2023年5月26日金曜日

男 其の弐 « 確信»




 


 男には一つの確信があった。どんなに年月が過ぎようとも、人間はそう変わらないし、変われない。持って生まれて来た資質と、幼少時代の環境が一人の人間の基本的な性格と生き様を決定すると思っていた。15年前に出会って忽然と姿を消した女性は、今でもあの時のように明るく、話し好きで、あらゆる分野で会話が弾んで、別れてもまたすぐに会いたくなるような、一緒にいると周りの連中が羨ましがるような、そんな人物だと思って疑わなかった。


 彼女とは最初の出会いからして違っていた。あの頃、破綻していた結婚生活をいいことに、毎週のように催されるきらびやかな業界のパーティーに繰り出しては、知り合った女性と一晩だけの関係を楽しむことに、男は段々と疲れを感じ始めていた。満たされない何かを抱えながら、それが何なのか分からずに過ごしていた。あるパーティーで隣になった日本人の若い女性と意気投合し、随分と一緒に飲みに行ったのだったが、ある一定量を飲むと熟睡してしまう癖があり、その度にタクシーで彼女を抱えてアパートに連れ戻してあげていた。コンタクトレンズを外さずに寝込んでしまい、翌朝起きて取れなくなったら可哀想だと、目をひん剥いてコンタクトレンズを外してあげたりもした。そこまで親身にしてあげていたので、二人の関係も親密になるかと期待していたが、一向に縮まらず、果ては鬱陶しがられてしまい、思った以上に落ち込んでいる時だった。翌週ロンドンで開催されるカンファレンスの最終日程を受け取り、その詳細を確認していると、送り主の名前が目に留まった。儀礼的ではあったが、カンファレンス参加のお礼と、担当者としての挨拶のメッセージだったが、相手は日本人だった。冷たい仕打ちをした日本人女性のことを思い出し、胸が痛んだ。未練がましいことだが、彼女と同郷の人というだけで会いたくなっている自分に戸惑いながらも、すぐにメールを書いて、今回のカンファレンスを楽しみにしていること、貴社とはまだ取引を開始していないし、面識もないので、前日に軽く一杯いかがですか、と誘い掛けた。


 相手が断らないことは知っていた。当日、分かりやすいようにと指定した待ち合わせ場所のホテルのロビーで定刻に行ってみると、驚いたことに相手は未だ来ていなかった。携帯を確認すると、申し訳ないが15分遅れます、とある。この俺を待たせるとはいい度胸じゃあないか、との思いが募った。可愛さ余って憎さ百倍ではないが、冷たい仕打ちをした日本人女性と初対面の相手とが重なり、苛立ちと怒りがふつふつと湧いてきた。いらいらしながら待っていると、突然ガゼルのように颯爽と一人の女性が目の前に現れた。目をしばたきながら、慌ててソファーから立ち上がると、相手は名前を確認し、遅くなったことを詫びた。業界は男性が多かったし、名前からも特に違和感なく勝手に男性と思い込んでいただけに、この時ほど驚いたことは無い。待たされたことの苛立ちなど、ふっとんでしまうぐらいの威力があった。天女降臨とはこのことだろうか。男はその時のことを思い出すと、今でも満面の笑みを浮かべてしまう。


 もちろん、生まれたての赤ちゃんは生意気なティーンエージャーになっているし、15年前とは違い仕事の第一線から退いている我が身を振り返っても、15年の歳月は短くはない。彼女だって新しい人生のパートナーと出会い、別の人生を送っている可能性も否定できない。大病をして最早この世にいないかもしれない。ひょっとしたら、母国の日本に帰っているかもしれない。二年前にこの女性こそが自分の運命の人だと思い込んだ時に、男は女性の生活環境の変化に思いを巡らした。


 幸いなことに男は自分の記憶力に自信があった。音楽を奏でる人間の特徴だろうか。一度聞いた曲は耳が旋律を覚えていて、奏でる音を追いながらピアノで再現することができる。同じように、一度行った場所は、大幅な道路工事や建物の取り壊し、或いは増築などなければ、もう一度行くことが出来た。仕事柄世界各地を回ったが、以前行ったレストラン、パブ、教会、ホテルには、問題なくたどり着くことができた。女性の家には一度遊びに行っただけだったが、グーグルマップを駆使して、先ずは町を確認し、近くの学校やレストランを頼りにあっけなく場所を突き止めることが出来た。画像を大きくしてみると、どうやら彼女の家の隣に、新しいマンションが建ったようだった。それに比べ、彼女の家に大きな変化があったようには思われない。それよりも何よりも、彼女の車が玄関に駐車しているのを発見し、男は小躍りをした。彼女の車があるということは、彼女が健在であることを意味していたし、10年以上乗り続けているということは、新しいパートナーの存在を大きく否定していた。俺はついているのかもしれない。男の思い込みはさらにここで深まり、相手にとっても自分が運命の人であるに違いないと思うに至るのだった。


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これまでの章 

男 其の壱  « 覚醒 »

女 其の壱 « 記憶の断片 »



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