2013年4月8日月曜日

手はカルチャー




フランスと日本で、
同じ型、同じ生地で100の衣服を作ったとします。
できた作品を比べると、
フランスで作られたものと、日本で作られたものには、
違いがあります。

手はカルチャーでもあるのです。


世界のモード界の重鎮は、
宇宙をも包み込む微笑を始終絶やさずに、
一つ、一つ、
言葉を切って話をする。


『カルチャー』の定義について、大学時代の比較文化論か何かの講義で、
女子学生と喧嘩腰の討論をしたことが思い出された。
当時、討論の何たるものかもわきまえていない青二才同士。
相手の意見に聞く耳も持たずに、
自論のみを主張し合った二人。
にやにやと嬉しそうな担当教授。

文化、カルチャーとは果たして個人的なものでもありえるか、
といったことについての討論。

今なら分かる。
アメリカ生活が長い彼女の主張は、
英語のcultureから由来しており、個人的なものであって当然とするもの。
方や、こちら、いっぱしの純日本人。
文化たるや、個人的なものではなく、社会が共有するものである、との主張。

そう、英語の『culture』と日本語の『文化』の定義の違い。
あの時、そこまで踏み込んで考えられる余裕がなかったことが歯痒いし、
きっと分かっていながら、
女子学生の珍しい討論を面白がって聞いていたであろう教授が口惜しい。


『手はカルチャーでもある。』

今の私の心にストンと入り込む。
60兆個の細胞を歓喜で震わせる『手』を思う。



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