2023年6月2日金曜日

女 其の伍 « AI vs 人間 »

 




 今年の三月は、気温が早朝に氷点下に落ち込むといった、例年になく寒い日が続いていた。それが4月になる頃には急に暖かくなり、気が付いて見ると春爛漫となっていた。いつもなら、クロッカス、連翹、そして水仙など、先ずは黄色が春の訪れを告げ始め、次第にヒヤシンスが甘美な芳香を運びこみ、チューリップが黄緑色の硬い蕾を持ち始め、それが段々と赤、紫、白、黄と色付き始めると、さくらんぼ、レインクロード、クエッチ、ミラベルといった果樹の枝先が膨らみ、次々に華やかに薄桃色や純白の花を咲かせ、豪華絢爛の満開時期を経て、花吹雪が楽しめる頃に、今度は主役が梨、そして、林檎にと移っていくのが常だった。ところがどうだろう。今年は全てが同時に咲き始めた。ともすると、リラや牡丹まで一気に咲いてしまう勢いだった。


 のどかに春を愛でることなく、あわただしく時間ばかりが過ぎてしまうようで、彼女は小鳥たちが賑やかに囀る春爛漫の庭を見つめながら、溜息をついた。色々と考えを巡らせてばかりで、気が付いたら男から手紙をもらって、既に二週間もの時間が経っていた。


 未開封の手紙は、そのまま放置して埃を被ったままにしても、ちょっとした手違いでゴミ箱に入れてしまっても、所有権はもちろん、紛失時に於いての全責任は未だ送り主側にあるように思われた。ところが、一旦開封された手紙は、所有権がその時点で明確に受取人に移管され、適切な対応を迫られてしまう。そんな風に彼女には感じられた。知ってしまった者の責任、とでも言おうか。


 彼女は今、返事を書かねばならないと分かってはいても、何を書いていいのか分からずに困っていた。短期間とはいえ、ある時期深い付き合いのあった男からの15年ぶりの手紙。いや、それは手紙の体をなしていなかった。真っ白なレターペーパーの中央から上よりに、薄いグレーのシンプルな字体に大きめのフォントで、メールアドレスが記されているだけのものだった。そして何よりも、それを手紙として位置づけ難いものとしている最大の要因として、小切手が同封されていた。自分の名前が受取人として記載されている小切手を受け取りながら、返事をしない程の礼儀知らずではなかったし、それよりも何よりも何のために小切手が送られてきたのか謎であった。返事をせざるを得ない立場に追い込められたようで、なんだかやるせなかった。


 男はつまらない勝負に出たと、彼女には思われた。自分にしっかりと逃げ道を作っておく、狡賢い方法で。返事は高い確率でくる。しかも、返事の書き方で相手の心持ちを測ることができる。相手の出方次第で、変幻自在に自分の姿勢を変える。戦略としては、まったく潔くなく、美しいものではなかったが、逆に、弱気な男の情けなさが憐れに思われた。だからこそ、返事は書かねばならなかった。


 彼女は最近よく耳にするAIチャットアプリを使ってみることを思いついた。久しぶりの知り合いから手紙が来たので、お礼の返事を書きたい、小切手が同封されていたが、その理由が分からない、といったごく簡単な情報を伝えて、ドラフトを作ってもらうようにお願いをしてみた。


 「喜んでお手伝いします。」そう返事がきたかと思った途端に、カタカタカタと見ている間に文章が目の前に流れてきたので、彼女はあっけにとられてしまった。


 過日はお手紙をいただき、誠にありがとうございました。小切手が同封されておりましたが、大変申し訳ないことに、どの件に関してのことなのか見当がつきません。大変恐縮ではございますが、具体的にお教え頂ければ幸いです。お返事お待ち申し上げます。


 どんな相手であるのか、といった詳細情報は一切伝えてなかったので、非常に丁寧な、ややもすると慇懃無礼ではないかと思われる文章ではあったが、一つの提案としては立派なものだった。そして、この文章を訂正することで、自分が伝えたい思いが彼女自身にとって明確になるという効果があったことは、思わぬ拾い物であった。


 何度も修正し、最終的に非常に簡潔ながらも伝えたいメッセージがしっかりと込められているものが出来上がった。


 お元気でしょうか。お手紙をいただき、大変うれしく思いました。小切手が同封されていましたが、正直なところ大いに戸惑っています。この小切手は何の件でしょうか。よろしかったら、是非近況をお知らせください。お返事お待ちしています。


 英文メールの難しいところは、最後に記す結びの言葉だろう。変に仰々しくても良くないし、かといって誤解を招きそうなものも避けねばなるまい。若者同士の挨拶を使うのも変なものである。保守的と笑われようと、無難なものにするにこしたことはない。今回はAIチャットに頼ることなく、彼女は随分と悩み、何度も文章を読み返し、題名は「Hi」として、ポン、と送信ボタンを押した。


 こうして、遂にボールは相手側に投げ返された。



.....................


これまでの章 

男 其の壱  « 覚醒 »

女 其の壱 « 記憶の断片 »

男 其の弐 « 確信»

女 其の弐 « 記憶の選別 »

男 其の参 « 願望 »

女 其の参 « 真実 »

男 其の肆 « 再生»

女 其の肆 « 渦潮»

男 其の伍 « 懐古 »



👇 拍手機能を加えました。出来ましたら、拍手やクリックで応援いただけますと、とても嬉しいです。コメントを残していただけますと、飛び上がって喜び、お返事いたします。

にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ
にほんブログ村

↑ クリックして応援していただけると嬉しいです
皆さんからのコメント楽しみにしています

PVアクセスランキング にほんブログ村

2 件のコメント:

  1.  こんにちは
    人工知能で思い出したこと(笑
    動画配信でみたものですが、持ち主さんしかいない部屋でアレクサが突然一人で好き嫌いの好みの会話をするので

    持ち主、
    アレクサ誰と話しているの?
    と問いかけたところ

    アレクサ、
    あなたの後ろにいる女の子です。

    持ち主、えっ? 

    誰もいないのに。。

    ニュースになっていましたが、ある一定数で盗聴システムということです。他言語がわかるように解析スタッフが聞いているとのことでした。。

    幽霊より((( ;゚Д゚)))




    返信削除
  2. 匿名さん、

    こんにちは。
    笑えない話ですね。ジョージオーウェルの1984の世界が現実化していることを、ひしひしと感じます。あな恐ろしや。絶句。

    返信削除