「ママ、8時から一緒に音読してくれる?」
ママが家にいるからって、遊んでいるわけじゃないのよ、
との一言を飲み込む。
そして、10年以上も前の光景が蘇る。
そう、末娘バッタが11歳半だから、もう11年以上も前の話。
臨月を迎え、ぎりぎりで産休に入り、
それでもパソコンで仕事をしていた、あの頃。
会社への忠誠心?
仕事への熱意?
そんなものでもなく、多分、お客様サービス、或いは、同僚への気遣いが一番であろうか。
それとも、自分の存在価値を確認したかったからか。
とにかく、産休に入ったにも関わらず、家から仕事をすることに承諾し、
いつも通り、長女バッタと息子バッタの幼稚園の送迎はベビーシッターのバベットに任せて、
一人部屋にこもり、PCの前で格闘していた。
「ママ?」
長女バッタより早めに幼稚園から帰るのか、
詳細は忘れてしまったが、
息子バッタが、良く部屋の前に来た。
すると、当然自分の仕事であるかのごとく、バベットがさっと来て、
「さあ、ママはお仕事よ。お散歩しましょ。」
とか、
「さあ、一緒にお買い物に行こうか。」
と、息子バッタをその場から連れ去ってくれていた。
一瞬、胸が痛んだが、
その為に、バベットは通って来てくれているのだし、
私としても、目の前の仕事を片付けたかった。
そうしているうちに、
末娘バッタを出産。
わたわたしているうちに、
あることに気が付き、茫然となる。
息子バッタが、母親の存在自体を無視するようになったのである。
何かあると、「パパは?」
ママがいても、素通り。
これは、効いた。
それでも、乳飲み子を抱え、腕は二つしかなく、
長女バッタもいる。
それでも、お手伝いのバベットにはゆっくりとお休みをあげて、
お料理だって、お洗濯だって、本読みだって、お散歩だって、
幼稚園の送迎だって、
なんだって、ママがしてあげた。
それでも、息子バッタの態度には変化が見られなかった。
2歳児に見捨てられた母親。
そんなことがあるのだろうか。
ある時、「今日はポテトだよ。」と言うと、
息子バッタは、すかさずオーブンを覗き込み、
「ポテトじゃないよ、ノワゼットだよ。」
冷たく言い放ってキッチンを出ていく。
2歳児にして、ノワゼットなんて単語を知っていることに驚くよりも、
その言い方に胸が痛んだ。
そうして、
翌年の夏、バッタ3匹を連れて日本に。
飛行機に乗り込むと、
どうしても私の腕は赤ちゃんの末娘バッタを抱える。
と、「パパ―」と泣く息子バッタ。
たまたま、担当のキャビンアテンダントが男性で、ちゃんと抱いてくれた。
パパの友人たちとスペインに遊びに行き、
皆で教会見学。
私が末娘バッタと外で待っていると、
薄暗い教会の中で足を踏み外したとかで、
額を真っ二つに割って、血だらけの息子バッタに大騒ぎとなる。
慌てて、緊急病院に駆けつけるにも、そこは田舎の寒村。
そこでも、悲しそうに息子バッタは「パパぁ」と泣いていた。
その度に、ママの心も泣いた。
分かっている。
どうして、そうなってしまったのか。
でも、
どうすることもできなかった。
ある時、
アパートのトイレに息子バッタが閉じ込められてしまう。
正確にいえば、自分で鍵を中から勝手に閉めて、
自分で開けられずに、大騒ぎ。
ほら、そこのドアのつまみをひねってごらん。
どう言っても、開けられない、開けられない、と大騒ぎ。
ドライバーを持ってきて、
なんとか荒治療でドアが開く。
と、中には、真っ赤な完熟トマトと化した息子バッタ。
それでも、ママの腕の中に飛び込むわけでもなく、
ママとしても、大救助作戦を展開したわりには、
手ごたえがなく、空振り。
どうなることかと、心痛む日が続く。
ある時は、
ちょっとした口論となり、外の空気を吸ってくる、と靴を履くパパを見て、
「お散歩?ボクも行く!」と、嬉々として運動靴を履き、
険悪だった空気を和ませてくれた時もあった。
それが、
いつ、どんな形で、どのようにして、
息子バッタの信頼をママが取り戻したのか、定かではない。
実のところ、
あの頃以降の記憶があまりない。
気が付くと、
バッタ達3匹と、なんとかこの地で元気に楽しく生きている自分がある。
だから、
出来る範囲で、惜しみなく、時間を割いてあげよう。
一緒の時間を作ろう、と思う。
勿論、無理な時は、無理だけど。
さて、音読。
それぐらい、ちょっと付き合おうか。
卯の花の香りが心地よい。

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