はどう映っているのか。





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