やわらかな柳の葉から覗いた蓮の池は
そこだけ空気が切り取られたよう。
池の水面に映る雲に浮かぶ蓮。
ゆっくりとした時間の中で、
大きな幹に触り、久しぶりね、と語りかける。
いつ訪れても、
その時々の季節の花が香り豊かに迎えてくれる庭園。
訪問する会社によるドタキャンでぽっかり時間が空いてしまったお客様と、
車を飛ばして遊びに訪れたある日の午後。
朝からゆっくりと散策しながら、
のんびりと遊んだ豊かでいとおしい時間。
遠方からの大切な友人夫婦をお連れした眩い夏の日。
コクリコの赤が草原一杯に咲き乱れる前で
長女バッタと母で驚嘆した初夏。
私の心の中で、
大好きな場所の一つ。
それなのに、
最近は演出なのか、
前回は藤棚に艶やかに咲く紫の藤に、
我が家よりも一月も遅いタイミングを訝しく思ったが、
なんと、贋物。
そして、今回。
蓮の池に見事に咲く睡蓮のピンク、イエロー。
ただ、どの花弁も美しくピンとしており、肉厚。
蕾がないこともないが、
どうして、ここまで満開なのか、と
やや違和感。
そして、午後の時間であるにも拘らずの花の開きように、
じっと見つめると、
黄色いオシベが贋物であることを物語っている。
いやはや興醒め。
そんなことをしていると知ったら、モネはなんというだろう。
散るから、花の命の愛しさ、儚さを思うのであって、
人口の美しさを求める気持ちとは別物であろう。
訪問客へのサービスなのか。
それとも、訪問客をバカにしているのか。
真意の程が分からない。
池に、たとえ蓮の花がなくとも、
その季節でないのであれば、
十分納得いく話であろうのに。
その瞬間の美しさを切り取った絵画。
その場を人口に再現しようとする愚かさ。
大好きな場所であっただけに、
現在の管理者の思惑が残念に思えてならない。
そうなると、
やはり、
モネの絵画に、憩いを見出すしかないのか。
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