2011年11月1日火曜日

『くもの糸』のお釈迦様



僕は、どうして一つだけ良い事をしただけで、お釈迦様が犍陀多を地獄から救おうとしたのかが、分かりませんでした。犍陀多は多くの人を殺して、たくさんの悪事を働いた大どろぼうなのです。悪い心の持ち主の犍陀多が、一つだけ、しかも人間ではなく、くもを救った、ということだけで、お釈迦様は、これまでの悪事全てをなかったことにしようとお思いになったのでしょうか。

最終的には、犍陀多は自分だけが助かりたくて、くもの糸が切れることを恐れて、くもの糸に伝って上ってくる他の罪人達に降りるように言います。それで、くもの糸は切れてしまい、犍陀多は地獄から救われません。

でも、僕は、この場面も良く分かりません。

のぼってくる人々を足でけったり、突き落としたのなら、少しはわかりますが、犍陀多は、ただわめいただけです。地獄からはい上がれる、といった、あの場面なら、人間なら誰でも、悪人でなくとも、犍陀多のように、わめくのではないでしょうか。

お釈迦様は、犍陀多がどんな態度であれば、お救いになったのでしょうか。

人間を何人も殺したことと、くもを一回助けたことをはかりにかけて、地獄から救おうとお考えになったお釈迦様にとって、大切なこととは、何なのでしょうか。

僕は本当に分かりません。

極楽からは、地獄が見えます。蓮の池の下に見えるのです。地獄で苦しんでいる人々は、悪い心の持ち主で、それだけ悪いことをしたのかもしれません。それでも、苦しんでいる人々がいることを知りながら、何もしないでいる極楽とは、何なのでしょうか。

以上、息子バッタの感想文の抜粋(ママの赤ペン修正・加筆後)。子供達は、芥川の作品が大好きで、特に『くもの糸』がお好き。なぜなら、短いからであろう。ところが、さすが、芥川。奥が深い。息子は、この後、皆で仲良く、とか、友達がいれば悪事を働かず、地獄にいかずともすんだだろう、など、もっともらしいことを書いているが、お釈迦様への疑問は鋭いと思ってしまった。何事もなかったかのように、優雅な極楽にいらっしゃるお釈迦様が、実はとても冷たく、恐い方に思えてきてしまった。私も子供時代に読んだ作品だが、果たして、そこまで、あの当時感じただろうか?


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