2022年6月16日木曜日

ひっそりと緑の水をたたえる沼

 







先日、トンカを連れて息子バッタと森を散策していた時のこと、「以前ここに小屋があったよね。ボクが子供の頃のことだけど。」と、唐突に言われて面食らってしまった。小屋があった記憶などないし、正直な話、彼が幼い時に一緒に森を散策した記憶がない。近所の公園にバッタ達と連れ立って行くのが精いっぱいで、森にまでは足を延ばしていない筈。幼い時のバッタ達は森の入り口にたどり着いただけで、お散歩終了になってしまっていた。


思い出すのは別の森に自転車で行ったこと。確か末娘バッタは三輪車だったか。だから、自転車組の長女バッタと息子バッタを途中で見失い、にわか雨が降りだし、血相を変えて探し回ったことを覚えている。森での散策なんて、それぐらいだった。そもそも、一番「散歩」なるものを嫌がったのは息子バッタだった。何の目的もなく、ただ歩く、という行為の楽しみが彼には理解できず、瞬間移動に憧れるタイプだった。


いつの頃からか、一人で街を歩いたり、森にランニングに行ったり、友達と山歩きを楽しみ始めたのだから、人間は分からないもの。しかし、記憶にかけては彼の右に出るものはいない。となると、そこに小屋があったのだろうとしか言いようがない。


それより、以前沼があったけど、見当たらないよね。干上がっちゃったのかしらね。


トンカが未だ生まれてもいない随分前のこと、バッタ達がいない週末、一人で森を散策することがあり、その時に沼を見たのだが、このところ色んな道を通っても、ちっとも沼にぶつからなかった。


そう言うと、息子バッタは不思議そうにこちらを向いて、ママ、ほら、ここだよ。と小径を指さしたのだから、本当に驚いてしまった。そして、その小径に入って、息を飲み込んでしまった。密やかに鮮やかな緑の水面がきらめいていたのだから。


実は、それ以降、朝日が差し込む沼の様子を写真に撮りたいと、何度も足を運んだのだが見つからなかった。一体、あの沼はどこにあるのだろう。森はたくさんの小径があるが、何故だろう。トンカと森を散歩しながら、色んな道を試してみるのだが、どうも見つからない。


それが、今回泉なるものを初めて発見し、そのおどろおどろしい薄暗闇の中で水が湧き出る音にびくびくしながら歩いていると、緑の沼がぽっかりと姿を現した。森には精が宿るというけれど、信じたくなってしまう。


そういえば、トンカの父親が森の精だったか。



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