銀の粒が天窓を叩く音を聞きながら、
ことのほか雨が好きな自分に気がつき驚く。
雨が上がった後の土や草、木々から立ち上る香りが好きなことは勿論、
雨の粒が木々や葉、屋根や窓を打ち付けて織り成す様々な音が好き。
そんな暢気なことを言っているのも、
これといった戸外でのイベントが待ち受けているわけでもないからで、
ピクニック、山登り、サイクリング、などの屋外行事は勿論のこと、
コンサート、式典、といった屋内行事であっても、晴れやかな空はありがたい。
写真撮影に於いても、
太陽によって作り出される陰影がもたらす効果の重要性は十分、分かっている。
それでも、
雨音を聞きながら楽しんでいる心の余裕に、
ふと、幸せを感じてしまう。
そうして、伸び放題になっている雑草を刈り込まないと、と思い至り、
先日、我が家の庭で、のんびりと日向ぼっこをしていた3匹の猫の姿を思い出す。
我が家には勿論門があるが、猫が戸を叩くわけでもなく、ましてやインターフォンなど使うわけもない。
ひょいと飛び乗れば簡単に登ることができる塀の高さに、
するりと身を捻れば庭に入り込める柵。
我が家のバッタ達が喜んで門を通らずに庭に入るので、
以前、堂々と門から入りなさい、と叱ったことがある。
猫を叱るわけにもいかない。
庭に悪戯されて困るものも、特にない。
彼らも、こちらを試すのか、
時々、玄関やベランダに、置き土産をすることもあるが、
別段、なんてことはない。
かといって、
姿を認めて声を掛けることもない。
いわゆる、猫かわいがり、ということを、
我が子であるバッタ達にさえしないのであるから。
不思議なことに、バッタ達も、猫を見てもそんな仕草も見せない。
だから、なのか、
或いは、伸びた草を歩くことが楽しいのか、
見たところ、ちっとも家族でもなさそうな、
ちゃっぷりとした白に茶のぶち、
スレンダーな真っ黒、
三毛猫タイプが、
我が家の庭を、そこれこそ我が物顔で日向ぼっこしていることが良くある。
さて、
当たり前のように晴れ上がった冷たい空気の中、
芝刈り機の音を響かせ、
幾つもの刈り取った草の山を作る。
庭の奥底にひっそりとフランボワーズが赤く実って息づいており、
ミラベルは黄金の粒をたわわにつけた枝が、重さで芝生をこすらんばかり。
昨年の秋に、通りがかった人に枝を少し軌ってもらったクエッチは、
ミラベルほどではなくも、黄緑色の粒を細長くし、一つだけ既に赤紫に輝いている。
背が高くなった雑草を刈り、庭の姿がすっかり変わると、
新しい発見があちこちで見られる。
足の踏み場もない程に散らばったまつぼっくりを拾いながら、
長女バッタが幼いときに、まつぼっくりを拾っては、「まつぼっくりがあったとさ」と言うので、すっかり歌を覚えたのね、と関心していたが、
実は、その松かさの固有名詞が「まつぼっくりがあったとさ」と思っていたことが何かの機会に発覚し、大笑いしたもの。
きっと、それこそ、「まつぼっくり」を拾っては、私が「まつぼっくりがあったとさ」の歌を歌っていたから、そんな風に覚えてしまったのだろう。
今まで草で覆われていたところに、柔らかな土が見え、
すかさず鳥たちが獲物を狙って遊びにくる。
ヘーゼルナッツの木の上では、
ふっくらとした赤茶の尻尾を遊ばせたリスが木の実の味見をしている。
今まで、庭にいなかったからか、或いは、庭を見なかったからなのか、
草刈をした途端、
久しぶりの仲間達と出会う。
そうして、
ふと、そう、ふと思い至る。
冷蔵庫で一月以上も保存してしまった手にすっぽりと入る卵を
一つはさくらんぼの木の根元に、
一つは、キッチンの窓からも良く見える石のベンチの上に、
もう一つは、、、
もう一つは、もう忘れてしまったが、
庭のどこかに隠す。
このところ、ちょっと見かけていない猫君たち。
ひょっとしたら、バカンス先に家族と同行したのか。
彼らなら、細長い、ほんのりとピンク色を帯びた丸い物体を、
最初は訝って、それから、嬉々として遊び始めるのではないか。
そうして、割れた瞬間の驚き。
まさか、それをちょっと舐めたからといって、彼らがお腹を壊すこともあるまい。
と、そこまで想像して、
ぎくり、とする。
もうすぐ遊びにやってくる姪や甥たち。
4歳の、あの子が、先に見つけたら。。。
まさか、生で食べはするまいが、、、。
その前に、猫君たちよ、早く遊びにおいで。
そう思うも、キッチンの窓から見える石のベンチの上には、
薄ピンクの丸みが太陽の光を浴びて今日も輝いて見える。
さて、さて。。。
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