昨日のバイオリンのレッスンの時、
ちょっとした行き違いで、
息子バッタを追い詰めてしまい、
彼の口から、思いもしない言葉を吐き出させてしまっていた。
「僕、もう、バイオリン、やらない。
バイオリン、やめるよ。」
耳を疑った。
確かに、ハンドボールの試合があっても、土曜はバイオリンの練習の日だから、と
バイオリンを選ぶことを約束させていた。
それでも、時に、大切な試合の時には、
ハンドボールを優先させたことも数度ある。
しかし、本人にとってはやるせない思いであったのだろう。
今度も、バイオリンのコンサートの日と、
ハンドボールのトーナメントの日が重なっていた。
6月は学校の年度末でもあり行事が特に多い月。
音楽の夕べ、結婚式のコンサート、夏祭り、
全てに参加しようと思ったら、確かに大変。
それでも、彼から音楽を取り上げることなんてできないと思っていたし、
考えてもみなかった。
これまでだって、バイオリンをやめたい、なんて、告げたことは一度たりともなかった。
音楽の時間は、家族共通の時間とも思っていた。
いや、私にとって、なくてはならないバッタ達との一緒の時間。
それは、バッタ達にとっても、同じことなのだと思っていた。
息子バッタが宣言するまでは。
やっぱり追い詰めたのだろうか。
そうして、
今日の学校の運動会。
彼の学年から男子は彼一人の参加。
一つ下の学年の男子生徒と一緒に徒競走、障害物競争となり、
毎回、二番手に大きな差をつけて一位。
一年下の子達と一緒なんだから、勝たなきゃね、と言って、
でも、一年下の子達には、悪いよね、と言って。
その度に一位のメダルを私の首にかけてくれる。
ねえ、
何かを得ようとすることは、
何かを捨てなきゃいけないわけじゃないのよ。
自分の手で、
自分がこれまで大切にしてきた世界を
取り壊すなんてこと、しないで欲しい。
息子バッタが首にかけてくれたチョコレートの2ユーロコインの一等賞のメダルを
外せないでいる。
彼ぐらいバイオリンが弾けたらいいのに、と思うけど、
その彼は、
バイオリンをやめるという。
いや、
本当に辛いのは、
心の拠り所であったバッタ達とのバイオリンの時間がなくなること。
大きくなっていくバッタ達を前にして、
そろそろ、いろんな意味で
心の準備をしなければいけないのかもしれない。
バッタ達を心の拠り所としちゃいけないのだろう。
そう、無邪気な子供たちのように、
もらったチョコのメダルをその場でむしって、ぱくりと口に放りこまなきゃ。

にほんブログ村
↑ クリックして応援いただけると嬉しいです
皆さんのコメント楽しみにしています
ご無沙汰しています。あかうなです。私は3人の子供がいますが、内二人は既に言っています。『バイオリン、もうやめる。』でも、3人ともまだ弾いています。息子バッタさんが、けろりと弾き始めるといいですね。いつか分かってくれると思います。ママのために弾いてるんじゃなくて、自分が好きだから弾いてるんだ、って。
返信削除あかうなさん
返信削除お久しぶりです。コメントありがとうございます。
そうですか。お二人も、そんなことを。それでも、弾き続けているのですね。でも、ひょっとして、女の子?男の子って、いやに頑固なところがあって、どうなのでしょう。妙にがっくりときております。ローティーン。我が兄のことを思っても、やけに頑固だったな、と思うのです。ローティーン。大好きなハンドボールには雨の中も自転車をこいで行くのですから。空気の様な存在でありがたみが感じられないのでしょうか。
取り敢えずは大騒ぎせず、様子見状態。
どうなりますでしょうか。
ははあ、女の子でしたね、確かに。。。その後しばらくして、なんでもなかったかのように弾き始めましたが。。。
返信削除まあ、あかうなさん。
返信削除やはりそうでしたか。。。
もう少し、様子見です。