2022年10月10日月曜日

秋の味覚の続編

 





ご近所さんへの秋の味覚のお裾分けのには、続編がある。


先ずはお向かいのマダムに差し入れに行った際、呼び鈴を鳴らすも返答がないので、キッチンの窓が大きく放たれていたから、恐らく裏の庭で作業をしているのかもしれないと、秋の味覚が詰まった小さなガラスの瓶を紙袋に入れて、そっと門の隙間から手を差し入れ、門の開閉に邪魔にならないような場所に置いておいた。


次に、栗拾いに誘ってくれた友人宅に向かった。彼女も渋皮煮を作ったが、どうも渋皮の渋さが残ってしまい、苦戦していると言ってきていたので、良かったら味見をしてみてよ、と伝えてあった。歩きながら彼女の携帯を鳴らし、本人が出たようなのだが音声が聞こえてこない。郵便受けには入りそうになかったので、秋の味覚が詰まった小さなガラス瓶が入った紙袋を、門の取っ手にひっかけて、「秋の味覚をお楽しみください」とのメッセージと共に写メを送っておいた。


考えてみると普通の家庭であればお昼ご飯が終わって、のんびりとくつろいでいる時間帯。或いは、遅いお昼であったなら、デザートに移行したところだろうか。携帯電話など常にチェックしていることもあるまいし、マナーモードにしているのかもしれない。


次の友人宅では、連絡もせず、呼び鈴も鳴らさずに、郵便受けの上のスペースに、秋の味覚が詰まった小さなガラス瓶が入った紙袋をそっと置き、「秋の味覚をお楽しみください」とのメッセージと共に写メを送った。


最後の友人宅まではちょっと歩く。ちょうど彼女の誕生日が数日前だったので、誕生祝も兼ねて大きめのガラス瓶に栗の渋皮煮を詰めていた。道端に真っ赤に色付いた葉を見つけると、数枚失敬し、可愛らしい緑のドングリを見つけると、やはり数個失敬し、歩きながら、彼女へのピンクの紙袋に、秋を添えていった。


彼女の家は鉄の柵で囲まれていて、腰辺りの高さまでが煉瓦の塀となっている。煉瓦の塀の上にちょこんと、ピンク色の紙袋を置くと、やはり「秋の味覚をお楽しみください」とのメッセージと共に写メを送っておいた。


トンカと一緒だったこともあり、小春日和の穏やかな日差しを楽しみながら、森で遊んでいるだろう幼い子供連れの家族に遠慮していたが、トンカを連れて森に散歩に出ようかと思いつつ、大きめの迂回をしながら家に帰り着いた。


マダムの家は、相変わらずキッチンの窓が大きく開け放たれていたが、紙袋の存在に気が付いてくれたか、分かりかねた。次に訪れた友人からは、既にお礼のメッセージが届いていて、翌日以降が食べごろと伝えていたにも関わらず、一つ味見をしてみて、本当に渋くない!レシピを教えて!とある。にんまり。


と、最後に行った友人から、「今メッセージを確認しました。慌てて外に出てみましたが、ピンクの紙袋が見当たりません。誰かに取られたようです。呼び鈴をならしてくれればよかったのに!残念。」との驚くべきメッセージが。


え?まじ?


あの通りは一方通行なので、もともと人通りが少なく、私とトンカが行った時、昼下がりとのこともあり人っ子一人いずに、ひっそり閑としていたのに!私が彼女にメッセージを送ってから、彼女が外に出るまで20分間のみ。その間に、誰かが彼女の門の脇に置いてあった紙袋を取っていったことになる。俄かには信じがたい。


それよりも、せっかくのちょっとした誕生日のお祝いのサプライズにケチがついてしまったことが、ひどく残念に思えた。可愛い蓋の小洒落たガラスの瓶に入れて、紙袋も兎がデザインされているピンクの華やかなものにしたのに。しかも、生の栗、ドングリ、真っ赤な葉っぱが入っていて、小さな秋を喜んでもらえるように演出してあったのに。


いや、そんなことより、そういった気持ちが彼女に届かないことをもどかしく思った。


彼女は彼女で、家にいたのに、何故呼び鈴を鳴らしてくれなかったのかと、大いに不満気で、確かに彼女の言う通りであった。


車で行こうと思っていた友人向けの小瓶が一つ残っていた。栗はまだ200個以上残っている。渋皮煮はまた作ればいい。そう思い直し、ちょうど手ごろな大きさの紙袋を探すと、「神宮」と記載されている真っ白な紙袋が出てきた。神宮、つまり伊勢神宮の紙袋。これは霊験あらたかで、今回こそは間違いはあるまい。彼女も喜んでくれるに違いない。


さあ、気を取り直し、今度は真っすぐ彼女の家に向かう。先日拾った栗のイガイガ丸ごと2個を伊勢神宮の紙袋に入れ、道端で真っ赤になった葉を数枚失敬し、傘のついたドングリを見つけ、幾つか拾い、駐車場の脇の藪で見つけた小さな丸い濃い紫の実がついた房を一つだけ、そっと頂戴し、紙袋に入れて秋を揃える。


今度はちゃんと呼び鈴を鳴らすと、友人がすぐに家から出てきてくれ、鉄の門を開けてくれた。彼女と会うのは1年ぶりになるのかもしれない。どうしても終えなければならない仕事を一つ抱えているという事だったので、会って手渡しするだけで十分だったのに、10分だけ、とトンカと一緒に森の散歩に付き合ってくれた。


10分だけだったけれど、彼女の笑顔に触れ、おしゃべりができ、とてもとても貴重な時間となった。なんだか、最初の紙袋がなくなって、かえって良かったのじゃないかしらと思える程。


願わくば、持ち去った人が紙袋を開けてみて、赤く燃える葉やドングリや栗をみつけて、なんだ子供騙しじゃないかと捨ててしまわずに、秋を堪能し、小瓶を開けて、栗の渋皮煮を味わって、美味しいじゃないか、と、喜んでくれますように!


もしも、あのピンクの紙袋が誰かを喜ばせることができたのであれば、これ程嬉しいことはあるまい。


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