2023年2月13日月曜日

トンカ、怒る

 





森の木々が段々と夕闇に溶け込んできて、遠くの木々のはざまから見え隠れする空の色が、血の様に赤く染まっていく様を見て、その日の散歩は早めに切り上げようと改めて思った。そもそも、午後の早い時間に近所の友達と一緒に森で長い散歩をしていたから、夕方に散歩に行く必要はないと思っていた。


しかしトンカはそうは思っていなかったようで、散歩の後の心地よい昼寝を終えて、夕食をぺろりと平らげると、未だ明るい外をみながら、いつものように散歩に行こうとねだるのだった。いや、いつものように散歩に行かないことに、腹を立てているようでもあった。


そうなると、バッタ達がいるわけでもなく、夕食の準備があるわけでもない、つまり大した用事もない身としては、そこまで言うなら散歩に行こうか、となった。トンカの遅い時間の昼寝を終えての夕食だったので、いつもよりも30分は遅い出発となってしまった。


最初から、日中の散歩もしたし、夕方の散歩は30分ぐらいで早めに切り上げてしまおうと思ったわけだったが、この思いがトンカに共有されていたはずもなく、今思えば、トンカにしてみれば、いつもの夕方の散歩のつもりだったに違いない。


森の入り口付近で、辺りは夕闇に包まれていき、トンカの青く光るLEDの首輪が目立ち始めていた。突然人影が近寄り、「ボンソワール」の声とともに消えていった。犬を連れていたが、トンカと違って光る首輪をしているわけでも、懐中電灯を持っているわけでもなかったので、どきりとさせられた。それよりも、犬が近づいたにも関わらず、トンカは我関せずに叢で何やら匂いを嗅ぎ取る行為に夢中だった。


そう、サインは幾つもあったと思う。気が付かなかったわけではなく、見逃したわけでもなかったが、深刻に捉えていなかったといえよう。


森の入り口の草藪で青い光がちらちら動いているのをみて、トンカが何かに引っかかっていることが分かった。音と動きから、恐らく誰かが捨てた食べ物にでもありついてる様子だった。こんな時、引き離そう試みても必ずや同じ場所に戻ってしまう。暗くなってもいたし、仕方がないので好きにさせてやることにした。それよりも、森の中の径は通らずに、いつものような大回りもせずに、別のルートで草原を一周して帰ろうと算段していた。口笛を吹き、呼び出してみたが、一向にこちらに来る気配がないので、森の入り口が良く見える草原に出て待つことにした。


が、待てど暮らせどトンカは出てこない。遠くで犬が二回吠えた。その吠え声がトンカに似ていたことから、一瞬どきりとしたが、流石に目の前を走っていったのなら見逃すはずがない。そう思って、森の入り口付近まで戻ってみたところ、青い光の存在が全くなくなってしまっていた。慌てて口笛を吹き、名前を呼んだが、ひっそり閑としていて、トンカの息遣いも、枯れ葉を踏む音も聞こえてこない。


まさか、先ほど聞こえた犬の吠える声がトンカだったのではないか。そう思ってトンカの名前を呼びながら、森に沿って道を走ってみた。しかし、どう考えてもトンカが忽然と消えるはずがない。トンカには逃亡意欲はこれっぽちもなく、目の前の餌に夢中になっているか、取り上げられないかと恐れて、隠れてこっそりと食べているかのどちらかに違いあるまい、そう思った。


もう一度森の入り口付近に戻ってみると、青い光がちらちらと見え隠れしたように思われた。慌てて走って行ってみたが、すぐに見えなくなってしまった。


周囲はすっかりと暗闇に包まれ、森の中は暗黒の世界になっていた。リールで目の前の木をがんがんと叩いて音を出し、「トンカ!来い!」と叫び、口笛を吹いた。「もう帰るよ!」必死だった。森の中に入るにも懐中電灯を持ってきていなかったし、木の根っこに足を取られることもあるだろうし、それに何より暗闇が怖かった。


「トンカ!トンカぁ!」


何十回目の呼びかけで、漸く遠くに青い光が見えた時には、本当に嬉しかった。ところが、トンカは再会を喜んで、私の腕に転がり込むようなことはせずに、近くまで戻って来たものの、また別の叢に入り込んでしまった。ちょっと、それはないじゃない、トンちゃん。


それでも青い光は目の前にちらついている。こちらも這うようにトンカに近付き、それこそ猫なで声で呼び出し、誘い出した。本来なら、どこに行っていたのよ、と怒るつもりだったが、どうやらトンカの方でも疑心暗鬼になっているようだった。


確かに、勝手に散歩のルートを変えたのは私だし、しかも、夕闇だったので、トンカにしてみれば、いつもの散歩道を慌てて走って追いつこうとしたものの、誰もいない。暗闇に一人取り残された気分になったのだろうか。呼び声が後ろからするから戻って来てみたものの、一体どうなっているの、といったところか。


リードを付けると、お互いに何も言わずに一目散に回れ右をして家路を急いだ。驚いたことに、いつもなら家に帰ると自分からお座りをして、首輪を外されることを待つのだったが、今回はお座りなんかするもんかのオーラがばんばんと出ていた。仕方なしに、煮干しで座れと命じてみたものの、煮干しを見ても仏頂面をしている。


森の入り口で、恐らくボーイスカウトあたりの残飯でもたらふく食べたのだろうと思っていたので、煮干しを出しても見向きもしないのだろうか。それにしても、怒っているなあ。


帰るなり、水をかぶかぶ飲んでいて、なんだか取り付く島もない。そのうち、滅多に一人では使わない、正確に言えば使うことを許されていない赤い革のソファーに身を横たえた。そうか、そうか。トンカだって、真っ暗な森の中を一人で走らされて怖かったんだよね。分かった、分かった。ごめんよ、ちょっとした行き違いだったんだよ。そりゃあそうだよね。勝手に散歩のルートを変えられたって、分かるわけないものね。


思い切りむぎゅうっと抱きしめてやった。暫くして、いつものソファーに戻って、のほほんとくつろぎ始めた。ああ、トンカ、仲直りしようね。トンカからは、やわらかな幸せオーラが漸く感じられた。



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