2012年2月28日火曜日

午後のカフェテリア


ぼんやりとカフェテリアの列の後ろで
午後のカフェオレを求めて並ぶ。

お昼休みの喧騒は鎮まっていて
ちょっと前まではカフェを飲み合う同僚達で賑わっていただろう丸テーブルは
パン屑や砂糖の粉を散らしたまま、
あちこちで佇んでいる。

マグレブ系の若者が、
どこからからふらふらっとやってきて
濡れ雑巾ですらーすらーっと
丸テーブルの上をかすり始める。

幼い頃、
テーブルを拭く時に、
ゴミを片隅に集めるようにして、取りながら拭くようにと、
厳しく母に言われたことを思い出す。

今、同じことをバッタ達に言っている。

消しゴムのかすも、
ビスケットの粉も、
ご飯粒でさえ、
一緒くたに雑巾でぐいっと拭いてしまう息子バッタ。
気がつくとテーブルの下にぽろぽろと落としている末娘バッタ。

幼い時の教育の大切さ、
そんなことを考えながら青年の拭く姿を見つめていたのであろう。

青年がこちらに気がついた様子で
幾つものテーブルを回りながら、
それでも、やっぱり
パン屑も砂糖の粉も、なにもかも一緒に、すらーすらーっと
表面だけをなでる動作を変わりなく続け、
こちらをちらちら見ている。

評価されたいのであろう。
人間誰でも褒めれば育つ。

そう思った時、
青年がふいにやって来て、私の真後ろで列を横切る。

一瞬、
お尻をすらーっと撫でられたかのような錯覚に陥る。

そうして、
何もなかったかの様に、いや、実に何もなかったわけではあるが、
青年はやはり同じように、
向こう側のテーブルを
すらーすらーっと
なで始める。




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皆様からのコメント楽しみにしています。

2 件のコメント:

  1. お見送りといい、テーブルの拭き方といい、まるで、同じ親に躾けられたような錯覚。時代なのかしら。また、時を経た、異国での玄関先や食堂での光景、それを見る目までがぴったり重なって、毎度ながら、共感、共振、好感、そして今日は、情感、余韻。。。

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  2. 木蓮さん

    嬉しいことを仰る。言葉の粒がきらめいて反射し、広がりをもって静かに戻ってきています。ありがとう

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